【台湾】私は『日本精神』をもっている台湾人だ…敗戦から半世紀経た今も、日本との結びつきを大切に暖める日本語世代の憂い[1/12]
820 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/05(木) 23:52:54 ID:qgxh/XiJ
>>813 中国に吸収されたら地獄が待っているし
日本の保護下での半独立国というのが最善の答かもな。
821 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/06(金) 00:11:13 ID:wvUPfSO1
日本精神と言うより、世界の一つの精神世界だな。
比較とか上下も無く、日本で生まれた精神世界だね。
822 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/06(金) 21:24:50 ID:rmr2KA62
台湾の、少なくとも一部日本世代の人達の間では、「日本精神」の対義語が、「中国式」らしいな。
823 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 01:09:25 ID:4x+fN1Ai
>>815 >まあ、私は天皇制廃止論者なんだけど、外国人が天皇を肯定することは、気分はいいんだよね。
酒井氏は以前か一応知ってはいたが、台湾大好き派?でも、不思議な人がいるもんだ。
>>451 「昔の日本精神を持ってるシーラカンス」だろ
日本のいいところは臨機応変、いつだって自由に規範を変えちゃうところだ
825 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 01:55:06 ID:Wb0hgmZT
m
826 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 02:15:43 ID:psH1G4XD
>>826 なんじゃそりゃ?
なんか勘違いしてないか?
でもって台湾は敵国なんかじゃないぞい
828 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 06:33:43 ID:PENgNrT3
親日の台湾とは仲良くなりましょう韓国人とは絶対仲良くはなりたくないね。
829 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 06:38:46 ID:DLZpO/pC
また猿の捏造オナニースレか
こんな劣等島国が好きな人間は存在しないから安心しろよ猿
台湾の中の人、お願いだから韓国みたいにならないでね (´・ω・`)
>>829 レスが欲しいんか?くれてやるよクソチョン
832 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:23:57 ID:awPehdMR
>>829 親日国ってポーランドやインド、トルコにバーレン、フィンランドとか他にも沢山ある。あっ…ごめん、それから日本って世界から凄く好感度高い。
お前らニダーは日本の悪口言いながら日本に住んで嫌われ差別され、盟友と思ってた中国人にまで嫌われて、インドにメキシコ、アルゼンチンやカナダやアメリカ、フランスにモンゴルにロシアに大変嫌われ…ワールドワイドな嫌われキャラだなw
833 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:25:54 ID:MN0h/BBT
田母神俊雄・航空幕僚長論文】まず全文を読んでみよう
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf 批判や擁護する前、一度論文を読んでみましょう。台湾人も論文の内容に関わっています。
飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう) :日華(台)親善友好慰霊訪問団HPより
台南市の北西5キロの郊外に、「鎮安堂飛虎将軍廟」がある。そこに奉られているのは、 大東亜戦争中、台南上空の空中戦で壮烈な戦死を遂げた日本海軍の杉浦茂峰少尉である。
昭和19年10月12日、大東亜戦争も末期に近く、米軍は台湾各地に航空決戦を挑んで きた。午前7時19分、米軍機台南来襲、日本零戦は上昇し空中戦、零戦は勇敢に戦ったが、 数を頼む米軍機には勝てず、
一機又一機と撃墜されていった。そのうちの一機は尾翼より発 火し、海尾の大集落へ向かって落下していった。このまま落下したら、海尾の町は大火事に なる。そのとき、零戦は機種を上げて上昇し、海尾の町をはずれ東方の畑の方へ飛び去った。
飛行士は落下傘で飛び降りたが、グラマンの機銃掃射を浴びて、落下傘は破れて、飛行士は 墜落した。
その後、町の有力者達が集まり、身を挺して海尾の町を戦火から救った飛行士の為に、永久にその恩徳を顕彰する事を衆議一致で決議した。そして昭和46年に廟を建設して毎日お参りをした。
