【中国】 「儒教と漢字が中国人を『病態』にした」―科技大学教授[04/07]
726 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 16:54:01 ID:Cxir0Uoq
中国人が皆賢ければ中国なんて無いよ。
中国では宗教で、日本では学問。
728 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 17:11:31 ID:xH5D1XC4
>>724 いやぁ〜、唐以降、あまり素敵とは思えない。
人としての、情緒が育っていないというか…
大陸、侵略、民族同士の争い、etc
島国の日本と違って、生き残ることが過酷だったんだろうけど。
自分が生き残るなら、後は野となれ山となれ。
心の豊かさなど考えるべきもなく、
心の動きや、抽象的なものを、どう言葉にして、どう文字として記すか?
そのために、漢字を工夫し発展させることなどなかったのではないかと。
儒教と漢字が中国を病態にした?
宗教や理念、文化を破壊して、漢字を捨ててただの記号を使いだした共産党が素晴らしいと?
笑わせる。
いまの日本人は拝金主義だな
ただし礼儀正しく品が良い
中国人でも品が良い人もいるんだろうけど
その割合があまりにも少ないから、ああなっているんだと思う
日本もDQNが増えまくったら、中国と同じになる
>>713 政治レベルだと徳川が統治機構の理論武装に朱子学を使ったけど、
朱子学の学問としての人気は低く、他の学問(寛政異学の禁でいう『異学』)の人気が
高かったからかな。なんにせよ、当時の儒教国家に比べて、かなりの自由さがあった
朱子学一辺倒だったなら、多分悪影響が出たと思う
732 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 18:32:45 ID:appr0GSp
>>731 >政治レベルだと徳川が統治機構の理論武装に朱子学を使ったけど、
>朱子学の学問としての人気は低く、他の学問(寛政異学の禁でいう『異学』)の人気が
>高かったからかな。なんにせよ、当時の儒教国家に比べて、かなりの自由さがあった
>朱子学一辺倒だったなら、多分悪影響が出たと思う
19世紀に松平定信が、朝鮮のイテゲの朱子学を輸入したのよ。けど、侍階級にしか強制しなかったのと、
それより先に陽明学(明から陽明学の学者が日本に亡命してた)が日本で人気があったため、
松平定信の死後、朝鮮朱子学は廃れたそうです。
朱子学を推奨したけど、侍達は他の学問を志した。
水戸黄門の儒学は朱子学じゃない。あと幕末の志士たちには朱子学は人気がなかった。
吉田松陰、佐久間象山、高杉晋作など、みんな陽明学
>>711 加地伸行氏なんかは
「仏教なら死体や遺灰なんか無視するもんだ。意味無いんだ。その場に捨ててもいいんだ
でも日本はそうじゃない。これは儒教に近いんだ」
みたいな事を「儒教とは何か」(ことあるごとに脱線して暴走するけど、儒教について学ぶには良い本)で
書いてらっしゃるけど、だからどうした?って感じになるだけでいまいちピンと来ない
仏教が中国にわたり浸透する際に、土着の葬礼(小人の儒)を排除できずに、
逆にそれを取り込んでしまったのは確かなんだろうが、さて、クリスマスを祝って
初詣をして、とやる民族に、おまえらがやってる葬式は儒教っぽいんだと言った所で、
どんな意味があるのか、てな
>>732 素人の疑問なんだが、
水戸光圀および水戸学は、朱舜水から多大な影響受け、朱子学の影響下にあると考えられないの?
あと儒学でも忠孝一元化を唱えるのは日本朱子学の特徴で、中国の他の儒学や朱子学では忠孝は
対立徳目ととらえられてなかったっけ?忠孝一元化については朝鮮儒学との影響関係もあるのかな?
国学なども含めて江戸末期の攘夷思想には水戸学の影響が強く、言い方を変えれば日本朱子学の
流れを汲むともいえるんじゃないの?
