【書籍】 失敗に終わった麗蒙聨合軍の日本征伐〜「クビライ・カンの日本遠征と忠烈王」出版★2[05/06]
>>351 まあ東国武士だってなんだかんだ言って同じ日本人なわけですしw
南九州人は、大陸の軍隊との戦い(朝鮮征伐、倭寇など)では、ちょっと信じ難いほどの戦果、同じアジア人とは思えんほどの超戦闘能力を発揮してたりしますから、割と戦闘能力を比較しやすいですからね。
局面によっては他地域の日本人の方が強かったりもしますし。一般に防衛戦闘には東北人の方が粘りがあるとか、小部隊戦闘では山岳地帯の雪国出身者の方が強いとか。
354 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/13(水) 22:59:28 ID:kixOBGqw
>>350 さすがの日本もまだ常備軍そろえる程じゃなかった頃なんだから、
どうせ長々と船旅するなら農繁期ねらえよって気はしたんだけど考えてみたら元寇がどんな時期だったか知らんかった件
>>354 旧暦で1回目は10月、2回目が6月。
どっちも農閑期だね
356 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 00:02:53 ID:kixOBGqw
>>355 なんかで時期を見てそう思った記憶はあるんだけど、それにしても元アホすぎるな…
357 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 03:06:59 ID:J9Q36hgx
ある元寇関連の本を読んでたら、台風がWW2のときに戦意高揚言説に利用されたこと、
蒙古・高麗・南宋の人々に対する敵対意識が芽生えたことなどを色々語ったあと、
西日本と違って関東の人々の間にはアジアの人々に対する蔑視などは希薄だったのでは
ないか?などと唐突に語り出したので、こいつ東の人間だな、と思って著者紹介見たら
埼玉県出身の学者だった。
九州の人間には毎回この季節の台風は常識なんだから、これをもって日本は外敵から
守られてる特別な国だ!と狂信するとは考えにくいし、一番交易なんかで半島や外国と
流通が多かったのも西国だろが。関東大震災で大虐殺引き起こしたことは棚に上げて
よくあそこまで西国とは違って東国は善良でございって文章書けたもんだ。
358 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 08:21:31 ID:VaXneNzx
>>353 九州はもともと弱兵の地でした。だから防人に強兵の東国から赴任させた。
これが土着して九州が強兵化した、と言う説があるよ。
にしても-----幕末の頃、やって来た外国人はサムライ・ローニンを甚だしく
恐怖している。「彼らの刀はカミソリのようによく切れる。彼らは死を恐れず斬りかかって来る」と。
蒙古襲来絵詞を読んでいると既にその片鱗が十分にうかがえる。
台風の力を借りなくても元軍の日本征服は考えられない。
「日本兵の想定外の強さ」は元軍に恐怖心を蔓延させた。
それよりも現代日本人が最も誇りにしていいのは戦闘の様子を活写した絵巻物
「蒙古襲来絵詞」の存在だよ。
勇敢だっただけじゃなく、記録として残した文明度の高さ。
たとえそれが「ご褒美めあて」だったとしてもだなW
359 :
タイピング練習中:2009/05/14(木) 08:22:06 ID:So4bSkEi
エビフライか?
360 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 09:17:44 ID:f+Too7iE
>>357 我々、東夷wは、縄文時代に渡来人を箱根の山で食い止めちゃったらしい(NHKで、ルーツで遺伝情報を調べると箱根辺りより東国は渡来人のDNAを持ってない。と、言う番組をやっていた)から、
直接的被害を被った、箱根より向こうの人より警戒心は薄かったかも。
箱根が本拠地の風魔も、一般に信じられてる渡来人じゃなくて、縄文人の直系だったかもな。
本当に「泣く泣く」かよ
362 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 11:54:37 ID:PuNppndq
確かに九州や東北出身者は旧日本軍の中でも精強で有名だったね。
実際に日本の歴史見ると、蒙古襲来や唐入りとかより
日本国内の地方の反乱軍を鎮圧する方が遥かに手こずってるよね。
古代においても大陸の兵より、蝦夷や隼人の方が遥かに脅威だったんじゃない?
