【カメラ】 メイド・イン・コリア初の独自モデルKOBICA〜技術が継承されていれば世界に通用[09/23]

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1蚯蚓φ ★

http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2009/0924/6000315495_20090924.JPG

「記者を詐称、カメラを借り逃げした事件が相次いで起きた。20日午前10時30分ころ、
ソウル中区新堂洞436培明高等学校前チルソン文具社に新聞記者を詐称した35才ほどの青
年がニセ新聞記者身分証を見せてコビカカメラ1台(市価4万ウォン)を借り、そのまま逃げ
た。」<京郷新聞>1979年2月21日付記事だ。当時「記者詐称」は意外にうまく行った。こ
の詐欺師は2日間に計5台のカメラを借り逃げした。記者身分証だけ見て疑いもせずカメ
ラを貸したのだから、当時は新聞記者という職業がかなり信頼される職業だったようだ。

昔の新聞に載っていたこの記事を読んで目に焼きついたのは詐欺師の奇抜な(?)行動より
‘コビカ’というカメラの名前だった。コビカは国内初の光学機器会社であった大韓光学
が生産したカメラだ。大韓光学が九老(クロ)工業団地で創業したのは1967年、当時大韓
セメント会長だったイ・ジョンリム氏が朴正熙大統領の意向を尊重して会社を創った。そ
の当時、朴大統領は日本の光学産業が世界的に認められているのを見て、政府が投資さえ
すれば国内企業も勝算があるだろうと信じていた。だが第二次世界大戦以前から光学産業
の基盤を磨き上げた日本について行くには無理があった。

光学産業の基礎が全くなかった大韓光学は日本のマミヤと手を結んだ。会社設立序盤には
カメラを開発する余力がなく双眼鏡を生産した。大韓光学が開発した双眼鏡は相当な人気
を呼び、40余ヶ国に輸出され世界市場の25%まで占めた孝行商品だった。双眼鏡、顕微鏡
部品などを売って資金を蓄積した大韓光学はマミヤの技術力と部品を使ってカメラを作り
始めた。たとえ日本企業の手を借りたとはいえ製品を作りベリックス(VERIX)という自社ブ
ランドで市場を攻略した。1970年代中盤まで国内初のレンズ交換式カメラであるベリック
スHQなどを生産した。このカメラはマミヤ528モデルと外観や機能がほとんど同じだ。

1976年いよいよコビカ(KOBICA)という独自モデルを作り出した。初めての製品がコビカ
35BC。独自モデルとは言っても日本、ドイツ、カナダの技術を合わせて作られた。技術を
借りてきたとは言え、レンズ(独カールツァイス・テッサー)とシャッターボックス(日本コ
パル)を除く残りの部品は大部分国産化した意味のあるカメラだ。「大韓光学が継続してカメ
ラを作っていれば、国産カメラも世界市場で通用した筈だと思います。大韓光学が不渡り
を出し、コビカを作った技術が継承されなかったのは本当に惜しい。」清渓川と忠武路で30
年余りカメラの改造と修理をしてきたキムカメラ、キム・ビョンス代表の追憶だ。

コビカは1980年代中盤、大韓光学の不渡りで惜しくも生命が途絶えた。5万ウォン内外の
値段でたまに中古市場に出てくるコビカ35BCは30年の歳月をものともせず、正しく作動
するだけでなく予想外に鮮明な写真を撮ってくれる。

チョ・ギョングク月刊<フォトネット>記者

ソース:ハンギョレ新聞<メイド・イン・コリア初めての独自モデルKOBICA>
http://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/378392.html

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http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252622404/