【韓国】1300余年前、日本の関東地方は高句麗人の独壇場であった★2[02/03]

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319文責O2bさん
>>317
そう、「三国史記は偽書ニダ」とかいうなよ。

新羅は倭人の国、朝鮮人の国じゃない

・『三国史記』に、三王家起源伝説の全てに日本人が係わっている旨、記されている。
・新羅と出雲に残された四隅突出型墳丘墓、スサノオが新羅を建国した伝説。
・『新撰姓氏録』に新羅初代王は神武天皇の兄、稲飯命(イナヒノミコト)とある。
・『隋書東夷伝』に、辰韓(後の新羅)の王は百済人、とある。百済の王族は扶余族、倭王族とは親戚であるという。
・『山海経』に、楽浪の南に燕に朝貢する倭がある旨、記されている。当時のそこは三韓に別れる前の辰国であった。
・辰国は倭人の国? DNA研究により辰国の倭人と思しき民族が長江文明人の末裔(弥生人、百越人とも)であることがわかっている。
・失われた長江文明人の血は、現代ではベトナム以南、朝鮮、日本にしか残されていない。山東省から、日本から、海路で半島に渡ったと考えられている。
・その弥生人と共に、長江原産ジャポニカ水稲が日本から半島に伝わったこともDNA研究により判明している。
・中国史料によると、先住民の穢族が高句麗、扶余、沃沮の四族に別れたとある。穢族は東胡の末といわれている。
・東胡はツングース系、テュルクが混血しているとも言われる。BC209年に匈奴に敗れ四散、鮮卑や蒙古に別れた。女真もその末。
・同様にその後、遼東太守の公孫度が扶余王、尉仇台に嫁を与え、後の百済の地の王とした旨、記されている。
・倭、百済、任那、新羅の支配層は全て扶余族と見るべきか。ただし、全て民衆とは別民族。(扶余が天皇家とは限らない、蘇我氏説もあり)
・中国史料によると、秦韓(辰韓)の民衆は先住の倭人と始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)、とある。
・『隋書』、記紀からも、任那、百済、新羅がその当初、日本を宗主国として仰ぎ、往来していた旨、明らかである。
・現朝鮮民族にも、ツングース系(高句麗、扶余、蒙古、女真)の血(一割)、漢族の血(四割)、倭人の血(五割)が残っている。
・先住民たる倭人の五割にも及ぶ血だが、それでも大幅に粛清された結果だろう。(倭人は奴隷階級に落とされていたから。日本人に似た済州島民の例もある)

これらを総合するに新羅も百済、任那同様、日本の親戚国と見るのが正しい。民衆の血筋は現在の朝鮮と近い点もあるが、その支配層の歴史的出自が全く違うということだ。支配層の扶余族は高麗族に抹殺されてしまったのだ。
すると、朝鮮のルーツは新羅ではなく、高麗からということになる。