そうしたら、稲作は豊作、豚や魚の養殖も順調で、宝くじまで当たる者も出て きた。廟は海尾集落の守り神として集落の人々の尊敬を集めている。毎日遠近からの参拝者 が多く、日本からの参拝者も年中絶えない。
廟の正面には「鎮安堂飛虎将軍廟」と書いた額 が揚げられている。「鎮安」とは鎮邪安民の意で、「飛虎」とは戦闘機又は空を飛ぶの意で ある。「将軍」は神として奉られる勇士の尊称である。
廟守は朝は日本の国歌「君が代」、夕は「海ゆかば」を粛々と歌うのである。祭壇の両脇 には中華民国の国旗と日本の国旗が立ててある。
台南市安南区同安路127号
台南市海尾朝皇宮管理委員会隷属鎮安堂
834 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:27:44 ID:MN0h/BBT
希望と誇りを抱いて来日
元台湾少年工 映画で証言
第2次世界大戦中、座間、海老名市にあった軍需工場「高座海軍工廠(しょう)」で働いていた元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線〜台湾少年工の物語」
(郭亮吟監督)が31日まで、「シネマ・ジャック&ベティ」(横浜市中区)で上映されている。元少年工の生き残りとして映画に出演した大和市在住の呉春生さん(79)は、
「少年工の本当の姿を知ってほしい」と呼びかけている。読売新聞 10月30日、
「1972年の日中共同声明では日本と台湾の国交が断絶。「裏切られた思いだった」という呉さん。「自分たちは向上心を持ち、将来を夢みて日本にやってきた。
決して無理やり連れてこられたわけではない」。歴史に翻弄(ほんろう)された元少年工は静かに語った」とある。
振り返れば、政治工作員とさえ認識できる当時の一部の政治家や政党による「日中共同声明」は、台湾の人々にとって痛恨の出来事であった。
その心境については、個人的に交流のある台湾のシニア世代の人々からほぼ異口同音に伺っている。それでも、日本が好きで住み続けた。そうした台湾人もまた少なくなかったそうだ。
呉氏の存在は、むしろ、戦中を経験している1人の外国人として、その客観的な立場、視点からの「証言者」と拝察する次第である。呉氏のご健勝をお祈りする。by hakase
835 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:29:31 ID:MN0h/BBT
【読者反響】中国が媚日と憎む映画「海角七号」は素晴らしい
本日表記映画について永山英樹氏が絶賛されましたが、小生も先日チャイナエアーラインでヨーロッパへ出掛けた際、その機内で3度も見てしまいました。
それほど良く出来た作品で台湾映画史上空前のヒットとなった理由が分かります。東京〜台北路線始め殆んどの路線の機内でも見る事が出来ます。この映画の監督、魏徳聖氏はまだ40才ですが、
台湾人の温かさ、優しさ、おおらかさを見事に表現されておられます。台湾人男性と日本人女性との恋物語というだけではなく台湾と日本の絆の深さを改めて考えさせられる作品だと思います。
またシンプルながらリラクゼーション効果溢れる音楽も映画背景にマッチしているように思います。それと主役の一人[友子]を演じる田中千絵さんは台湾師範大学に語学留学した若手女優ですが、
12月の台湾ヤフー世論調査の[2008年台湾マン・オブ・ザ・イヤー]において陳水扁、王永慶氏に次ぐ第3位にランクされたようです。因みに彼女のお父上はトニー・タナカ氏。
女性の間では有名なカリスマ的メイクアップアーティストです。台湾へ行かれる際は是非ご覧になられますようお勧め致します。(H.M)
*********************************************
【是非見てください】中国が媚日と憎む映画「海角七号」は素晴らしい
836 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:33:22 ID:MN0h/BBT
子供の頃から日本の漫画が大好きだった黄敏慧さんは、中学生の時に翻訳版ではなく ... 学校では「中国人」として教育を受けてきた黄敏慧さんは、日本へ短期留学して ...
FOX新聞館 台湾 正名・独立建国派 2003.04- [ Translate this page ]... 正名運動募款餐會 獨派人士雲集 (民視)
http://news.yam.com/ftv_news/politics/news/200304/138271.html 台湾で推進中の正名運動について(2)/黄敏慧 (台湾 ...
風土と大和言葉そして大和心/香港から台湾正名を支持- その一人が台北から来た三十代の女性、黄敏慧さんで、現地では日本人と中国人の民族性をはっきりと見て取っ ... 黄敏慧さんとは一度台北でお会いしたことがあります。 ...
