【中国】内陸部に「ローマ人村」、観光で村おこし 2000年前の遠征軍の子孫[03/29]
1 :
いや〜ん!! けつねカフェφ ★:
中国西部の甘粛省永昌県郊外に、くぼんだ目に高い鼻、赤みがかった肌をもつ人々が暮らしている。
およそ2000年前、中央アジアに遠征したローマ軍兵士たちの子孫とされる。彼らは今、「ローマ人村」
として観光業に力を入れるなど、“村おこし”に躍起になっている。(中国甘粛省永昌県、矢板明夫)
甘粛省の省都、蘭州から北へ自動車で5時間のところに、永昌県はある。
人口約25万人のこの町の中心部に、古代ローマ人と古代中国人の石像が立つ。
「ローマ人がこの地にやって来たことを記念するために1994年に建てたもので、
今では永昌県のシンボルとなっている」と現地の観光ガイドは誇らしげに説明する。
中国人像も一緒に建てられたのは、「他民族の軍人も受け入れ、一緒に生活する
中華民族の包容力を世界中のみなさんに知ってもらいたいからだ」という。
石像のある広場から北の郊外へ、舗装されていない砂道を走ること30分。
前漢王朝がローマ人に与えた「驪●(革へんに干)城」の遺跡にたどりついた。城壁の一部が
残るだけだが、1989年に蘭州大学の陳正義教授らの研究グループによって発見されたという。
城名の「驪●」は中国古代の史料にたびたび登場する言葉で、古代ローマの別名とされる。中国語で「リーチエン」
と発音し、ローマ軍団を意味するラテン語の「legion」が語源であることが、その後の研究で明らかになった。
古代ローマの史料などによると、紀元前53年、ローマの執政官クラッススが、約4万人の軍を
率いて中央アジアのパルティア(現在のイラン周辺)に遠征し戦死。その部下約6000人が
敵軍の包囲を突破して東へ逃れ、消息を絶った。
中国の「漢書陳湯伝」によると、それから17年後の紀元前36年、前漢王朝の国境警備軍が
少数民族を討伐する途中、ローマ軍の装備した部隊と遭遇している。驪●城の遺跡を発見
した陳教授らは、中国側とローマ側の史料を付き合わせ、逃れたローマ軍団が中国に
住み着いたとの学説を発表した。逃れた部隊は漢に帰順し、傭兵(ようへい)部隊として
国境防衛の任務に就き、居住地として驪●城を与えられたのだという。
当初、中国の考古学者の間では、この学説に否定的な見解が多かったが、2003年、
驪●城の遺跡付近で前漢時代の古墳群が発見されて流れが変わった。身長が
180センチ前後あったとみられる、欧州人に似た骨格をした遺骨など約100体が確認されたのだ。
陳教授の学説を証明するもう一つの有力証拠は現地人の顔立ちだ。驪●城の遺跡に近い、
者来塞村にはローマ人の子孫が最も集中しているといわれる。約300人が住んでいるが、
欧州人の顔立ちをしている住民が多い。両親はともにアジア人の顔をしているのに、
青い目をした子供が生まれるケースもあるという。
生活習慣面でも周辺の村との違いがいくつかある。死者を埋葬する際、周りの村は頭部を
北の方角に向けるのに対し、この村だけは西に向ける。欧州への「望郷の念」からきた習慣
ではないかと推測する人もいる。パンの上に野菜などを載せたピザのような食べ物を
正月に食べる習慣もあり、イタリア料理を想起させる。
最近、国内外のメディアの報道で村の知名度が上がり、住民たちは「ローマ人村」を売りに、
村おこしに懸命だ。村の中心部に古代ローマ宮殿を模した建物を作り、観光客やメディアが取材に
訪れると、村の男性たちがローマ軍団の衣装を着て、宮殿の前で写真を撮らせるサービスも始めている。
ソース:MSN産経ニュース 2009.3.29 19:43 中国内陸部に「ローマ人村」 2000年前の遠征軍の子孫 観光で村おこし
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090329/chn0903291949007-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/world/china/090329/chn0903291949007-n2.htm http://sankei.jp.msn.com/world/china/090329/chn0903291949007-n3.htm ローマ兵の子孫たちは衣装を身に付けてショーを行っている(矢板明夫撮影)
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/090329/chn0903291949007-p1.jpg 関連スレ
【イタリア】「中国人は新たに出店するな」、中華街周辺地区で新条例―ローマ[02/12]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1234434300/ 【イタリア】「迷惑な街」チャイナタウン、現地社会と「同化」できない中国移民 [03/05]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1236232008/
2 :
いや〜ん!! けつねカフェφ ★:2009/03/30(月) 00:38:33 ID:???
( ゚д゚)
_, ,_
(´゚Д゚)・・
古代韓国人がローマを支配した民族だったことが証明されたな。
カエサルは韓国人と聞いて
7 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:48:24 ID:BdT38pa9
アレクサンドロスの遠征軍の子孫じゃね?
8 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:49:38 ID:USiaIs9u
BS朝日が取材をやってたなw
9 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:50:16 ID:UBqq9l/k
あれ、中国?
10 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:51:24 ID:Awr9nC3q
仮にローマ人として共和制のローマ人が
逃げ出さずに住むもんかねー。
食料さえあればローマに逃げ帰りたいと思うんだがな。
突っ切って逃げたから帰り道が海路以外なかったんだろうか。
ただのコスプレ親父にしか見えませんw
13 :
慧@SS-Oberstrumbannfuhrer ◆angel/nTJ6 :2009/03/30(月) 00:52:49 ID:h7Nt4MFU
十字軍とは違うのか
14 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:54:32 ID:UBqq9l/k
村おこしであって本気で信じてるわけじゃないんだよな…?
そもそもローマの兵士は、冬でも半袖しか着ないのが通説なんだが
あの顔のどこがローマ人だよw
17 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 00:59:34 ID:FB8AbPnT
コリア酷いコジツケだなw てかローマ人混血ってよりも、その後の胡人(ペルシア人)とかの影響の
方が中国では大きいはずだから、そんなに珍しいもんでもねーだろ?