735 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 20:28:08 ID:u4UZ4QmD
幕末、朱子学派は抹茶を好み、陽明学派は煎茶を好んだ。
抹茶は古い作法を大事にしてるのが良かったらしいぞ。
あんまり>記号で長い文章を引用するの、ばかみたい。自分の説明を省略するくせに、相手の言い分をコピーするのは、あげ足とりに見えるから見苦しいです。
日本人はリアリストだから結局儒教の良いところだけ吸収して
儒教そのものは日本は受け入れなかったと逝っていたな
司馬遼太郎が
737 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 20:32:10 ID:p3Cfox3u
一方韓国は、単体では使い物にならないハングルのために漢字を廃止したw
儒教は煮るなり焼くなり好きにしていいと思うが,
漢字を捨てて表記技術面の合理性を追求したら,間違いなく愚民文字の罠に落ちる.
そんなことに気付かんとは,シナーの劣化が激しいのか,しょせん哲学者だからなのか.
739 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/11(土) 20:57:22 ID:AI8NwpOQ
春秋戦国、諸氏百家の時代は、中国は世界で最もイノベーティヴな地域だった
それを全て叩き潰したのが、西方から来た秦
秦の始皇帝が作った「皇帝制」によって中国は長期停滞に陥る
「皇帝制」は、皇帝一族以外は、家畜と扱う制度
人民は家畜として品種改良されていくことになる
2300年にわたって、大脳が退化するよう品種改良されたのが、今の中国人
ちなみに、朝鮮人は、もっと徹底して家畜として品種改良された
東アジアで「皇帝制」の地獄から逃れ得たのは、日本のみ
>>733 神道を無視してる感じですねぇ。
祖先礼拝ってのは共通するけど。
741 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 00:52:03 ID:PnF3P18l
>>734 >素人の疑問なんだが、
>水戸光圀および水戸学は、朱舜水から多大な影響受け、朱子学の影響下にあると考えられないの?
そうなんだけど
>忠孝一元化については朝鮮儒学との影響関係もあるのかな?
水戸学がイテゲの思想に影響を受けてるかどうかは、わからないです。
まず朱子学ってのは、宋代にできた儒学の1派であって別名(宋学)ともいうよね。
水戸学は朱子学ですが、元祖朱子学と水戸学とかなり異なっていたため朱子学の日本版ともよばれてたわけで、
朝鮮朱子学と比べると、異なる部分のほうが一層際立っています。
朝鮮朱子学と大きく異なると思う部分です。
(水戸学は「文武両道」を旨とし、学問としては、儒学・国学などの思想以外にも医学や天文学などの自然科学を含む、総合的なものとなった)
徳川時代の支配的な政治思想は儒学であった。
しかし儒学には中華思想があって、日本は周辺の文化の遅れた地域に位置づけられてしまうので、
日本人にはどうもおもしろくない。
徳川時代の半ばになると国学が興って、王朝が革命で交代する中国より
も万世一系の天皇をいただく日本のほうが優れているのだという理屈を立てたのだが、
水戸学はそれを全面的に取り入れた。
水戸学は、江戸幕末の尊皇攘夷運動に強い影響を与え、明治維新の原動力の1つにもなった。
朱子学の影響下にあるというより、朱子学を日本人好みに魔改造した国学だと思います!
>>692 王権神受説ではないけど、基本的に西洋での平等というのは同じ身分の間でしか通用しないとオモ
年功序列とかの匂いは薄いかもしれないけど、上下関係というのはどの社会でもあったものじゃないかな…
まあそもそも儒教というのが現世に目を向けてるのにたいして、キリスト教はそもそも現世を見てない違いがあるとは思うけど
743 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 01:09:41 ID:PnF3P18l
>>739 >春秋戦国、諸氏百家の時代は、中国は世界で最もイノベーティヴな地域だった
>それを全て叩き潰したのが、西方から来た秦
>秦の始皇帝が作った「皇帝制」によって中国は長期停滞に陥る
けど、始皇帝自体は、秀吉とその豊臣政権と、いい勝負の短命統一政権だったわけで
若くして中華統一したわりには、不老長寿の薬も入手できずに、長生きできず、
彼の死後、あっという間に秦そのものが滅亡してるよね。
彼の部下は、彼の息子達を殺して、秦王朝を潰したんだから、
秦の始皇帝の一族による「皇帝制」を拒否したわけだ。
現在の中国人が、自らを漢民族と呼んでいるように、
今の中国人は 「漢帝国」が原点なんじゃないの?
