【韓国】「米兵相手に売春させられた」 韓国人元慰安婦、韓国政府と米軍を告発-NYタイムズ紙★3[01/08]

このエントリーをはてなブックマークに追加
1出世ウホφ ★
米ニューヨークタイムズ(電子版)は8日、韓国の元慰安婦のグループが、1960年代から80年代にわたって
米兵との性的行為を強制されたとして、当時の政府指導者に謝罪と賠償を求めて告発したと報じた。
このグループは組織的な慰安施設の設置に直接的に関与したとして、米軍と韓国政府をあわせて告発した。

同紙によると、元慰安婦のグループは朝鮮戦争後、韓国に駐留していた米軍の基地近くにあった
慰安施設で米兵を相手にした売春を強要されたと証言。一帯では、米軍の憲兵隊と韓国当局者が
施設を見回り、番号札を使って性病に感染したとみられる慰安婦を排除しており、性病が疑われた
女性は警察当局が、窓に鉄格子がはまった「モンキーハウス」と呼ばれる施設に収容し、
快復するまで治療が施された、と証言している。

同紙は、韓国の専門家が、当時の韓国政府は米軍の撤退を恐れており、それを防ぐために
手段を選ばなかったと指摘しているとし「慰安施設には韓国政府と米軍の積極的な関与があった」
とする別の専門家の談話を伝えた。

1月8日15時57分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090108-00000542-san-int
前スレ:★1の時刻 2009/01/08(木) 16:24:32
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231399472/l50
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231404852/l50
>>2以降に詳細ソース
2出世ウホφ ★:2009/01/08(木) 22:36:16 ID:???
(NYTの記事全文翻訳 by壱軸冠蝶φ ★さん)
http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=2&hp

連行され、大日本帝国のために売春宿で奴隷として働かされていた韓国女性たち。戦時中における、その醜い行いに
ついて長年どれだけの責任を負うのかと、韓国は日本の言い訳に対して非難を行ってきた。

今、韓国の元売春婦のグループは異なる権利を悪用したとして、当時の政府指導者らを告発した。北朝鮮から韓国を
守った米兵と性交渉するよう奨励し、1960年代から1980年代までの間、直接性風俗業界の手綱を取っていたとして
過去の韓国政府と米軍を起訴したのである。両国は売春婦がアメリカ軍を相手にするとき、確実に性病もちでないように
するため、テストや処理システムも共同で構築していたという。

彼女らは、体面のためにアメリカ当局がそういったシステムの構築を強要していたという主張には全く耳を傾けず、自ら
の歴史については厳しい態度をとらずに日本には賠償金を求め続けている韓国政府を起訴したのである。

「わたし達の政府は、米軍の大きなポン引きの一人だったんです。」訴えた女性の一人、Kim Ae-ran(58)さんは最近の
インタビューでこう話している。

売春を奨励していた問題の人々の動機のひとつに、韓国政府はアメリカ軍が撤退することを恐れており、それを防ぐため
ならなんでもすると考えていたことにもあるという。しかし、彼女らは、朝鮮戦争後数十年間の戦後経済を支えるために
政府は売春婦たちを商品としてみなしていたと示唆している。

政府は官僚らを基礎英語とエチケットを売春婦たちに身に付けさせるといった後援(もちろん、より高く”売る”ために)だけ
ではなく外貨不足で韓国が破綻していたときにも、ドルを獲得するために激励へ行かせていたという。
「彼らはわたし達を”ドルを得る愛国者だ”と褒め、出来るだけG.I(アメリカ兵)に体を売るように促したんです。」

奨励者らはアメリカ軍が性感染症について懸念していたため、基地を囲んでいた売春街での”取引”を規制する試みにも
関わるようになっていったという。

幾人かの女性が主張している最も扇動的なものの1つに、1960年代から1980年代までの間にアメリカの憲兵隊と韓国の
当局が、性病を広げていると思われる女性を探してクラブを定期的に立ち入り検査をしていたというものだ。彼らは軍人
たちが、簡単に性交渉の相手を決めれるように、売春宿によって無理やり付けられていた番号札を利用して女性を選別。

それから、韓国の警察が病気であると思われる売春婦を連行していった、と言う。そしていわゆるモンキーハウス(麻薬
中毒者の隔離施設で窓には鉄格子がついている)に拘束し、回復するまで無理やり売春婦達は薬物療法を取らされた
という。

