【竹島】 江戸幕府、小笠原群島の領有権主張に「独島=朝鮮領」地図を利用していた〜保坂祐二教授[05/02]

このエントリーをはてなブックマークに追加
233<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
●半月城先生の最新見解 独島=日本領にあらず、石島=独島に間違いなし!
外務省パンフレットへの批判6、(1) 2008/ 4/27 17:08 [ No.16502 / 16505 ]
投稿者 : ban_wol_seong
6.大韓帝国勅令と島根県告示

  外務省のパンフレット曰「6.日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入し
て、竹島を領有する意思を再確認しました」
  外務省が「再確認」と強調するからには、以前にも「竹島を領有する意思」
を確認したことがあるはずですが、それは一体いつなのか首をひねりたくなりま
す。現在の外務省はいざ知らず、50余年前の外務省は幻の「松島(竹島=独島)
渡海免許」を信じていたので、前回の確認とは数百年前の、幻の渡海免許を指す
のでしょうか? それとも時代がくだって明治時代に確認を求めているのでしょ
うか?
  もし前者ならまったくお話になりません。川上健三がとなえた幻の松島渡海
免許は、最近では塚本孝氏や池内敏氏などによりことごとく否定されました。つ
ぎに、後者の可能性ですが、50余年前の外務省はこう主張しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  当時(明治時代)の外務省では、松島という島の開拓願いの提出に際し、こ
の島がいかなる島を指すかを明らかにするため視察を行なう必要があるかどうか
を検討していた。
 (途中省略)
  渡辺記録局長は、「このいわゆる松島なるもの、竹島(今の鬱陵島)なれば
彼に属し、もし、竹島(今の鬱陵島)意外にある松島なれば われに属さざるを
えざるも・・・その松島「デラセ」島なるものは本来、竹島すなわち鬱陵島にし
て、わが松島なるものは洋名「ホルネットロックス」なるがごとし、・・・この
ホルネットロックスのわが国に属するは各国の地図みな然り」、「旧幕府無事を
好むより・・・竹島(今の鬱陵島)をもって・・・朝鮮に譲渡せりといえども
松島(今の竹島)は竹島(今の鬱陵島)よりわが近き方にあれば、日本に属し、
朝鮮また異論ある能わず」と述べ、視察の結果、この松島が鬱陵島と別物ならば、
因幡、隠岐、石見などに帰せざるを得ずという見解を示していた。
  明治13年9月、軍艦天城が赴いて実際にこの島を測量した結果、問題の松
島は鬱陵島そのものであり、鬱陵島付属の島に竹嶼があることが明確にされた。
  松島開拓願いの審議に際して明らかなことは、明治初期においても日本国政
府が竹島を日本固有の領土として認識し、その上に立って議論していたことであ
る(注1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  50余年前の外務省は、明治政府も「竹島を日本固有の領土」と認識してい
たとする根拠を、単に外務省の一局長の見解においていたようです。ところが、
その渡辺洪基局長の地図などに関する見解が噴飯ものであることはすでに書いた
とおりです(注2)。
  そうした見解を主柱にして外務省は「固有領土」の証明をしたと考えている
ようですが、これは我田引水もはなはだしいようです。というのも、当時の決定
的な資料については何も語らず、史料の恣意的な選択をおこなって「固有領土」
の結論を出したからです。
(つづく)