【朝鮮日報】海外にも「独島」問題があった[04/15] 148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:15:31 ID:CWKXjzWm
<新刊> 『竹島=独島論争』
[聯合ニュース 2007-04-11 08:44]
(ソウル=聯合ニュース) キム・ヨンス記者
日本政府の「独島(日本名:竹島)固有の領土論」を,韓国と日本の新しい
史料に基づき批判的に検証した『竹島=独島論争』が日本で出版された.
「歴史資料から考える」という副題が付いたこの本は,日本の代表的な独島研究
家である内藤正中島根県立大学名誉教授と,日本国内の市民団体である「独島・
竹島問題研究ネットワーク代表,朴炳渉さんが,日本人が独島問題に対して正
しい歴史的事実を共有してほしいという思いで,共同で執筆した.
二人の著者はこの本で日本外務省が「独島は歴史的、国際法の上でも明らかに
日本固有の領土」と主張していることに対し,1987年堀和生京都大教授の
『太政官指令文』公開以降に新たに発見された史料を提示しながら,日本の
固有領土の主張に反論した.
第1章の「日本の固有領土論について」では,過去日本政府が「鬱陵島と独島は
日本領とは関係ない島」と決めた事実があることを多くの史料で立証している.
第2章の「竹島=独島の歴史上の争点」では,現在日本で争点となっている歴史
的事実を,両国の資料に基づき詳しく説明している.第3章と第4章は日本の
メディアと、島根県竹島問題研究会などに対する反論と,独島の実測データ,
日本人の鬱陵島・独島紀行文などが掲載されている.
『竹島=独島論争』は,日本メディアの独島問題報道が,島根県の「竹島問題
研究会」が先導する方向に偏向されているなかで,独島問題を歴史的な観
点で客観的史料に基づき分析したという点で,注目を集めている.
東京 新幹社,342ページ,2500円
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001602647
149 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:17:02 ID:CWKXjzWm
●保坂祐二教授、島根県竹島問題研究会の最終報告書を批判!
http://www.dbpia.co.kr/view/ar_view.asp?arid=938081 島根県 「竹島問題研究会」の「竹島問題に関する調査研究-最終報告書」の問題點 - 太政
官指令文に対する下條正男の見解を中心に-
The Problem in the Last Report of Shimane prefecture's Study Circle for Takeshima - Centering the Point of View for the Document of Dajokan Directive by Masao Shimojo -
(保坂祐二, Hosaka Yuji)
pp. 421~444 (24 pages)
2007年5月、下条正男教授が座長を務める島根県「竹島問題研究会」は、2年間継続し
た「竹島問題に関する調査研究」を終え、「最終報告書」を提出した。この最終報告書の
中で、下条正男は1年前の中間報告で認めた内容(=太政官が松島「独島」を日本領では
ないという指令を出したこと)を翻し、再び太政官指令の中に登場する「竹島外一島」の
うち、竹島は実際には存在しない島であり、外一島は松島ではあるが欝陵島であって、独
島ではないと主張した。彼は、2005年の著書と2006年の中間報告では、外一島を独島と
認め、1877年に太政官が欝陵島と独島を朝鮮領と認めたことを告白した。しかし2007年
の時点で、彼は再びそれを翻した。彼は、太政官はシーボルトが誤って記した日本地図を
見て、そこに記載されたアルゴ形ート(Takashimaとも記載、存在しない島)とダジュレー
(Matushimaとも記載、経緯度から欝陵島である)を「竹島外一島」として版図外宣言をし
たと主張する。しかし、太政官がシーボルトの地図を見て判断したという資料的根拠はど
こにも存在しない。
太政官指令文の中に記載された松島に関して精密な分析をすれば、紛れもなく今日の独
島を指していることが判明する。指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一
島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。下条が良心を捨てた
歪曲行為を繰り返すのは、韓国側は騙せなくとも、専門知識の無い日本の国民と日本政府
を騙せると考えているからであろう。
最終報告書, 太政官, 竹島外一島, 島名混乱, The last report, Dajokan, Takeshima and the
other island, Confusion of the name of the island
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:17:43 ID:aGQOo/Jv
151 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:17:49 ID:CWKXjzWm
●独島問題研究の権威・内藤正中先生の見解
「竹島」(松島、鬱陵島)が朝鮮領であることはいうまでもない。「竹島外
一島」の外一島が現在の竹島(リャンコ島、子山島、于山島、独島)であるこ
とも明らかである。
1877年の太政官達は「本邦関係無之」といい、1880年の軍艦天城
の調査結果は「古来我版図外の地」と記すのであった。
こうして竹島はもとより、属領であるリャンコ島(現竹島、独島)も朝鮮
領であることが確認されたため、1905(明治38)年に東京の博文館が発
行した田渕友彦著『韓国新地理』のなかでは、「ヤンコ島」として江原道鬱陵
島の項で記しているのであった。
1904(明治37)年9月、リャンコ島でのアシカ猟独占を企画した隠