奈良時代の日本にも胡人はやってきたそうだし。
奈良の大仏の開眼法要には、当時の聖武天皇だかは、はるばるマジモンのインド人僧侶を呼んで行った
らしいし。 唐の時代になると長安は正に国際都市として機能し、日本からの留学生等も重用されて
日本人がベトナムの総督として派遣されたりもしているぐらいだし。
まあ日本にキリストの墓がある、とかいう与太話よりもマトモかなw
ムキムキマンでも展示しとれ
これNHKかなんかでやってたような
あからさまに人種がちがってるのがまじってておもしろかった
マントがオレンジなのがえらく気になります。
パンと見世物が提供出来なくて黄色いバンダナを配布する訳だなw
23 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:16:18 ID:I92+8Qq4
イタリアまで支那の領土だ! と宣言する時のための布石だな。
24 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:17:38 ID:UF6/GlLX
白人の顔じゃないよ
農村の支那オヤジじゃん
作るんならもっと本気出せw
パルティア敗北後東に逃げたじゃなく、捕まって辺境警備に連れて行かれたはず。
インドを超えたとはとうてい思えないのだが。
27 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:48:19 ID:6w++ebZR
28 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:49:49 ID:G8wi7QIy
中国の歴史書は、欧州のそれと違って、人種的な特徴はほとんど書かないのよ
日本の歴史書には、外国人に対してはちゃんと人種的な特徴は書くのに
これは当時の中国は、シルクロードを通じて雑多な民族が入り込んでいたので、人種的な特徴では民族を分けられなかったからだろう
問題の地域が本当にローマ人の末裔かは、上記の理由でわからないよ。
西欧人の末裔ってのは、中国には数多くいるだろうから、その血を色濃く残している地域もあるだろうからね
29 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:57:32 ID:sAR7Y9gg
俺の持つ古代ローマ軍のイメージって、グラディエーターなんだわ。
イメージ壊すなよ。
>>1のじいさんたちよ。
30 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 01:59:10 ID:XO2il0/X
顔はアジア系でも目が青いんだよね
侵略民族w
なんだよこの1世紀かけて遅れてきたシナの西洋コンプはwww
33 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:06:04 ID:9iFIW4TU
ウイグルに近い地方なら目の青い奴もいるだろう。
34 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:08:04 ID:4qdrSthy
このニュースを聞いた三日後に
韓国人が「ローマ人はウリナラ起源」と騒ぎ出すと思う
ローマ軍はビザンツ時代を含んでもペルシャ辺りまでが限界だろ
東に逃げたとしても6000人程度の小集団が指揮官もなしに中華まで生き残ったとは思えん
ていうかピザはやりすぎだろ
36 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:13:34 ID:G8wi7QIy
六千人と言えばけっこうな人数だ
逃避行の最中に息絶えたと考えるのが妥当だが
中には生き残り、どこぞの村でひっそりと生きた
そんな人たちだっているだろう
37 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:15:52 ID:eXsTbHqG
シルクロードの交易路はあったんだから、行く意思があればまったくの未知の領域ではないからね
39 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:20:12 ID:G8wi7QIy
五輪の時、中国の諸民族の民族衣装を着た子供たちが出てきた
中国の民族融和の象徴として出したのだろうが
あの子供たちは、実は全部、漢民族の子供たちに民族衣装を着せていただけだったって事が後にわかった
この事はどう考えても、中国の民族融和とやらが上手くいっていない証拠だろうね
五輪に出るのは少数民族からの反発があるか、それとも共産党側に少数民族への蔑視があって晴れ舞台に出したくなかったか。
何があったのか知らないけど
マルコ・ポーロも失笑
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:22:47 ID:G8wi7QIy
>>35 ローマ軍の軍装を纏っていたというのはミソだ。
ローマ人の連中の中に中国に渡ってきたのがいたのは事実だろうな
それがローマ軍からの逃亡者であったかどうかはわからんが
アレキサンダーの遠征軍ならともかく…と思ったが、クラッススか
パルティアに捕らえられたかなんかした奴らがかなり行方不明にはなってるな、確かに
アウグストゥスが返還交渉を締結するまでに、パルティアの道路つくらされたり辺境の防衛に回されたんだっけか…
クラッスス軍って捕虜以外は全滅してなかったか?
アウグストゥスがパルティアと捕虜返還を交渉した時にはほとんど生き残ってないかったと聞いたが。
>>44 一万くらいの捕虜を、まとめてトルクメニスタン辺りの防衛に回したらしい。その逃亡兵かね…?
ただがたいが良すぎなので純粋なローマ人というよりはゲルマンとかあの辺りかも…
>前漢王朝の国境警備軍が少数民族を討伐する
>中国人像も一緒に建てられたのは、「他民族の軍人も受け入れ、一緒に生活する
>中華民族の包容力を世界中のみなさんに知ってもらいたいからだ」という。
???
47 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:41:13 ID:bLR0w8Sh
「180cm」「青い目」
ローマ人じゃなくてゲルマンじゃねーか。
>>41 >ローマ軍の軍装を纏っていたというのはミソだ。
ざっとなんだが漢書・陳湯伝を見ても、それらしい記述は無いようなんだが。
49 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:42:34 ID:4qdrSthy
よくある民明書房アルネ
実際、ローマ帝国も内部(特に元老院)は腐敗しまくってたんだけどねぇ。
それでも、あれだけの範囲の帝国を
有る程度維持出来てたのも、結局は末端の国民が
比較的まとも(それでも、トップの扇動に釣られ易いが)だったからかもね。
51 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:44:52 ID:G8wi7QIy
イスラエル人の出エジプトが有名だけど
中国の八路軍が毛沢東に率いられ逃亡を続けた例もある。
このように日本はともかく大陸では、民族や軍団単位の移動は珍しくない。
逃亡したローマ軍が、故郷に戻る事を諦めざろう得なくなり
東へ東へと逃げていき、安息の場を求めた。そういう可能性は確かに棄てきれないがね
52 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:48:18 ID:z3fRC0vZ
53 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:53:25 ID:r9SIkpDY
また朝鮮・・・あれ?
54 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:54:30 ID:HEAfN0gc
すごい歴史だとは思うがショーはやめれ
55 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 02:56:49 ID:pARompNO
>>51 ゲルマンあたりの部族の兵なら、もともとあまり土地に定着する習慣がないし、ローマの支配も嫌って故郷を捨てるのも抵抗ないかもしれないしな…
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:00:39 ID:uVVg6Nav
つーかおまいら中国のどの民族が萌えよ おれ满族 なw
別に不思議でも何でもないよ。
どちらも古朝鮮の領土内だろ。
韓国史の中の些細な遺物だ。
って、いつコリエイトに利用されるかな?