前期後期合わせて400年間も、皇祖りゅうほうの一族を「皇帝」とたてたから。
秦の始皇帝は当時の秦国以外の人達から嫌われ過ぎたのよ。
744 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 01:11:18 ID:OR8Gg1zi
>>733 > 仏教なら死体や遺灰なんか無視するもんだ。
その割には、仏舎利とか有難がるじゃね
>>744 仏舎利は話が別でしょう。
日本の仏教が本来の形とは違っていることは確かだが、儒教という寄り神道に影響されてる感じ。
>>739 秦の皇帝をつぶしたあと
わざわざ「漢の」皇帝を立てたんだから
漢民族は皇帝制を自分で選んだということにならない?
>>743 秦は儒教でいえばあんまり正当性ないから法家をもちいたが行きすぎて自壊
その後の漢は最初無為自然の道家的雰囲気だったけど、武帝辺りから皇帝の専制権を強めるために、形式だけだった儒教を国教化したという理解かな、個人的には
>>744 実はあれどこ行ったかよくわからなくなってた。一応死んだ直後に所有を巡って争いが起きかけたけど、八つに分割してことを納めてる
その後インドを統一したアショカ王が統一原理として仏教を採用したから、探し出して…という経緯がある
748 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 01:35:38 ID:efR10XNN
儒教=朱子学
中華思想なんだよ
749 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 01:44:03 ID:PnF3P18l
>>742 >まあそもそも儒教というのが現世に目を向けてるのにたいして、キリスト教はそもそも現世を見てない違いがあるとは思うけど
そうだよね。(死後の世界で幸せになりましょう)だもんなぁ
私は生きてる時に幸せを求めたい
(お風呂にはいるとき、お布団にはいるとき、おいしい食事をした時 し・あ・わ・せ)
思想と時代背景ってのは、切り離せないもので、
古い思想、新しい思想というのは、それが生まれた年代ではなく
今の時代に合わなくなったのが古い思想
今の時代でも通用する思想が古くなってない思想、
次世代向けに通用する新しい思想
例えば、(子供は親の所有物。売り飛ばそうが殺そうが親の自由)は、古い思想
(親は大切にしよう)は、大昔からあるけど、現代にも通用するから、古くなってない思想
女ももっと社会に出て働け!は、
今までは、主婦は子育てと老人介護があるので、税金と保険料免除されてたけど、
父子家庭で、子育てと老人介護をしてる男達がかわいそう+子育てと老人介護をせずに、
毎日遊んでいる主婦の税金と保険料免除をするのバカバカしくね?
って、ことで、この先、税収をもっとあげるために、
一般の主婦からも税金と保険料をとることにして、もっと働いてもらい
そのぶん、男女の区別なく、実際に子育てと老人介護をしてる人に補助金を出そう。
(今の法律だと、むしろ男達のほうが逆差別受けんじゃ?)という見直しが背景にあるんですよ
(政府検討中)
次世代で、もっと顕著になるだろう思想です
世襲制の王侯貴族の時代に、上下のけじめをつける思想があり、
そのアンチテーゼとして平等の思想が生まれ、革命が起きるのも時代の流れなわけで
750 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 02:02:06 ID:4SrDhVDg
無職女と違って、無職男の一日の労働時間って
マジでほぼ0なんだよね
だから主婦や無職女への支援が増えるってな背景がある
751 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 02:44:16 ID:f/ijVDd/
>>750 >無職女と違って、無職男の一日の労働時間って
>マジでほぼ0なんだよね
>だから主婦や無職女への支援が増えるってな背景がある
これはあくまで行政側の視点ですよ。
男でも女でもどっちでもいいから、もっと税収をあげたい。
+少子化高齢化に向けて、外国人労働者を輸入するよりも、
国内の有能な労働力(主婦層)を活用したい。
で、どうすればいいか?
専業主婦よりも共稼ぎ世帯をもっと働き易いようにサポートするなり、優遇してはどうか?