岐の中井養三郎は、リャンコ島が朝鮮領であると信じ、朝鮮政府に貸下請願し
ようと思って上京する。時あたかも日本海でのロシア艦隊との海戦を想定して
いた日本政府は、これを好機に領土編入して竹島と命名したのである。
地理学者の田渕でさえ韓国領の鬱陵島の属島にして記しているのであるか
ら、隠岐の中井が韓国領であると思っていたとしても不思議ではない。こうし
た事実の上に立つと、竹島を「日本固有の領土」などとは強弁できなくなるの
ではなかろうか。
内藤正中「竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史」
『韓国江原道と鳥取県』富士書店(鳥取)、1999
http://www.han.org/a/half-moon/hm061.html
152 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:27:05 ID:l2Wy5FwH
おバカのハンケツ城か。
153 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:29:46 ID:aGQOo/Jv
なんか必死に貼りまくってんのがいるなw
154 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:34:03 ID:B6y4Oqmi
>>150 卑怯かどうかなんて問題じゃない。国際司法裁判所に持ち込むには両国の同意がいるのが厳然たる規則。
それを無視して一方的に裁判所にでてこい、という理屈では何も動かない。
それこそ脅迫的行為か、負け犬の遠吠えでしかない。
日本は軍事独裁国家ではなく民主国家であり、政治家が腰抜けなのは他ならぬ日本人が腰抜けだから。
世論なくして政府が行動にでないのは当たり前だ。
それをマスコミが悪い外務省が悪いと責任転嫁してる時点で日本の敗北決定。
悔しければ国民自身が竹島に軍を派遣するように行動するしかない。
155 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:36:05 ID:GdSt5cLN
>>136 そんなことすれば、日本から報復が行くだけ。
そもそも、極貧状態ならそんな工作をする金もなくなる。
156 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:36:48 ID:GdSt5cLN
>>154 それは正しい。
だから国際司法裁判所ではなく、安保理に提訴するべきだ。
そうすれば、嫌でも事態が進展する。
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/15(火) 23:45:55 ID:aGQOo/Jv
>>154 ま、確かに売国奴どもや工作員が政界に多数入り込んでいるのは認める。
肝心の保守政党があの体たらくだしな。
国民がもっと関心を持たん限りはどうにもならんのも認める。
だからといって韓国に竹島をくれてやる気など毛頭ない!
領土問題なんてほとんどの国にあるものだろうに
不安定すぎなんだよね。 北といい韓といい中といい、3つ相手なんて絶対に無理。 北に集中してたら中韓にいいようにされたし。 北方領土もうやむやになってるしね。 敵ばかりでもうだめぽ。
記事を読むと正当性は日本にあるが 今は韓国が支配しているから日本は妥協しろと 傲慢と自信の無さが見え隠れしてるね
ニカラグア事件 ニカラグアで、親ソのサンディニスタ政権が成立。 アメリカは、反政府勢力コントラを軍事援助し、 さらにニカラグアに侵攻。 国際司法裁判所で国際法違反と判決されたが、 アメリカは無視。 安保理で、判決遵守決議案が出されるが、 アメリカの拒否権により否決。 その後、拘束力のない総会決議によって判決の遵守が慫慂されたのみ。
国際法廷に出ない国の関係者=在日は裁判無しに裁いてよろし。
早速正当な独島領有にケチを付けたがるネチズンが沸きましたね。独島は古代から韓国領であり いかなる妄言をもちだしても揺るがないのです。歴史的正当性は歴然なのに、日本はあきれたこ とに軍事力で強奪、1945年に連合軍の正義の鉄槌によって滅びるまで支配してきました。 この島は繰り返しますが韓国領です。日本がいくらわめこうと、この事実を覆すことはできない。 返還しろと要求するなどもってのほかで、むしろ不法に支配していたことを謝罪し、保全に協力 せねばなりません。本来なら戦争になりかねない妄言ですが、韓国は寛大なので許しているのです。
164 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 00:59:51 ID:lW2KgRxd
嘘も百回叫べば真実になるなら必死に頑張っている
165 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 01:27:48 ID:pGkqhofo
>>1 を読めばわかるが
結局のところ朝鮮人は内心で自分達に理が無いことがわかってる。
(なぜ日本が騒ぐのか理解できない低脳もいるそうだが)
だからこそ「過去の植民支配国による決断が必要」と書き
自分達の悪行を正当化しようとしてる
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 02:04:34 ID:6RSLNWYa
>>1 韓国側も、韓国の不法行為は百も承知なんだろ?
それを今さら認める訳にもいかず、日本側に折れ貰いたいと・・・
ふざけるな! ただで済むと思うなよ、バカチョソ
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 04:42:03 ID:DnoCC2/a
いっそ在日を竹島に強制移住させて 韓国にくれてやれ
問題にはさまざまなケースがある。 そのケースを無視し、竹島問題を同じ土俵にあげ どさくさまぎれに正論ぶってちゃっかりごまかす。 これがいかにも正等と姑息にごまかす朝鮮人根性許すまじ。
>>168 島をくれてやるってのはEEZも渡すことになるのだが?
