>>406 皇と王
一般に皇は、その文字の形からもわかるように王の中の王という意味で使われています。
しかし皇帝を(Emperror)と訳すことが適当であるかどうかは問題です。
近代国家という概念が出来る前、ヨーロッパでは例えばフランスにおいて国家(ナシオン)とは、
普遍原理への到達を目指して地方勢力を打倒しながら、政治共同体を形成していくものでした。
一方ドイツでは「民族」という概念を、ドイツ語でvolk(フォルク)と呼び、
固有の文化や言語、歴史、さらに言うと「血」を共有している人びとの集団を意味していました。
それらナシオンやフォルクそして中世の王家などの中には、
単独では自分のテリトリーを軍事的に守りきれないものも多かったのです。
ではどうすれば良いか?
隣接する王家と時には同盟を結んだり、時には武力でこれを併合したりして一定の軍事力を維持する必要があったのです。
この王家、例えばハプスブルク家などはスペインからオーストリアまでの広大な地域で権力を持っていました。
朝鮮王朝も李朝の仁祖王、女真の金、渤海の大震国王などを含めると現在の日本列島の5倍もの面積を治めていたのです。
しかし純粋に軍事的で利害的な結びつきであったヨーロッパと違い朝鮮では各国の文化を尊重しつつ友好的な関係を維持していたのです。
日本列島でもかつて豪族と呼ばれた地方の藩主が一つにまとまって近代国家が誕生しました。
しかしこの藩が一つの王家に相当するかといえばそれは無理な話です。
日本という国はアメリカ・中国・オーストラリア・カナダの30分の1しかない狭い国です。
その狭い地域を更に数十箇所に分けてそれぞれが王家だったと主張することは無理なのです。
従って日本が単独で、王の中の王である皇の字を使うなどということは滑稽であると言わざるを得ません。