【読売新聞】「家康」中国で200万部、忍耐・戦略企業家ら共鳴[2008/01/26]

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710<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>705
日本の場合、奈良平安期で人とは貴族だけだよ
それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された
ある意味桃太郎なんかは人が鬼の国に宝を奪いに出かけるお話
人扱いしないことを問題にするなら千年たっても尚人扱いされてない鬼立場のことを抜いたら駄目だよ
711穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/04(水) 00:02:02 ID:xSYgvgyT
>>705
それってかなり特殊な例だと思うお・・
だって、幾ら高い金を払ったとしても、肝心の「玉」を取らずに
棒だけ取っても宦官としてはまともに宮殿の仕事を貰える筈も無いと思うし
何よりも肝心の「性欲」が抑えられない筈だしね。

因みに先の「義忠賢」は自分で「自宮」したとか。
なんでもこいつは若い頃は相当のDQNで、切ったのも元は
博打の賭場で揉めて嬲り者に(多分「アーッ!」されたんだろうと思われ)
されて自棄になった挙句の行為とか・・

それと、気になったんで手元の資料本を探して改めて読み返したら
どうも記憶違いをしてたので取り合えず修正して置くお。

>>693で「三千人〜」と書いてたのは正しくは
「義忠賢が宮殿内で独自に編成した宦官による軍隊」の数ね。
で、明朝の宦官の数は手元の本によると
「明朝の終りに紫禁城内に居た宦官の数は一説には十万人以上」と有るのね。
(「酒池肉林 中国の贅沢三昧」:伊波律子(講談社現代新書)

まぁ、この「十万人以上」って数は(幾ら何でも)誇張だとしても
実際宦官の軍隊を三千人も編成するって事から見ても
万単位で紫禁城に宦官が相当数居たのは確実と思うのね。

>>710
桃太郎の「鬼」は一説には異国人だとする説も有るんだが・・
まぁそれは兎に角、古代の蝦夷や鬼に纏わる伝承や伝説も元は
征服した立場が被征服者に対しての正当性を示す為の物の性格が強いからねぇ。

河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
少し違う様な気が・・いや、良いんだ。
712<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 00:48:51 ID:4GiLKs5X
>>711
河童の童は童子だぞ
童が子供の意味になったのは後世のことで、本来は土に串刺しにされた奴隷の意味で鬼を指すんだ
坂田金時が攻め滅ぼした鬼の名前が朱天童子って名前だろ
山にいる鬼が山童
河にいるのが河童
水神を引っ張り出してるが鬼神という単語が示すとおり鬼と神は表裏一体のものだぞ

桃太郎の話はめんどいから控えめにするが、外国人って渡来人のこと?
吉備津彦命が200年以上吉備国で戦った相手が渡来人だろうが豪族だろうが鬼に変わりがない
713<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 02:20:48 ID:PC1xHmWg
明朝の宦官部隊は結構大規模だったみたいね。取扱に注意を要する火薬なんかを扱うのは彼等だったらしい
そこらの農民や食い詰め者に任すのは危ないからだったらしいけど…

あと神と鬼とが同じというのは両方モノとあてるからわかるけど、元々鬼って死霊とか幽霊という意味で、いきなり今の獄卒の姿をあてるのはどうなんだろ?

あの角のある姿は元々は丑寅の方角にある冥府の門を守る獄卒の姿で、角は牛、そして虎の毛皮の衣はそれを表すんだとか…淮南子だったかな?

あと山岳民・漂泊民に対する感情は、蔑みがないとは言わないけど基調は畏れで、強い蔑みの観念を植え付けたのは本題に返るようだけど江戸に入ってからじゃないかな?
714穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/04(水) 02:22:55 ID:xSYgvgyT
>>712
何でもかんでも全て「鬼」と関連付けるのは問題有ると思うが?
第一、河童の由来も中国経由(河伯)とか諸説有るから
河童の「童」の字が「童子」と同じだからと言って
鬼の一種として河童が入ってるなんて確定して居ないでそ。

因みに、こんな説も有るお。
ttp://page.freett.com/sekihantaki/tadaf/kaat/kapah.html

まぁ、一応漏れは>>711

>古代の蝦夷や鬼に纏わる伝承や伝説も元は
>征服した立場が被征服者に対しての正当性を示す為の物の性格が強いからねぇ。

とも書いた通りに鬼自体に関しては否定はして居ないけどね
あくまでも比較対象の一例として書いているだけだし。
あと、中華圏では「鬼」は日本で言う「霊」と同じ意味も有るんよね。
(だから向こうでは幽霊屋敷(お化け屋敷)とか「鬼屋」とも言われるみたいだしね。)
715<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 03:30:26 ID:PC1xHmWg
因みに河童が今の姿のイメージになったのはかなり後代だと思う
江戸時代の水虎十二品図てのではあしからしい海獣の姿のものや、痩せ細った餓鬼のような姿もあるらしいよ
716<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 08:22:34 ID:4GiLKs5X
>>713
日本で鬼の姿が角を持ちってやつは、日本においては大国主が大黒天と仮託され、
大国主がスサノオであり牛頭天王の別名を持っていたのが原因のひとつ
閻魔大王である大黒天の侍従の位置に牛の頭と同じ角を持つ人にあらざるモノとして今の姿になったわけだ
朝廷にさからって滅ぼされた大国主の民たちが鬼になったわけだから

元は鬼というのは幽鬼だというけど、日本でもそうだよ
ただ日本の場合ややこしいのが「人」として生きるということが官位を持つことと同意だったから、
人として死ぬということが生物的に死ぬということと同じ意味でないことがあったから。
だから鬼=生きていないモノ=死んだモノということになるわけだ

平安時代に陰陽師という代物ができたのは「人」には「鬼」が見えないし、触れないという決まりがあったから
だから「人」でありながら手下の鬼「使鬼」を「式神」として使役する陰陽師という職があったわけ

>>714
鬼の一種っていうより、人=貴族だったわけだから
ほとんどの人間は「人」じゃないモノになるわけでしょ
717<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 10:29:25 ID:DJUQTi4g
童:(1)もと、目を刃物で突きぬいて見えなくした男のどれい。また、男の罪人をどれいとしたもの。のち、雑用をする男の召使。男のしもべ。
  《同義語》⇒僮。《類義語》⇒僕。「童僕(男のどれいや召使)」
  (2)わらべ。わらわ(わらは)。まだ物事のはっきり判断できない幼い子ども。おさなご。
  ▽十五歳で成人して冠者となる。「童蒙(ドウモウ)(道理のわからない子ども)」「童子」
  (3)幼い子どものようなようす。また、ぼうず頭。「童山(はげ山)」

民:(字源)象形。目を針で刺し、目を見えなくさせること。元はそのようにして自由を奪った人(奴隷)を意味。
718<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 11:38:31 ID:kdNhVfo6
>>716
> 日本で鬼の姿が角を持ちってやつは、日本においては大国主が大黒天と仮託され、
> 大国主がスサノオであり牛頭天王の別名を持っていたのが原因のひとつ
> 閻魔大王である大黒天の侍従の位置に牛の頭と同じ角を持つ人にあらざるモノとして今の姿になったわけだ