在日は無条件で帰国
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:10:37 ID:1Dg1BSsC
>40 だから朝鮮半島を放棄したでしょ。 竹島は日本固有の領土 本州と同じなの。
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:23:55 ID:e99NEe8A
在日帰れー!! あ、ちがった 竹島返せー!!!!!
173 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:32:33 ID:aH/oXpIM
調子いい事言ってんじゃねぇーよ馬鹿チョン
174 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:33:41 ID:TOEpTM6c
竹島を返せよ ふざけんな、バカ チャンスのときは自衛隊派遣して絶対取り戻すからな
175 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:38:54 ID:QxEi62PD
タイミングは北が次に日本に向けてミサイルを撃ったとき もしくは、在韓米軍が完全撤退したとき 派兵して竹島を返してもらおう
176 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 05:42:53 ID:aH/oXpIM
しかし一般紙がこれだもんな まともな朝鮮人はいないのかね。
178 :
試製15式小銃 :2008/04/16(水) 06:02:38 ID:khM5Zo3h
>>168 左翼を尖閣に移動させ独立国にさせ非武装中立100年維持できたら
日本も同じ路線で
179 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 06:08:39 ID:wRg+SK6m
>>178 そんなことしたら、他国に尖閣諸島取られるだろ。
やるなら、日本の領土でない場所でやらせろ。
スプラトリー諸島とかな。
180 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 07:17:30 ID:9Ls4DjpQ
一緒にするな、と。
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/16(水) 07:46:25 ID:LzD+Hxdu
フォークランド紛争も思いだそうね
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/17(木) 00:52:19 ID:z0qIGLLM
●半月城先生の最新見解 外務省パンフレットへの批判3、(1) 2008/ 4/16 21:08 [ No.16446 / 16449 ] 投稿者 : ban_wol_seong 3.(江戸時代の領有権) 外務省曰「日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、 遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」 外務省の「竹島」パンフレットは日本が17世紀半ばに「竹島の領有権」を確立した 根拠として、大谷・村川両家が竹島=独島を下記のように利用したと記しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、 また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 驚いたことに、パンフレットで外務省のいう根拠はこれがすべてです。一体、以前の 公式見解はどうなったのでしょうか? かつての外務省は下記のように主張していまし た。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 欝陵島への往復の途次、船がかりの地として、またアワビ等の魚採地として利用され ていたのが当時松島の名でよばれていた今日の竹島であり、この島に対して大谷、村川両 家が、さきの鬱陵島と同じく幕府から渡海免許を受けるようになったのは、明暦2年(1656 年)またはそれ以降のことであった。 ・・・ 『隠州視聴合紀』(1667年)も、松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって日本の 西北の限界と見ている(注1)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− もし、かつての外務省がいうように、大谷・村川両家が幕府から「松島渡海免許」を 受けていたのなら、幕府は竹島=独島に領土意識をもっていたことになり、領有の有力な 根拠になります。 また 1667年当時、隠岐国を管轄する雲州松江藩の命により編纂された『隠州視聴合 紀』に竹島・松島が日本の西北の限界であると書かれていたのなら、これも竹島=独島に 対する領有の強力な根拠になります。 しかし、なぜかパンフレットはそうした有力な「根拠」を満載した過去の主張には一 切ふれませんでした。特に『隠州視聴合紀』の解釈に関していえば、その解釈をめぐって 韓国政府から日本の西北の限界は隠岐であるとの指摘を受けたにもかかわらず、それに対 する反論がないばかりか、その後も『隠州視聴合紀』に関して沈黙したままでした。 これは韓国政府がいうように、やはり日本の西北の限界を竹島・松島とするのは無理 だと判明したからではないでしょうか。『隠州視聴合紀』で竹島(欝陵島)は御朱印を受 けた船が行く場所と認識されていたのでした。 外務省に追いうちをかけるように、池内敏氏は日本の西北の限界は竹島・松島でなく、 隠岐島であることを論証しました(注2)。また、『隠州視聴合紀』を徹底分析した大西俊 輝氏も同様の論証をしました(注3)。 他方、外務省が「松島渡海免許」についても沈黙しているのは、やはりその主張も無 理だと判断したからではないでしょうか。国会図書館の塚本孝氏も渡海免許は「恐らく出 されなかった」と記しました(注4)。下條正男氏ですら「松島渡海免許」を主張してい ないようです。 日本におけるこのような研究の結果、外務省のかつての主張は音もなく崩れさったよ うです。それは砂上の楼閣のような存在でした。その結果、外務省はパンフレットに書か れていることくらいしか領有権の根拠を見出せないようですが、それが不十分であること は明らかです。
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/17(木) 00:53:04 ID:z0qIGLLM
外務省パンフレットへの批判3、(2) 2008/ 4/16 21:11 [ No.16447 / 16449 ]
投稿者 : ban_wol_seong
かつて、外務省は江戸時代における領有権の根拠として必要な要件を次のように主
張していました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土と
して取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認めら
れる(注5)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ここに書かれた「実際に日本の領土として取り扱い」という要件を満たすためには、
竹島=独島が官撰書や官撰図などの公文書にしかるべく記載されていることが必要です。
しかし、そのような公文書は存在しません。
公文書では、次節にみるように、史料『竹島之書附』などで竹島=独島は日本領でな
いとされます。さらに、官撰図でいえば、幕府の絵図や伊能忠敬などの地図に竹島=独島
が記載されていないことは周知のとおりです。一方、鳥取藩の一部の地図に竹島=独島が
記載されていますが、これは次節にみるように、当の鳥取藩が竹島=独島は自藩領でない
と明言しているので問題外です。
なお、長久保赤水の「日本輿地路程全図」を堀和生氏は官撰地図としていますが、赤
水図はたとえ幕府の許可を得たとしても、幕府が発行したものではないので官撰地図とは
呼べません。
結局、日本は17世紀に竹島=独島を「日本の領土」ではないと考えていたことが明
らかです。それでは、日本は同島をどこの領土と考えていたのでしょうか?