かといって、畿内の兵が決してヘタレだったってわけでもないんだよね。
なんか関西出身者の部隊はヘタリア軍並みに脚色されてるけど。
>>359 実は恩賞目的ではなく、安達泰盛や少弐親子を弔う為。
あれが書かれたのは1293年の事で、季長はとっくの昔に恩賞を貰ってる。
なんか前スレにも書いた気がするが、『泣く泣く』ってのは本当。
ただし元の統治があまりにも苛酷なんで、スケープゴートに日本を
攻めようって言ったたら、「じゃあ全部お前持ちで船作れ。兵も出せ」
と言われてよけい悲惨になったという単に自業自得な話。
364 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 14:04:57 ID:0ypw1ai5
奴らチンギスは韓国起源だって言いはじめたぞw
365 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 14:20:56 ID:yWN3PMig
>>358 >たとえそれが「ご褒美めあて」だったとしてもだな
当時の鎌倉武士が恩賞のために命を賭け戦うのは当然だよ
その恩賞で一族郎党を養うのだからね
平和な江戸時代以前は、「武士は七度浪人して一人前」と言われていた
主君が無能ならそんな主君は見切りをつけ、有能な主君を探す
これが常識だった
平和な江戸時代以降の儒学的な主従関係ではなく、戦国時代以前は
実力主義の時代だったんだよ
無能な主君に付いていては一族郎党全滅する時代だった
366 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 14:26:26 ID:Th5oZPC1
三百年間大清国の属国だったことからは相変わらず眼をそらしている件
367 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 18:06:02 ID:/Miu/VZa
>>357 >関東大震災で大虐殺引き起こした
さらっとデマ混ぜんな。
368 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/14(木) 18:51:55 ID:Vgao4D5M
>>363 でも、二回目の弘安の役の時はノリノリでしょ
忠烈王は命令もされて無いのに自分から、蒙古風の名前、髪型、服装に変えてて、
高麗の先遣部隊入りを志願してるくらいだし
370 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 09:31:18 ID:bFDqqfBw
大韓民国のおかげで日本は勝てた
371 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 09:43:30 ID:c0FML+gY
これでも朝鮮人は「モンゴルから強い影響を受けたが属国ではない」と言い張っていますwww
↓
『高麗伝』から
高宗十八年(1231)十二月二十三日、(蒙古の)使者が来た。曰く、「崔から進上された貢物は、
欲しくないものばかりだ。別の財宝を持ってくるがいい。また戦いが長引き、兵士の衣服がすべて
破れているので、 百万人分を調達せよ。馬一万匹を選んで持ってくるように。
王子・王女などはもちろん、身分が高い家から子女を供出せよ。 また男女一千人を選び、
蒙古皇帝に贈ること。これらは迅速に行え。」
高宗十九年(1232)四月、高麗は蒙古に使者を送って奏上した。
高麗王は、「臣」と称した。
曰く、「要求された貢物が多すぎて調達が困難である。現在集め得たものを贈るので、
事情を考慮願いたい」云々と。
372 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 09:49:55 ID:y2ufOJeE
ひたすら土下座してモンゴルを相手に戦意喪失させる朝鮮人が最強なのはよく分かった!
373 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 09:51:20 ID:bFDqqfBw
高麗は日本よりも遥かに強大な国でした
その高麗に服属していたおかげで日本はモンゴルに勝てました。
世界の常識ではないですか
>>373 あからさまに釣りすぎて、誰も相手にしないと思うよん
>1で読めない漢字が多い・・・
「麗蒙聨合軍」は「らいもうれんごうぐん」でいいのか?それとも「れいもう」なのか?
「恭愍王」はさっぱりわからん。だれか教えてplz
376 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 13:52:23 ID:K2UjRr3Y
>>373 蒙古は世界史上最大・最強の世界帝国だった。
その大帝国に服属していたこと自体は高麗の恥辱ではないよ。とがめるべきは、だな、
既にこの頃から武力強大国家として頭角を現していたJapanに叩きのめされたのを
女々しく恨み、後世に至って見え透いた歪曲をして安酒に酔う朝鮮人種の心根の
卑しさだW
恨むなら不甲斐なかったテメエらの先祖を恨め♪
377 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 13:57:42 ID:EMa+CFK7
日本侵略失敗ですね。
阻止できたからいいものを....謝罪と賠償を!!
