<中国建国60周年>中国石油開発60年
21世紀になってからも、中国は猛烈な勢いで成長を続け全世界から注目を集めている。
しかし一方では、これまでなかった格差の拡大、環境悪化など、さまざまな社会問題にも直面。
サーチナは、各界の専門家の寄稿による「中国建国60周年特集」で、中華人民共和国成立からの
60年間の歴史を振り返ながら、中国の将来、そして、日本や世界とのかかわり方について考える。
********************
寄稿:高見澤学 財団法人日中経済協会
http://news.searchina.ne.jp/img/column/researchies_profile_takamizawa.jpg 石油輸出国機構(OPEC)加盟国に比肩する原油生産量を誇る中国。
2008年にはサウジアラビア、ロシア、米国、イランに次いで世界第5位となる年産 1億9000万トン
(日量380万バレル)を生産している。しかし、中国では、急速な経済発展に伴って石油需要が急増し、
国内生産分だけでは賄うことができず、2008年には1億7888万トンの原油を海外から輸入している。
そんな中国も、60年前の建国当時は貧油国と評価され、石油資源への期待は大きくなかった
ことはあまり知られていない。当時、自力で資源やエネルギーを供給する必要があったにも
かかわらず、大々的な石油探査はなされておらず、石油開発に関する理論や経験、資料が
大幅に不足していた。建国当初は友好関係にあったソ連の協力を得て、1950年に
新疆ウイグル自治区の独山子油田に新疆中ソ石油公司を設立させた。中国における当時の
主な石油生産地は西北部に集中しており、1949年の年間生産量はわずか12万トン、
1950年は20万トンと、今から比べれば1000分の一程度の生産量で、当時の石油需要の10%を
満たせる程度の量でしかなかった。今から考えれば信じられない話だろう。
この貧油国状態を脱するきっかけとなったのが、1959年9月の大慶油田の発見である。
建国10周年の大慶のときに発見されたことから、この油田の名前が付けられたという。
この大慶油田の場所は長い間秘密にされており、その正確な位置が海外に明らかにされたのは
発見から10年後の1970年であった。大慶油田発見後は山東省の勝利油田、遼寧省の遼河油田
などの大油田が相次いで発見され、原油生産量も1965年に 1000万トン、改革開放が始まった
1978年には1億トンに達した。石油資源の探鉱と油田の開発は順調に進み、原油生産量は着実に
伸びていった。
改革開放による海外企業との石油開発協力も、中国の原油生産拡大に大きな貢献を果たした。
1980年代から始まった日中両国の石油開発企業による渤海湾での海洋油田の開発協力では、
日本から探鉱・開発資金を提供したのみならず、中国企業は難しい海洋油田の先進的開発技術や
近代的な企業管理運営のノウハウなどを経験しながら吸収していった。
もちろん、日本にとっても、この協力によって幾ばくかの原油が日本にもたらされ、
日本のエネルギー安全保障に一役かったばかりでなく、日本企業の対中投資の足掛かりに
なったことも事実ではある。ただ、共同石油開発プロジェクトという点では、当時の逆オイルショックと
円高の進行、および思っていた以上の油層構造の複雑さによって損失が大きかったことは否めない。
現在、中国国有石油企業はアフリカや中東、中央アジア等世界中で石油開発に協力しているが、
そこで発揮されている石油開発技術や企業管理ノウハウは日本企業との協力によって得られた
ところが少なくない。当時、日本のオイルマンと一緒に汗を流して作業を行い、大声を張り上げて
議論し合った技術者や企業幹部は、今、国有石油企業の要職に就いているが、彼らが定年を迎え、
第一線から退く日もそう遠くない。
中国ではよく「井戸を掘った人を忘れない」と言われるが、国内の井戸(油井)が枯渇し、
海外に井戸(石油資源)を求めて行く中で、次第に井戸(協力の経験)そのものの存在が
忘れ去れるのではないかとの懸念もある。国内や海外で先進的な教育を受け、
合理的な発想で物事を考える世代が増えていく中で、改めて過去の出来事をしっかりと
後世に伝え残していく大切さを感じる今日この頃である。(編集担当:サーチナ・メディア事業部)
サーチナ 2009/09/30(水) 14:23
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0930&f=national_0930_028.shtml ※依頼ありました(依頼スレ119、
>>825)