江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋
近所之小嶋」などと書かれました。松島は竹島(欝陵島)の属島として扱われたことが明
らかです(注6)。
松島は、松の木が一本もないにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島とペアで考え
られ、縁起物の松竹という発想から命名されたようです。外務省が強調する赤水図でも両
島はペアないしは一体に表記され、両島間に「見高麗猶雲州望隠州」などの書き込みがな
されました。同図で松島・竹島は密接不可分の関係です。
つぎに、ペアの一方である竹島(欝陵島)が朝鮮領と考えられていたことは幕府の外
交文書を収めた『通航一覧』から明らかです。同書の巻129に「元和六庚申年、宗對島守
義成、命によりて、竹島[朝鮮國屬島]に於て潜商のもの二人を捕へて、京師に送る」と書
かれ、竹島は朝鮮国の属島とされました。。
同書にいう潜商とは鷺坂弥左衛門・仁右衛門親子ですが、かれらが磯竹島(欝陵島)
で材木を伐っていることが朝鮮に知られ、それを朝鮮通信使から指摘されたので、幕府と
してはかれらを捕えざるを得なかったのでした。
また、かれらを捕えた対馬藩は、かつて欝陵島へ移住したいと朝鮮へ申入れ、それを
朝鮮から拒否されたことがありました。このように当時の幕府および対馬藩は欝陵島を朝
鮮領と認識していたのでした。
そのような欝陵島の属島である松島(竹島=独島)で大谷・村川両家が漁獲を行うこ
とは、朝鮮国での密漁ないし略奪行為になることはいうまでもありません。そうした密漁
や略奪を重ね、それを根拠に「領有権を確立した」と主張するのは、空き巣犯の居直りで
はないでしょうか。
(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」
『レファレンス』2002.6月号,P52
(注2)池内敏<「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって>
『大君外交と「武威」』2006,P323
(注3)大西俊輝『続日本海と竹島』東洋出版,2007
(注4)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、1996,P2
(注5)外務省情報文化局「竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託につき韓国政府
に申入れについて」『海外調査月報』1954年11月,P70
(注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、1996、P74,78,80
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
184 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/18(金) 01:38:14 ID:m+GU5eEi
憂国の士:S先生
ご近所に以前韓国の大学で、今はT大学で教鞭を取られている「竹島は日韓どちらのも
の」という本を書かれたS先生がお住まいだ。
普段は挨拶をする程度のお付き合いだが、その先生が昼過ぎに町内会の御用で来訪された。
29軒あるわがブロックの理事当番が今年回って来たのだそうだ。
署名捺印している間に、父が京城師範学校にいたので朝鮮半島に関心があることや先生の
著書を拝見した話から始まり、国政問題や教育問答まで、一時間ほど話に花が咲いた。
日頃抱いている政治や教育などへの様々なフラストレーションを一気に吐露でき、共感し、
久々に濃い話を伺うことが出来た。いわば個人授業を受けたようなものだ。
夏にはT大学内でS先生指導の下、学生や留学生が中心となって、かつて二宮尊徳や農
業協同組合の祖である大原幽学が行ったようなプロジェクトを立ち上げ、地元の技術力を
生かした活性化や弱者へのケア、牽いては国の在りようにも影響を与えたいとのことだ。
日本が今抱えている諸問題解決の大いなる糸口になるのではないかと思える、素晴らしい
企画だと感じた。
T大学は100年ほど前に朝鮮半島で同じような運動を行っていて、今、そのルネッサン
スの一環として大学も賛同しての事業なのだそうだ。
夏には是非ともその企画に参加してみようと思う。
http://porcamadonna.at.webry.info/200804/article_5.html
185 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/19(土) 17:41:58 ID:ltLNgHgl
●半月城先生の最新見解 外務省パンフレットへの批判4、(1) 2008/ 4/19 15:50 [ No.16464 / 16466 ] 投稿者 : ban_wol_seong 4.幕府の渡海禁止令 1693(元禄6)年、大谷家の渡海船が竹島(欝陵島)で安龍福と朴於屯のふたりを拉致 したことをきっかけに、日本と朝鮮の間で同島をめぐる領有権交渉「竹島一件」が始まり ました。この交渉について外務省のパンフレットはこう記しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 状況を承知した幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であっ た。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への 渡航禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって 意見が対立し合意を得るに至りませんでした。