【ダルフール問題】中国、逮捕状請求に「重大な関心と憂慮」表明 スーダン情勢で[07/15]
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/16(水) 04:01:12 ID:4PpzaNe8
2だ
3 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/16(水) 04:03:05 ID:S513w+dQ
芋づる式で、支那の悪事が白日の元に曝されますように。
あの腐れクロンボにいくらブッこんだと思ってるアルか!?
スーダンは中国のものアルよおおおおおおおおお。
平和、維持活動だと…?
6 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/16(水) 15:12:18 ID:LskvfqN2
毛沢東は、いかなるイデオロギーも全く信じておらず、支那に社会主義のユートピアを建設しようなど露ほども考えたことがない。
彼にとっては、平等主義は唾棄すべきものであり、彼が口先だけでは称えていた貧農に対し、破壊的政策を繰り返し行って恥じなかった。
彼が関心を持っていたのは、自らの個人的権力の追求だけだった。支那も支那の住民も彼にとってはその手段以外の何ものでもなかった。
彼は、人がいくら死のうと無頓着であり、自らの個人的権力を追求する過程で殺人を厭わず、人々の死への恐怖心をもてあそんだ。
彼は、人々が拷問されたり虐殺されたりするのを見物するのが趣味であり、文化大革命当時には、暴力的衝突や拷問の場面を撮影した映画を好んで鑑賞した。
人の弱みを握ってその人物を意のままに動かすこともまた彼の得意とするところだった。
毛沢東は支那の最高権力者であった間、酒池肉林の生活を送った。
(風呂嫌いで25年間風呂に入らなかったが、)彼は中共各所に50箇所以上専用別荘を持っていた。
もっとも、これは臆病者の毛沢東が、米国やソ連による爆撃を恐れ、居場所を隠したかったからでもある。
7 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/16(水) 15:13:33 ID:BrvpFBA8
むう
潘基文がちゃんと国連の高級職員っぽいこと言ってて感心した
9 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/16(水) 15:34:23 ID:LskvfqN2
グルメの彼は、1000キロ離れている揚子江沿いの武漢から北京の本宅まで、せっせと新鮮な川魚を運ばせていた。
相次いで4人の妻を娶った彼は、高齢になってもなお無数の情婦や一夜妻と情交に勤しんだが、これらの妻や情婦及び自分の息子や娘に対し、一欠片の愛情も懐いていなかった。
毛沢東は、長征(Long March)の途次、生まれたばかりの彼の息子を放置して殺すように命じている。
国民党軍に敗れた共産党軍は1934年に長征を始めた時点で80,000人(公式には90,000人)の兵力だったが、延安に到着して長征が終わった1936年には
4,000人(公式には20,000人)に減っていた。その減耗分の少なからざる部分が毛沢東が行った物理的粛清によるものだった。
長征は共産党軍の一般兵士にとっては過酷極まる行軍であり、だからこそ前述したように粛清とあいまって大部分が命を落としたのだ。
しかし、毛沢東を初めとする共産党幹部達の中に、長征の過程で命を落とした者は一人もいない。それもそのはずだ。彼らは一般兵士に担がせた籠に乗って移動したからだ。
延安で毛沢東は、資金調達のためにケシを栽培して麻薬の製造と共産党支配地域外への販売を盛んに行い、現在のドル表示で6億4,000万米ドル相当の売り上げを達成している。
10 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/07/20(日) 10:58:57 ID:UzjVeze6
さすが支那、指名手配された虐殺者擁護してるw