【中国】韓国で暴動を起こした”憤る青年(憤青)”たち。その気持ちは理解できるが・・・文革の回顧から[05/04]

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1壱軸冠蝶φ ★
ソース:人民報(依頼スレ38さんの依頼で記者が繁体記事を翻訳)
http://renminbao.com/rmb/articles/2008/5/3/47586b.html
写真:
http://renminbao.com/rmb/article_images/2008-5-1-080501hsbt01s.jpg
http://renminbao.com/rmb/article_images/2008-5-1-080501hsbt02s.jpg

私は”憤青(憤怒する青年)”を理解できる、私もやむを得ず憤青になったことがあるからだ。
あれは文化大革命の時代で、ちょうど高校を卒業するときだった。校長や普通の教師を吊
るし上げ正面から闘おうと強要され、何時からかも分からないが社会の全て、全員が一種の
不安と恐怖による局面を形成していたのである。

あの赤旗が林立し歓声が沸き立つ場面、どんなに残酷でも、どんなに非人間的な提案で
あっても、皆の声はこれ以上無いほどの”憤り”を表現し雷鳴のように轟いていた。私は
私自身がそうであったように、私の知る他の人も全て”憤り”を溜め込みそれから自分を守る
ために他人を傷つけていたのである。

一人の年老た教師は、中国共産党が打ち立てられる前は国民党に属して校長になっていた
ために、ある人が叫んだ。「国民党の残した悪人を消し去るぞ、こいつを打ち殺せ!」と。
そうしてこの老教師はその場で叩き殺されたのである。その時代のことは、今思い出しても
ぞっとする。

誰もが吊るし上げられないようにと慎重にしていたが、”5%階級”という敵を探し出すノルマ
を必ずこなさなければならなかったため、引っ張られていく人は絶えることが無かった。

当時ロシア語の教師がいたのだが、その教師からロシア語を学んでいた女の子がちょうど
校門から出て行こうとするのを私は見た。その子は非常に綺麗で、明るく朗らかで人を助け
ることが好きだったので先生から学友までみんな彼女のことが好きだった。

彼女はロシア語を話すことが出来たのでソ連のスパイとして学習した可能性があるのでは
ないかという人がいたので、彼女を自白させようと台の上まで引っ張っられていった。その子
は驚き、全身を震わせて大声で泣き叫んだ。

みんな、こんな指摘が事実無根であることは分かっていた。しかし会場にいた数千人もの
人々は意外にも誰も異議を唱えず本当のことを言えと整然と握りこぶしを高く掲げて叫んだ
のだ。「スパイを仕立てるソ連を打倒せよ!」、「命と鮮血を以って祖国を守るのだ!」と。

憤激と感情が高まっていき、それに気づいた者もその場に何人かは恐らくいただろうが、
誰もそれについて何もいう事は無く、誰もが大いに誤魔化していたその場の空気は正に異常
であった。

>>2以降に続く)
2壱軸冠蝶φ ★:2008/05/04(日) 20:35:24 ID:???
>>1の続き)

そうして彼らの魂は捻じ曲がり、良心は取り去られた。中国共産党は真実を嘘とすることで
一度に人々を洗脳したのである。反右派と文革後に世相は徐々に悪化していき人間関係は
冷酷、狡猾となったがそれを全くおかしいと思わなかったのである。

大衆が大声で叫ぶ中、憤青らは彼女の髪の毛を掴んで台の上に跪かせそこで彼女は全て
を”自白”させられたのである。続いて堂々とした隊列が組まれ彼女の証言に従って本国と
通信するための無線や活動の為の経費を探すも、探し当てることは出来なかった。

にも関わらず人々は彼女を叩いた。我先にと争って叩き、更に彼女の頭を鬼頭(半分だけ
髪の毛を残して、半分は全て剃る)にし、学校の校門前跪かせ唾を吐きかけ通る者はみな
罵声を浴びせたのである。彼女はたちまち気が触れてしまい、少し後に自殺した。

今更ながら、その時のことを極めて明白に思い出し引き裂かれ噛まれるような心の痛みを
感じている。だがその時の人々は”憤って”大きな声でスローガンを叫び、彼女は共存でき
ない見本であるとしたのである。

”憤青”は良心の苦難と苦痛を軽くするため、ああいった罪の無い人々に対し助けることも
無く彼女のような弱者を苦しめることで発散するしかなく、膨れ上がった人間の獣性という
一面は良心の感覚を麻痺させるのだと私も彼らも理解していた。

今思い出しても、良心は癒すことの出来ない痛みを感じ、あの恐怖は遠く長い時間を超える
に従い益々蘇り、この痛みを明確にしている。

私自身が”憤青”の経歴があるため、故に私も現在の”憤青”たちのことを理解できる。
彼ら”憤青”は中国共産党が天安門の学生を戦車でひき殺したことや、チベット族の同胞を
殺害していることを信じることが出来るだろうか?

中国が報道を禁止し、ブロックし、人民を調査し、法輪功の信者の臓器を摘出し、貧富の
格差が益々広がっていることを知らず、腐敗による着服、民衆が医療を受けることも困難で
、居住条件の悪化や進学することが難しいのが大きな3つの山なのだろうか?

実はよく分かっているのだ。相当に高い水準に達する話をし、上辺では遠慮なく憤激して
いるにも関わらず、本質は自分のあれら上記の点を守るためではない。一説では”愛国”や
”敵への怒り”、誰かは間違いなく”愛してない”、誰かは間違いなく”憤ってない”というのが
あって、他人の”愛する”は自分より更に”愛する”ことが必要で、他人の”怒り”は自分の
”怒り”よりさらに上をいってなければならない・・・。

私は彼ら憤青が理性と知性を立ち上げるように勧める。私達古き中華民族の富強のためと、
全ての中国民衆が過ごせる良き生活があり、自分の良心を更に苦しめるようなことはしない
で欲しい。自分で悔恨を残すことは残念なことだと思う。

君たちは真に祖国を愛している。だからこそ君達の勇気を共産党の独裁という暴政を終える
ためにその力の一部を取り出し貢献するようにしよう。

(老いた憤青)

(以上)