【島根県】ふるさと納税制度、寄付金の第1号 「竹島(韓国名・独島)の領土権確立に向けた活動への活用を希望」 [04/26]
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外務省パンフレットへの批判6、(2) 2008/ 4/27 17:09 [ No.16503 / 16505 ]
投稿者 :ban_wol_seong
ちなみに、外務省が今でも語ろうとしない明治時代の重要史料は下記のと
おりです。
(1)外務省報告書「朝鮮国 交際始末 内探書」(注3)
報告書中に「竹島松島 朝鮮附属に相成候始末」と題する一文があります。
(2)太政官・正院地誌課『日本地誌提要』(注4)
『日本地誌提要』は地理担当当局による官撰地誌なので、そこに竹島=独島が
どう扱われたのかは非常に重要です。同書は、隠岐の小島179を「本州の属島」
と記し、それ以外に竹島・松島があると記しました。この記事から明治時代の地
理学者・田中阿歌麻呂などは竹島・松島が日本領でないと解釈しました。この官
撰地誌でも竹島・松島が一対の扱いになっていることは重要です。
(3)内務省地理局『磯竹島事略』、『礒竹島覚書』(注5)
両書の記述はほとんど同じで、江戸時代の「竹島一件」の顛末を網羅しました。
両書は内務省が竹島・松島を日本の版図外と判断した基礎資料として重要です。
両書はもちろん鳥取藩の「竹嶋之書付」なども所載しました。この史料で竹島
・松島が鳥取藩をはじめとしていずれの藩にも属さないことや、幕府が松島(竹
島=独島)の存在を知らなかったことなどが明白です。
(4)太政官「竹島外一島」版図外指令(注6)
1877年、内務省は地籍編纂事業において問題になった竹島・松島は日本領でな
いと判断しましたが、版図の取捨は国家の重大事なので、念のために太政官の裁
可を仰ぎました。その内務省の伺書中に「磯竹島略図」がありますが、同図から
も松島は現在の竹島=独島であることが明瞭です。
太政官は内務省の伺書どおり、竹島(欝陵島)および外一島である松島(竹島
=独島)を版図外と決定する指令を2週間後に発令しました。
(5)内務省地理局の官撰地図(注7)
国土や領土の担当機関である地理局が作成した官撰地図において、竹島・松島
は一時期を除いて日本領として扱われませんでした。1905年以前における明治時
代の官撰地図は下記のとおりです。
(A)1867年「官板 実測日本地図」、幕府出版(1870年に明治政府の開成学校から
再版)
(B)1879年「大日本府県管轄図」、内務省地理局出版
(C)1880年「大日本国全図」、同上
(D)1881年『大日本府県分轄図』、同上(1883年に改訂版)
これらの官撰地図で竹島=独島が含まれるのは、(D)『大日本府県分轄図』中
の極東図である「大日本全国略図」のみです。ただし『大日本府県分轄図』中の
島根県など各府県図に竹島=独島は描かれませんでした。これ以外の地図に竹島
=独島はまったく描かれませんでした。
なお「大日本全国略図」において、初版では竹島・松島は山陰道と同色に彩色
されましたが、これは作成者の無知による誤りと思われ、改訂版では訂正され無
彩色にされました。すなわち、この訂正は竹島=独島は日本領外としたことを意
味します。
(つづく)