昔ディスカバリーか何かでやってたな。
DNA鑑定とかで結局「歴史作るなよ妄想乙」だった記憶が・・・
60 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:12:09 ID:YUo0/FLK
現地人のDNAを精査すれば合理的結論が出るだろ。
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:12:45 ID:dvjOa9vC
ナットジオチャンだかディスカバリーでこいつらが本当にローマ人の子孫かどうか
DNA鑑定してたな。
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:21:48 ID:DLJo2eyr
>>55 そういう目でしか物事見れないのかよwww
ちなみに俺は【40、阿昌族】かな
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:33:17 ID:y/Fklx77
画像のオッサンはどうみてもアジア人だよな
>>1 ミトコンドリアと性染色体Y遺伝子解析すれば分かるだろう。中共シナーの技術じゃ
無理か。
>くぼんだ目に高い鼻、赤みがかった肌をもつ人々
此れだけじゃ遠征ローマ軍兵士の子孫とは言えないよ。
ペルシア〜甘粛省って、ローマ〜ペルシア間とだいたい距離的には
同じなんだよね。
ローマからペルシアに行けるなら、ペルシアから甘粛省にだって行けると思う。
それに6000名って、各兵科揃えた「軍団」の一単位だぜ。
補給や医療も専門兵もいる。指揮官も当然いる。
特に無理のある話ではないと思う。
68 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:47:17 ID:mcCIZo1e
確か、中国のどっかにユダヤ人の末裔がいるとかって話なかったっけ?
69 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 03:52:13 ID:4ge/lUzd
さすがにここまて捏造度が濃いと…w
最近支那畜の朝鮮人化が加速度的に進んでるな。
まあ別にない話とは思わんが、1の画像には吹くわwwwww
>>68 > 確か、中国のどっかにユダヤ人の末裔がいるとかって話なかったっけ?
なんか日ユ同祖論が、現実になりそうだな。
72 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 04:04:30 ID:hgq++oOU
>>1 166年に、大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス? )の使者が後漢へ来ているし、交流があったのは確かだろうね。
単なる観光客寄せにしても、
写真は「おいおい・・・」って感じだな。orz
>1994年に建てたもので、
え?ww
もっと白人ぽい奴いないのかよw
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 04:15:09 ID:8ZcI5WDS
>>15 それを言ったら、チョン女は今でも乳を放り出してる
>>72 其れを読むとシナー最大の失敗は発音文字を創出出来なかった事だな。
古代エジプトが神聖文字から民衆文字を作り、其れをフェニキア人が簡素化し、
ギリシア文字、ラテン文字にした様に、シナー人は2000年経っても
神聖文字を使ってるんだから。発音文字はアルファベットを導入してる有様だ。
これは、将来ヨーロッパまでも中国が侵略するためのアリバイ作りだろ
79 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 04:24:56 ID:x7ri4TXl
おこしがおしっこにみえた
80 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 04:31:06 ID:0I9u/iA+
>>77 言われてみりゃそうだな。
表意文字のみの文化ってあまり現存してないでしょ?
>>67 植民都市をつくるときの基礎単位でもあったんだったっけ
>>80 中華思想だろうね、我々の文化が一番アル、みたいな…
なんだかんだいって中国史にはロマンがあるな。
歴史にロマンの欠片も無くてファンタジー作りに熱心な国もあるようだが・・・
83 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 05:07:20 ID:pARompNO
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 05:09:20 ID:CvnrCmB8
あれ?
新疆ウイグル自治区の白人ミイラはスルーしたのに?
DNAサンプルも渋ったのに?
自分達に都合の悪い事実に関してだんまり決め込むのは宗主国も変わらんのうw
86 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 05:15:08 ID:bD1wmgR5
いやいやどう見てもシナのオッサンにしか見えんのですが
正味の話、軍団兵なら男ばかりなわけで、子孫といっても現地妻だしな…
ほとんど現地人だろうな2000年も経てば
まあ事実かどうかはさておいて、下手な売り込み方とは思うけどw
別にこういう歴史的経緯があってローマ人の遺伝子を持つ人間が住んでいてもいいんだけどさ、
やっぱり2000年も経っていて、考え方は中国人そのものだろ?
混血も進んでるだろうし。
生活習慣とか食べ物とか、ローマ的なものが残ってるんだろうか?
実際はそんなものないのに、うそついてやるのやめてよね。
ローマって言うよりギリシャじゃね?
アレクサンドロス大王の遠征軍が今のアフガンまで来てたんだから、そこから移動したって可能性もある、かなぁw
90 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 05:29:46 ID:/sgrcR9z
それよかスペインのハポン氏族の方が気になるよ
赤ちゃんに蒙古斑出るって言うし
当時スペインに残った仙台藩士の名前までは分かってるわけで。
>>88 どうだろうな、多分ないと思う…固有の宗教でもあれば、それに絡んだ規律やなんやかんやに絡んで残ってる可能性もあるかも知れないけどね、ユダヤ教のところみたいに
>>90 其の蒙古班持った子孫たちは去年の万博?で日本に来て
仙台藩の当主と面会したらしいよ。
>>1 青い目?(笑)
百歩譲ってゲルマン傭兵だが、つーかシナチクの西方って
中世まで白人が普通に往来してたろ。
>>89 はっきりした証拠があるんじゃなくて、ローマありきで話が始まってるんだお
>>89 アフガンとパキスタン国境には金髪 碧眼の少数部族が居るって話し出し時代的に
交易ルートが確立されたなら判る。紀元前だと鉄かね?最初に否定されてるのが痛いな
可能性は検討すべきだが2000年も経てば中国人。
日本にも騒ぎを起こす人種が居るべ
96 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:07:42 ID:/sgrcR9z
コーカソイドだったら中国にも昔っから大勢いたんじゃないの?