自信満々にほら吹いて恥ずかしくない?
オオクニヌシが大黒天に擬えられたのは、単純に「ダイコク」の音がかぶっただけだが。
大国主がスサノオであり牛頭天王の別名?
閻魔大王である大黒天?
馬鹿か。ラノベの読み過ぎだ。

> 鬼の一種っていうより、人=貴族だったわけだから
> ほとんどの人間は「人」じゃないモノになるわけでしょ

おまえはほんとうにばかだな。
そこら辺の庶民は絵巻物にだって描かれてるし、源氏物語にも
漁師に話を聞く場面がある。


>>717
漢字の原義は、それが中国で用いられていたものか、日本で用いられてたものか
ちゃんと分けないと意味がないだろ、ここでは。
719<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:17:03 ID:DJUQTi4g
>>718
少しは調べたら?
本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ
720<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:25:45 ID:kdNhVfo6
>>719
出鱈目吐き散らして、勝利宣言か。
ラノベ板に引きこもってれば?
721<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:29:13 ID:DJUQTi4g
>>720
本地垂迹がラノベですか?
722<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:31:23 ID:WhQXMSrZ
>>719
本地垂迹は寺社の信者獲得の為の単なるこじつけでしょ。
まさしく今のラノベみたいなもん。
723<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:47:25 ID:DJUQTi4g
>>722
ラノベと言い切るのも結構ですが、
日本には本地垂迹という考えが根付いていて、
それを元に神社が建立され縁起となっている事実をラノベと言い切って何か判るの?
724<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 13:54:04 ID:kdNhVfo6
>>723
本地垂迹がラノベと言ってんじゃねえの。

本地垂迹を良いことに、に連想ゲームでガチャガチャと
後付の妄想で繋げてんのがラノベの読み過ぎだつってんの。
725<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 14:12:54 ID:DJUQTi4g
>>724
鬼というものが日本の歴史にどれだけ食い込んでいるのか、wikiをみただけでもわかる
牛頭馬頭も鬼だし酒呑童子も鬼
日本で習合された鬼というものが姿がたくさんありすぎて本当はなんなのか様々な論が出るというのならわかるがな
一切、自分の論を展開せず、相手をラノベと言い切っただけかよ
726<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 15:45:03 ID:PC1xHmWg
うーん…本地垂迹が現れたのは大体九世紀辺りともいうしな…ちと時代が下がりすぎている気がしないでもない
まあ日本の鬼もいきなり牛角に異相というように類型化されていたわけでもなく、その辺で固まったのかも知れないけど…

自分の知るかぎり出雲風土記の阿用の鬼が初出なのかな? これは一つ目だけど

あと鬼と陰陽師か…その始祖の一人に数えられる役小角の使役したという鬼は確かにそういう人々かもね…

そういえば極端に汚れを忌む平安期の貴族の生活では、逆に排泄物等を処理する=汚れを一手にひきうける存在が不可欠なわけだが、天皇の身の回りを世話したのは八瀬童子だっけ
陰陽師も精神的にみれば、そういう汚れの引き受け役で、そこから両者に強い繋がりがあってもおかしくはないよな…w
727<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 16:25:43 ID:DJUQTi4g
スレ違いだからこれ以上やるべきじゃないんだろうね

ただ河童が鬼とは限らないという話があったから、童子ってのは鬼そのものを指す単語だということ、
河童ってのは河原に棲む童子って言葉通りの意味だということ。
だからこそ河童=鬼だということを示したかっただけ。

まあ、もうやめとくよ
728<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 17:06:15 ID:PC1xHmWg
まあこういう真面目な形なら多少は大目に見てもらえるかな?w

話の流れを断ち切らないように家康に話を戻すなら、そういった一種の不可触民にたいする家康の政治方針から話をするのがいいのかね…

『禁中並公家諸法度』で天皇自身の行動に始めて成文法で制限を加えた男だし、なかなかその政治姿勢を一言では言い表しにくいと思うけど
729<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 17:30:01 ID:WhQXMSrZ
>>723
縁起や伝説等は、歴史を語る上で却って邪魔になる事がわかる。
730<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 20:08:52 ID:PC1xHmWg
でもまあ自説の補強に使うくらいは…
例えば河童の起源説の一つに、大工が春日神宮の遷宮にあたり藁人形を匠道の秘儀で加持して使い、その後放逐(河に流)したのが河童になったというという伝承があるみたいなんだけど、
それは所謂定住地を持たない流民を、普請のために雇いいれたと見ることも出来るかもしれない

で、おそらくこの話を元にしたのであろう伝承に、左甚五郎の話があるらしいんだけど、その時河童達は以後どうやって生きていけばいいのかと騒いで、尻でもくらえと言われて尻子玉を取るようになったとか…

で、これは思うに仕事が無くなった彼等を、不浄物の処理係として再雇用したという事が過去にあったのを反映しているかも知れないとふとおもった

そういえばそういう非定住民(境外の民)が仮に住居を選ぶ場合、洪水持には水没するため所有者のいない河原に小屋がけしたという話も聞いたことがあるし…故に別名河原者と言われたとかなんとか
そして例えば四条河原など、都の不浄を一手にひきうける地であったということも妙に符合するなと…まあ思いつきだし固執するわけでもないけどw
731<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/04(水) 20:44:38 ID:kg4mn+yj
まあ家康ってのは覇王・項羽の如き信長相手に忍従して
最後に勝利を掴んだ高祖・劉邦的な立ち位置だからな。

それに見た目は中国的な意味での「大人」だし、
健康マニアで長生きで読書人で長期政権の樹立者だ。

こんだけ揃った人間が居れば、そりゃあ中国人もフォローしたくなるだろ。
732穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/05(木) 00:26:38 ID:FyLiReqf
>>716
大黒天の場合はインドのシヴァ神が日本に渡って来た際に
日本の大国主命と融合した節が有るんだが・・

つか、本地垂迹は仏教が渡ってきて以降の物だろうに
何をさも日本で昔から息づいて居た様に語ってるんだ?

