日本の国際緊急援助隊 「なぜ軍が活動したところにわれわれを行かせるのか」 日中間の意思疎通不足など問題点 [05/17]  

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1ジュウザφ ★
 日本の国際緊急援助隊の第1陣、第2陣計60人は17日夜、四川省綿陽市曲山(きよくさん)鎮に
到着した。引き続き、約60キロ離れた最大被災地の一つ、北川県に向かう。

 被災地では、日本の国際緊急援助隊の活動を高く評価する声が上がっている。その一方で、
援助隊が誇る高度な専門性が十分に生かせない現場に送られるケースもあり、援助隊の効率的な
活用をめぐっての日中間の意思疎通や、事前調整の不足が目についている。

(略)
 一方、中国側から援助隊に新たに指示された北川県の救助現場は、生徒数約1500人の中学校。
すでに軍が救助活動をした場所だ。中国外務省の同行者が日本側に伝えたところでは、まだ捜索や
救助が実施されていない校舎が1、2棟あるという。

 しかし、援助隊には生き埋めになったとみられる人数すら通知されず、そのまま現地へ向かうよう
指示を受けた。記者団から「なぜ情報が入らないのか」「軍が活動した後の現場ばかりに向かわせるのか」
などと質問を受けた援助隊関係者は、「何も知らされていない」と答えるばかりだった。隊員からも、
「なぜ軍が活動したところにわれわれを行かせるのか」と首をかしげる者もいた。

 母娘の発見現場は、生き埋めになった者がもともと3人しかいないとみられる場所だった。しかも、
援助隊が母娘の救出現場に到着したのは、四川省成都を出発してから14時間後。現場は成都の空港から
400キロ。綿竹市や都江堰市など、成都から100キロの圏内には多くの学校や病院などの倒壊現場
がある。一刻も早い救助を求める被災者も、それだけ多い。

 日本隊が入った現場周辺の山は半分が崩れ落ち、大量の土砂が町を覆っていた。80メートルに渡り土砂に
埋まった小学校もあった。現場は、都市型災害救助という援助隊の専門とは、かけ離れた状況だった。

 「学校や病院など、生存率の高い現場で成果を上げたい」。複数の隊員がこうもらし、現場到着に予想外に
時間がかかったことを残念がった。

 援助隊の団長を務める小泉崇・外務省国際緊急援助室長は、「中国にとって外国の援助隊受け入れは初めて」
と中国への理解を示したが、実態は、「現段階では生存率が1割程度にまで低下している」(隊員)だけに、
援助隊には今、効率的な活用が最も求められている。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080517/chn0805172109020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080517/chn0805172109020-n2.htm