人々は日本を「マツリ(祭)天国」とも言う。一年中日本のどこかでマツリが行われているからだ。こうい
う「マツリ」は規模の大小を問わず地域の人々の心を一つにして、人生の楽しみを感じさせるうえで大
きく寄与する長所を持っている。こういう生活の楽しみを一ヶ所に集めて、人生の大きな幸福に編み
出そうとする日本人の人生の姿勢から来る「マツリ」。
怠惰になりがちな単調な毎日に変化をつけて、また人生に活力を呼び込んで村の団結を追求するに
あたって、絶対に必要な「マツリ」の語源はどこからきたのだろうか?
古代には政治と祭事が同じ性質を持っていた。民を治めるということは、神に祈り、豊作になって飢え
をなくし、また病気がはやく完治するように祈ること等で、これは政治をする人、すなわち天皇の最も
大きな役割だった。このため、政の漢字の意味は「祭=マツリ」を内包しており、祭と政を一緒に行う時
には必ず祭を先に書いて「祭政一致」とし、政よりも祭をさらに重視したことが分かる。したがってマツ
リの起源は本来は神を楽しくさせるための一つの「祭事意識」であったが、これが順次変質して、人々
どうしで楽しむ祭りになったのだ。
後漢書「東夷伝」を見れば、満州一帯を支配した夫余族は毎年11月頃に各部族がみな一ヶ所に集ま
って、天に祭祀を行って酒を飲んで歌う「迎鼓」という習俗があったという。「迎(ヨン)」は韓国語で「マ
ッタ(合う・一致する)」」であり、「鼓(コ)」とは「プク(太鼓)」という言葉で、日本語では「ツツミ」で、日本
古代語の万葉仮名では太鼓を「トゥトゥミ」と記録している。「マッドゥドリダ(たたく)」の日本語は「タタ
ク」で、これも「トゥドリギ→トゥドギ→タタク」に変わったものであり、この「トゥドリダ」の「トゥドリ」が変わ
って「トゥトゥミ」になったのだ。「迎鼓」という漢字を韓国語にすれば「マッドゥドリ(合って差し上げる)」
になり、これが「マッドゥドリ→マッドゥリ→マツリ」に変形されたのだ。したがって日本のマツリに太鼓
は必需品だ。
また一つ、私たちの「マジ(迎)、マズリ(合う)」が変わった祭礼型マツリがある。これは祭りとは違って
神社で行う祭礼儀式の「マツリ」だ。昔、田舎で正月や小正月ならば小さな明かりを持って月の浮かぶ
小山に上がり、敬けんな気持ちで迎えた「月見」、田舎の若い女性の慎ましい美しさを感じさせる「春
の迎え」のような風習は私たちの古くなった美風良俗だ。
このような敬けんな意味が内包されている「マジ」は日本に行って祭りの「マツリ」ではなく、神社の「マ
ツリ」、すなわち祭事の「マツリ」へと続いて、今日日本の神社でなされる厳粛な祭礼儀式になったのだ。
慶一大総長・イ・ナムギョ
http://www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090602_151028000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩22]マツリ(祭)の由来
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=24848&yy=2009 関連スレ:【日韓】みこしの“ワッショイ”の掛け声は、韓国語の語源の“ワッソ”★2〔11/29〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1133271367/