中国の内陸部だったら白人顔の人がいても驚かないなー
97 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:09:28 ID:/sgrcR9z
あと、ポンペイの壁画には中国の風景画もあることだし
兵士の子孫云々てか、フツーにシルクロードで交流があったのではないかと…。
>>96 安録山はアレキサンダーのシナー名だと言われてる。
99 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:16:51 ID:/sgrcR9z
追加。
ローマ帝国の時代にピッツァがあったんでしょうか…
少なくともトマトは無い罠。
100 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:22:42 ID:RpbK7lMM
チャチなコスプレだなぁ
というかローマは支那まで遠征したこと無いだろw
101 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:35:39 ID:ne23wH85
海王が興味を持ち出しました
102 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:45:06 ID:/sgrcR9z
>>95 面白いのがモンゴル人。
コテコテのモンゴロイドで朝青龍みたいな顔が標準かと思うと
そんな家族の中に時々金髪の子が生まれたりするらしい。顔は朝青龍で。
あれってなんなの?ロシアとの混血ってこと?
回族はイスラム教を信奉する民族だけど、トルコとかアッチの人種も入ってるよね。
104 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:55:43 ID:/sgrcR9z
>>103 逆にトルコではトルコ人の半分は韃靼(タタール)からあそこまでたどり着いた人種だと言われている。
トルコから来たとゆーよりトルコに流れついた、ってことらしい。
トルコが親日ってのにはそういうアジアへの望郷もあるらしい。
トルキスタン(東トルコ)とのつながりは「自称」ってことにされてるけど。
105 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 06:57:30 ID:2Cqq5NI9
生粋の日本人にもたまに凄く彫りの深い顔の人達がいますが、彼らもローマ人の子孫ですか?
東北あたりも青い目の人とかたまにいるしな。
会社にも新潟出身でハーフでもないのに瞳が緑がかってる人がいた。
107 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:11:37 ID:/sgrcR9z
知り合いの新潟の山間部出身の人は、
茶がかった髪の毛に目はヘーゼル、
もう一人はどう見ても白人顔に目は灰色。
一緒に仕事でイタリアに行って、現地で「混血ですか?」ってフツーに聞かれてた。
ただし二人とも背が低くくて顔と体のバランスは純日本人。
漫画家の魔夜峰央も日本人にしては掘りの深いハンサムで酒豪だよね。
そういやあの人も新潟出身だ。
中国人の白人コンプは異常。
どう見てもモンゴルのおやぢだろう
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:21:07 ID:86I3He2S
>>102 スペインフランスイギリスとの混血が多いカリブ階諸国には
金髪に青眼の黒人が珍しくない
111 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:25:28 ID:jenNg63d
ここに行くなら、イタリアかギリシャに飛んだ方が早い気がする。
うちのじいちゃんも青い目だったし、ウリも黒目が緑がかってるんだが、
ウリもローマ人の末裔だったニカ?
112 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:26:55 ID:rP8JcuKU
イタリア版徐福伝説
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:31:22 ID:P3mVZjyf
>>107 父は新潟県中頸城出身だが、目は緑いろだな。俺は茶色。祖母はロシア人風な容姿だ。
114 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:31:44 ID:hWk1EyOg
ローマはウリなら起源ニダと言ってましたよーw
115 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:32:37 ID:q4fvTpPP
平家ペルシャ系説みたいな話?
近くに 自称・平家の落人な村があるけど 彫りの深い連中が多い印象があるな・・・
116 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:38:05 ID:Dpbd+Lkc
目の色や髪の毛の色は食べ物で変わる
人種特有のものではない
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:39:23 ID:kXLcDzi8
風呂とパスタがないと信用されないだろう。
遠征軍の子孫なんてあちこちに居るだろww
ただ、父親はやり逃げだけどなww
120 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:41:57 ID:/sgrcR9z
年寄りの青みがかった目って単に白内障じゃねーの、ってことがあるからなぁ。
うちは母方が東北で、親戚の男は半分くらい胸毛マン。肌の色はみんな白い。
いとこはあまりに白くて病気(白斑症)なんじゃないかと病院にかかったくらい。
叔父さんはアランドロン系の濃い顔してる。
祖母が170センチ近い大女だった。
尾瀬に近い山奥で村のみんなが殆ど同じ名字ってなところだから、アイヌ系の血が入ってんのかなぁ。
近親婚多かったみたいだし、祖父母はいとこ同士だったし。
121 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:42:54 ID:aMn+jKcu
122 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:43:09 ID:MPAf9Vsx
>パンの上に野菜などを載せたピザのような食べ物を
>正月に食べる習慣もあり、イタリア料理を想起させる。
ピザが作られたのは、かなり後になってからだと思うのだが。
第一トマト自体新大陸原産だから、1492年以前には中国にもイタリアにもないし。
123 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:44:52 ID:/sgrcR9z
>>115 あー、平家落人伝説、つーか、
菩提寺がモロに平家ゆかりの寺ってな集落ですわ。
逃げ隠れてた洞窟が史跡になってる。
124 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:47:47 ID:/sgrcR9z
>>122 元祖ピザはチーズとオリーブだけ乗せた
フォカッチャみたいなもんだったらしいよ
でもパン文化の地域ならどこでも似たようなもんはありそうだけど。
126 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:52:16 ID:0E7gleex
この話を初めて聞いたとき歴史ロマンをくすぐられたなあ・・・
127 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:53:07 ID:86I3He2S
新潟…小林幸子
三国志の呉の孫権は碧眼だったらしいけど
この人達の血が入っていたのかな?
>>身長が180センチ前後あったとみられる、
>>欧州人に似た骨格をした遺骨など約100体が確認されたのだ。
ローマ人って150cm台じゃなかったか?
131 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 07:56:40 ID:s54enE5Q
>身長が180センチ前後あったとみられる、欧州人に似た骨格をした遺骨など約100体が
>確認されたのだ。
古代ローマ人はそれほど身長が高くなかったということは常識です。男でも165〜170cmくらいだったと
いわれている。3世紀以降の軍人が不足したころは軍隊の入隊基準が160cm以下に引き下げられたという
記録が残っている。
俺は静岡県東部で掘りが深く目は二重瞼で大きく目の色は茶色だが身長は160センチくらいしかない(笑)
静岡県にも西洋人が移り住んだ話しは無いのかな?
