【竹島】独島研究センター、日本外務省の独島領有権主張に反論[04/22]
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■日本の主張に対する批判1. 韓国文献の「于山島」は独島を示す
□日本は独島関連韓国側古文献の記録はほとんど誤りで、韓国が独島の存在が分
からなかったと主張する。
・日本は『三国史記』と『東国文献備考』、『増補文献備考』、『新増東国輿
地勝覧』の付属地図である「八道総図」の于山島(独島)記録を問題視する
が、
・鬱陵島の外に于山島が別にあるという「2島」意識は『世宗実録』地理志、
『東国輿地勝覧』、『増補文献備考』を含めた多くの文献にみえて、
安龍福事件を経験しながら朴世堂に至れば于山島を明確に区分して具体的に
記述する。
□日本は韓国文献上の于山島を独島ではないと反駁するが、韓国で于山島は独島
を示すこと。
・日本が引用した『輿地志』で「鬱陵島と于山島が同一の島」といったのは
一説に過ぎないのに、二つの島を別個の島と見た本説を取らないで一説
を取るのは我田引水的な解釈。
□『新増東国輿地勝覧』の付属地図に鬱陵島・于山島の位置が違ったのは一種
類の絵図を載せるからだ。
・絵図は地図と違い不正確だが、16世紀の科学技術を勘案したらこれは当時
東海に二つの島があるという空間認識を描いたと見なければならない。
・これを于山島の存在自体を否定する根拠にすることはできない。
・朝鮮時代は鬱陵島に行くことさえ承諾しなかったが、それより離れた独島
にわざわざ行くことは珍しかったから現地踏査による作成が大変だったとい
う事実が分かる必要がある。
□ 『新増東国輿地勝覧』に添付された「八道総図」に鬱陵島と于山島の位置が
変わったことをもって私たちの先祖の独島認識を否定するが、
・鄭尚驥の「東国大全図」 (1757) 以後からは独島を鬱陵島の東に正確に表示
している。
・それどころか山村清助の「大日本分見新図」 (1878) などで見えるように、
日本側文献と地図で名称と位置に対する混乱は19世紀まで続いている。