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 意見の対立は当然でした。そもそも幕府の命令は当初から無理なものでした。その命 令に対し、対馬藩ではすぐに疑問の声があがったくらいでした。前藩主である天龍院(宗 義真)は幕府の真意をいぶかって、次のような疑義を提起しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 竹島の儀は磯竹島ともいう。先年、大献大君(徳川家光)の時代、その島へ磯竹弥左 衛門、仁左衛門(ママ)と申す者が居住していたのを召し捕えて差し出されるようにと(公 儀から)光雲院公(宗義成)へ仰せつけられ、すなわち此方より召し捕られて差し出した ことがあった。 しからば、竹島の儀は日本の伯耆にある島と公儀でお考えならば、伯耆藩主のほうで 弥左衛門・仁左衛門を召し捕えて差し出されるようにと仰せつけられるはずであるのに、 当国へ仰せつけられたのは、朝鮮の竹島とお考えであると見られる。 この次第を一応、公儀へ伺うことを考慮するよう留意して、朝鮮へ申し入れるべきで ある(『竹島紀事』9月4日)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 天龍院の疑問はもっともなことでした。かれは、朝鮮とのいきさつから竹島(欝陵島) が朝鮮領であることを熟知していたので、幕府が潜商事件の弥左衛門親子を捕える仕事を 鳥取藩でなく対馬藩へ命じたのは、幕府も同島を朝鮮領と考えているからではないかと疑 っていたのでした。 しかし、この時の藩論は、幕府の公命には背けないので、幕府へ事情を正すようなま ねはできないという結論でした。その結果、対馬藩は幕府の真意がわからないまま、朝鮮 領である竹島(欝陵島)へ朝鮮人が来ないように要求するという無理難題を朝鮮へふっか けることになりました。 一方、幕府内では潜商事件が忘れ去られていたのか、あるいは組織の問題で受け継が れなかったのか、幕府は竹島(欝陵島)について改めて調査を始めました。1693年5月 21日、勘定奉行の松平美濃守は江戸の鳥取藩邸へ竹島渡海に関する質問をおこないまし た。 これに対して鳥取藩は、竹島は鳥取藩の支配地でないと明言し、「竹島は離れ島にて 人の居住はありません。もっとも、伯耆守が支配する所でもありません」と回答しました (注1) 。 この回答書により、幕府は竹島(欝陵島)が鳥取藩領でない、ひいては日本領でない ことを悟ったのですが、そうかといって、対馬藩へ出した命令を取り下げたりはしません でした。察するに、朝令暮改で幕府の威信に傷がつくことを懸念したのでしょうか。 他方、対馬藩の要求を突きつけられた朝鮮政府は、欝陵島が官撰書『東国輿地勝覧』 などに記載されていることから、同島の領有を確信していました。しかし、日本との摩擦 を避けるため、一時的に宥和政策をとって交渉に臨みました。 朝鮮政府は、欝陵島が日本でいう竹島であることを知りながら、欝陵島と竹島をあた かも別の島であるかのように扱い、形式上で朝鮮人の竹島への渡航禁止という日本の要求 を受けいれました。その一方で「弊境の欝陵島」という原則的な立場は堅持し続けて対馬 藩へ書簡をしたためました。 (つづく)
186 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/19(土) 17:42:37 ID:ltLNgHgl
外務省パンフレットへの批判4、(2) 2008/ 4/19 15:51 [ No.16465 / 16466 ] 投稿者 : ban_wol_seong 対馬藩はその書簡に満足せず、あくまで竹島(欝陵島)の完全領有を狙い、朝鮮の 書簡から「弊境の欝陵島」を削除するよう強く求めました。 無理難題を突きつけられた朝鮮政府は、あらためて安龍福を取調べ、その供述から対 馬藩の計略を感じとり、一転して強硬姿勢に転じました。結局、竹島と欝陵島は同一の島 で朝鮮領であるとする強硬な書簡を対馬藩へ渡し、同藩の要求をつっぱねました。当然の ごとく、対馬藩との交渉は暗礁に乗りあげました。 外務省のパンフレットは、日本の要求が途方もない無理難題であったことを伏せ、日 本は「友好関係を尊重」したので朝鮮に全面譲歩したかのように装い、こう記しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重 して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬 藩に命じました。この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称され ています。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 外務省は、幕府が渡航を禁止した真の理由を無視しているようです。実は、幕府は竹 島(欝陵島)の調査をおこなった結果、日本の要求が無理であったことを悟ったので日本 人の竹島渡海禁止を決定したのでした。その概略はこうでした。 1696年1月(元禄8年12月!)、老中・阿部豊後守は、竹島に関する調査のために、 鳥取藩へ7か条の質問をおこないました。この時に3年前の勘定奉行による調査を知らな かったのか、似たような質問をしました。 その第1条を口語訳にすると「因州、伯州に付属する竹島はいつのころから両国の付 属か?・・・」となります。老中は、竹島が因幡・伯耆の両国を支配する鳥取藩の所属と 思いこんでいたようです。 しかるに、鳥取藩の回答は「竹島は因幡、伯耆の付属ではありません」として自藩領 ではないことを明言しました。