その一人が台北から来た三十代の女性、黄敏慧さんで、現地では日本人と中国人の民族性をはっきりと見て取ったと ... 台湾人が長野で見た日本人の民族性 台北 黄敏慧 ...
837 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:35:25 ID:MN0h/BBT
育成型植民地(育成統治・育成指導)「搾取型、愚民政策の欧米の植民地とは正反対で、大東亜共栄圏構想(欧米の植民地支配を打破し、アジア地域に共存共栄の自給自足共同体の樹立を目指したもの。)に基づき日本は民意を尊重し、
狂惨化を防御しながら、育成型の植民地政策をとった。45年間の台湾統治の実績が基本になっている。資源の無い日本に資源を供給させるよう開発育成した。
育成型植民地と呼称すべきだ。現代の日本となんら変わりは無い方法だ。」
育成統治であった台湾は、戦後の賠償請求権も放棄し、50年間、国民党に反日教育されても、日本より真実の歴史教育をし、誇りを持って生きており、戦友会もあリ、親日だ。日本が統治したサイパンやパラオ共和国も
、反日教育されても、真実の歴史教育をし、誇りを持って生きており、親日だ。戦時下、独立させた国には育成指導している。植民地でも無かった北と南だけが反日なのだ。そして西も在日もだ。真実の歴史を隠すために。
台湾では植民地と言う言葉を使うと台湾人に怒られます。「日本は植民地になんてしていない。失礼なことを言うな。統治をしたんだよ」と。韓国の捏造教科書。そのほんの一例 ←台湾の教科書と比較有。
839 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:39:15 ID:MN0h/BBT
金 美齢
・台湾では今も「リップンチェンシン(日本精神)」という言葉は生きている。それは平たく解説すれば、勤勉で向上心があって、正直で約束を守るという意味である。
・日本は台湾を植民地として統治したけれど、それは欧米のそれとは違っていた。当時台湾にやってきた日本人は、その理想と情熱をこの台湾の地に人に注いでくれた。後藤新平、新渡戸稲造、八田輿一、明石元二郎・・・
、みな台湾人にとって忘れ難い日本人です。・・私はその理想の結晶体みたいなものなんだよ(李前総統)。
-------------------------------------------------------- ◆ ----------------------------------------------------------
・台湾人が誰を好きになろうが私達の勝手だが、人の好みにまで自分達の価値観を押付けてやまない朝鮮人の思い込みの過激さは圧倒される。いや、辟易する。台湾人はもっとリベラルでありたいと私は思う。
・戦争が終わると、日本人に代わって中国人がこの島にやってきて、日本文化の一掃をはかった。しかし、中国人は、日本文化に取って代わるげき新しい倫理や価値観を提示することができなかったので、
(日本に密航してきて悪事を働く連中を連想されたい)社会は紊乱、
遂に台湾人の反乱と弾圧の大虐殺を招来する結果となった(2・28事件)。
その後も中国人は、常に日本の悪業をあげつらうような歴史教育を実施してきたが(私もそのように育った)、
多くの台湾人は、皮肉なことに、それをいうのが中国人であるが故に信じようとしなかった。
・今はこの島は、「台湾」か「中国」かという対立論をめぐって激しく揺れている。そして台湾派はおおむね親日的ではあるが、
日本の現在の台湾政策については厳しく批判的なのである。
840 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:42:44 ID:MN0h/BBT
林●台湾を見捨てた日本
「日本の鏡・台湾」という今日のテーマには、一台湾人とし
て非常に恐縮しています。しかし鏡というのは良い意味でもあ
れば悪い意味でもある。台湾と日本は、歴史の巡り合わせで少
なくとも五十年間、共通の記憶を持ってきた間柄です。その事
実は、いかに政治的な思惑や教育によって消そうとしても、事
実として存在する。ただし、戦後の台湾は、まるで日本に忘れ
去られたような存在になったわけです。
日本人は一九五一年のサンフランシスコ条約によって、台湾
を放棄しました。台湾人が最初に経験したまともな国家、まと