135 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:13:21 ID:/sgrcR9z
>>134 静岡なら下田が混血か多くて有名だけど、幕末の話だからなー
東北に怪しげな人がチラホラいるのは
西洋人が移り住んだってな話とは違うんでは?
アイヌ系なのかロシア系なのかは知らんけど。
小笠原のセボリさんもドイツ系だよね
支倉遣欧使節団のスペイン。
なるほど中国はイタリア領か
139 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:17:55 ID:/sgrcR9z
>>136 今は瀬掘って名字なんだっけか
セーボリーだっけ。
てか、小笠原の帰化日本人(アメリカ、ドイツ、イギリス系)
って、今でもクリスチャン多いよ。
歴史新しいし。
140 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:27:13 ID:BWy4koEC
日本に復帰した直後の小笠原の高校生なんて99%アメリカ人だったぜw
当時は小笠原の高校生はグァムの高校に行ってたから、
学校でアロハシャツ着てガムクチャクチャやってんの。
141 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:27:49 ID:kDBWbnJK
2000年もたって子孫もなにもないと思うが。。。
142 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:40:25 ID:/sgrcR9z
>>140 英語と日本語のチャンポンが共通語らしいけど
小笠原の人種はなんつーか、ムチャクチャなんだね
オランダやデンマーク北欧各国、イタリアにハワイにミクロネシアに…と
なんだか世界中から来てるっぽい。
ドイツ系、アメリカ系ってな単純さじゃなさそうだw すごいな。
143 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:45:00 ID:e80cbQVK
>>142 > 小笠原の人種はなんつーか、ムチャクチャなんだね
> オランダやデンマーク北欧各国、イタリアにハワイにミクロネシアに…と
> なんだか世界中から来てるっぽい。
なにその東南アジア人w
マジな話、東南アジアはそうなってる。
時々白人にしかみえない旧宗主国系のやつがおってなw
小笠原のドイツ系アメリカ系の人ってまだ高校はグアムに行ってるの?
145 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 08:59:07 ID:HiHAhZRy
これインチキじゃなかったっけ
ディスカバリーチャンネルかなんかでDNA検査をして西洋人と全く関係ない、と結果が出ていた
146 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 09:19:38 ID:e80cbQVK
>>145 集団遺伝学的には「全く関係ない」なんて結論出すのは無理だぞw
親子鑑定じゃないんだからw
148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 09:41:26 ID:UtVu4LnP
グルカ兵の使うククリナイフは本来ギリシャ文明のナイフだが、
アレキサンダー大王の遠征によってネパールの地まで伝わった、
と聞いた。
なんだか神坂智子を読みたくなってきた
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 10:45:37 ID:G8wi7QIy
>>120 甘粛省といえば、古くから西域に接する。言ってみればシルクロードの西域からの中国の入り口だった場所だ。
現在でもチベット自治州と接し、イスラム教徒も多い。
そういう地域に西方の血筋が入った人間が多いのは、別に不思議でも何でもないだろ
青い目をした人たちも、実際に西欧の血筋が薄くなっていると言っても入っているのだろう
残存兵率いて離脱したカシウスは無視ですか。
パルティアと交渉して捕虜になったローマ兵を取り返したアウグストゥスは無視ですか。
152 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 13:39:39 ID:srQ9lk+b
韓国の病気が中国にも感染した.....
153 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 14:24:12 ID:8ZcI5WDS
>>151 クラッススの率いたのが重装歩兵三万近く、軽装歩兵と騎兵が四千、あと奴隷とか入れて四万くらいで、カシウスが連れてったのが騎兵のみ500ほどだろ、
で他にも逃げ延びれたのが一万ほどいて、同じく一万位が捕虜になってる
で、その後の内乱を勝ち抜いたアウグストゥスが条約の締結をしたのが33年後で、捕虜の返還は生存者無しってことで出来なかったんじゃなかったかな?
154 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 14:29:07 ID:uy1DfpQT
>>1 これって「鄭和の大船団の一部がアメリカ新大陸に到達しマゼランより先に世界一周していた」
なんてヨタ話よりよほど信頼性や考古学的根拠は確かなのかな?
>>154 五分五分くらいじゃないか? 上でもさんざんいわれてるけど、この辺りなら目の色とかの身体的特徴はあってもおかしくないしな、
記事読んだかぎりだと直接子孫という確証が出ているとも思えん。有り得なくもないかもとも思うが
156 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 16:29:05 ID:srQ9lk+b
DNA鑑定で捏造と判明してるわけで
個人的には、漢書陳湯伝の何処からローマ軍の兵装を
読み取ったのか知りたい。
158 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 16:33:55 ID:ko3Xc9Dp
>>150 孔子も文献に残ってる身体的な特徴を見ると、白人だったって話もあるそうだね
最近 ローマというか イタリアで 華僑への風当たりが 大きくなってるね.
実にタイムリーな 話題ですなwww
160 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 16:54:02 ID:G1zZMBF3
ユダヤ流民の子孫の居住地もあるよ。河南省だったかな。
161 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:10:17 ID:VFtMZ23y
中国はもう何でもありだな
162 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:20:19 ID:Ibi28kXf
夢のある話だが
ローマ人は長身でも青い瞳でもないだろ
163 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:21:18 ID:G1zZMBF3
去年、南アでは中国人が名誉黒人に認定されたそうだ。南アでビジネスする上では今、黒人の方が税制面でメリットがあるらしい。
日本人は実より名をとって名誉白人になりたがりそうだけど
164 :
地獄博士:2009/03/30(月) 17:21:18 ID:ortcQ18F
とりあえず、観光誘致なのか?w
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:31:45 ID:e80cbQVK
永昌源と聞いて飛んできました
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:38:06 ID:oxWNqkgS
日本にもアメリカ村やらオランダ村やらあるよな
170 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:44:01 ID:BWy4koEC
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:45:04 ID:8bXBvyZ3
>>160 河南省に迄ユダヤ人が流れて来たのであれば、日本に到る集団が居てもおかしくないな。
全日本人≠ユダヤ
支配層=ユダヤ
ぶっちゃけ天皇家とかそれでは?
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:48:15 ID:etGW1tNf
墓の中に直接的な証拠でもないと無理でしょ。
ウズベキスタンの奴を見たことあるけど、まるっきり白人、というかもっと白かった。
中央アジアでもそういうのがいるし、ローマに結びつけることはないと思うけど。
173 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:48:26 ID:I5C790xh
孫権なんか碧の眼だったんだろ?
