ソース:韓国毎日新聞(ハングル記事を記者が翻訳)
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=46012&yy=2008 写真:チョ・ヒャンレ 社会2部長
http://www.imaeil.com/news_img/2008/column/20081008_092431000.jpg 百瀬格(ももせ ただし)と言う日本人がいる。日本企業の韓国駐在員で40年間を我が国で
暮して来た古株であるこの日本人が10年前に出刊した本のタイトルは”韓国が死に物狂い
になっても日本に追い付く事ができない18の理由”というものだった。
私たちからすれば苦々しい題名だったが”韓国人になりたい日本人”という告白とともに
誤った韓国文化を率直に指摘したこの本はかなりの人気となったと記憶している。例えば
その指摘として注目に値するエピソードがあった。
あるとき百瀬さんが韓国の友人と共にある酒席で「あなたは百済が滅亡したときに日本へ
逃げだした人の末裔なんだよ」という話をされたというのだ。初めにはその話を不快に思った
という。”先進国日本の国民”が韓半島から逃げだした卑怯者の子孫だなんて…。
しかし、自分の姓の百瀬が日本ではあまり多くない氏姓ではないのと、彼が生まれて育った
日本の群馬県高崎近辺の地形を照らし合わせてみると、その言葉が事実かも知れないと
いう気がしたというのだ。
気になった百瀬さんはある日決心し、百済の首都の扶余があった場所へ赴いた。一種の
”ルーツ探しの旅”'だったとでも言おうか。扶余の中心で彼は馬に乗った階伯将軍を目撃
し、その銅像に刻まれた説明文を読んだ瞬間、階伯将軍に魅かれてしまった。
”黄山平野の戦いへと赴くに先立ち、愛する家族を自らの手で殺害し決死隊として選ばれた
5千の部下とともに5万の敵陣へ飛び込み勇ましく戦って最後を迎えた猛将…”彼は”階伯
将軍と5千の決死隊”に日本の侍の”原点”を見つけたのだ。
”ぱっと咲いて散る桜”に象徴される日本侍精神の源流が思い浮かんだのだ。その後に自分
の先祖が百済からの流民で、階伯将軍の後裔かも知れないと考えるのはあまりにも'恐縮'
な気分だったと告白している。
良心的な日本知識人たちの '本音'はこのように現在の日本の歴史や文化の源流が韓半島
であったことを否定していない。しかし日本指導層の人士は”建前”の問題で拒否するだけ
でなく、むしろ歪曲しようとする。
そうしても振り払うことの出来ぬ韓・日両国民の憎悪と葛藤はここから始まったのかも知れ
ない。日本人は胸の片隅に残っている”韓半島からやってきた人々”の後裔という事実を
徹底的に否定したいのだろう。韓国人はそのような日本人の小児病的な根性に軽蔑の
視線を送る。
(
>>2以降に続く)