【葬送】鍾振宏・元台湾駐日副代表の妻、黄金蓮氏
中華民国(台湾)が国連脱退を宣言した1971年、鍾振宏氏は「駐日中華民国大使館」の参事官として、
2度目の日本駐在を命ぜられた。「日中国交正常化」への機運が高まる中、「日本では新聞もテレビも
台湾は捨てろ、といわんばかり。日増しに台湾の孤立化を肌で感じた」と鍾氏は当時を振り返る。
迫る断交に備え、日台の新たな枠組みをどう構築するか−。後に駐日代表となる林金茎氏と奔走した
鍾氏は、中国の外交圧力に耐える約8年の滞在で、年間250万人が往来する現在の日台交流の基礎
を築いた。一例が実質的な大使館として機能する日本の交流協会、台湾の亜東関係協会(現駐日台北
経済文化代表処)の設置である。
その熾烈(しれつ)な外交闘争の舞台裏で、黄金蓮夫人は鍾氏を支え続けた。72年の日台断交前後、
深夜におよぶ新聞記者の取材攻勢にも夫妻は嫌な顔一つせず、温かく自宅に迎え入れた。度量の広さと
台湾を守り抜こうとする「滅私奉公」の精神は、30年あまりの歳月を経た今も関係者の間で語り継がれる。
女学校時代の同級生、林淵雲さんは、夫人の人柄について「笑顔を絶やさない、おっとりした誰もに
親しまれる人」と語る。断交直後に帰台して再会を果たしたとき、夫人は林さんにこういって明るく
ふるまった。「政治の話はやめましょうよ。ね、楽しい話がしたいわ」
多くの日本人と血の通いあう友情を築けたのも、いわゆる「最後の日本語世代」として、永久の日台友好を
願っていたからに違いない。断交には胸がつぶれる思いをしたはずだが、それでも笑顔をもって堪え忍ぶ
強い精神があったからこそ愛され、頼られたのだろう。
3年前にがんの手術を受け、回復は順調に見えたが、今年8月に急変。先月21日、75年の生涯に幕を閉じた。
あまりに急な最期に、今月27日の告別式では多くの涙を誘ったが、夫人が皆の心に残したのはやはり、あの
穏やかな暖かい笑顔だった。
(写真)27日、台北市内で営まれた告別式で、黄金蓮夫人の遺影に手を合わせる鍾振宏氏(長谷川周人撮影)
ttp://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/081229/chn0812291712000-p1.jpg (MSN産経 2008.12.29 17:06)
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