【萬物相】光州学生運動80周年
http://file.chosunonline.com//article/2009/11/03/599438910637344217.jpg 1929年11月3日にぼっ発した光州学生運動のきっかけは、当時、光州高等普通学校(現・
光州第一高校)に通っていたパク・ジュンチェが羅州駅で、いとこの朴己玉(パク・キオク)に
嫌がらせをしていた日本人の中学生らに殴りかかったことだとされている。その後、朝鮮人と
日本人の生徒たちによる乱闘騒ぎに発展したが、日本の警察は朝鮮人の生徒だけを逮捕し、
偏った捜査をしたため、朝鮮人の生徒たちが組織的な抗日デモを繰り広げたというわけだ。
だが、当時、光州高等普通学校の2年生だった、光州学生独立運動記念事業会のイ・ギホ
元理事長はこんな異説を唱えている。日本人の生徒らは、朴己玉らと体がぶつかっただけで、
髪を引っ張るなどの嫌がらせはなかった、というのだ。日本は学生運動を矮小(わいしょう)化
し、「子どもたちの些細なけんか」に始まったものだと強調するため、「嫌がらせ」をでっち上げ
たというわけだ。イ元理事長は、学生運動の根本的な原因が、光州高等普通学校の生徒、さ
らには朝鮮全土に広がった怒りの感情にあった、と主張している。
1929年当時、日本は韓半島(朝鮮半島)全域で、農作物などの収奪に熱を上げており、特
に穀倉地帯が広がる、水産資源も豊富な全羅南道では、かなり深刻な状況だった。1897年
に木浦港が開港して以来、日本からの移住者が全羅南道一帯に定住するようになり、韓半
島に住む日本人全体の34%を占めた。30町歩(ちょうぶ)以上の土地を所有する日本人の地
主や、その耕作地も、全羅南道は韓半島で最も多かった。学生たちは、両親が汗水たらし
て耕した農地で採れる農作物が、日本人たちの口に入るという現実を連日目の当たりにした。
そうして、日本に対する抵抗心や民族意識が自然に植え付けられていった。
光州学生運動は、朝鮮全土の194校から、約5万4000人の生徒らが参加する、日本統治時
代では最大の学生運動に発展した。日本は光州だけで約170人を起訴し、実刑判決を下した。
また、582人が退学、2330人が無期停学の処分を受けた。パク・ジュンチェは手記の中で、
「爪の下を錐(きり)で刺し、トウガラシ粉を混ぜた水を鼻から入れ、裸にして電気ショックを与
えるなどの拷問(ごうもん)を加えた」など、収監者らが受けた拷問の凄まじさを綴った。今月2
日に行われた「光州学生運動80周年記念国際シンポジウム」で、中国・復旦大のスン・カジュ
教授は「光州学生運動は、中国の反日運動にも大きな影響を与えた」と述べた。
韓国政府は1953年から、光州学生運動が起こった11月3日を「学生の日」に制定し、記念
行事を行っている。維新体制(朴正煕〈パク・チョンヒ〉政権時代の後半)下の73年には、法定
記念日から除外されたものの、84年には復活し、2006年には「学生独立運動記念日」に改称
された。こうした紆余曲折を経たものの、80年前の学生たちの煮えたぎる思いは、歳月が流
れても、一筋の光として輝き続けるだろう。
ソース:朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2009/11/03 14:55:11
http://www.chosunonline.com/news/20091103000051 関連スレ
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http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1257084808/