ああ、因みに
>閻魔大王である大黒天の侍従の位置に
これは間違いだな、閻魔大王は元々インド神話上での人間(それも最初に死んだ人間の)
ヤマ(夜摩)が死後に神として使者を裁く王となってる訳で
主従は寧ろ「大黒天」(シヴァ神)→「夜摩」(閻魔大王)なのが
立場的に言えば正しい訳で。

>>726
つか、それ言ったら「式神」ですら「鬼」に当たる訳だしねぇ。
あれは寧ろ「使い魔」の類に近いんだけど・・

あとね、当時の仏教側が日本古来の神道を懐柔しようとして
提示した節も有るからねぇ。>本地垂迹
(それが証拠に、「日本古来の八百万の神々は日本の地に現れた化身で
真の姿が仏教の神仏」って、如何見ても無理が有るからね・・
時系列とか他にも色々とね。w)
733<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/05(木) 00:47:38 ID:KChjcq2J
>>726
式神は鬼そのもの
使鬼で式
人のために働く鬼を神にしたもの
だから使鬼神って文字が当てられてるんだろうに
734<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/05(木) 06:25:18 ID:PIKTT3CD
>>732

本地垂迹の教義的なルーツは、法華経における永遠の真理である久遠実成=本地の釈迦と、この地上に現れた歴史的人物としての釈迦=垂迹の関係性を敷衍したものという話もある
そういえば神が仏の本地とする形もあるみたいね、神道が古来の形から理論だてられていった背景には確実に仏教の影響もあるし、働き掛けは双方からあったんだろうけどね

まあそれが本格的な形になるのは平安時代からで、それまでは本地垂迹の動きはあんまりなかったみたいだけど…

そういえば家康も東照大権現の垂迹になるんだっけか…w
735<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/05(木) 10:06:03 ID:MHRyyIz6
鬼の姿が今の形に定着するのに本地垂迹が影響してるって話で、
別にいつ本地垂迹が始まったかは一切関係ないんですが?
736<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/05(木) 20:46:44 ID:PIKTT3CD
そういう話ならわかる…がふと思ったがわざわざ午頭天王持ち出さなくても天部の踏み締める邪鬼の影響が大きいのでは?

あれはどうも元々はドラウィダ系の民族をデフォルメしたものらしい(上に乗ってる四天王とかは唐代の鎧装束に変化してるけど

まあ角があったかどうかは、いまいちはっきりしないんだけどね…そういえばアレキサンダーなんかも角があったという伝説が作られてるけどその辺の影響があるのかね(力あるものの象徴としての角
737穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/06(金) 01:02:37 ID:YsFMa8EL
>>735
つか、最初に本地垂迹を持ち出したのも元は>>719だし。

本地垂迹よりもはるか昔の卑弥呼(鬼道)や古墳時代の信仰とか見れば
仏教が影響してるのはあくまでもかなり後の事だしな。

>>734
いや、そもそも日本の神道からして仏教以前の日本と言う国家の成立前から
元の形(原始信仰的な物では)として存在はしてたしね。
(例えば、あの卑弥呼の「鬼道」も神懸りに依る物だとも一説には言われてるしね)

「あらゆる物に神が宿る」そして「人は死後神になる」って概念は
仏教では基本的には無いでそ?(仏教の場合は「輪廻転生」の概念からだからね)
世界中探しても日本の神道だけだからね、此処まではっきりと
「神」と「人」が密接してる宗教は。
738<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 07:29:04 ID:6HDqGlt4
>>737
は?
鬼の姿が今の形になった話の中で>>718-719になってんだろ?
>>718-719の流れでどこに本地垂迹がいつはじまったかが問題になるんだ?
日本で鬼が登場したときから頭に角が〜なんて話をしてるわけでもなし
妖怪や神が長い時間の中で姿を変えるのは珍しい話じゃなし

鬼を指す童の字をわざわざ使ってるんだから河童は鬼の一種
単純な話
739<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 09:46:09 ID:6svwo9d5
もう家康関係ない話になってきてるな
740<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 12:03:38 ID:g4SWxZNZ
酒呑童子一味は稚児、つまり童の姿で悪事を働いたので〜童子と
呼ばれる様になっただけなのに、いつのまにか童が鬼の意になっちまってる。
論理の飛躍とかこじ付けとかじゃあ断じてねぇ、もっと下らない物の片鱗を
味わったぜ(AA略
741<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 20:56:45 ID:GnZf4Atg
どうじて童子の話になってるの? ナンチテ
742<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 21:11:43 ID:6HDqGlt4
酒呑童子
茨木童子
鈴鹿童子
仏国童子(牛鬼)
八瀬童子(鬼の子孫)
護法童子(前鬼 後鬼)

馬鹿にするのも結構だが、鬼にまつわる童子とは上以外にもある
仏教における童子は脇侍であるがそのまま善鬼であるし、
その童子の名前の由来は童形であることだが、
童の字の成り立ちから考えれば子供の意味合いの方が後付けされた可能性が高く、
奴隷のような格好である子供を童子と呼ぶようになったと考えるのが普通
743<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/06(金) 22:25:20 ID:BBXgAqV0
間のレスを見ないで書き込みですが・・・

家康ストーリーは中国受けするかもしれませんね。
中国のフィクションの小説読んでいても目下の人を泣く泣く犠牲にして(子供とか嫁とか弟子とか)、
最終的には勝つ、的なストーリー立ての物は多いし。
そうじゃなくても、別に普通に立派な話だし。

そういうのとは全く関係なく、翻訳が素晴らしいのかもしれないですね。
744穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/07(土) 01:07:30 ID:8Do1CGeD
>>738
>>718-719の流れでどこに本地垂迹がいつはじまったかが問題になるんだ?

お前なぁ・・もっと良く漏れのレスの内容を
理解しろよ、阿呆が。

>>719
>少しは調べたら?
>本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ

などと「本地垂迹」を持ち出して来たから
こうして書いてるんだろうが

因みに、本地垂迹が始まったのは
少なくても仏教が日本に渡って来て以降(それも早くても奈良時代以降)からの事だぞ?
それ以前に日本独自の神道(古代には神懸り等のシャーマニズム的な物で)
ではそんな概念は存在して居ない、これは理解出来るよな?

そして、その仏教の神々の殆んど多くはインド神話からの神々
(それもヒンドゥー教の神々が仏教に取り入れられた)のも一応理解してるよな?
そんな経緯を外して、日本の昔から「神は神仏の化身(権現)」って考えが
存在してる訳が無いだろうと漏れは言ってるんだが?

>鬼を指す童の字をわざわざ使ってるんだから河童は鬼の一種
>単純な話

単純に「童」の文字を使ってると言うだけで
「鬼」と同じと勝手に関連付けてるんですかそうですか。

つか、>>714で漏れが挙げた「河伯」は河川の神(水神)の類だぞ?
何でもかんでも「鬼」で(それもかなり強引に)関連付けて如何するよ?

因みに、「童」の文字の起源に付いてはこんな説も有るとか
だから「童=鬼」と確定(断定)もして居ないのが実情な訳だしな。

(PDFファイル)
ttp://www.geocities.jp/kdi1995/img/news140.pdf
ttp://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/pdf/82.pdf
745<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 01:15:21 ID:60NOa7uo
>>744
本地垂迹を持ち出したことが、何故>>737になるんだ?
全く意味がわからん

>>719はどうみても>>718へのレスだが、
どこでどうお前が持ち出されて書かなきゃいけない道理につながるんだ?
746<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 01:20:39 ID:60NOa7uo
>>744
そんなんでよければ

小松和彦は
想像の世界の中において、人々に鬼の実在を確信させた背景には、鬼とみなされた人たちの存在があった。
とし、これを次のように分類する。
(1)大和朝廷などの体制に従わない人々
(2)体制から脱け出し徒党を組んで乱暴狼藉を働く山賊
(3)農民とは異なる生業に従事する山の民や川の民、商人や工人、芸能者たち、山伏や陰陽師、巫女たち
(4)鬼もしくは鬼の子孫とされ、自分たちもそのように考えてきた家や社会集団(『世界大百科事典』)


上記を鬼と定義すれば、それこそ(3)にあてはまる河童は鬼そのもの
747<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 01:42:11 ID:4onVsDD4
童子=子供=餓鬼

やっぱ鬼だろ
748<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 01:45:48 ID:Y8zX4y2h
【日本中BBSにコピペ用】


【自民】西川氏「今のマスコミ報道おかしい。中枢に全共闘世代いる影響か、昔の『椿事件』のように民主党政権作るための報道してる」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1233931497/l50

真実の報道をしない今のメディア【 動画版 】
http://www.youtube.com/watch?v=kmDCWEBZPxo
749穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/07(土) 01:58:26 ID:8Do1CGeD
>>745
だからお前が>>719

>少しは調べたら?
>本地垂迹がわからないなら出てこないほうがいいよ

と他者に対して挑発紛いに出して来たから
あくまでも一意見として>>737で漏れは書いただけだろうが。

で、漏れの>>744に付いては?