もな民族、台湾を近代国家としてまともに建設しようとしたの
は、オランダでもなく鄭成功でもなく清朝でもない。それは日
本だった。オランダの統治はせいぜい台湾南部の一カ所で、鄭
成功も同じです。清朝の統治は目的がたった一つ、台湾が海賊
の巣にならないようにできるだけ抑えこむことだった。だから、
台湾をようやく一つの省にしたのは統治して二〇〇年も経った
一八八五年で、まともに統治に取り組んだのはせいぜい十年間
だけなんです。
841 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:43:11 ID:MN0h/BBT
日本は五十年間、台湾人を我が子のように教育した。インフラ整備については、東京にすらなかった下水道を台北でつくり、
李登輝さんの講演によって有名になった八田與一の烏山頭ダムをはじめ、道路・港湾・鉄道や灌漑用水なども全部、日本人が
つくって未だに台湾はその恩恵を受けている。 しかし一九四五年以降の台湾がどうなっているか。日本は八
月十五日に敗戦になったわけですが、中華民国政府がマッカーサーの命令によって台湾を接収したのは二カ月後の十月です。
二カ月のあいだ、いわば無政府状態といってもいい状態だった。
当時の日本国内では、一夜のうちに日本国民から戦勝国の人
間になった朝鮮人が非常に威張って、汽車のなかでも席を取っ
たりと日本人を苛めていた。しかし台湾ではその二カ月間、日
本人を苛めたり財産を略奪したりということはほとんどなく、
むしろこれから別れることを悲しんだ。 日本人が引き揚げた後は悲劇でした。蒋介石の軍隊がやって
来て、強姦・略奪……ありとあらゆることをやった。これはなぜか。理由は簡単です。民度の低い国が民度の高い国を統治し
ようとすればそうなってしまう。しかも中国は現代化した軍隊は持っておらず、実際、台湾の軍は、戦後に旧日本軍の軍人が
白団という顧問団を組織して指導したものです。現在の台湾軍をつくったのは旧日本軍だったんです。
842 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:44:00 ID:MN0h/BBT
中国の軍人はほとんどが強制的に軍に入れられていて、その
給料は、戦いに勝ったら征服した村の財産をすべてやる、とい
うことなんです。上の人間がたくさん取って、下の人間はその
こぼした分を取る。男はすべて兵隊に入れて、女はぜんぶ自分
のものにする。それが中国式の給料なんです。当然、彼らが台
湾を取った以上は、台湾のものは俺のものだということになる。
今の台湾の国民党が世界一金持ちの政党と言われているのは、
取れるものは全部取ったからなんです。
そして日本の教育を受けた者は、一夜にしてその知識が無用
になった。北京語が分からなければ、どんな知識のある人間、
どんな腕の良い医者、どんな腕の良い弁護士、どんな見識のあ
る教育者でも、役に立たないものになってしまう。
843 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 07:44:56 ID:MN0h/BBT
「多桑」とは、台湾語読みで「トーサン」、日本統治時代の「父
さん」の名残である。94年に作られた映画「多桑」は、「金馬奨
(台湾のアカデミー賞)」の観客投票最優秀作品賞を受けた。
映画の主人公セガは、日本教育を受けた世代で、戦後も何かに
つけ、日本びいきだ。子供たちには「トーサン」と呼ばせ、家で
は日本のラジオ放送を聞き、ラジオの具体が悪くなると、日本製
じゃないとだめだ、とぼやく。セガの夢は日本に行って、皇居と
富士山を見ることだった。しかし、その夢を果たす前に、この世
を去る。
始めは「奸漢(売国奴)」と非難していた長男も、成人して父
親の心情を理解する。この長男が監督として、実体験に基づいて
作った映画が「多桑」である。「多桑」世代の人々は、この作品
を見て涙を流し、若い世代も関心を向けた。[3,p257]
844 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 08:20:09 ID:h4E/TN7L
中曽根大勲位曰わく
日本精神は禅だ
今出演のテレビより
845 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:04:27 ID:uW6WKb2O
