>>57 少しは朝鮮半島を通ってるが、大半は中国直通だったと思うのですが。
人も物も記録に残ってるのってほとんど中国からのものでしょう?
百済の海岸沿いに行くと楽だったのは確かみたいです。
59 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 14:41:13 ID:nSDRia4V
誰が言い始めたかは知らんが「朝鮮=ストロー」って嫌韓流で表現していたな。
中国からの使節団が日本を目指して移動のため朝鮮を通過。
時間にして「朝鮮を経て中国の技術が日本へ渡るまで」は数日から数週間程度か?
その短時間で知識や技術が広まる訳ないじゃんw
時間的なことはおいとくとしても、朝鮮の歴史家は
「中国の技術が」→「朝鮮の技術が」
「朝鮮を経て」→「朝鮮で発明した」
と勝手に書き換えて、結果
「朝鮮で発明した朝鮮の技術が日本へ渡る」
というすばらしいねつ造した歴史が生まれる。
>>2 wwwwwwwwwwwww画伯wwwwwwww
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 16:14:43 ID:70hWgdiJ
>復元作業が行われる前に材質の精密な分析を行ったところ、韓国慶尚北道の奉化郡や栄州市などの
>赤松、春陽木だった。その後この仏像は新羅で作られたという説が学会で多数を占めるようになった。
この説の根拠は、当時日本では赤松が自生していなかったということを前提にしていたのだが
実際には日本の瀬戸内海沿岸地方では弥生時代以前から赤松が自生していたことが明らかになっており
したがって広隆寺の半跏思惟像が日本製ではないという説は根拠を失っている。
朝鮮人はこのようにすでに根拠の無い自説をいつまでも繰り返し繰り返し持ち出して
こちらが根負けするのを狙っている。まことに陰険な連中です。
62 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 16:17:51 ID:NVOaiXMs
>>60 画伯はいっぺん個展やるべきだと思うんだ。
朝鮮半島はストローというより迂回地だった気がする。
64 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 16:41:07 ID:feeSnP4E
>>37 ホントだ
>>46 >>48 見ると新羅のは本当に目がつり上がっている
広隆寺の半跏思惟像のほうは目がつり上がっていない
なんか貸したまま盗まれそうな気がする
66 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 16:52:49 ID:iIr4Rr+M
日本の生態系は半島からなんて言ってるし次の優越感に浸れるネタも万全なんでしょ(棒読み)
自然の理なんて人間の力なんて関係ないのにねw
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 16:58:14 ID:PkKc5VBd
>>65 もって行ったのは
> 国立中央博物館で一昨日から開幕している統一新羅彫刻展には、東京国立博物館の「小倉コレク
> ション」から8世紀の新羅仏像4点が送られてきた
で、見れば判るけど、子供が面白がって作ったような杜撰なもので、盗まれてもたいしたことない。
法隆寺宝物館なんかなら、1室で五十くらい常設展示されてる中で、重文・国宝の文字のない
展示物は1つか2つというレベルなんで、こちらなら大変だけど。
68 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 17:02:40 ID:v5TzXEHP
赤松って、松茸が生えるに必要な樹だよな?
じゃぁ、松茸はどこから来たんだw
69 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 17:03:49 ID:fgD4vU9j
70 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 17:08:14 ID:PkKc5VBd
>日帝時代に実業家の小倉武之助が持ち去った文化財1000余点のごく
>一部であるという点を思い起こすと、胸がさらに締め付けられる。
ほほう
72 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 17:22:52 ID:O2+1cgee
>>54 >>58 こういう思いつきで全否定する奴は、言ってること韓国人と合わせ鏡だと自覚できんのかね。
飛鳥時代の彫刻文化には半島を経由した文化や半島系の職人も来ており
大陸直通はもう少し後の時代からってのが日本でも一般的な見解なんだけど。
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 17:25:06 ID:ZfitoliZ
>>72 どっちにしても大陸系の影響であって
半島の影響ではないけどな。
半島自体が中華のコピーだ。
うるせぇな。ごちゃごちゃ言ってると国立博物館の現物の画像貼り付けるぞ
これでよく朝鮮人であることが恥ずかしくないなっていうものばかりだ
弥勒はん、いつ降臨しはるの?
