【国内】「朝鮮総連は悪魔。許せない」「収容所は人間の動物園」…総連提訴の脱北女性が会見 [06/15]

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2ククリ ◆KukuriClQM
>>1の続き
 −−それは何かひっかかることがあるということか

 藤森弁護士「赤十字社は当時帰還する在日朝鮮人の方から何度も了解を確認しているんです。
私たちはそもそもだました大本はどこかということを重視している。赤十字社や日本政府が
個々の人をだましたかというとそうは考えていません」

 −−この裁判を通じて、赤十字社も政府も自分たちが当時取った行動などを正しかったのか
検証してもらえたらと思いますか

 藤森弁護士「そうですね。ジャーナリストの方々にもぜひ取り上げていただいて」

 −−当時はマスコミも「地上の楽園」を報道してそれで信用した人もいますが

 藤森弁護士「それも赤十字社や政府と同じですね。だました根源ではないと」

 −−現在家族の安否は

 千葉さん「兄弟や親戚(しんせき)がまだ北朝鮮に残っています。両親はもう亡くなっています」

 藤森弁護士「千葉さんの夫はどうしたという質問もよく受けますが、千葉さんそれも答えてくれますか」

 千葉さん「夫も日本から帰還した人です。朝鮮語が全然できずに苦労しました。医師をしていましたが、
患者に自分の血をたくさん献血して、その影響で病気になって1986年に死にました」

 −−北朝鮮に家族を残したままで、今回実名で提訴した心境は、心配だけれども身をもって訴えるということですか

 千葉さん「そのとおりです」

 −−北朝鮮でどういう生活をしていたか

 千葉さん「本当に言葉にできないくらいですけど、1971年ごろ、日本から来た人はとてもいじめられて…。
学校に行ったらたくさん生徒が集まって髪の毛をひっぱられたり、服を破られたりしたときは、日が暮れるまで
待ってパンツ1枚だけで家に帰ったこともあった。先生にも言ったけど日本の服を着てくるからそうなるんだといわれた。
母に話しても仕方がないと泣くばかりで」

 《千葉さんはあふれる涙をハンカチでぬぐいながら続けた》

 千葉さん「万景峰号という船で北朝鮮に渡ってから私たちの人権はなくなっていました。
兄は(1963年に)船が着いたときに『日本に帰りたい』と行っただけで(北朝鮮当局に)連れて行かれた。
兄のいる収容所に行ったときは人間の動物園のようだった。私たちに罪はないのに北朝鮮に行っただけで
なぜこんな目にあわなければならないのか。毎日毎日泣きながら過ごしました。私は、だました朝鮮総連を
許すことができません。みなさんの力を貸してください」