378 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 14:01:20 ID:7lwmnf5Q
蒙古の威を借りて日本に攻めこんだんんだよな。
日本の威を借りて、支那人を痛めつけて高麗棒子と言われたのと変わらんな。
379 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:14:43 ID:EhOZWv7l
>>376 近世においてアジア太平洋地域の過半を勢力下に置いた某国と併合してたニダよ!ホルホルホル
とかやればもっとプライド満たされるだろうにな
380 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:39:05 ID:tspTRUwM
高麗が日本よりも強大だったならモンゴルと高麗の連合軍が日本に惨敗する筈ないよ。
381 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:50:03 ID:pLL5svip
tp://self0507.blog52.fc2.com/blog-entry-956.html
そもそも、朝鮮人は元寇に乗り気ではなかったのです。
元寇のために製造される戦船建造は高麗王朝が捻出することになりますし、それは朝鮮人民を苦しめるものでしかありません。第一次元寇の主力が高麗軍であることからも、元寇は朝鮮にとってはいい迷惑だったとも言えるでしょう。
元王朝の朝鮮支配は、支配者である高麗王朝を支配しただけで、人民レベルの蜂起などのリスクは常に抱えていました。
朝鮮併合時代の日本の朝鮮統治の内実を思い起こさせるとも言えるでしょう。
(中略)
「元寇を回避して、元寇の戦費負担を軽減したい」という高麗側の思惑から強圧的な外交になったと考えるのが妥当でしょう。
当時の船舶技術が未熟だとしても9割近くの戦船が沈没するというのはリアリティがありません。手抜き製造という可能性も想定されますし、抵抗運動が造船工廠を襲撃したことからも、元寇の遅延を狙った活動とも考えられます。
382 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:56:25 ID:5qvYzP+/
そういえば戦国時代の日本はローマ帝国にも勝てないみたいですね。
383 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:57:01 ID:tspTRUwM
自分たちが対外侵略の為に乗る船を手抜きで作って溺死させてるような国のどこが日本よりも強大なのか、
まったく意味が分からん
384 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 21:59:11 ID:F4gMor0t
>>381 嘘付け。
対馬や壱岐の無抵抗の住民を血祭りにしたのはお前ら朝鮮人だ。
385 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 22:04:17 ID:pLL5svip
>>384 在日認定
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A
日本人が自分の気に入らない人を同様に在日韓国・朝鮮人と決めつけて貶める行為。
多くの場合事実無根のデマ。
※(尚在日認定は一種のステータスであるが在日コリアンの方々が迷惑されるので軽々しくするべきではない)
386 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 22:04:33 ID:EhOZWv7l
>>381 そんなにイヤだったらモンゴルなんて跳ね除ければいいだろ、日本みたいにさ
清の統治が過酷だったなら日本がやったみたいにブチ殺せばよかったじゃん
日本の統治がイヤだったら戦い挑めばよかったじゃん、太平洋からアメの影響力まるっと駆逐するくらいの軍隊相手にさ
387 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 22:07:06 ID:F4gMor0t
388 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/16(土) 22:15:48 ID:F4gMor0t
後の高麗王(忠烈王)、日本侵略開始をフビライに進言する
高麗王元宗の子、 ェ(しん、後の忠烈王)がフビライの前に参内し
高麗に帰る際に、こう進言した。
『高麗史 元宗十三年(1272)3月』
『世子 ェ云、「吾父子、相継朝覲、特蒙恩、宥小邦人民、得保。
遺瞧 感戴之言不可。既 ェ 連年入覲、毎荷皇恩、区々之忠、益切致効。
惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。
儻以此事委臣、庶幾勉尽心力、小助王師。」』
「世子 ェは言った。『私ども父子は相次いで天子の前に参内し、
ひときわ御恩をこうむり、私どものような小国の人民をなだめて
いただきまして、国を保つことを得ました。目もくらむばかりで、