もう待ってられへんわ(´・ω・`)
76 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 18:38:22 ID:nXCSIMX8
朝鮮人から初めて持たされた仏像を拝んだら疫病が流行って難波にすてた。ってことを前に聞いた時がある
77 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 18:44:35 ID:SzpJR0We
この手の記事を見て思うんだが、何で朝鮮土人は真面目に検証しようとしないんだろうか?
78 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 18:50:34 ID:2hp8s+iR
>>67 法隆寺宝物館は、建物の前景も美しいけれど、
一階の奥の展示室は、空気がまんま寺院だと思う。
展示というより安置、そしてどれも大きくないけれど、
古くて精緻で重文クラス以上。
静謐で荘厳な空気で気が遠くなった。
>>72 陸路で半島通って日本へ、なんてのは近代史しか知らない人の妄想。
高句麗の支配下だった遼東半島周辺は漢民族の敵国。
とても単身&少人数で行けるところじゃない。
実際、隋の煬帝が没落の原因となったのは運河建設ではなく、高句麗への
三度にわたる出兵が原因。運河は富を生むが、軍隊は富を減らす。
81 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:10:09 ID:PYnUGk7k
ドイツの哲学者ヤスパースは京都の半跏思惟像を見て、「地上のあらゆる束縛を超越し到達した
人間存在の最も清浄で円満かつ永遠な姿」と絶賛した仏像に、恥知らずな因縁をつけとるんじゃ。
「地上のあらゆる束縛を超越し到達した人間存在の最も清浄で円満かつ永遠な姿」とは、
御前朝鮮人ほど無縁の存在はないだろうが。
無知蒙昧、古代妄想 六根不浄の朝鮮人が、聖なるものに触れるものではない。
82 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:16:33 ID:JYKexnCq
83 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:20:17 ID:JYKexnCq
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:22:24 ID:Zkszv3pq
>>80 古代において実際に直接半島の国家と密接に交流してたわけで、それ無視したらあかんでしょって話じゃないの?
もちろん交流の中身は朝鮮人が主張するような、
文明人の韓民族(笑)が野蛮な倭人に文化を教えてやったニダ!とかそんもんではないのは当然としてさ。
85 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:31:44 ID:JYKexnCq
>>84 >密接に交流
っていうのがね。
確かに百済時代は日本の統治下みたいなもんだから経由していけど、日本から中国自体にも直接人や物の行き来があったでしょう。
半島ストロー説を言う人は、何故か半島を南下してくるルートを書き込むから変だと言うんだ。
旅程の途中で海岸に立ち寄っただけでストローになるのかよ、と。
>>11 秦氏は百済系だ。秦氏の本拠地である京都府太秦の古墳群は皆百済系の特徴を持っている。
当時の半島と日本列島の関係からしても敵国新羅から大量移住してきて天皇を支え天皇直属の部下になる
なんてことは常識では考えられない。北朝鮮人が大量に移住してきて東京の皇居近辺に住み皇居に自由に出入りできて
重要な政府中枢のポストにつくなんてことは考えられないのと同じだ。
応神天皇イコール百済国王の弟で次期百済王になるはずだった余昆だから余昆が百済に居た時の直属の部下だった可能性が高い。
同盟国の重要ポストにある一族とその一族が抱える技術者、農奴集団ごと移民させるには両国王の合意が無ければ出来ないこと。
そんな合意を得ることが出来るのは当時の同盟国であり日本の天皇家と親族である百済以外にない。
>>87 無茶言うなよ。
本人達が中国から来たって言ってるのに。
>>87 まあ何にしても、日本人と古代韓国人は兄弟と同じということだな
悔しいが、我々も同意せざるをえないだろうな
90 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:44:56 ID:pvVDfDEx
91 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:45:29 ID:PkKc5VBd
実際に同時期の半島製って、仏像にしても他のものにしても本当に質が悪いんだよ。
一目見ただけで素人でも判る。なぜあんなものを持ち上げる学者がいるのか全く理解できない。
国立博物館にでも行けば、いつでも現物が陳列してあるから見比べればいい。
92 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:46:41 ID:4lOHtXrG
>復元作業が行われる前に材質の精密な分析を行ったところ、
>韓国慶尚北道の奉化郡や栄州市などの赤松、春陽木だった。
>その後この仏像は新羅で作られたという説が学会で多数を占めるようになった。
今から40年も前に、否定されてるじゃん。
こういう朝鮮日報の意図的な情報操作、よくない!
