>>1 小泉政権の後期、中国と日本は首脳会談を開く機会がなかった。
これは小泉が毎年靖国参拝し、中国が反発したからと言われている。
2006年8月15日。かねてからの公言どおり小泉は靖国神社に参拝する。
(注:ポケットから小銭を出して賽銭をチャリンとやっただけの参拝形式は賛否両論であった)
この時期、中国は日本に対して、
「首相・外相・官房長官が靖国参拝しない」と明言すれば
首脳会談を開いても良いという見解を打ち出してきた。
次の安倍政権になって、この中国の要求に対して安倍がとった行動は
「靖国に参拝するかしないかは言わない」という曖昧戦略。
この参拝曖昧戦略をとる安倍に、中国は「参拝自粛すると明言しろ」と
何度か圧力をかけたが、安倍は「参拝が外交問題になるならあえて言わない」と
頑なに中国の抗議を拒否し続けた。
この安倍の頑固な姿勢に、とうとう中国は根気負けをし、
安倍が首相就任後の初の外交で訪中した際に、
日本と中国の首脳会談の開催を認めた。
その後の安倍政権。
当初は、「雪解け」と日中関係の修復をマスコミから持ち上げられるも、
その外交において、安倍-麻生がとり始めたのが、いわゆる
「価値観外交-自由繁栄の弧」ラインによる中国囲い込み路線。
これによって安倍政権が、インドなどと連携する姿勢を見せると、
マスコミは一気に批判路線に転じる。
そして、言葉狩りのようなマスコミ報道が繰り返され、
支持率も低迷を続けるようになり、参院選で民主党に惨敗することになる。
ちなみに、民主党は中国共産党との定期協議の中で、
「民主党政権なら首相や官房長官、外相は参拝しない」と明言している。
(それと忘れてはいけないが、元A項目戦犯の分祀も約束している)
そんな民主党に敗れた安倍は続投を決めるも、
最悪状態となった内閣支持率や、選挙惨敗による党内の反安倍派からの
つきあげなどの影響を考慮して、敗戦日に靖国神社に参拝する事を見送った。
この時、既に安倍の体は悲鳴をあげていて食事内容をお粥に変えるなどして、
アジアを歴訪し、インドネシアでは、独立戦争に参加した旧日本兵が
埋葬されている英霊墓地に献花したり、インドではパール判事の遺族と面会したり
インド国会で『強いインドは日本の利益、強い日本はインドの利益』と演説して
スタンディングオペーションで迎えられるなどの外交を済ませるも、
体が限界だったのか、それから1ヶ月もしないうちに辞任する破目になり、
安倍-麻生のいわゆる「価値観外交-自由繁栄の狐」ラインも幕を閉じる事となった。
参考コラム:中国は完全に安倍外交に屈していた
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/p/73/index2.html