【韓国】 そのチベット青年は今〜侵略国日本に同情、他の民族の痛みは分からないもの[04/16]

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1蚯蚓φ ★

ティエンに会ったのは11年前、米国バークレーカリフォルニア大学で研修していた時だった。彼はイ
ンドで勉強するためにアメリカへ来たが母国はチベットだ。珍しくも彼は「メイド・イン・チャイ
ナ」製品が苦手だった。値段がもっと高くても、中国産ではない履き物を買いにショッピングモール
を迷ったこともある。貧しい学生が安っぽい中国製品にどうしてそのようにアレルギー反応を見せる
のか、理由が分かるようになったのはかなり親しくなった後だった。

「事実は…私たちの親は1987年10月、チベット独立を要求するデモを起こして中国軍人たちに殺害さ
れたのです。その時、何百人も無惨に死んだんです。幼い私だけ、やっと他の人々に導かれてインド
に脱出し、そこで過ごしてボランティアをしていたあるバークレー大の女学生と知り合いになりまし
た。彼女の助けでアメリカへ来たんです…。」彼の悲劇的な事情に二の句が告げなかった。韓国も亡
国の歴史があるから、彼のしこりが残った恨(ハン)を推し量ることができた。ただ彼の家を襲った
流血事態はその時は遠く聞こえた。

韓国で民主化運動が最高潮に達した1987年内には、そんな外信に関心を傾ける余裕があったかと思う。
ティエンに対する憐憫はいくらもしないうちに失望に変わった。アメリカが第二次世界大戦当時、日
系アメリカ人約11万人を「戦時隔離キャンプ(War Relocation Camps)」に強制収容したことを思い出
すある行事で彼に背信感を感じたからだ。その席でアメリカの演者らは米政府の過誤を真剣に謝り、
日本人参席者たちはわざと「過去を許す」と言いながらも「二度とそんな人権蹂躙があってはならな
い」と強調した。しかし、誰も日本が韓国などを侵略した歴史には言及しなかった。

加害者である日本が被害者に化けたことに開いた口が塞がらなかったが、ティエンはうなずいてその
ような発言に共感しているようだった。甚だしくは太鼓演技をした日本文化団員らが聴衆に舞台の上
に上って来て太鼓を打ってみることを勧めると、一番先に走っていって情熱的にたたくまでした。残
念な気持ちで行事が終わった後、問い詰めた。

中国に国を奪われたチベット人としてどうして侵略国である日本に同情することができるのか、と。
ティエンは困り果てた。「ごめん…。日本が韓国にそんな苦痛を与えたことを知らなくて…。」おた
がいさまだった。わが民族の苦痛を認めてください、でも他の民族の苦痛が分からないことは、お互
いに同じだったから、彼をとがめることもできなかった。

最近、国際社会ではチベット事態と係わって「中国叩き」が盛んだ。中国の人権弾圧に対する強い批
判の裏面には、チベットに対する同情の他に急浮上する中国をこの際、牽制しようとする意図も覗き
見える。しかし、中国のチベット支配自体を正面から問題視するのは、国際的な力学関係に映してみ
る時たやすい事ではない。

ダライ・ラマがいたわしくも「私たちが願うのは自治であって、独立ではない」と言うしかないのが
現実だ。このごろティエンは、同胞たちと一緒に祖国の独立を喉がさけるほど叫んでいるようだ。彼
はもしかしたら一生‘メイド・イン・チャイナ’にそっぽを向いたまま暮さなければならないかも知
れない。取り戻した祖国で二つの足を伸ばして暮らし、中国製品に拒否感を感じなくても良い私は、
彼を思い出す度に切なくて胸が息苦しくなる。

http://www.donga.com/photo/news/200804/200804160074.jpg
ハン・ギフン国際部長

ソース:東亜日報(韓国語)[光化門で/ハン・ギフン]そのチベット青年は今
http://www.donga.com/fbin/moeum?n=column$i_18&a=v&l=0&id=200804160074