おっぱい見たいです(笑)
なんか、台湾擁護で、日本の罪悪感あおってるヤツがいるが、
『南京大虐殺』のプロパガンダ張ったのは、もともと台湾で
現国民党なんだよ。
で、台湾は一貫して南京大虐殺があったという主張を転換してない。
罪悪感を感じる必要自体はない。
847 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:10:27 ID:vzP1Wqsl
蒋介石が否定してなかったかw
849 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:31:19 ID:MN0h/BBT
金 美齢
・台湾では今も「リップンチェンシン(日本精神)」という言葉は生きている。それは平たく解説すれば、勤勉で向上心があって、正直で約束を守るという意味である。
・日本は台湾を植民地として統治したけれど、それは欧米のそれとは違っていた。当時台湾にやってきた日本人は、その理想と情熱をこの台湾の地に人に注いでくれた。後藤新平、新渡戸稲造、八田輿一、明石元二郎・・・
、みな台湾人にとって忘れ難い日本人です。・・私はその理想の結晶体みたいなものなんだよ(李前総統)。
-------------------------------------------------------- ◆ ----------------------------------------------------------
・台湾人が誰を好きになろうが私達の勝手だが、人の好みにまで自分達の価値観を押付けてやまない朝鮮人の思い込みの過激さは圧倒される。いや、辟易する。台湾人はもっとリベラルでありたいと私は思う。
・戦争が終わると、日本人に代わって中国人がこの島にやってきて、日本文化の一掃をはかった。しかし、中国人は、日本文化に取って代わるげき新しい倫理や価値観を提示することができなかったので、
(日本に密航してきて悪事を働く連中を連想されたい)社会は紊乱、
遂に台湾人の反乱と弾圧の大虐殺を招来する結果となった(2・28事件)。
その後も中国人は、常に日本の悪業をあげつらうような歴史教育を実施してきたが(私もそのように育った)、
多くの台湾人は、皮肉なことに、それをいうのが中国人であるが故に信じようとしなかった。
・今はこの島は、「台湾」か「中国」かという対立論をめぐって激しく揺れている。そして台湾派はおおむね親日的ではあるが、
日本の現在の台湾政策については厳しく批判的なのである。
850 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:40:23 ID:MN0h/BBT
民族は国家を形成する要素だが民族だけが最重要ではない。アメリカのようにいろいろな民族が作った国家もあるし、日本のように一つの民族が国家を形成しているのもある。
中国には58の民族があり漢民族が最大というがこれはウソである。
もともと漢民族とは種々雑多な人種が混血したもので、漢民族とは他民族を征服するた
めの便宜で使用する名称に過ぎない。
「漢民族」と「中国」とは二つとも便宜上の名称である。中国人が他国を侵略するときは「中国は一つである」と言って大中華思想を宣伝する。漢民族は曖昧な民族の名称で、誰でも漢民族になれるし、誰でも否定出来る。中華民族と言ったほうが事実に合致する。
台湾には中国から渡来してきた漢族(ホーロー)と客家族、それに15種ほどの原住民族がいる。これら民族間の混血はかなり進んでいるが、これを綜合して「台湾民族」と呼ぶ。中華民族とは違うのである。
中国人の「大中華意識」の中では国家とはヤクザの集合体みたいなもので、漢民族を親分とし、その他の弱小民族を征服して縄張りを拡張する。これが四千年も続いてきたのである。
蒙古族が中国全土を占領して大帝国を作っても、彼らは蒙古族が一時的に中国で元帝国を作り、蒙古族が親分になっただけであり、満州族が中国大陸を制覇して清朝を作っても満州族が親分になっただけであると言う。
このような言い訳が「大中華」のウソとして「中国の歴史」に組み込まれる。
中国は一つしかない、万世一系である、といったウソを平気で中国の歴史に書いてしまう。中国は一つの国ではない、四千年も続いている乱世である。
851 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 09:41:57 ID:MN0h/BBT