お前の言う「河童=鬼」とやらは別段確定して居ないと
言う事は理解したのかね?
(確定して居ない時点で強引に結論付けるのも無茶な話だしな)

>>746
そもそも、何を如何「鬼」と出来るのかの定義も
日本と中華圏では長い変節を経て異なってると思うけどね。
(特に(1)なんて、古代のまつろわぬ神々も対象に挙げられると思うし
(3)は卑弥呼の「鬼道」もそれに当たると思うしね)

つか、これ以上は話が民俗学の領域に入ってる様な韓痔蛾巣。w
750<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 02:32:10 ID:WzRj0pSu
>>711
>まぁ、この「十万人以上」って数は(幾ら何でも)誇張だとしても
>実際宦官の軍隊を三千人も編成するって事から見ても
>万単位で紫禁城に宦官が相当数居たのは確実と思うのね。

紫禁城にはいそうだけど、支那大陸もでかいだけで、痩せ地なので、
そんなに食い物がとれずに人口は今と比べて少なかったんだよねぇ

軍隊の数がすごいなと思うんだけど、10万人の軍隊の食料だけで
すんごくお金がかかると思います。贅沢な宮殿に美女をいっぱい囲んで
どうしてあんなにお金があったんでしょうね?

>河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
>少し違う様な気が・・いや、良いんだ。
っっっずーーーーーーーーーっと
鬼や童子の話になってるな!と思ったらここから壮大に話がそれたわけね!

家康はどこいった?

幽霊と武将と神様がらみで、関羽の話だけど、
私は初詣には毎年いくし、仏閣や神社は好きな場所だし
神様に手をあわせること自体はいいんだけど
どうゆう素性の神様でどんな由来で祀られるようになったのか?
その拝む神様の縁起がはっきりしてないと、拝む気持ちにはなれないのね

例えば金比羅さんにお参りするのにあたって、図書館で素性を調べたら
金比羅さん=ガンジス川にすむ巨大ワニ (クンビーラが音写されたもの)
川の主でインドでは、巨大ワニ クンビーラが怒って暴れると洪水が起きて
船が沈没すると信仰されて、水難防止として祀った。
とか
で、横浜の中華街にいったら、いっしょにいった台湾の人が、
関羽のびょうの前で手を合わせて拝んでいるのよ。
なんで漢の武将を神様として祀るの?って、聞いたら
正直ものだから、商売の神だから。と。
んな話は聞いた事が無い。友情と忠義に厚く義理堅い、豪傑等のエピソードは知ってるけど
なして、関羽が商売の神様よ? とこれも不思議に思ってました。

調べたら、隋の時代に、関羽の幽霊が表れて僧に、仏教に帰依したい が、神様リスト初出で
その後、道教にいれられたり、要はもともと人気があった武将ゆえに、いろんな宗教に利用されて
清の時代に、
商人の家で、強い武将を泥棒や災害よけの魔よけとして祀るのが流行って
で、そろばんを発明しただのデマや尾ひれがついて、
孔子を追い越して爆発的なブームになったそうな
751<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 02:33:36 ID:WzRj0pSu
>>750の続き
要は
強い英雄を崇拝するのは、日本も中国もおんなじなんだなーと、思いました。
半島はテロリストを祀ってるけどね!
752<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 02:37:51 ID:g7sAoJDD
>>750
関羽は塩の密売人だった
753<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 02:38:35 ID:g7sAoJDD
けどそれで商売の神様って言われても微妙だよね
754<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 02:52:33 ID:7aqaiXa3
徳川家康は在日<丶`д´> ニダ!!
755穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/07(土) 02:54:55 ID:8Do1CGeD
>>750
>軍隊の数がすごいなと思うんだけど、10万人の軍隊の食料だけで
すんごくお金がかかると思います。贅沢な宮殿に美女をいっぱい囲んで
>どうしてあんなにお金があったんでしょうね?

まず考えられるのが、支那の諸王朝では結構搾取は高かったとかの線ね。
何しろ、皇帝の命令で側室の為に態々首都の長安へまで
長大な道路を整備したり(玄宗)皇帝主導で南北へ広大な大運河も作って
膨大な費用を使ったりとか(煬帝)してるからねぇ。

農民の反乱による一揆やそれに因る内部の混乱とか
カルトに因る扇動で(黄巾&紅巾の乱等)国内が荒れたりする例も有るしね。

満州族の清朝の場合は揚州の塩商とか有名だしね。
北京の紫禁城と全く同じラマ塔(白塔)のエピソードとか
当時の揚州の塩商の強大な経済力を象徴してるしね。

因みに、清朝と言えば「西太后」が住んでいた頤和園もその改修費用に
当時の海軍の予算の三分の一を流用したと聞くから・・
まぁ、所詮中華の伝統とも言えるけどね。>酒池肉林の贅沢三昧

関帝廟とかそうだけど、関羽は中華圏では信仰厚い神様(元武将)だからね。
商売(塩の商い等)で知られるのも、それだけ関羽の一側面とか親しまれてる証拠なのかもね。

つか、確かに何時の間にかスレがたぬこにゃーとは別にそれてるな。
756穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/07(土) 03:00:39 ID:8Do1CGeD
更に補足。

後漢の霊帝の場合、官位を売買の対象で利用してる例も有るし
宦官や一部の貴族の場合は、例えば自前の工場経営とかしてたり
多額の賄賂等で私腹を肥やしてたりするのが多いのね。
(霊帝に仕えた「十常侍」や、後の西晋の貴族(王凱や石崇や王斉等)がその良い例ね)
757<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 03:05:46 ID:YZOwTr9a


今も続く、中国メラミン・ミルク。
ボロい商売を辞めるはずがありません。
天洋餃子なんて、まだ、マシな方なのではないかなあ。

http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2219.html

758<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 07:08:22 ID:60NOa7uo
>>744
>>719はお前なのか?

挑発もなにも>>718が喧嘩売ってんだろうが?
持ち出したのが>>719だしって、>>718に持ち出したのにお前が反応する理由が何一つない

>>746
長い変節を経てって自分で言ってる時点で何一つ定義してないんだが、それこそどうしろと?