現在、約6割の共稼ぎ世帯がいるが、年収130万円だったかの枠を超えると、
税金/保険料免除されなくなるので、どうしても労働時間を短縮する傾向にある。
税金の枠組みをどう変えれば、もっと労働時間を増やしてもらえるか?
男達に育児休暇を与えるとか、育児をする父親はすばらしいとか
ひとときテレビでCMしてたのもこの一環です。
752 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 03:40:01 ID:kAB4+RIL
秦の始皇帝は度量衡の統一をしたのが最大の功績じゃないかな。
煬帝と一緒で、当時は民衆の反感を買ったけど後々評価された統治者。
中国は思想的には春秋戦国時代の貯金だけで今までやってきた、
というか未だにあの時代を越える素晴らしい思想家は出てないからね。
現在の共産党体制じゃ今後も出現しないだろう。
753 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 04:08:18 ID:BRVlZoYL
それは、朝鮮人も同じだな
754 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 12:41:44 ID:V7TiuwIz
>>752 >秦の始皇帝は度量衡の統一をしたのが最大の功績じゃないかな。
>煬帝と一緒で、当時は民衆の反感を買ったけど後々評価された統治者。
始皇帝の功績は色々あると思うよ。統一前221-没前210年だから、
たった11年間の間によくやったな とは思う。
●精密で合理的な支配体制を有する中央集権国家=郡県制の施行
●始皇帝の巡幸のために、全国の交通網整備が推進
●揚子江の支流・湘江と、広東地方の西江へと流れる漓江を結ぶ運河霊渠を築いた。
(これで中原の痩せ地が、肥沃な穀倉地帯となったそうで)
●ベトナムの北部を征服して版図を広げた。
●度量衡の統一
●厳罰主義と法治国家を作った。
●万里の長城を作った(もともとあった各国の長城を繋げた。)
漢帝国は、始皇帝の作ったものをみんなそのまま継承したので、
400年間も国を維持できたといわれてるそうで、
漢帝国の功績<
文帝・景帝が、税制緩和・肉刑の廃止など、民衆に優しい政治を行い、
内政に力を注いで漢王朝の政治基盤を安定させた。国庫が潤った。
武帝が、数度に渡る北伐を行い、漢帝国の版図を最大に広げた
目新しいことは特にやってないね。
>中国は思想的には春秋戦国時代の貯金だけで今までやってきた、
始皇帝の兵馬俑と、万里の長城の観光資源で食べてるようなもんだしね
漢帝国が儒学を国教と定めてからは、体制側には素晴らしい思想家は出てない。
けど、黄巾族の指導者 張角がでています。
太平道(原始道教)の教祖張角 彼が儒教のアンチテーゼだったんでしょう。
今の中国共産党の反体制側に、法輪功と大紀元がいるよね。
彼らの九評を読んでると、黄巾族の太平道(原始道教)とすごく似てる気がしませんか?
755 :
エラ通信 ◆0/aze39TU2 :2009/04/12(日) 12:43:49 ID:D0E97o03
>>752 あと、車輪の大きさと轍も統一した。
意外かもしれないが、これって実は大きいぜ。
756 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 12:45:48 ID:V7TiuwIz
>>755 交通整備もしてるし、思想家としては
始皇帝は一級の政治家だったと思います。
頭がよすぎた。民衆の生活をなおざりにしたけど
757 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 12:57:01 ID:V7TiuwIz
>>752 最大の功績
中華統一を忘れてました。
これって本当にすごいとこで、
彼の他に当時、それを実行にうつそうという王様はいなかった。
秦の始皇帝が出現しなかったら、劉ほうでは統一無理で、
漢帝国の創建もできず、あと何百年も中華統一が遅れてたのでは?
といわれています。
巨大な政府・巨大な国家・チベットもウィグルも手放さない・台湾も世界中の資源もオレの物・・
硬直してるっつーたって変えようがない。破たんしてようとしてなかろうと。
民衆が活力を発揮するには自由と寛容さがいるだろ?