蒋介石は毛沢東との戦いに敗れ、中国全土を逃げ回って最後に台湾まで落ち延びた。彼は有名な「賊漢不両立」、つまり中華民国は漢であり毛沢東の中華人民共和国は賊である、二つは決して両立しないと宣言した。
馬英九が中華民国の総統に就任すると、蒋系中国人は嘗ての蒋介石の言葉を忘れて全速力で中国接近を始めた。しかも陳雲林を台北に迎えて商業協定を締結したが、協定の詳細は台湾人に知らせていない。
中華民国の旗を撤去し、七千人の警察を動員して台湾人の抗議デモを抑えたのである。
これは明白な降参だが、蒋介石の時代から一転して中国に接近するのはなぜかというと、いま台湾で起きているすべての政治事件は中国人と台湾人の対決だからである。
蒋系中国人が毛系中国人と合作するのは、彼らが台湾人とは違う民族であるという証拠である。
それだから台湾人と対決するために毛系中国人の力を借りることも平気、つまり大中華思想である。中国接近を始めた立役者の連戦を「呉三桂」と呼ぶことでもわかるだろう。
台湾人の連戦が中国に接近して中国人を台湾に導入した事実は、呉三桂が満州族を中国大陸に導入して漢民族の明王朝を滅ぼした事実とソックリである。
更に陳雲林が帰ると直ちに元総統・陳水扁の逮捕と、大量の陳政権の閣僚を逮捕して人質裁判を行い、マスコミ操作で台湾人の制圧に踏み切った。つまり中国人が台湾人の精鋭を一網打尽し、
中国の武力の脅威を利用して台湾人の抵抗を抑えたのである。
独立して戦争しても日本は100%台湾に援軍を出さないけどね
自国さえ防衛できない弱小警備隊ですから(笑)
853 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 10:00:12 ID:MN0h/BBT
昭和41年9月に岸信介元首相の名代として5名の日本人台湾使節団が訪台し、蒋介石と面談している。そして面談の最、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、田中氏の手を堅く握り締めて涙を流しながら
「南京に虐殺などなかった。松井閣下にはまことに申し訳ないことをした」
と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然なる事実であり、南京事件なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である(72頁)。
『日本人の知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』深田匠著 高木書房
854 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 10:48:18 ID:QE0RltL3
反日国家が多い東アジアの台湾などには好感がもてる。
今こそ台湾・チベット・東トルキスタンの独立を!
856 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 18:26:12 ID:qXjC9gKB
>>846 ちょっと誤解を招く表現だな。工作員じゃなければ、「台湾」という言葉は使わない方がいいと思う。(解っているとは思うが)
戦時中から、”南京大虐殺”のデマを流し続けてきたのは、あくまでも、中国大陸の「中華民国政府」=「中国国民党」=「シナ人」
であって、「台湾」とか 「台湾人」じゃないんでね。
そのデマ流しの輩達が、戦後入ってきた〜逃げ込んできた場所が、「台湾」であった ― と言うだけであって。
黄文雄(台湾出身)氏や、
>>1に出てくる皆さん等、日本世代の台湾人の間では、やはり 「あれ(”南京大虐殺”)=は嘘だ」
という見方が多いらしいんでね。
特に、「2・28(台湾人虐殺)事件」で、駅前の広場等で、死体の山を見せられた台湾人達にとっては、とてもシナ人の
のたまう”歴史”など、信じられない ― ということだろう。
戦後、「中華民国政府」=「中国国民党」の”歴史教育”を受けてきた世代は、勿論 ”事実”と認識している台湾人達もいるだろうね。
(今でも多いのかな?)
857 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 18:28:45 ID:Yb42v3Or
頭が痛いですね。
否定できないところが!