>>91 まあ、当事の日本人が古代韓国人の人々と密接な関係にあった
事実は否定できないだろうな、それを否定してる人は、何か
コンプレックスを持ってるとさえ感じさせられるね
94 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:50:37 ID:Zkszv3pq
>>86 経由とか旅の途中とかそういう問題じゃなくて
百済や新羅と直接交流があったことそれ自体を無視したらあかんでしょって話。
>>89 古代韓国人(笑)なんていないがな。
古代に半島に住んでいて(が今はいない)民族に日本人か日本人に近い民族はいたのは事実だがね。
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:52:45 ID:pvVDfDEx
>>93 それはお前が知恵遅れだからだよ はぶちょw
今日はどこの出身なんだ?嘘つき朝鮮蛆虫
>>94 詭弁もそこまでいくと笑えるなww
古代の半島に住んでた人が、古代韓国人
その先に住んでたのが、古代中国人
97 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 19:56:15 ID:pvVDfDEx
>>96 詭弁って言葉覚えたか 低脳中卒はぶちょw
>>94 直接交流は否定してないでしょ?
それよりも中国との交流が重要だったと言うだけで。
あの当時は中国は世界の一流国だからな。
それより百済を新羅を並べて書くのは止めてほしい。
新羅って、敵国じゃないか。
>>96 >古代の半島
じゃあ古代朝鮮人は住んでなかったんだな。
>>98 新羅を徳川軍、百済を豊臣軍と考えればいい
>>100 意味が全くわからないから、もう少し詳しく説明してくれ。
>>85 素人の俺が言うのは何なんだが、全然ちゃうやんw
日本の像は、確かに目の前にあったら見とれてしまう美しさがある。
が、朝鮮の像は何じゃあれw やっつけ仕事で造っちゃいましたみたいなw
>>11 自称は漢人(始皇帝の裔)。
自称だけでなしに帯方郡崩壊の頃に渡来した可能性もあるからあながち間違いでないかも(始皇帝は置いといて)。
新羅が秦の移民との話もあって、ここからこじつけて百済(旧帯方郡)から渡来したとされる秦氏を、
無理矢理に新羅と結びつける説があるだけだったかと。
てかウリナラではコッチが流布して一般化しているのか(他の場でも見た事がある)。
はぶちょ。
消える前に
>>100の解説をしていってくれ。
>>87 > 応神天皇イコール百済国王の弟で次期百済王になるはずだった余昆だから余昆が百済に居た時の直属の部下だった可能性が高い。
電波で電波に反論するなよw
・・・・って、初めて見る光景か?
慶尚道出身者と全羅道出身者が秦氏はウリ子孫で争っていたりするんかね?
106 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/12/18(木) 20:32:38 ID:Zkszv3pq
>>96 韓国ってつい半世紀ほど前に半島の先っちょに出来た小国家じゃないか。
だいたい今の韓国人と古代の朝鮮半島の人間には民族的にも文化的にも何の連続性もないんだから
古代韓国人などという表現は根本的におかしい。
>>98 百済、新羅、高句麗から来た僧が日本の仏教の黎明期において重要な役割を果たしたのは紛れも無い事実だよ。
確かに新羅とは敵対してたが全く交流がなかったわけではない。
>>103 唯秦人って意味は西域諸国の民の異称なんですよね・・・
大秦国=ローマ帝国ですし