彼女らは、第二次世界大戦中に日本人によって売春を強要されたことについて、広く公共の共感を勝ち得たいわゆる
従軍慰安婦と自分達を比較し補償と謝罪を求めている。自ら選んだ、必要だったから、強制であったかに関わらず
売春婦は全て政府の政策の犠牲者であったと言うのだ。
>>3以降に続く
3出世ウホφ ★:2009/01/08(木) 22:36:38 ID:???
「活発だった関係官庁の連帯や売春街への助力はどこがしていたのか、という質問には韓国政府と米軍の
両方だと答えます。」と1997年に”Sex Among Allies.”を執筆した学者のKatharine H. S. Moonは言う。

韓国の女性部(盧武鉉政権下で発足した、男女平等実現のための専門部署で女性問題を扱う)は、この件に
ついてのコメントを差し控えている。ソウルにあるアメリカ軍司令部も同じくだが”人身売買と売春などの非合法
活動は容赦しないか、または支持しない”との一般論では返答してきている。

ニューヨークタイムズでは米軍基地近くの売春宿で働いていた8人の女性にインタビューを行った。その結果、
韓国とアメリカの記録文章を再検討することになった。 時の流れの中では、ほとんど断片的であると言えるが
記録文章は女性らの主張の多くを何らかの形で補っていた。女性らはこの習慣は何10年にも渡り続いていた
と主張している。

ある意味、女性の主張は驚くべきものではない。何十年もの間、売春が不法である韓国が米軍基地の近くで
売春を許可していたのは明らかであるからだ。世界中の軍事基地の周囲と同じように、韓国でも飲み屋や
売春宿は長い間米軍基地を囲むようにして立ち並んでいる。

また、議会の傍聴録の写しには少なくとも何人かの政府指導者がある種の必要性があるとして売春を見なして
いたと示唆する記録が残っている。1960年には2人の議員が、同盟国軍人の「自然に必要なもの」が売春婦の
供給によって満たされており韓国ではなく、日本へ彼らがドルを費やさないよう仕込むべきだと政府に促している。
当時のLee Sung-wooは答弁で政府が「売春婦の供給」とアメリカへの「レクリエーションシステム」における、
幾つかの改良を進めていると答えている。

KimさんとMoonさんの二人は性病のコントロールが両国政府のために行われていたとする女性らの主張を
支持している。彼女らはリチャード M. ニクソン大統領が1969年に米軍撤退のプランを発表したことで、米兵の
数がさらに減少すると韓国は恐れ、政府によるコーディネートが特に著しくなったと言っている。

「お客が去っていくのを思いとどまるためには、売春街でどれだけ良く扱われたかと感じさせることだと考え、
まず環境を整えることになりました。」と、Kimさんはテレビのインタビューで答えている。

Monnさん(ウェルズリー大学教授)によると、1970年代に米軍高官と韓国政府官僚の会談議事録に、両国で
性病の流行を予防するための期間を示すものがあったという。未登録、または健康診断を受けなかった売春婦
を拘束し、売春婦として登録するためには処置を受けたことを保障する人や診断書が必要であるなどの政府
努力や、1976年における共同巡回に関するレポートには”隔離”を勧める内容も含まれていた。
>>4以降に続く
4ミスラ ◆JIyT81sYCg :2009/01/08(木) 22:36:38 ID:hqYOSY5F
乙です♪
5出世ウホφ ★:2009/01/08(木) 22:36:50 ID:???
最近、売春街は存在しているものの韓国経済が急進したことで、フィリピンからの女性らが彼女らに取って
代わり始めている。多くの元売春婦は主流社会から隔離された売春町に住んでおり、大部分は貧しく社会
からは忌避されいる。養子縁組のため、海外へと送り出した混血児の思い出にとり憑かれた者もいる。

Jeonさん(71歳。姓を明かすだけを条件に取材に同意してくれた)は1956年の18歳の時に戦災孤児になり、
飢えに追い込まれて北朝鮮国境に近いDongduchonの売春街で働きはじまたという。1960年の時に男子を
産んだが、アメリカのほうがより良い未来があるだろうと信じるようになり、息子が13歳のときに将来のため
彼を手放した。

10年ほど前に米兵となった彼は彼女を訪ねてきてくれたが、もう自分のことは忘れるように言ったという。

「わたしは母親として過ちを犯してしまいました」と、Jeonさんは言う。現在、廃品回収業でわずかな収入を
得て福祉援助を受け暮らしている彼女は「わたしが今、彼に頼れるような権利は全くないんです。」「そして、
自分の人生について考えれば考えるほど、私や私のような女性たちは韓国とアメリカの同盟による最大の
被害者だと思うようになりました。」と話す。

「振り替えると、私の体は自分のものではなく政府と米軍のものだったんだなと思います。」
(おわり)