そもそも、竹島への渡海許可は鳥取藩主によるものではな く、幕府の老中4人が連署した奉書によってなされたので、鳥取藩の回答は当然でした。 幕府は、他に竹島の大きさや渡海の実情などを尋ねましたが、注目されるのは第7条 の「竹島の他に両国へ付属する島はあるか?」との質問です。これに対する鳥取藩の回答 は「竹島や松島、その他、両国に付属する島はありません」として、松島(竹島=独島) も鳥取藩の付属でないことを明言しました。 この時、幕府は実は松島の存在を知らなかったのでした。幕府は回答書に松島の名が 新たに登場したことに関心を示し、追加質問をおこなったくらいでした。その質問書は発 見されていませんが、その質問に対する鳥取藩の回答書が『竹嶋之書付』に残されました。 それによれば、鳥取藩は「松島はいずれの国へ付属する島ではないと承知しています」 「竹島へ渡海の節、通り道なので立ち寄って猟をおこないました」などと回答しました。 このように、幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったので、同島に対する領 有意識がなかったことはいうまでもありません。しかるに、外務省のパンフレットはこう 記しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我 が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 日本が竹島=独島を「自国の領土」と考えていなかったのは『竹嶋之書付』から明白 なのに、その史実を無視した外務省のパンフレットは白々しさを通り越しているようです。 また、竹島がいずれの国にも属さないので渡海が禁止されたのであるから、同じくい ずれの国に属さない松島も暗黙裏に渡海が禁止されたと解釈すべきです。この点、外務省 のパンフレットは我田引水が過ぎるようです。 (つづく)
187 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/19(土) 17:43:03 ID:ltLNgHgl
外務省パンフレットへの批判4、(3) 2008/ 4/19 16:12 [ No.16466 / 16466 ]
投稿者 : ban_wol_seong
以下は余談です。
『竹嶋之書付』などの鳥取藩関係資料は、日韓で竹島=独島論争が盛んだった 1954年
ころは鳥取県立中央図書館に「秘蔵」されていました。それを当時、島根県広報文書課の
田村清三郎が特別に借用したり、外務省条約局第1課の川上健三や東洋文庫の田川孝三ら
が特別に閲覧したので、かれら三人はその内容を十分に把握していました。
その三人は日韓竹島=独島論争で大いに活躍した「竹島三羽ガラス」ですが、かれら
は日本に不利と思われる史料の内容は決して公表しようとしませんでした。特に田村や川
上は、公務員の悲しいサガとでも言うのでしょうか、目先の「利益」にとらわれ、真実を
国民の前に明らかにしようという姿勢は皆無だったようでした。
その後、島根県や鳥取県はそうした情報を公開しましたが、外務省は未だに情報隠し
の伝統を大事にしているようです。それを今回のパンフレットにありありと見ることがで
きます。
外務省は限定的に公開した情報から「竹島は日本の固有領土」というキャッチフレー
ズを作りだしましたが、因果応報なことに、今ではそれが自縄自縛になり、竹島=独島を
版図外とした太政官指令のような重要事件に関してまったく見解を示せないという苦境に
陥っているようです。
かつての外務省は情報隠しにより、韓国政府とのディベートで一時的に優位に立ちま
したが、歳月を経るうちに研究も進み、昔のキャッチフレーズが今や外務省のアキレス腱
になってしまったようです。
ちなみに、竹島三羽ガラスの主な役割分担は次のようなものでした。
田村清三郎: 鳥取藩の古文書や、竹島=独島渡海関係など島根県関係資料調査
川上健三: 江戸幕府や明治政府関係などの資料調査、大谷家古文書の調査
田川孝三: 朝鮮史書を始めとした文献調査
田村や川上は公務員なので近視眼的な資料隠しは予想できるのですが、学者肌の田川
までもが田川や田村と同様の資料隠しをおこなったようです。その一端はすでに書いたよ
うに、彼の于山島認識に見ることができます(注2)。
現在、彼の著書『李朝貢納制の研究』は古本屋で3万円以上の値がついていますが、
そのような業績も、なまじっか日韓両政府の竹島=独島論争に首を突っこんだばっかりに
かすんで見えます。
竹島三羽ガラスにより秘蔵されてきた情報は、80年代になって徐々に明るみに出さ
れました。1985年、国会図書館の塚本孝氏により『竹嶋之書付』が翻刻されたのに続い
て(注3)、1987年には京都大学の堀和生教授により太政官の版図外指令などの重要史料
が発掘され、竹島=独島問題に画期をもたらしました(注4)。
その後、鳥取藩や島根県の郷土史料が島根大学の内藤正中教授により全般的に解読さ
れたのに続き(注5)、対馬藩の『竹島紀事』は2004年になって名古屋大学の池内敏教授
により後半を中心に翻刻されました(注6)。
以上、メルクマール的な史料の学術研究をざっと見ましたが、研究が進むにつれ、外
務省の立場はますます不利になるばかりのようです。
(注1)『御用人日記』5月21日条、および『竹嶋之書付』
(注2)半月城通信<安龍福が見た于山島はチクトウ(竹島)? 下條氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.947 (注3)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」『レファレンス』411号,1985,P75
