【竹島】 江戸幕府、小笠原群島の領有権主張に「独島=朝鮮領」地図を利用していた〜保坂祐二教授[05/02]

このエントリーをはてなブックマークに追加
209<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
外務省パンフレットへの批判2、(1) 2008/ 4/12 13:46 [ No.16409 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

2.「韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません」

  パンフレットは、この表題につづけて韓国の主張をこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗実録地理
誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『東国文献備考』(1770年)
、『萬機要覧』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という
二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島で
あると主張しています。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外務省のいう「韓国側」とは何を指すのか不明ですが、少なくとも韓国政府
が日本政府に宛てた公式の反論に『三国史記』は登場しません(注1)。外務省
は幻の主張に振りまわされる一方で、重要な『世宗実録』地理誌への反論はない
ようです。
  同書に「于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。お互いに遠くなく、風
日が清明であれば望見することができる」とありますが、この記事こそ「韓国が
古くから竹島を認識していたという根拠」として韓国政府が強く主張したのでし
た。
  かつて、外務省の川上健三氏はその主張に反論するため、欝陵島から竹島=
独島は見えないと主張したくらいでした。その主張は、欝陵島で少し高いところ
へ行けば充分見えると反論され、川上氏の努力は徒労に終りました。それほど重
要な文献である『世宗実録』地理誌にパンフレットは一言もないようです。
  つぎに、パンフレットはこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引
用された『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹
島)である」と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山
島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から
直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、
『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述(5.参照)を無批判に
取り入れた別の文献(『彊界考』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると
指摘しています。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この文に外務省の調査不足が露呈しているようです。というのも、『輿地志』
の本来の記述は、決して「于山島と欝陵島は同一の島」としているのではなく、
別々の島であると記述しているからです。ここにいう『輿地志』は柳馨遠『東国
輿地志』とされますが、同書の口語訳は下記の通りです(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
于山島、欝陵島
  一に武陵という。一に羽陵という。二島は県の真東の海中にある。三峰が高
くけわしく空にそびえている。南の峯はすこし低い。天候が清明なら峯のてっぺ
んの樹木やふもとの砂浜、渚を歴々と見ることができる。風にのれば、二日で到
着できる。一説によると于山、欝陵島は本来一島という。その地の大きさは百里
である。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この文は官撰書である『東国輿地勝覧』と完全に同じです。といっても剽窃
ではありません。元来『輿地志』は、その「凡例」に断り書きがあるように、目
的は『東国輿地勝覧』の「増修」にありました。
(つづく)