一回まとめるが
日本では古来より河童と呼ばれ人扱いされず迫害されてきた人々がいたこと
そこに>>711でお前が少し違うというから
童は鬼の意味があるということで>>712をあげたわけだ

>>714で鬼と関連付けるなといってるが、
そもそもお前の鬼の定義ってなんなんだ?
759<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 09:23:08 ID:O5n0sgkq
もうお前らどっかよそでスレ立ててやれよ
家康もクソもない展開じゃないか
760<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 11:35:57 ID:f8c5r1bP
>>755
>商売(塩の商い等)で知られるのも、それだけ関羽の一側面とか親しまれてる証拠なのかもね。
塩の密売人だったことも、元はど貧乏だったのも、
お金を軽んじる性格で、張飛のほうが裕福だったも知ってるんだ。

でも密売人が商いの神様でいいのか?
やはり強い武将、英雄に対する憧れがすごく強くて、
神様に祭り上げたと思っていいかと。
日本の場合、徳川が自分で自分を神様に祭り上げさせてるわけで
民衆が自発的に大権現と崇拝したんじゃないと思うんだ。

どっちかというと不幸で悲惨な死に方をした人が、
祟らないように祀ってるほうが多いと思うんだ。
菅原道真や平の将門等、負けた武将の方がむしろ人気がある(これを判官贔屓という)

武将という英雄に対するあこがれが日本と中国で似ているけど、やはり違いを感じます。
中国では、家康を祀ることはあっても菅原道真や平将門を祀ることはなさそうだなぁ
761<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 11:45:32 ID:J/hFR30f
関羽の場合、信義を貫き通した武将であったことが大きく影響している。

騙し騙されが常の商売の世界において、主君の敵であっても一度恩を受けた相手を
見逃すほどの信義の篤さは、信用を護持してくれる神様として信仰に足る対象だった。

後はアレだ、清が漢族を懐柔するのに「俺達には関帝聖君の加護があったんだ」と
言い出したのも大きい。
762<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 11:50:47 ID:qEcHGNKg
家康の理解はともかく、全巻読み切る頃には忍耐が備わるのよ、
中国も閑人が多いな。
763<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/07(土) 12:00:39 ID:TfygFbj8
>>755
近世の中国、例えば明の場合だと、
税収の過半は、揚州〜蘇州〜杭州にかけての江南地域から得ていたそうだしね

揚州 → 塩取引の中心地、専売塩の莫大な収益
蘇州 → 絹織物生産による富裕層

764穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/08(日) 02:10:31 ID:3LT/hU8k
>>758
>>744
>>719はお前なのか?

挑発もなにも>>718が喧嘩売ってんだろうが?
>持ち出したのが>>719だしって、>>718に持ち出したのにお前が反応する理由が何一つない

はぁ・・何をふざけた回答をしてるんだお前は?
>>719の挑発的な文章に対して、あくまで一意見として
「それは違うんじゃないか?」って意味合いで書いてるのに
「他人のレスに一々反応するな」とでも言いたいのか、お前は?

第一、その前の>>714の漏れのレスの時間とIDを見てみろ
別人だって事が解るだろうが、何を妄言をほざいてる?

>日本では古来より河童と呼ばれ人扱いされず迫害されてきた人々がいたこと
それと今の「河童」自体とは関係は余り無いだろうに。
>>714>>744でも取り上げてるが、河童の由来は「元々中国からの渡来神」
って説も有ると言う事を漏れは挙げてるんだけど、何で其処を
理解出来て無いかなぁ?

>日本の場合、奈良平安期で人とは貴族だけだよ
それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された
ある意味桃太郎なんかは人が鬼の国に宝を奪いに出かけるお話
>人扱いしないことを問題にするなら千年たっても尚人扱いされてない鬼立場のことを抜いたら駄目だよ


>それ以外は民(差別用語だったはず)、鬼、河童や天狗、蜘蛛や蛇などと呼称された

に対して漏れは>>711
>河童の方はあれは水神や水に関係した類からだった筈だから
>少し違う様な気が・・

と反論した訳だが?

つか、前々から思っていたんだが
お前若しかして、平家物語での「平家にあらずんば人にあらず」の件とか
変に誤解して無いか?だとしたら、dでも無い間違いだぞ?
(あれは平家物語に対する当時の人達の反発から言ったとも
一説には言われてるしな)

まさかそんな阿呆な事は・・とは思うが、一応念の為にな。

それと、>>749でも書いてる様に
「そもそも日本と中華圏での「鬼」の意味も違って来てるぞ。
(中華圏では「鬼」は「霊」と同じ意味で使用されてるのに対して
日本では「鬼」は異形の存在として物語や伝説&伝承等で語られたり使用されたり)
するから要するに、一定して居ないのが実情な訳だし、お前の言う様な
「奈良&平安時代の貴族以外の民=鬼」なんて確定はして居ない訳だしな。
765穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/08(日) 02:35:34 ID:3LT/hU8k
>>760
張飛の場合はそれ以前に性格が・・いや、良いんだ。w

徳川の場合は豊臣(とそれ以後の西の大名に対して)の
為の神格化の意味合いが強いと思うけどね。
(実際、日光を基点として「寛永寺」「増上寺」を一本線で結ぶと
完全に江戸城を東北(鬼門)の方角から守る為に霊的な都市設計を
行っている訳だしね)

>どっちかというと不幸で悲惨な死に方をした人が、
祟らないように祀ってるほうが多いと思うんだ。
>菅原道真や平の将門等、負けた武将の方がむしろ人気がある(これを判官贔屓という)

でも、浅野内匠頭や厩戸王子(聖徳太子)は・・
(まぁ、厩戸王子は一応「大使信仰」の形で別な意味合いでは祀られては居るけどね。)
菅原道真の場合は当時最高の学者(文章博士)だったからね
で、邪魔になった藤原氏の連中から疎まれて
結果追い落とされて追放になった訳だしね。
(そして追い落とした連中の多くを死後に殺った訳だが・・)

>>761
まぁ、デビル眉毛曹操から赤兎馬贈ったりして懐柔しようとしても
結局忠義を貫いた(と言うより義兄弟の契りを守った)のが
関羽の人柄とか親しまれる理由だと思うよね。

>>763
それとね、揚州の場合乾隆帝の行幸等で多額の金銭を
当時の朝廷に収めたり(それも重臣や宦官、それに有力貴族の多くにも賄賂等で)
してたり、また行幸の際に豪華な庭園や御殿とか建設したり
また、かなりの規模で文科芸術系のパトロンとしても揚州の塩商は影響していたからね。
(実際、膨大な美術品や書物文献のコレクションは元より、文人&画人や
学者、知識人の多くを経済的なバックアップをして居たとも聞くからね)

まぁ、乾隆帝以降の衰退も
それ等の負担が積もり積もった形での要因になってる訳だけど・・
766<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/08(日) 08:01:46 ID:7cnoiPaB
>>764
お前こそふざけてんのか?
>「それは違うんじゃないか?」って意味合いで書いてるのに
何が、どう違うんだよww
まさか、鬼の姿が今の形になったのが本地垂迹と関係がないと思ってんの?
日本で鬼と言うものがあまりに広く多くなったのは、仏教の鬼や道教の鬼、御仁や隠すべてが鬼になったから
その形をひとつにするのに根拠がないはずないだろうが
まあ、知らない人間や理解しようとしない人間に言っても無駄か
>>719が挑発に見えて、>>718が挑発には見えないお前の目にいまさら何を言っても無駄だわなw

水神や水に関係すると鬼ではないことや、迫害された民ではないことを何一つ説明してないし
水神にかかわろうと、水神であろうと鬼は鬼
お前はなぜかっぱと呼ばれ河童の文字が当てられたのかすら論がなく、ただ否定したいだけだろう、確定してないからw
中国からの渡来神?それが鬼ではない証拠になんのか?
まさか、神だったら鬼じゃないとかばかげたことは言わないよな?