(注4)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987
(注5)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』2000、多賀書店
(注6)池内敏『竹島一件の歴史学的研究』科学研究費成果報告書、2004
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
188 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/20(日) 17:59:49 ID:mJBalgY2
よかったな 早く侵略しに逝けよ糞キムチ
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/21(月) 20:07:28 ID:yBx27XxQ
1101 「ふるさと島根寄附条例」に基づく寄附金について
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平成20年4月21日
政策企画監室
落合
県では、島根県の発展や自然環境・歴史的な資産の継承を願う方からの寄附金を基金
として管理し、当該寄附金を財源として寄附者から指定された事業を行うため、「ふる
さと島根寄附条例」を4月1日から施行し、同日からホームページにより寄附金の受付
けを開始したところです。
条例施行後の初めての寄附として、4月1日に県内の方から10万円の申込みがあり、
4月15日に納付がありました。ご寄附いただいた方は、「竹島の領土権の確立に関す
る事業」への活用を希望しておられます。
なお、今後も、ご寄附いただいた方の都道府県名、寄附金の額、寄附金の事業指定内
訳については、ホームページ(ふるさと島根応援サイト)等により、定期的に公表して
いくこととしますが、お名前(または団体名)及び住所(市町村まで)については、寄
附申込みの際に公表を希望された方についてのみ公表することといたします。
今回、ご寄附いただいた方につきましては、本人のご意向により、お名前等について
は非公表とさせていただきます。
http://www3.pref.shimane.jp/houdou/press.asp?pub_year=2008&pub_month=4&pub_day=21&press_cd=6C5FE4E0-4513-400C-B555-0447FE9319CF
もう自衛隊遣って竹島ふっ飛ばしてしまえばいい。 「懸念事項はもはやなくなった」 そういう解決の仕方もあるさ。
192 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/22(火) 16:28:39 ID:0lR2Qqd4
独島研究センター、日本外務省の独島領有権主張に反論
【ソウル22日聯合】韓国海洋水産開発院の独島研究センターは22日、日本の外務省が2月にホームページを通じ
独島の領有権を主張したことに対し反論する資料を明らかにした。
日本外務省はホームページでパンフレット「竹島(独島)問題を理解するための10のポイント」を掲載しているが、
これに対し研究センターは条目ごとに反論を示している。
日本が独島の存在を古くから承知していたとする記述について、研究センターは、1779年初版の日本地図
「改正日本輿地路程全図」が日本本土と日本付属の土地を色分けしており、ここでは朝鮮の鬱陵島と独島は
色づけされておらず、この2島を日本領土外と認識していたことを示すものと指摘した。また、鬱陵島で漁をしていた日
本の漁船を発見した安竜福(アン・ヨンボク)が日本で行った陳述に信頼性がないと日本は主張しているが、
2005年5月に日本の隠岐島で発見された安の聴取記録のうち、日本で「竹島(鬱陵島)」「松島(独島)」と呼ぶ島が
江原道に属する点を明確にしたという事実が明らかにされたと反論している。
研究センターは、1900年に大韓帝国勅令の「石島」は独島を指しており、すでに韓国の領有権が確立されていた点も
示した。米国がサンフランシスコ平和条約で独島を日本領と認めたとする主張に対しては、米国は最終段階で
この事案そのものを削除しただけだとした。最後に、日本は独島問題を国際司法裁判所に付託することを提案したが
韓国がこれに応じないと記述していることについて、韓国の領有権が確立された領土を国際裁判に持ち込む必要はない
とはねつけた。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/04/22/0200000000AJP20080422001500882.HTML
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/22(火) 17:27:46 ID:h8hgt7Ao
武力で実効支配してる側が領有権をギャーギャー騒ぎ立ててるのは 古今東西歴史を省みても1例のみだろ
194 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/22(火) 19:44:36 ID:0lR2Qqd4
●日本、地図も「独島朝鮮領」認定
[今日の記事]独島研究センター、日本外務省資料反駁
日本外務省は2月〈竹島(独島を日本で呼ぶ言葉) 問題を理解するための 10のポイント〉
という 14ページ分量のパンフレットを作ってホームページに載せた。日本語・英語はも
ちろん韓国語版でも製作されたこのパンフレットは独島領有権問題を誤導する可能性が大
きい。韓国海洋水産開発院独島研究センターは最近〈独島は果たして日本領土だったの
か?〉という題目の懸案分析資料を作って日本外務省のパンフレットに対して条目別に反
駁した。
◆韓国は昔には独島があるとは思わなかった?
