【政治】自民・加藤紘一「曽我ひとみさんら拉致被害者5人を北朝鮮に戻すべきだった」★3[07/08]
衆議院議員 加藤 紘一
生年月日 1939年6月17日(69歳)
出生地 山形県鶴岡市
学位・資格 法学士
前職 国家公務員(外務省)
選出選挙区 山形県第3区
・山形県鶴岡市出身。
・外務省出身。中国語語学研修組でありチャイナ・スクールの系譜にあると言われる。
・天安門事件への抗議として欧米主要国が中国に対する経済制裁を実施するなか、
支那の工作に応える形で天皇陛下を支那へ訪中させ、経済制裁解除に貢献した。
・最近では、2007年2月、自民党の山崎拓、民主党の仙谷由人、枝野幸男、
公明党の東順治、社民党の辻元清美らと超党派勉強会
「ビビンバの会(後に「ラーの会」に改称)」を立ち上げる。
・自民党内にあって小泉・安倍政権に真正面から異を唱える数少ない重鎮議員であったため、
マスコミが小泉・安倍政権批判をする場合にコメント役として重宝されてきた。
・古賀誠、山崎拓と共に「新YKK」として会合を重ね、テロ特措法の期限切れを目途に倒閣に動き、
麻生太郎以外の総裁候補を擁立するという計画が立てられていたとされる(産経新聞2007年9月24日)。
しかし突然の安倍辞任により、続く党総裁選で新YKKはそのまま福田康夫支持になだれこんだ。
・福田康夫内閣の政治姿勢には支持を表明している。
・1991年1月、宮沢内閣の官房長官として
「細部は論じたくないが、(慰安婦側が)強制連行されたと主張するならその通りなのだろう」
と日本側の非を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した。
・1994年8月、当時自民党政調会長だった加藤は中国人民抗日戦争記念館を訪れ
「ここに来るのは長年の願望だった」
「来年は終戦から50年。日本では、どう50年を迎えれば良いか議論しており、
日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」
とした。また、外務官僚時代にハーバード大学に留学した際に
「蘆溝橋事件が起きるまでの一年」と題した論文で修士号を取得したことを述べ、
「亜州歴史的真実只有一個(アジアの歴史の真実はただ一つ)」
と記して抗日記念館の館長に献じた。
●主な所属議員連盟
NPO議員連盟
日韓議員連盟
日中友好議員連盟
日朝国交正常化推進議員連盟
北京オリンピックを支援する議員の会
量刑制度を考える超党派の会(会長)