174 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:49:53 ID:etGW1tNf
>>160 それはいつ頃来た集団なんだろうか。
紀元前後のディアスポラの時という証拠とかあるのかな。
コロッセオで殺し合いをさせて、負けたやつの内臓は臓器として売りに出されるんですね?
176 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:53:13 ID:fPlqVfan
約6000人が 敵軍の包囲を突破して東へ逃れ、消息を絶った。
(-。-)......ン? そんな事を記したテキストあったか?
ハルパゴス氏・談
.┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
_r┐ __ (( V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
r-、 (( |.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ
,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
,.-─-.、 (( |i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
/ /l .i^ヽヽ ` |il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/ ノノ <ノ {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
r┐,.─-、 / 7 ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
||し'^) ,! ┌‐' 'ー┐ト、 ``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
|_| l´r' 7 /_7 / 」__〉 (_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
[_] [_] 〈_/ヽ_/ .ト─' ノ / /i
178 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:53:30 ID:G1zZMBF3
174
いや、十何世紀のことらしい。
英語の文献だったんでよく読まなかったけど海路で来たらしい。
探せばネットにも情報あるんじゃないかな
180 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 17:58:54 ID:etGW1tNf
>>178 てことは、モンゴル関連かしらねえ。
例のハザール帝国の流れとか。
181 :
地獄博士:2009/03/30(月) 18:01:12 ID:ortcQ18F
6000人の軍団兵って・・・
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:02:34 ID:G1zZMBF3
金髪呂布もイタリア人
>>80 漢字は、「表意」文字ではないよ。
表意だけで成る文字体系というのは、多分、アラビア数字や漢数字だけ。
漢字も他の文字と同様に音を持っていて、
古代から当て字とか(音による)代用字があった。
185 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:22:01 ID:etGW1tNf
>>182 少なくとも南宋の頃からはいたらしい。
またそこにある石碑(15世紀の頃)によると、漢の時代にインドから来たと書いてあるらしい。
マテオリッチがその村出身の人に、イエスとマリアの絵を見せたら、エサウまたはヤコブとレベッカの絵だと思ったらしい。
なんて書いてある。
186 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:24:18 ID:56LCTPix
古代ローマ都市とコロッセウムでの剣奴の戦い、戦車戦などの催し物や
公共浴場を再現してくれれば、俺は行くぞ。
>>162 ローマ兵=ローマ人ではないぞ。少なくとも民族的には。
この時代からもう、騎兵は全部ガリア人とかゲルマン人だったりする。
もっと時代が下ると歩兵もゲルマン人ばかりになっていくけど。
188 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:31:22 ID:Ibi28kXf
>>187 いや、この時代はちょうどカエサルがガリアを征服しつつある時代じゃないの?
189 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:34:52 ID:etGW1tNf
ルビコンが前49年か。
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:35:26 ID:RM+XF8lD
>>187 ローマ人の定義はヌマ以降難しいな
ユダヤ人よりむずい
>>187 ガリア戦記にヌミディア人騎兵が出てこなかったっけ?
192 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:38:34 ID:RM+XF8lD
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:43:41 ID:8Bl5tXUd
ホントかいな
遺骨のDNAを調べてみればいいのに
194 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 18:44:51 ID:lI663vZp
>>186 そんなことされたら、共産党の資金になるとわかっていても行っちゃいそう・・・
というか、コロッセウムで戦車戦、マジでやってくれたら行く!
騎兵はカエサルが、自分の配下にいて軍団長だったクラッススの息子に付けてやったのはガリア騎兵だろうな…
あとローマの軍団兵は一応市民じゃないとダメなんじゃなかったか? 補助兵は別に大丈夫だったと思うけど
196 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 19:26:20 ID:Nz9prdGn
>>1 どんな顔だろうとワクワクして画像を見たのに、普通の中国人じゃん。
197 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 19:27:36 ID:XuzL3eBO
(´・ω・`) マンマミーア
198 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 19:52:04 ID:f2m5xcLw
甘粛のあたりなら、白人系黄色人種系昔から入り乱れている所だし。
単なる思い違いだな。
>>1 これだったら、秋田の女の子の方がローマ人みたいだぞw
いや、ほんと白人みたいな子がいるよね、秋田。
200 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 20:07:22 ID:G1zZMBF3
写真見てがっかり
どうせなら青い目の人を写せばいいのに。
201 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 20:42:12 ID:Oy3O/QsX
っていうかさ、ユーラシア大陸はモンゴロイドとコーカソイドが雑居する
一つ屋根の下だから、中央アジアは事実上その混血。
ウイグルをみれば明瞭だろ。欧州もけっこうアジアが濃い。
ハンガリーは「欧州に投げ込まれたアジアの石」。日本と同じく干支があ
ってアジア系言語で姓・名の順序。イギリス人より金髪率が高い北欧フィ
ンランド人も満州ツングース系言語で、アジア系バレバレ。
ロシアはタタールのくびきで、有名なイヴァン雷帝の後継者になったボリ
ス・ゴドゥノフ帝は、もろにモンゴル系だった。ロシア貴族の3分の1は蒙
古系で、ナポレオン戦争の英雄クトゥゾフや文豪ツルゲーネフも、モンゴ
ル系の名前。
バイキングの本場スウェーデンのバルト海に浮かぶゴトランド島で、中世
初期の貴族の陵墓が発掘されたとき、北欧歴史学会は仰天した。
10人の貴族の死骸のうち純粋な白人は4人だけ。他の4人はモンゴロイドと
の混血。2人は純粋なモンゴル人だった。
202 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 20:45:11 ID:hSjY9C25
がっかり観光スポットとして有名なとこアル
203 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/30(月) 20:54:41 ID:P/nFNzH1
201
レーニンにもアジアの血が入ってるよ。
中央アジアってもう人種わけわけめ状態じゃん
アジア?ヨーロッパ?って思うような奴が結構いる
切れ目の白人が多いのもここだお
205 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 01:40:25 ID:S6V0l3Hn
取り敢えずどっかのカスなだけが取り柄の国と違って歴史深さは素直に楽しませてもらうわ
つまり半万年前から発展していた韓民族が
中央アジア経由でローマにも影響を与えていた
とゆうことですね
207 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 03:13:52 ID:aX7/kdhA
現在のローマ人「中国と関わりたくねぇ〜し」
208 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 09:12:00 ID:+QE8BTss
塩野七生さんを呼んでローマ帝国ランドを日本にも作るべき。
ローマ風居酒屋、ローマ風浴場、コロッセウムでの催し物など盛りだくさん。
もしかしたら世界中から観光客が来るかもしれないぞ。
209 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 09:16:15 ID:L2k7sJ1U
>>200 青い目が多いのはヨーロッパの北じゃないの?