日本外務省資料は「日本は昔から独島を認識していたが、韓国はそうではなかった」と主
張した。その根拠として長久保赤水の〈改訂日本輿地路程全図〉を出しているが、独島研
究センターは「この地図の 1779年初刷は日本の他の地域とは違い鬱陵島・独島を彩色し
なかったのでむしろ2つの島を日本領土ではない所として認識した証拠になる」と指摘し
た。
日本はまた韓国文献に登場する「于山島」は独島ではないと主張したが、鬱陵島外に于山
島が別にあったという「2島意識」は《世宗実録》〈地理誌〉と 《東国輿地勝覧》《増補
文献備考》 など多い文献で見られ、1757年〈東国大全図〉からは独島の位置を鬱陵島東方
へ正確に表示した。
http://newsandnews.com/article/data/save/news_080422_1.jpg 1882年日本で発行された〈銅版朝鮮国全図〉(独島博物館所蔵)。日本領土を赤い色で塗った
この地図は鬱陵島(竹島)と独島(松島・点線中)を他の色で塗って朝鮮領土であるのを確か
にした。日本は後に独島を竹島と呼んだ.朝鮮日報 DB
◆鬱陵島・独島が朝鮮領であるのは日本側が認定
日本側資料は1618年日本米子住民が鳥取藩主から鬱陵島渡海免許を受けた後で日本人が独
島を停泊場にして17世紀中葉まで「独島領有権」を確立したと言ったが、渡海免許という
のは外国に出て漁業をする時、発給するものなのでそのものが鬱陵島・独島を自国領土で
認識しなかったという証拠だ。
1696年日本で鬱陵島渡航を禁止した後にも独島渡航は禁止されなかったと主張したが、独
島が鬱陵島に附属した島だったのは当時日本人もよく分かっていた。1870年の日本側報告
書 《朝鮮国交際始末内探書》も「松島(独島)は竹島(鬱陵島)の付属島嶼(属島)」と書い
て朝鮮領と認識していた。朝鮮の独島領有権を再確認した肅宗の時の民間外交官安龍福の
陳述を信じられないと言ったが、これはもう 2005年日本隠岐島で発見された安龍福取調
記録で信憑性が確認された。
◆1900年大韓帝国勅令の「石島」は独島
日本側資料は日本が 1905年島根県告示を通じて独島領有権を再確認したと言ったが、
「独島の日本領土編入」を内容にするこの告示は「無主地先行獲得」の論理として
「日本の固有領土だった」との主張とは論理が当たらない。1900年大韓帝国勅令
41号で管轄区域を「鬱陵全島と竹島・石島」と言ったが「石島」は独島を「ドクソム」
「ドルソム」と呼んだのを漢字で表記したのだ。
もう私たちの独島領有権が確立されていたので管区と名称だけ使った。資料はまた
「1951年サンフランシスコ平和条約でアメリカが独島を日本領と認めた」と言ったが、
これは冷戦構図で日本を抱きこもうとしていたアメリカが最終段階でこの事案自体を
削除したものであるだけだ。1950年連合軍最高司令部訓令(SCAPIN) 2160号を通じて
独島を米軍の爆撃演習地区に設定したことをさして「日本領土と認めた」と言ったが、
1953年独島を練習場から除いたのは韓国政府の抗議を認めたからだった。
http://newsandnews.com/article/data/save/news_080422_2.jpg ◆わが領土に警備隊駐屯は当たり前の事
日本側資料は 1952年李承晩大統領が「海洋主権宣言」発表しながら独島を不法占拠し
たのに対して日本が厳重抗議したと言ったが、この大統領の「平和線」宣言と独島警
備隊駐屯などは領土に対する主権行使として国際法的に正当なことだった。
最後に日本側資料は「韓国側が独島問題の国際司法裁判所回附を拒否する」と言った
が、大韓民国の領有権が確立された領土を国際裁判する理由はない。独島研究セン
ターは 「それは日本側が「大韓民国の完全な解放と独立」を否定して過去の帝国主
義侵奪を正当化しようとすることに過ぎない」と指摘した。
(4月22日朝鮮日報ユ・ソクぜ記者)
記事入力: 2008/4.22 15:25
http://newsandnews.com/article/view.php?id=headline_6&no=4882
195 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/23(水) 01:30:06 ID:/B28o6wk
このスレでは竹島=韓国領派が圧倒的に多いんだね。びっくりした。 今まで島根県の応援しようと思っていたけど、俺って少数派だったと分かった。 今までの自分がチョー恥ずかしいw これからは韓国を応援しようと思うよ。
196 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2008/04/23(水) 01:34:42 ID:eCJ+BBdm
>>195 主体性ってもんがないんですね。
だったら領土問題なんつー面倒な事は今後一切考えなくて良いと思いますよ?
そしてもうこの板にも来なくていいですよw
197 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :
2008/04/23(水) 02:25:06 ID:GyMBlEk2 このスレでいまだに竹島=日本領なんて思っているヤツがいたとはw ここではそんなヤツは少数派だぞw 日本領なんて主張してるのは、ぬこめーわくたんぐらいごくわずかだぞw