マッッカーサーは、戦後、半島に戻った李承晩が竹島、対馬、沖縄,九州など日本の領土
を韓国領と主張することに辟易していたが、それだけでなく、日本に軍事侵攻する計画が
あることを知って激怒した。そうして在韓米軍を朝鮮半島から撤退させた。
米軍が撤退しても李承晩は韓国軍の主力部隊配備を半島南部に偏重させていたので、
そのことを知った金日成、スターリン軍事顧問団は「南侵するのは今だ」と決断した。
で、朝鮮戦争(1950年6月25日)が勃発した。
その後、連合軍と北朝鮮(ソ連に軍事援助)・中国人民解放軍の戦いは一進一退になる。
1951年11月、マッカーサーは突然解任される。マッカーサーを解任したのは、やはり、
日本に原爆を落としたトルーマンだった。
(マッカーサーとトルーマンは仲が悪かった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC 李承晩は、在日駐留米軍の中で、マッカーサー派がしだいに排斥され、トルーマン派が実権を占めるのを
見計らって、1952年1月竹島に侵攻した。そうして「対馬、沖縄も韓国領」などと宣言してる。
マッカーサーが去った後、韓国が竹島に侵攻したときの在日連合軍司令官や米議会での
実力者が、どのような連中だったか、どのような人脈だったか?
について、日本では、まったくの情報操作、歴史隠蔽がされまくっている。
その歴史を知り、マッカーサーが去った後の、米進駐軍の派閥は、現在は、どのような
人脈かについて日本国民は知る権利がある。そして知ったら、日本国民は、それを、
決して忘れてはならない。