まあ、こちらの根拠に対し確定(笑)してないしかいえないだけだし、これ以上ってか最初から無駄だったな
767<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/08(日) 09:19:54 ID:Ci0p4u88
二人だけの世界なんですね
わかります
768<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/08(日) 09:46:50 ID:WwotC9up
雑コテに何言っても無駄だぞ。
間違えたら負けで思考が止まってるから。
○○にあらずんば人に非ずの言葉を言霊使いが言挙げした意味すら理解してないらしい。
769<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/08(日) 14:28:28 ID:YCcqJJHb
>>764
鬼に対するイメージが中国と日本とではまるで違うってのはよくいわれますね。
日本鬼子という蔑称からでもわかるよね。

鬼軍曹、鬼のように強い。など、
など、非道や人でなしの意味だけでなく、怪物、人間以上の化け物のように強いもの
としても使われる。

中国だと、鬼は青白く痩せ細って、亡霊のような姿だそうで。
でも家康と鬼は関係なくね?

人がせっかく、武将の話に戻そう戻そうとしてるのに

>>765
>菅原道真の場合は当時最高の学者(文章博士)だったからね
>で、邪魔になった藤原氏の連中から疎まれて
>結果追い落とされて追放になった訳だしね。
>(そして追い落とした連中の多くを死後に殺った訳だが・・)

死因は祟り殺しってことで、確定なんでしょうか?
実際どうかではなく、昔の人は本気で祟り殺ろされたと思ってるという意味で

あと張飛と 関羽の扱いの違いは人格の差だけど
それは三国志演義がもとだと思います。
だって清王朝の時代までは関羽はそんなに有名でも神様扱いでもなかったそうなのよ。
孔子の人気を追い越したのが清王朝

要するに家康の人気も、書かれた小説次第なんだと思うのよ。
信長なんか実話よりも、小説の創作部分のイメージで相当な悪役になってるし!
それでも日本人の歴史上の人物で坂本竜馬(この人も小説ではだれも悪く書いてないけど)を
追い越して日本では一番人気だそうで

ハンサムで長身細身(約165cm程度だそうだけど)、常に武芸の稽古を研鑽してた
というから、秀吉や家康よりも、かっこいいってのが大きいとは思いますが。

>デビル眉毛曹操 あれってゴンタの創作じゃね?
関羽の美髭は実話だろうけど

>>766
とりあえず鬼と家康をうまく繋げてもらえないか?そして家康をメインに語ろうよ
770穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/09(月) 01:54:56 ID:6ky+gZ01
>>766
>まさか、鬼の姿が今の形になったのが本地垂迹と関係がないと思ってんの?
日本で鬼と言うものがあまりに広く多くなったのは、仏教の鬼や道教の鬼、御仁や隠すべてが鬼になったから
>その形をひとつにするのに根拠がないはずないだろうが

お前こそ、単に自分の説を強引に(しかも煽り紛いに)
納得させようとしてるだけだろうが。

大体「鬼」の文字はそれ以前にも使われてるのに
(「本地垂迹」云々以前に仏教渡来前の卑弥呼の「鬼道」とかな)
それらに関してはスルーですかそうですか。

>水神や水に関係すると鬼ではないことや、迫害された民ではないことを何一つ説明してないし
>水神にかかわろうと、水神であろうと鬼は鬼

「河童」が「鬼」の類として歴史に置いて呼ばれた事が有ると?初耳だなぁw
つか、お前漏れの今までのレスを全く読んで無いだろ。
>>744ではっきりと「河童」の「童」にはこんな説も有るからと
情報元も提示してるのにも関らずだ。
お前は単に字を当て嵌めただけで「鬼」の類と一緒くたにしてるけど
それはちょっと適当では無いんじゃないかと、一体何度言えば理解する訳?

>まあ、知らない人間や理解しようとしない人間に言っても無駄か
>>719が挑発に見えて、>>718が挑発には見えないお前の目にいまさら何を言っても無駄だわなw

>まあ、こちらの根拠に対し確定(笑)してないしかいえないだけだし、これ以上ってか最初から無駄だったな

と言いつつ、お前はしっかり此方に対して相手に対しても「挑発」してるよな。
・・全く、延々と付き合ってやった挙句にこの始末か
少しは漏れのレスに理解してると思って居たがな。
ああ、因みに>>718のレスよりもお前の一連のレスの方が余程痛いと思うぞ?
だからこそ深夜で書くのも遅い漏れだけど、一意見として何度も書いているお前に対して
此処まで付き合ってやった訳だけど・・それも漏れの無駄な徒労だったみたいだな。

それは別にして、もう少し漢字も混ぜて書いてくれないか?
正直、読み辛くなってるんだけど。w
(つか正直、阿呆な痛い相手をするのも嫌になって来てる漏れが居るし)


>>768
>○○にあらずんば人に非ずの言葉を言霊使いが言挙げした

よく読め、だから>>764でも「一説には」と書いてるから。
つか、お前は自治辺りに引っ込んでれば良いんでね?
(「雑コテ云々〜と関係無い話を脈絡も無く出すのは
自治の一部のコテ叩きの連中位だしな)
771穢麻呂 ◆v22nzdoeQU :2009/02/09(月) 02:14:25 ID:6ky+gZ01
>>769
それは此処最近、漏れに噛み付いてる奴に言ってくだされw
単に個人的な意見として書いてただけなのにねぇ・・
(つか、もう良い加減痛い相手をするのも疲れて来たし。)

>死因は祟り殺しってことで

その可能性は高いかと、何しろ、道真が心だ後から平城京で天変地異が異様に勃発してるし
何よりも、清涼殿にも落雷が(それもかつて、道真を追い落とした連中が調度集っていた時間に)
落ちて多数の使者及び負傷者が出た事から見ても、異常にタイミングが良すぎだし
偶然とは思えないけどね。

実際、三国志演義を初めとする「四大奇書」も
清朝以後に人気が高くなって行ったらしいしね。

信長も本来は、多少潔癖症な処は有ったにせよ極普通に家族に関しては
仲が良かったと聞くし(帰蝶様との間も良かったらしいしね)
そもそも、信長自身は宗教&信仰を本気で真剣に考えて居た節が見えるしね。