でもそうしたら反政府勢力やら分離独立派やらでてくるからできない。
>>757 統一した方が良かったのか、本当は統一しなかった方が良かったのか・・・
統一していなかったら、あの諸悪の根源みたいな中華思想はでてこなかったようにも思えるが。
>>755 最近あまり見かけないが、ハマーに乗ってるDQNを見ると、
轍の統一って大事だと思う。規格外が1台混じると、道路は
大混乱。
朱子学は、尊王攘夷やらが主題と言うわけでなく、儒教を禅宗や老荘を参考に易経などを使って形而上学にしたものね。
性即理、格物到至、客観唯心論とかのアレね。
因みに朝鮮朱子学は、
李退渓(姜を通して林羅山に影響) 「理が気を主宰している(主理派)」 → 嶺南学派
李栗谷 「理と気は相即不離(主気派)」 → 畿湖学派
と言う形而上(=現実においては、どーでもいい事)の見解の差が学派の対立となり、
それもどちらも現実離れした理気論重視ってなところでは共通、
しかし現実の政治の場でも派閥となり、このイデオロギーを使って世俗の政争を繰り返すと言う、
何も生み出さない、どーでもいい事に邁進していたのが特徴。
中国で文字を統一したのは始皇帝らしいけど
諸子百家の原書はどんなんだろうな?
嵩張る木簡に今の漢字とは違う文字が記されて
解読するのにも一苦労するのではなかろうか。
764 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/12(日) 22:22:38 ID:pioL2QkC
>>741 以前読んだ本に、幕末における尊王攘夷・明治維新には
崎門学が絡んでいたと書かれていたんですが、この説は
どこまで正しいと言えるんでしょうか?
このことを重視した人は、平泉澄、山本七平、丸山真男
くらいしかいないらしいんですが・・・。
766 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/20(月) 02:00:45 ID:h5BaiuH+
>>75-76 福沢は漢学を学び始めたのは12歳すぎてから、明治の元勲というか普通の武士は
5,6歳からはじめている。
福沢の家庭の事情もあるが、そのぶん蘭学の吸収も早かったといえる。
夏目漱石、森鴎外らにくらべると福沢の漢学の素養は貧弱であった。
767 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/20(月) 03:21:17 ID:1UabYcoN
768 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/20(月) 04:41:24 ID:H/fWyOVP
「哲学」「科学」「理論」
全部明治維新後に日本から中国に逆輸入された言葉。
これ豆知識な。
>>767 吉田松陰には陽明学の影響があるんじゃなかったっけ? 嘘かまことか幽閉されてるに囚人達に講義したのは儒典とか言う話も聞いたことあるし
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(1)
私の予想したとおり防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
ネットからですが
「GSが片山・芦田両内閣を、G2が吉田内閣を支えており、政権交代や昭和電工事件の要因にはGSとG2の闘争があったといわれる。
逆コース以後は国務省の後押しもありG2の力が増した。」
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(私はこれをネットで「アメリカは苦笑、中国は爆笑」、と揶揄しています。)
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(2)
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...
コピペサービス
防衛研究所戦史部が南京を否定する理由(3)
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、
終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
中国人は嫌いだが、偉大なる中華文明の為に一言言わせて貰おう。
中国に哲学が無い?はて、老子の「道徳経」、墨子の「非戦の哲学」、韓非子の「法家思想」
等は哲学では無いのか?
明らかに世界の成り立ちや社会システムについての言及と、その改良について
述べられており、ギリシャ哲学と遜色ない。
卑下する理由が見当たらない。
科学についても宋王朝の頃までは世界をリードしていた。
方位磁石による羅針盤も紙も火薬も世界で一番早く中国に出現したのだ。
むしろ問題なのは政治的混乱や戦争により度々社会が崩壊する環境と、官僚の腐敗に
より国家経営が麻痺してしまう事の方だろう。
政治の安定が欠けているからこそ、初等教育を普及させる事が出来ず、文盲の大群を
作るだけの結果になり、その文盲が政治的不安定の原因を作り出す(流言蜚語に騙されて
反乱を起す)事態を引き起こしているのだ。
自分達が引き起こしている問題を古代の哲学者の所為にするな、バカタレ中国人。
>>774 実際は世界観に関しては仏教が入ってくるまではまともな理論体系は中国には存在してませんよ。
仏教流入に危機感を抱いた道教が仏教の世界観構築の理論体系をパクったのが実情です。