【台湾】総統府ホールに国父・孫文の胸像が復活 馬英九総統らが除幕式[11/12]

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馬英九総統、総統府ホールの国父(*1)銅像再設置(*2)除幕式を開催
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馬英九総統は今日(12日)午前に主催した総統府ホール国父銅像再設置除幕式を行い、
蕭万長副総統や五院(*3)の院長と中央政府機関の長が参列した。

儀式が始まると、馬総統はホールの階段を上がり、国父の銅像から除幕し、献花するとともに、
国父の銅像に向かって三度、礼をした。
その後の挨拶の中で、5月20日に就任した後、総統府ホールにもともと置かれていた
国父の銅像の場所に鉢植えが置かれているのを気にかけ、不適当だと思っていたと述べ、
それから考えた結果、銅像の再設置に至ったと語った。
今年8月に友邦国を訪れた際も、相手国では同じようなホールの場所には、
その国の建国のリーダーや元勲が置かれており、銅像の再設置の意思がさらに固まったという。
また、この国父銅像は民国46年(1957年)に闕明徳が造ったものだと述べた上で、
今日は特別に招待して国父の孫娘にあたる孫穂芳さんにも来ていただいている、と紹介した。

馬総統は、「国父は台湾にとどまらず中国大陸でも尊敬されており、
国父の墓(国父陵寝/中山陵)は現在でも完全な状態だ(*4)。
今年5月に中国国民党の呉伯雄主席が中山陵を参拝したが、
「中華民国」の4文字は今なお陵寝の中に記されている。
さらに重要なことは、中国大陸では精神的にも、また近年のインフラ整備計画の中にも、
国父の主張した「建設大綱」や「実業計画」と多くの類似点があることだ。
このように両岸で尊敬を集める歴史的人物は、総統府にも場所を設けるべきであり、
国父の誕生日にあたる今日の重要な催しである」と語った。

さらに総統は、「中華文化復興節」の話に触れ、「この祝日は民国54年(1965年)に、
蒋介石元総統が中国大陸の文化大革命に対抗したのが起源で、
台湾で中華文化の復興運動を行ったことから11月12日の国父生誕記念日を中華文化復興節と
したものだ。これについて政治的な動きだとみなす者もいるが、中華文化自体を讃えることは、
評価されるべき事柄だ」と考えを示した。

馬総統は、「中華民国を建国した後の初代大総統の銅像を中華民国の元首が執務する場所に
戻せたことは、深く喜びと安心を感じるものだ。これは正しい出来事であるとともに、
価値ある、そうあるべきことなのだ。
国父の銅像が永遠にここに建ち、内外からの賓客に見てもらいたい」と強調した。

★ ソースは、中華民国総統府 [台湾] とか。
http://www.president.gov.tw/php-bin/prez/shownews.php4?Rid=14662 (中国語・繁体字)

★ 訳註。
(*1) 孫文(孫中山)のこと。
(*2) それまでずっと設置されていたが陳水扁政権下の2007年2月に撤去されていたため、今回は再設置にあたる。
(*3) 立法院、行政院、司法院、考試院、監察院のこと。ちなみに、この五権力分立を考案したのも孫文。
(*4) 中山陵があるのが南京郊外の紫金山であるためこのような言い方に。

★ 画像。
ttp://www.president.gov.tw/php-bin/docset/filepool/pool1/00/0m/b9.jpg
ttp://www.president.gov.tw/php-bin/docset/filepool/pool1/00/0m/bb.jpg
ttp://www.president.gov.tw/php-bin/docset/filepool/pool1/00/0m/bd.jpg
2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:18:57 ID:jboTYru0
そのうち毛沢東の画でも飾るんでねーかなw
3<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:19:44 ID:dVb0zM2y
はっきりしてんな。
4<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:22:06 ID:NDQpq4nC
まだ大丈夫・・・南京大虐殺記念館が作られたら終わりだな。
5<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:24:12 ID:xIT96CIV
入れたり出したり、忙しいなww
6<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:25:17 ID:OtIHAWvR
次は、前政権で少々撤去された蒋介石の銅像が元の数に戻るとか。
7<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:25:33 ID:P4dMN9Dg
民心党になればまた撤去
8<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:25:35 ID:dVb0zM2y
台湾とも本格的に断行した方がよさそうだな。
こいつ選ぶようじゃ、国民ももうだめだろ。
9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:30:23 ID:0t3N0ap+
台湾は台湾国でも中華人民共和国でもない中華民国。
国父は蒋介石であり、連合国の一員でもある。
10<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:38:36 ID:hHVyamLx
いやいや、中華民国でもないでしょ。
もう中華人民共和国の1つに見えるもん。
だって、毛沢東人形も売ってるんだろ?
そのうち、毛沢東銅像も出来るよ。
11<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:38:54 ID:UjybDpPp
日本だって参院とはいえ民主に勝たしてるし
人のことは言えないよ。
それだけマスコミの印象操作に引っ掛かりやすいし
それでその後どうなるかっていう実例。
12<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 01:41:02 ID:U0oQalKT
>>1
孫文の銅像ならなんの問題ない。
彼あって初めて毛沢東が出て、蒋介石が出て、袁世凱が出たのだから。
13<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 02:30:34 ID:PXJLgml/
>>4
既にあります。
14ホロン部員 ◆t/GUd7ef.2 :2008/11/16(日) 02:31:39 ID:c2igVee4 BE:95509038-2BP(111)
>>12
旧軍も警らしたんだよな、孫文の墓。
15ホロン部員 ◆t/GUd7ef.2 :2008/11/16(日) 02:46:37 ID:c2igVee4 BE:143262566-2BP(111)
ところで、日本の元勲は勅命で任命された人だけど、台湾は誰が
任命したんだ?国民党政府時代の、終身議員のことだっけ?
塾長が廃止したような気がするんだが。
16<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 02:48:44 ID:yMH61Pm3
うわぁ

