【北京五輪】国歌を唄えて国旗を掲げる権利と、喜び[5/25]

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1依頼@レコバφ ★
 「五輪期間中は“にわか愛国者”が増える。普段は国旗に見向きもしない人たちが、日の丸は
いくつ上がったか、君が代は何度歌われたかに夢中になる」。

 まるで日の丸や君が代に夢中になるのが滑稽なことでもあるかのような、シニカルな文章を
目にしたことがある人は少なくないだろう。「日の丸や君が代に対して、あくまでも批判的なのが
進歩的文化人というもの」あるいは「普段は日の丸や君が代に批判的な進歩的文化人も、五輪
の時は童心に返ってしまうもの」といった読者に対する優越感に満ちたニュアンスを感じるのは
私だけではないだろう。仮にそれが私の思い過ごしだとしても、一部メディアで使用される「愛国者」
という単語には、通常は尊敬の対象であるべきカテゴリーの人々に対して、それとは正反対の
侮蔑と、ある種の危険人物であるかのような意味が含まれているように思えてならない。

 五輪は、国家を強烈に意識させるイベントでもある。そして、わが国は最も国歌や国旗に敬意を
払わない人が多い国の1つであったのは間違いないだろう。それは60年代から70年代にかけて、
新左翼運動が全盛であったことと無縁ではない。
 だが、80年代から90年代にかけて、そういったイメージは急激に変わってきた。
競泳・北島康介・・・「センターポールに日の丸を揚げます」。
野球・片岡易之・・・「日の丸を背負ったことがないので、そういうチャンスがあるなら国の代表として頑張りたい」。
野球・サブロー・・・「予選では日の丸を背負うプレッシャーと感動がいかにすごいものかを知ることが出来ました。」

 若い世代が何の屈託もなく、自らの目標達成の象徴として「日の丸」に言及しているのは興味深い。

 恐らくこういった姿が自然な姿なのだろう。
自らの国の旗や歌に敬意を払うことは当然であり、国歌を歌わないことに自己のアイデンティティーを
求めるのは、例えば中国に国を奪われたチベットの人々のように極めて限られた層である。

中略
 2輪やF1のサーキットで、あるいはサッカースタジアムで、海外で暮らしていると国歌、国旗に
対して自然と振舞えるようになるということは、日本の事情が特殊で異常であることの証左に思えて
ならない。彼らは外国であれば当たり前のことをしているに過ぎないし、そのことが日本のそれまで
の異常さを認識させる1つのきっかけになった。
中略
 君が代と日の丸に反対する一部の人は「戦前の日本を表しているから反対だ」とよく言う。「侵略
戦争に加担していたシンボルだ」という意見もある。しかし、仮に日本の戦争が悪かったとしても、
あるいは<侵略> だったとしても、日の丸や君が代は当時も今も国家のシンボルであり、ナチスの
鉤十字を国旗としたドイツ第三帝国とは事情が違う。君が代、日の丸に反対する人たちの言う
「国策を誤った」のは当時の日本政府あるいは軍部であり、「国策を誤った当時の日本と同じ国旗、
国歌はいやだ」という主張をドイツ第三帝国の状況と同一視するのは論理的に無理がある。

 もし、悪い侵略戦争だったとしたら、そのシンボルである日の丸、君が代を忌避するのは、かえって
罪を逃れる卑怯な行為になるのではないか。日本の過去が過ちだったとしたら、そう認識した人は
過去から目を背けてはならない。過去を背負って現在に継承しなければならないはずだ。そして
そうであれば、

他国を公然と併合し人権弾圧を行っている近隣国に
平和の尊さを教え「国旗を変えろ」「国歌を歌うな」と主張してほしいものだ。…まあ、無理だろうが。

 小中学校や高校の入学式や卒業式で、国歌を歌わない権利があるとして児童、生徒に特定の
政治イデオロギーを強制する勢力が存在する。

 こういう人たちは、国歌を唄いたくても唄えない、国旗を掲げたくても掲げられない、侵略下の
地域にある子供たちのことなど考えたこともないに違いない。

 2001年のブータン映画、「ザ・カップ」は、チベット亡命者の少年僧が寺院で禁じられたW杯の
テレビ観戦を何とか苦労して実現させる物語だが、主人公の少年僧が「僕らが国歌を歌える日が
来るのかな…」とつぶやくシーンこそ、日本人の幸せな環境を何よりも雄弁に物語っている。

 日本人が大声で君が代を歌い上げなければ、
あの主人公の少年に失礼なことをしていることになると思う。
 北京の空に日の丸が翻り、君が代の美しい旋律が流れる日を、今から楽しみにしている。
http://beijing2008.nikkansports.com/news/column/20080522.html