イタ公は茶色でいいんじゃない?
210 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 09:20:53 ID:UuH5P/Mf
>10人の貴族の死骸のうち純粋な白人は4人だけ。他の4人はモンゴロイドと
>の混血。2人は純粋なモンゴル人だった。
朝鮮人なら、4人は貴族で、残りは殉死した奴隷と言うぜ。
半島で発掘される縄文遺跡を「日本から出稼ぎに来て土木作業などをしていたのでしょう」とか
歴史学者が言っちゃう民族だからなw
211 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 09:24:20 ID:nCqGUe3r
茶というか緑に近いな
.┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
_r┐ __ (( V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
r-、 (( |.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ
,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
,.-─-.、 (( |i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
/ /l .i^ヽヽ ` |il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/ ノノ <ノ {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
r┐,.─-、 / 7 ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
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213 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 11:26:08 ID:WdGxGI3t
うちの近所の温泉にローマ風呂、ラジウム風呂というのがあるんだが
おそらく古代ローマ兵とキューリー婦人と関係ありそう(棒
214 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 11:30:49 ID:IxzBLNCx
リアルな民明書房じゃないか w
>>68 秦は失われたユダヤの支族が創ったという話はあるなあ。
216 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 12:23:35 ID:ea2duVJ/
オッサンのコスプレ姿は哀愁を誘う
217 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 12:26:03 ID:z+DcY9cu
>>201 トンデモ理論だな。言語によって、人種が決まるわけではない。
それから、ハンガリー語やフィンランド語のウラル語族は、
「満州ツングース系言語」を含むアルタイ語に*似ている*
だけであって、「ウラル・アルタイ語族」は明証のない仮説に過ぎない。
まして、ハンガリー語がツングース諸語だなんて言ったら、笑われるだけ。
>>209 イタリアは、ローマ時代にゲルマン民族が侵入、その後もノルマン人の
征服王朝が立つなど、絶えず北方の血が入っているから、金髪碧眼はざらにいる。
そもそも碧眼なんか、北アフリカや中央アジアにだっている。
それから、お前はイタリア人を「イタ公」などと呼べるほど
どこが優れてるんだ。
>>203 西欧のヤツらからすると、
ロシア辺りのミーシャどもはモンゴーに散々レイープされてるから
アイツら純粋白人種じゃねぇよつう事らしいジャン
219 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 14:13:16 ID:ZUwbenuK
関東軍村は?
220 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 14:26:33 ID:+v2OMBiu
これNHKでやってた、たまに金髪とか目が青かったり、
色白の子供がうまれるらしい
222 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/03/31(火) 15:29:16 ID:Jze5QZR5
分類上、漢族になってるのがちょっとね。。。
ユダヤ人もモスリムに含まれちゃってるし、ここが変だよ。中国の少数民族。
なんか中国のほうに迷い込んできてファランクスvs支那兵法みたいな話をネットで見かけたことがあったような…
モンゴロイドとかコーカソイドとか、
ナンチャッテ科学信じてるこのスレの人っていったい...
サンレッドにボコられる川崎支部の幹部の方ですね。
わかります。
226 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/01(水) 05:48:39 ID:UQp5+yo3
227 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/01(水) 12:36:38 ID:M1pUXhH0
あれ? またウリナラ起源ファンタジーかよwと思ったら、中国…だと…?
ローマ人の平均身長は170前半だろ
229 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/02(木) 00:30:06 ID:hUasK2VB
>>228 それ違う、カエサルがガリア戦記で
ガリー人(ヨーロッパ人)は自分たち(ローマ人)と違い「金髪、碧眼、長身、白い肌」である
ゲルマニー人はそれに輪をかけて「白い肌で」「長身(ニュアンス的には巨人)」
ローマ人:身長150cm台(黄色人種?)
ゲルマニー人:身長170cm台
殷人、周人(身長で「成人」を決めていた180cmから):身長180cm台かそれ以上
秦人(ペルシャ系白人):身長180cm台(始皇帝稜の人形は180cmで統一)
中国に黄色人種がはびこったのは最近の話で、元の蒙古一族から(自称漢民族はこの末裔)
白人(真性漢民族)はモンゴルに皆殺しにされたと思われたけれど、山奥でわずかに残った
という訳。
曹操もあだ名が「白面郎」だから、ひょっとして色目人だったかも知れないなw
231 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/03(金) 00:00:44 ID:hUasK2VB
>>230 「色目人」の字づらに囚われない方がいいよ。
元は漢人、色目人、南人に分類して支配したけれど
「漢人」とは漢代以降は「外人」を指す言葉で、特に北方の古代中国人を示す言葉になった
秦人亡民が馬韓造った言い伝えもあることだし、漢の末裔と考えられていたのでしょう
色目人は言わずとしれた西域民族
つまり元は北(人)・西(人)・南(人)として分けて支配したということ
北人にはかなり敬意を払った呼び方をしている→漢人
西人にも丁寧な表現→色目人
南人だけ呼び捨てで異常、これは謎。
南人は唐の時代は鮮卑(トルコ人:スラブ系白人)宋も自称その流れ組むから
元(モンゴル)の三方(一方は海なので)は白人種
232 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/03(金) 22:52:53 ID:/MGIyBug
村おこしとしても、第二のオランダ村だな、こけるのが目に見えるようだ
233 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/03(金) 22:54:11 ID:bm8PvUsR
韓国人が起源を主張するのはまだですか?
呂布子?