その良い例が「安土城」だしね、内部に宗教的な空間を作って居たのは
逆に言えばそれだけ信長が宗教を重要視して居た証拠だと思うしね。
(最も、漏れのこの話は内藤案(天守指図に依る復元案)を元にしてるから
実際の安土城は違う可能性も有るんだけどね)

ちなみに漏れが書いた「デビル眉毛曹操」のネタ元は
某龍狼伝からでする。w

一応、↓のサイトでも道真に付いては取り上げてるしね。
ttp://www.kuniomi.gr.jp/togen/whatsnew/mitizane.html
ttp://keroyume.exblog.jp/6288727
ttp://kaminari-nandemo.com/record/history/post_24.html
ttp://www.ffortune.net/symbol/rei/mitizane.htm
ttp://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50086343.html
ttp://www.kyototsuu.jp/Life/LegendMichizanenoTatari.html
ttp://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/06/post_f410.html
772<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 07:07:13 ID:J/cGJmS0
相手にしてやってるwww
被害者面かよ
鬱陶しいわ、よそへ行け、屑ども
773<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 07:55:21 ID:zS0EWsQX
とりあえず日本の戦国時代の大概の武将が出るから、他の武将も興味を持つかもしれんな。

支那の人物と重ね合わせると、信長が曹操かな?始皇帝もある。
太閤が強引な内政と外征の隋朝、家康は温厚な唐の李淵かな?

支那の戦国時代も面白い。それに匹敵するとしたら日本は幕末だな。
侠客やら思想家やらがウヨウヨ出てくる。
支那文化の源流も、ネットウヨの源流もここにある w
774<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 10:35:14 ID:DJAEixnL
三國志 戦国時代 幕末を語れないようじゃ男じゃないよな
775<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 10:44:06 ID:rC+EEfsc
実は韓国人だったって報道まだー?
776<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 10:56:17 ID:rSsVA+pN
>>773
>とりあえず日本の戦国時代の大概の武将が出るから、他の武将も興味を持つかもしれんな。

>支那の人物と重ね合わせると、信長が曹操かな?始皇帝もある。
>信長が曹操か始皇帝なのは同意
なにより天下統一なんて、きちがいの考えること!といわれた時代に
本気で天下統一を夢見た。どちらも生まれは卑しくないので、貴公子ぜんとしたとこはあるし
3人とも大虐殺をやったし

>太閤が強引な内政と外征の隋朝
漢の高祖劉邦をあげたいところです。戦争には弱いくせに、人物をみぬき人たらしの才能があった。

>家康は温厚な唐の李淵かな?
家康って温厚かな?忍耐強いのと家臣に恵まれた武将のイメージが強いけど。
あと才能のある部下より、信頼のおける普通の部下を重用
信長が才能重視でのし上がったけど、最後は才気に溢れる家臣に裏切られたし(明智にも秀吉にも裏切られている)

家康型のシナの名武将を思いつきません!(と家臣に恵まれ、才能より信頼を重視し、死後も家臣団から260年間も裏切られない武将)
777<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 10:59:38 ID:4mPmES14
日本の8得を叩き込まれた武士集団が主をささえたんで
中国では応用が利かないのでは?

部下の裏切り行為が1000倍違うのをなんとかしないとwww
(ギョーザなんかもそうだろ?ww)
778<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 10:59:55 ID:rSsVA+pN
>>771
ちゃんと会話が成立する相手か?ただ噛みついてくるだけの相手か?
見極めてから相手しなよ
779<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:08:52 ID:rSsVA+pN
>>777
>日本の8得を叩き込まれた武士集団が主をささえたんで
>中国では応用が利かないのでは?

日本の8得は私もしらんけど、八犬伝に出てくる(信儀礼〜)じゃないよね?あれはシナが発祥だし

家康の場合は、信長や秀吉と違って、家康単体で語ってはいけないと思うんだわ(性格的にきわめて普通でまともな人であり、奇抜なとこがないから)
家康とその家康に人生をかけた家臣団をセットにして成り立つ武将だから
人質時代や田舎の小大名時代からの忠臣の存在がなければ、
とても家康の才覚だけでは天下をとれなかったと思います。

シナにいるかな?
780<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:10:21 ID:ReQ3L+TO
>>778
そいつに言っても無駄だろ
コテつけて全レスする馬鹿だぞ?

かまってちゃんコテが相手を見極めるとか絶対に無理
781<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:14:13 ID:4mPmES14
韓国人とそう違わない中国人には日本人の掟がわからないだろうから
会話が成立するとは思わないww

在日外国人犯罪10年連続トップは中国人ww
当然家康のように甘いとたちまち死ぬww

馬上で糞をたらしながら逃走中に部下に首を取られてしまう中国家康ww
782<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:15:19 ID:J/cGJmS0
>>779
個人の才覚だけで天下をとったと言える人はいないだろ
誰かいるかな?
783<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:18:25 ID:KtvkyPhF
今に伝わる逸話からすると家康は、イメージと違い短気で派手好きだったようだが。
ただ人の話を聞く耳を持ってたのはガチなようだ。
784<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 11:23:34 ID:4mPmES14
中国に家康がいたら若いころに家臣に何度も殺されてると思うww
のんきなことは野蛮国ではできないねww

瓶に家康の塩辛が入ってるだろうww
785<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 12:03:55 ID:rSsVA+pN
>>782
>個人の才覚だけで天下をとったと言える人はいないだろ
>誰かいるかな?

秀吉は才覚だけで天下をとったといっていいと思う。
最初から信頼できる味方は弟だけしかいなかったから
あとは自力で部下や味方を増やしていったわけで

でも劉邦も始皇帝のように生まれながらの王ではないから、
個人の才覚だけで天下をとったといっていいかと

私のいう個人の才覚とは貧乏な家の生まれで、王の家の跡取りに生まれたわけじゃない。という意味です。
曹操や家康や信長や伊達政宗は親から引き継いだ家臣団がいたからスタートが違う。
毛沢東も家柄も育ちも悪いけど金持ちの子だったし

>>783
>今に伝わる逸話からすると家康は、イメージと違い短気で派手好きだったようだが。
>ただ人の話を聞く耳を持ってたのはガチなようだ。
食べ物が質素なだけで、唐の頭(カブトにヤクの毛をつけていた)をかぶっていたおしゃれさん

ただ信長や秀吉と比べれば地味なだけで。センスの良さでは伊達政宗には適わないし
舞いも舞えず、和歌も俳句も嗜まないし
786<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 15:37:43 ID:J/cGJmS0
>>785
なるほどね、裸一貫からってことか
787<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 17:39:34 ID:ghJpmJAq
>>785
でも秀吉って信長以外の主君に仕えていたら絶対出世してないと思う。
彼は「信長学校の優等生」というとこじゃないかと。
788<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 18:04:21 ID:rSsVA+pN
>>787
>でも秀吉って信長以外の主君に仕えていたら絶対出世してないと思う。
信長以外の大名だったらどんなに才能があっても、明智も秀吉も絶対に出世させてないと思います。