858 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/08(日) 18:34:27 ID:qXjC9gKB
>>829 >こんな劣等島国が好きな人間は存在しないから安心しろよ猿
>>451 >今は敵国なんだし(笑)
>>852 >自国さえ防衛できない弱小警備隊ですから(笑)
(笑)君だが、
>>852だけは、ある意味イイことを言ったと思う。
859 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 00:17:19 ID:KffQHm5s
耳が痛い
860 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 15:16:15 ID:YgFBmQut
日本好きの台湾人は韓国と中国へ宣教活動に行ってください。
「アナタ ハ ニホンヲ シンジ マスカ?」ただ今は漢字と
空気の読めない教祖様が座についておりますがね。
861 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 21:35:38 ID:RIAhqRDB
(P.8〜)
■ 「 日本人よ、粛々と靖国神社に参拝しよう」 【 SAPIO 】(小学館)2005年 9月7日号 李登輝・元(1988〜2000年)台湾総統
(P.9)
> 靖国神社を参拝し、兄と会いたい
> 話は戻るが、当時の軍隊の中では、「死んだら靖国で会おうな」と普通に会話していた。 台湾出身であろうが、朝鮮出身であろうが、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 同じ日本の兵士として 御国のために命を捧げ、 死んだら靖国神社で会おうというのが、私たちの日常の感覚だった。
> 戦死したら 当然 靖国神社に祀(まつ)られるはずだったのだ。
> それが裏切られるとは つゆほども疑わなかった。 一種の安心感の源だったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 先ほども述べたように 人様々だから、今となってはそんなことも思い出したくない人が いても不思議ではない。 だが私はそうだったのだ。
> だから今なぜ「靖国神社問題」が起きているのか、 私には理解できない。 日本人はまた 中国共産党の謀略に引っかかっているのではないか。
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862 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/09(月) 23:43:27 ID:928M3OO2
申し訳ございません
863 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 00:02:25 ID:i7rDK+Qy
【日本人はとても素敵だった】 桜の花出版 2003年著者 楊素秋(台湾人女性) 昭和7年(1932年)、台湾生まれ。
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http://www.sakuranohana.jp/book_suteki.html (著者・出版社自ら、一部内容を公開しています。)
> 第六章 日本人よ、しっかりしてください
■ 靖國神社に参拝して なぜ悪い?
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> なぜ靖國神社に参拝してはいけないのでしょうか? 靖國神社に首相が参拝すると、中国や韓国から非難され、日本国内ですら反対論が
> 声高に叫ばれますが、自国の先祖の霊を鎮めるために行くんだと、自国民の霊を弔うのがどうしていけないのかと、それと君たちの国と
> 何の関係があるかと、内政にまで口をはさむなと、なぜ言えないのでしょうか? 不思議で仕方ありません。
> 靖國神社に祀られている人たちは、日本の国のために散って行った 桜の花です。 同じ死ぬのだったら、国のためとか 誰かのために
> 命を捨てる方が、犬死にをするよりもましだと思いませんか。
> 命を捨てる精神には 一体何があるのか。 そこにはまさに 「大和魂」というものが作用しているのだと思うのです。
> 昔、日本人は 東洋のために命を擲ったのです。 戦争に行く時は皆、東洋のため、東洋平和のためにと言って 行ったのです。
> その人たちの霊に対して、「霊が浮かばれますように、そして とにかく安らかに眠って下さい」 と祈ることの どこが悪いのでしょうか。
> そのことと政治とは 何の関係もありません。
> 今の日本の対応を見ていると、私は、もどかしくて仕方ありません。 イライラしてきます。 本来の日本人を知っている台湾人の勝手な
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> 想いではありますが…。
864 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 21:12:29 ID:nLwrTiD/
>>861 >>863 【日本統治時代】
● 台湾 ・・・ 1895〜1945年 ≒ 50年間
▲ 韓国+北朝鮮 ・・・ 1910〜1945年 ≒ 35年間
865 :
:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/10(火) 21:19:41 ID:Kv+bm4PW
日本人も台湾内省人も民族のルーツは同じだからな。
もともと気が合うはずなんだよ。
866 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/11(水) 19:10:58 ID:/u3/mAnP
■ 『日本人はとても素敵だった』
> そして、負けた側(日本)が ある程度経済的に豊かになると、今度は、「弁償」という言葉のもとにゆすろうとする。
> これは やくざのやり方です。 中国や朝鮮・韓国は、それをずっとやり続けています。
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> テレビを見る度に 日本の悪口を言ってる朝鮮の人などを見ると、私は憤りに似たものを感じます。 不公平だと。
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> してもらった良いことに対して、なぜ ありがとうと言わないのか、と。
著者 楊素秋 (昭和7年、日本統治下の台湾・台南市生まれ台湾人女性)
http://www.sakuranohana.jp/book_suteki_d21.html
867 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/11(水) 21:02:05 ID:meMlLdWQ
>>854 東アジアで反日って、中国、南北朝鮮、フィリピンくらいじゃないか?
868 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/02/11(水) 21:18:17 ID:LpCTv6X1
倭奴はアジアに賠償と謝罪を永久にする義務がある。
それは永遠不滅の倭奴の罪であり、消せない宿命なのである。
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