戴いた事への言葉もありません。すでに私は連年して参内してお
ります。つねに陛下のご恩を受け、ささやかな忠義をあらわした
いと切に思っているところでございます。思いますに、あの日本
は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を
発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。今こそ戦艦兵糧を
使うべきです。わずかではありますが、臣たる私めにお任せくだ
されば、つとめて心力を尽くし、帝の軍をいささかでもお助けで
きますことを切願しております。』と。」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
389 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/17(日) 01:23:20 ID:m36fc4PV
>>381 1.当時の高麗の上層部は日本を攻めるように度々進言してる。
2.三別抄も実は日本に援助求める一方で、元に媚び売ってる。
3.フビライは日本攻めの際虐殺を禁じてたにも関わらず、高麗軍は壱岐や対馬で虐殺を繰り返した。
4.文永の役で鎌倉武士の強い反撃にあって
元は進軍を断念しかけた時、高麗の将軍は撤退に反対している。
5.弘安の役の戦後処理で南宋兵は助命されたが高麗兵は処刑。
6.そもそも手を抜こうが抜くまいが、当時の朝鮮の技術で台風に耐えられる船は造れない
>>382 その日本に正規軍が瞬殺された雑魚と、ボコボコにされた宗主国様があったな。
てかお前世界史板か鈴木スレか騎馬スレの住人だろ。
そもそも交戦すらしたことないのに何故そう断言できる?
>>381 えーっと、
きれいな侵略と汚い侵略があるんだっけ?
>>358 あと興味深いのは、竹崎季長の挙げた「戦果」というのが「負傷」だという件。
鎌倉時代の兵制では、「分捕」(戦闘で名のある敵兵を殺して首を取ること)や「先懸」(いわゆる一番槍。敵陣に真っ先に突撃すること)に並んで、「手負」(勇敢に戦闘を行い負傷すること)や「討死」(勇敢に戦闘を行い戦死すること)が功績として扱われていた。
これって前近代の軍隊では割と珍しいんだよね。
近代の軍隊ではもちろん「負傷」は「戦果」として考えられている。米軍でも最高位の議会名誉勲章(メダル・オブ・オナー、目覚しい手柄を立てた兵士に与えられる)に次ぐ勲章と考えられているのが紫色負傷勲章(パープルハート)。戦闘において負傷した兵士に与えられる。
392 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/22(金) 23:31:10 ID:LmrQ3as+
あ
393 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/23(土) 00:39:50 ID:cmPOCC0i
属国になった事を認めただけでも大きな進歩だな
中国人やモンゴル人や日本人の奴隷になっても恥ずかしい事ではないのだよ
昔、中学の歴史の授業で高麗の船は桶みたいですぐ転覆したんだよ
と教師が教えてくれた あれ真実だったと思うw
395 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/24(日) 10:15:49 ID:7KAfwMuV
高麗兵は弓兵や水兵に良質な兵士が結構いて、
中国やモンゴル等も手を焼いていたのも事実らしいね
しかし、日本の武士団の前に潰滅してしまいましたとさ
396 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/24(日) 10:26:35 ID:le3OpqFL
>1
コイツ、元史も高麗史も読んだことないな。
ツッコミ所が多すぎる…
397 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/24(日) 10:32:23 ID:q3WXeAHO
>>395 いえ、それは五回があると思います、韓国は今も造船では世界NO1の技術と実力を持つ国ですが、
この時代でも高麗の船は非常に頑丈で性能も良かったです、
モンゴルが大遠征を行えたのも海上輸送を高麗が行っていたからといえます、
しかし、高麗は弟の国としてかわいがっていた日本を攻めるのは忍びなかったので船は手抜きしました
しかし、日本はその恩を忘れて秀吉が侵略したのです
398 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/24(日) 10:43:21 ID:M6nuGoRr
優れた造船技術があったら勝手に沈没したりはしないだろ。
401 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/05/24(日) 15:49:47 ID:UNt8f3sl
>>397 半島に優れたものが何一つなかったお蔭で、
日本は悠然とそして泰然と独自の文明、思想を育てて半島には光の裾野を
与えてあげました。
>>397 そんな言い訳までして元に報復したかったんだ…