裏切りも怖いけど、秀吉より身分を下につけられた家臣団を抑えることができないですよ。
信長のカリスマ性が高かったから、才能重視ができました。

あの時代、大名が気に入らなかったら、家臣団が別の主君を持ち上げて謀反を起こしまくってますからね

武田信玄は弟を可愛がってた父親を通報したし、
家康は岡崎城の不満分子の家臣団から家康の長男を持ち上げ、謀反を起こされかけました。
(謀反の首謀者の家臣達も処刑されてる)

岡崎城にも謀反反対の忠臣がいたから、反乱を未然に防げたけど
信長に関係なくあの時代のあの状況下では妻と息子を処刑せざるを得ないと思います。
じゃないと示しがつかないから

伊達があと10年遅く生まれていればと嘆いていたわけだし
秀吉ってのは才能だけじゃなく幸運の持ち主だけど、それでも才能がないとやはり無理(信長に見初められてない)
789<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 18:05:47 ID:rSsVA+pN
>>788

武田信玄は弟を可愛がってた父親を通報したし、

通報してどうする!追放で!
790<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 18:10:18 ID:OkgxczbS
家康は朝鮮人ニダとか言いそう
791<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 20:16:17 ID:PyVsg0p0
>>785
境遇を抜きにして個人としてみた場合、
秀吉は意外と信長よりも曹操に似ている気がする。

チビで冴えない風体で生まれも悪くて(曹操は宦官の孫という事で、
実は当時の貴族階級からは馬鹿にされていた。)女癖も悪くて、
老醜を晒しまくりで、官渡(山崎)がエンディングで後は蛇足感アリアリとか…。

でも両方とも結構な文化人で、意外と気さくで、人使いも上手い。
792<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 20:33:27 ID:rSsVA+pN
>>791
やだ。曹操の見た目がブサイクなんてそんなのいやだ!

>秀吉はチビで冴えない風体で生まれも悪くて
なんてもんじゃなくて、最下層の生まれで家出少年
(かあちゃんの再婚相手とソリがあわずに、15歳で家出)
痩せすぎの栄養失調で、身長約150cmと当時の武将の達の中で最も貧そう。
腕力も弱いし、顔はブサイク

信長と生まれも育ちも外見も対照的

けど、この最下層から這い上がるのが秀吉のかっこいいところで!
793<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 22:59:04 ID:5qObMrIw
中国だと「信長」のような暴君(実は単なる暴君じゃなくて有能な面もあるが後の歴史書が抹殺)を
「秀吉」が倒すといった話が多いね。「家康」タイプはあまり居ないな。
794<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:23:38 ID:m10EYXvs
中国人には歯がゆい内容じゃないか?


信康や築山殿が死んだ場面で泣く家康


「口減らしができてなにを悲しむアル」


石川数正が逃げた


「追え〜ぶっ殺すアル」


795<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:39:18 ID:5qObMrIw
>>792
秀吉の外見=ナイナイの岡村
796<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:39:24 ID:npxgmyNJ
支那で本願寺やら比叡山焼き討ちみたいな宗教絡みって聞かないけど仏教道教勢力っておとなしかったのかね?
797<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:42:59 ID:3WTQLIWb
>>796
ヒント:チベット
798<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:49:12 ID:QWzsBWri
三国志だけでも結構あるだろ
799<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/09(月) 23:57:39 ID:+onJcCpU
>>776
信長、秀吉、家康なら、中国人は北宋の創始に当てはめるかも。

後周の世祖柴栄/信長              統一事業完成直前に死亡
北宋の太祖趙匡胤/秀吉(織田秀信=恭帝)  禅譲で交替
北宋の太宗趙匡義/家康             陰謀絡み?の簒奪?

とか。
ま、北宋の両者は兄弟だし、無理矢理中国史だから無茶だけど、政権の移動イメージで。
800<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/10(火) 00:36:35 ID:TTKMNvau
>>796
三武一宗の法難と呼ばれる大弾圧がある。
801<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/10(火) 02:47:25 ID:0+ckZxV+
>>796
>支那で本願寺やら比叡山焼き討ちみたいな宗教絡みって聞かないけど仏教道教勢力っておとなしかったのかね?
道教がありますよ。三国志でおなじみ黄巾族 
あと元を倒して明を建国した白蓮教(阿弥陀や彌勒を信仰)の紅巾の乱
あと義和団の乱に、大平天国の乱(キリスト教)も、仏教じゃないけど、宗教絡みです。

さらに中国の場合、現在進行形で、宗教団体「法輪功」の弾圧が行われてますよ!
「法輪功」は反共産党の団体で、見つかれば裁判なしで死刑だそうです。彼らの臓器が生体移植されて問題になりました。
802<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/10(火) 02:49:51 ID:0+ckZxV+
>>793
>中国だと「信長」のような暴君(実は単なる暴君じゃなくて有能な面もあるが後の歴史書が抹殺)を
>「秀吉」が倒すといった話が多いね。「家康」タイプはあまり居ないな。

「信長」て、日本でも暴君とまでは書いてないんでは?むしろ名君のほうだと思う。
残虐非道とは書かれているけど、暴君の定義って圧政で民を苦しめる王様でそ?
民から慕われて、続々と民が信長のもとに集まってきて、当時ではもっとも経済的に豊かな藩でしたよ。

金があったから戦争が強かったのもあります。
楽市楽座で、暴利、既得権をむさぼるお寺や、中間搾取をする役人達から庶民を解放して
生活を楽にしてあげたんだから良いお殿さまでは?
腐敗してたのは坊主のほう

暴君「秀吉」が倒すっていったら、殷の紂王を倒した太公望ですか?
中国史上の暴君といったら、
政治を顧みずに、金を自分の道楽のためにだけ使うような王様なんじゃないの?
日本では支那的な暴君はいないと思う。

中国史上 暴君 は
殷朝の紂王
隋の煬帝
南朝宋の蒼梧王
清朝の西太后

秦の始皇帝はちがうと思う。あの時代は始皇帝以外の人達も、民間人の皆殺しが当たり前に行ってたし
統一後に民のためになる色んな政策を施行してます。
運河を掘って、痩せ地だったの中原を緑豊かな耕筰地帯にしたし むしろ中国史上まれにみる名君だと思う。
803<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/10(火) 17:33:43 ID:tIyRYYkN
武田信虎かな?暴君は
804<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/02/10(火) 18:58:11 ID:IK7FGTC+
>>803
>武田信虎かな?暴君は

日本の暴君代表が武田信虎レベルなら、現在の日本政府と、
現在のチベットやウイグルや法輪功を弾圧してる中国共産党ほどの差があると思う。

世界史で見ても、シナの暴君はスケールでかいわ
あと世界史上で暴君と呼ばれる人って、最初は良い王様で功績もそれなりにあって後からおかしくなってく人多くない?

秀吉もネロも

だめ王、無能王はけっこういるけど、暴君になるのも権力を掌握してないとできないので
それもあって日本は暴君が少ないのかも。わがままで人の話を聞かないワンマンな王様なら多いけど
805<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>802
太公望は軍師で
周の文王だろう