【日韓歴史】 日本の中の百済仏教、真実の追求〜浅草寺を建てたのは百済人[10/27]

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1蚯蚓φ ★

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▲チョン・ホスン詩人

詩人たちが片手間に日本の中の民族史現場を学術探訪しながら、その背後に隠れている歴史の真実を
追い求める詩作は韓国詩文学史の非常に大事な作業に違いない。

チョン・ホスン詩人の百済詩「私の手に仏様が」は日本の東京都の真ん中の名刹「浅草寺」を古代に
初めて建てたのは百済人、檜前(ヒノクマ)兄弟であり、彼ら兄弟は人の手に入る非常に小さなわず
か1寸8文(約5センチ)の仏像を浅草寺本堂「観音堂」の中に祭ったという。この小さな仏像は百済「観
音像」だというもの。しかし、まだ誰もこの観音像を見た事がないという「秘仏」で有名だ。

この査察の「本尊縁起」には、仏像を祭った人物が7世紀百済人、浅前浜成(ヒノクマノハマナリ)」
と浅前武成(ヒノクマノタケナリ)兄弟と言う。この二人の百済人兄弟は今の浅草に住みついて、そ
の場所の隅田川に出て魚を捕った。

推古女王36年(西紀628年)3月18日の朝には魚を捕ることができなかった。代わりにこの兄弟の網にか
かったのは観音の仏像だった。ヒノクマ兄弟は、観音像を引き上げると大変畏れ、魚肆を直して新し
い仏堂を作った。こちらに観音仏像を奉安して仕え、礼仏するようになった。正式に浅草寺が建立さ
れたのは孝徳王(645〜654在位)元年だ。

江戸時代(1603〜1868)の著名な考古学者だった鳥居竜蔵(1870〜1874)博士も浅前浜成兄弟の存在を認
めた。浅草寺の百済秘仏がどのような姿なのか、私たちはその代わり6世紀、百済扶蘇山で発掘された
小さな貴重な仏像を見て想像の翼を広げよう。

ソース:読書新聞(韓国語)[理解と鑑賞]日本の中百済仏教の真実追求
http://readersnews.com/sub_read.html?uid=13120§ion=sc3

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