>>188 ガリア戦におけるカエサルの騎兵隊はゲルマン人
俺はローマにはちょっと詳しいんだ。
236 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/04(土) 01:06:27 ID:l+iE9F0D
>周りの村は頭部を
>北の方角に向けるのに対し、この村だけは西に向ける。
先祖が殷人と自称していた孔子が、身内が亡くなった際に遺体を西枕にしたので
何故かと弟子が尋ねたら、「これは殷の風習」と答えたと
何かに書いてあったと記憶しているのだが(たぶんそのような内容)、どの文献だったかな?
思い出せない。
237 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/04(土) 01:31:35 ID:42zonZA7
大陸の盲腸にカニクイ猿の子孫が住んでる
何でも起源にしてしまう
犯罪者の子孫が住む
日本にも流れて
アメリカにもいる
世界中で追放したい民族に選ばれる 嫌われ者
238 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/04(土) 23:08:50 ID:l+iE9F0D
ユーラシア大陸のニワトリ(中華民国の形からこう言われる)
は鳥インフルエンザに罹っていて、世界中にウイルス撒き散らして
いるから、こっちの方が悪質。
民国?
240 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/05(日) 15:12:48 ID:GS5naUDl
この手の話題には、中国人が日本人のふりして脈絡もなく中国5000年の歴史
とかや意味もなく唐突に朝鮮叩きの書き込みするのだけど来ないね。
241 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/05(日) 16:54:25 ID:yyYM71GF
>古代ローマの別名とされる。中国語で「リーチエン」
>と発音し、ローマ軍団を意味するラテン語の
>「legion」が語源であることが、その後の研究で明らかになった。
「リーチエン」と「レギオン」では違いすぎだろうに、どんな研究なんだろう。
前に海外のテレビで見たのはこんな写真のアジア人じゃなくて完全な白人だったぞwwwwww
243 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/05(日) 17:30:48 ID:EUBhXLI1
>>241 シーザーって発音もあればカエサルって発音もあるように
「legion」も発音はレギオンだけでなくいろいろあるからな
(゚д゚) レギオン・・・我々は大勢であるが故に
カエサルとかはドイツ読みだっけたしか? ジュリアスも現代イタリア読みだったらチューザルだかチュザーレだったかになるとか聞いた
246 :
東大卒天才 ◆OL3boSSJBA :2009/04/05(日) 19:03:25 ID:/LikALjj
黄河文明はもともと韓民族が起こした紅山文明のデッドコピーなのだから
韓人村で村おこしもできるな
>>245 ラテン語のスペル「caesar」を英語読みにするとシーザ。
ドイツ皇帝のカイザー、ロシアのツアーリも元はカエサル。
「驪●(革へんに干)」の現北京語の発音である「リーチエン」の発音が「レギオン(legion)」に近いと言われてもラテン語だと「legio」だろ。
大体漢代のローマ帝国の呼び名は、ずいぶん持ち上げた「大秦国」だろ。
>>243 ラテン語の正しい読み方は基本的に一種類しかないぞ。ドイツ語だとカイザルだ。
Legioはラテン語だとレーギーオー、レーギーウス(以下各活用)。
>>245 ユリウス・カエサルがラテン語
現代イタリア語だとジュリオ・チエザレ(チェーザレ)
251 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/06(月) 00:51:05 ID:fGmkDOU0
>>241 自己レス、大体見当がついた
「驪」は「黒」の美称で「干」は盾。
真黒で美しい皮の盾を持つ軍隊=驪●
ローマ軍は子牛の皮に鉄で周り補強していた盾だったようだから、
音ではなく意味合いからの推測ではないかと思われる。
252 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/06(月) 10:31:30 ID:fGmkDOU0
追加、日本語だと音からも出来なくはない(事実かどうかは別にして)
「革へんに干」は左に音符、右に意だとしたら、革は呉音で「キャク」
「驪」は呉音で「ライ、リ」
つまり「リ(レ?)キャク」との発音、濁音がなかったようだから
現地の人はおそらく、リ(レ?)ーキーオー、リ(レ?)ーキーウスに聞こえたのではないかと
ちなみに中国語漢字音は満州語漢字音(満州族漢字読み音)で文化は400年ぐらいしか歴史をさかのぼれない
中国は歴史が浅いと言うより、日本が出鱈目に長い歴史なんだけどね
ロマン溢れる話だな
>>98 安禄山はロクシャン。ソグド語でロクシャンは明るさの意味。
史思明は『明るいものを思う』わけで、光の神を崇拝するゾロアスター教の影響が見られるとか。
この二人はソグド人やトルコ系の血が入っているみたいだね
地続きだと、いろんな往来があるもんだなぁ。
256 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/06(月) 11:29:30 ID:Z0z0J37K
リーチエンは現代マンダリンのピンインだとlijian
legionの英語読みとかなり近い読音。
ただ古代の発音は両者違っていたはずだし、
当時表音的な地名の付け方は中国ではしなかったのではないかと思うんだけど。
257 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/06(月) 15:08:29 ID:fGmkDOU0
>>256 蘭州大学の陳正義教授らの研究グループが、そう勝手に名づけた遺跡だから。
長崎にある「イエスキリストの墓」と同じ。
258 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/06(月) 15:15:18 ID:+A3n9T0o
>>142 小笠原の住民は、捕鯨船の乗組員がそのまま居ついた人たちだからね。
白鯨を読むと、当時の捕鯨船は人種の見本市だったことがわかる。
259 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/07(火) 01:44:04 ID:DAZOAZHs
>>236 礼記の檀弓に、狐死首丘 と書いてあるから礼法として十分にありえるわな。
260 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/07(火) 01:49:24 ID:uhzHgSu3
老魔人村
261 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/07(火) 19:27:26 ID:4Zojs/Lc
魔界村
262 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/08(水) 02:54:27 ID:/wiGvx89
>前漢時代の古墳群が発見されて流れが変わった。身長が
>180センチ前後あったとみられる、欧州人に似た骨格をした遺骨など
>約100体が確認されたのだ。
どう見ても「漢人」です、ありがとうございました
殷:殷の公尺10尺は成人男子身長→180cm
周:周の公尺8尺が成人男子身長→180cm
秦:180cm(遺骨のdna鑑定で秦人はペルシャ系白人と確定)
以下略
発掘した遺骨がペルシャ系白人のdnaなら「漢人」と見て良い。
263 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/04/08(水) 10:01:49 ID:2APauI7U
264 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
>>262 ディスカバリーで中東由来の白人とかやっていた