マジで中国領したいんだ
こいつ
17<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 02:51:16 ID:6z5c84qc
>>12
違うと思う。
台湾は、大陸の政治勢力とは無関係という立場がある。
台湾は、台湾であり、中華民国に乗っ取られた状態と考える人も居る。
18<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 02:55:49 ID:UjybDpPp
ハナ肇の銅像でも飾るといいよ
19<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 03:29:49 ID:ns2xRDpb

二・二八事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

二・二八事件(にいにいはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった
大規模な本省人と外省人の抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪により漸く終結した。
本省人はこの事件を台湾大虐殺と呼んでいる。
1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。
これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、
抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸
から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
この事件によって、約28,000人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。
正確な犠牲者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。
事件の際発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続し、表向きは事件が収束したように見えた後も
白色テロと呼ばれる恐怖政治が永らく続いてきた。国民党が戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の
自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の「民主化」が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、
言論の自由が認められてからのことである

20<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 04:07:57 ID:DN4CtnLz
日本が支援したのは孫文だけど、今の国民党は袁世凱の子分でしょ?
21<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 04:16:20 ID:6mOXNMwM
馬は気持ちいいぐらい露骨だな
22<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 04:22:40 ID:GG5nnBdi
>>7 民禁党じゃないか?
23時雨・外保内革派 ◆wCzwkCxPUw :2008/11/16(日) 04:48:04 ID:kUgiF2+d
孫文はまあいいか。
24<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 08:05:12 ID:g+JsvORW
台湾にとっては、孫文なんて全く無関係の人間の筈だけどなあ。
25<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/16(日) 18:21:50 ID:22Te9pB+
こう言っては中国に悪いが『孫文』て、
研究すればするほど売国奴だったてことが判るよ。
26<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 12:41:17 ID:6F9aJxF8
中国革命の指導者、孫文の「歴史認識」

ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題
代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案
に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが
知能に違いはない。アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種
も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、
アジア全民族の地位を高めた。             孫文  「三民主義」
27<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 13:10:47 ID:s+nAbsPG
支持率20%でこんなことしてたらかえって反感買うんじゃないの?
なんか、子供が自分の家を他の家族は無視して得意げに黄色や赤に塗り替えてるみたいだな。
28<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 13:15:48 ID:6F9aJxF8
漢人の地=中華の地を300年間も支配していた満州人の国である清は孫文の辛亥革命によ
り滅び、中華の地は漢人の手に戻り「中華民国」が建国された。辛亥革命のスローガンであ
る「駆逐韃慮・回復中華」「滅清興漢」が達成されたのだ。一方、滅亡した清は、17世紀
の清の建国以降は「封禁の地」として空家にしていた満州人の父祖の地である満州に満州人
の国を再興したいと考え、当時のアジアの唯一強国の日本にサポートを頼のみ、1931年
に満州国を建国した。中華の地の漢人は、昔から万里の長城という国境防衛線を築き、それ
より北の地に住む北方騎馬民族を「北狄」と称していたが、その北狄のうちの一つである満
州人が300年もの間、中華の地を支配していたので、17世紀以降、万里の長城は国境で
はなくなっていたことが、今日の支那大陸の悲劇の遠因となっている。
今の中国共産党は、歴史の真実とはまったく逆の、モンゴルも満州も中国の歴史上の固有の
領土、蒙古族も満人も総て「中華民族」などと言うウソを宣伝している。歴史の真実とは、
元の時代には蒙古族が中華の地と漢人を支配し、清の時代には満州人が中華の地と漢人を支
配していたのである。そうでなければ辛亥革命の「征服者である満州人・清を追い出して漢
人による中華を再興する」というスローガンなど出てくるはずがない。支配されていた漢人
が、今になって満州もモンゴルも中国の領土だと主張することは、まるで独立後のインドが
植民地支配していたイギリスの地はインドの歴史的固有の領土であると主張するのと同じロ
ジックであり、まったく筋が通らないものである。中国共産党が主張している「歴史」とは、
主客逆転した真っ赤なウソなのだ。
29<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 13:26:26 ID:QKpeLS8G
>>1
孫文の隠し子とその子孫が日本にいるらしい。

孫文の革命は、日本人が大枚はたいて支援しなかったら、たぶん失敗していたに違いない。
30<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 14:23:03 ID:WB0gvWP+
詐欺師の孫文かよ(笑)
31<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/11/17(月) 16:05:59 ID:i07k5zDX
父・孫←「子」の部分だけ変換されてない。特殊な文字なんだろうか
32<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
中山道のパクリなので、謝罪と賠償を要求ニダ