密輸業者に転落した中朝国境の警備隊(上)(下)
http://www.chosunonline.com/article/20080330000020 http://www.chosunonline.com/article/20080330000021 中朝国境の北朝鮮側の住民たちは「見せ物」になってしまった。
そして、国境を守るべき軍人たちは密輸業者に転落してしまった。
国境の警備という仕事を放棄したのだ。取材班が会った朝鮮族はこう言った。
「世界で一番資本主義的な所は、まさにここ中朝国境だ」と。貧しい国の国境。
金のためなら何でも売る。女性も、そして麻薬も…。
2007年6月17日夜10時、中朝国境沿いのある都市。
麻薬密売人の脱北者キム・サンマン氏(51)=仮名=に会った。
彼は「北朝鮮産の質の良い麻薬を安全な方法で入手している」と自慢した。
「海軍の警備艇が運んでいるんだ」。彼の車に乗った。
約束の時間が近づくと、彼は電話をかけた。「今どこにいますか。
見えないのでライトをつけてください」。次の瞬間、川向こうに明かりが見えた。
警備艇が近付いてきた。「ドゥンドゥンドゥンドゥン…」とエンジンの音が川面に響き渡った。
キム氏が川べりへ走って行った。十数分後、彼が車のドアを開けると、船が去っていく音が響いた。
指先ほどの大きさの白い固体をタオルで丁寧に包んだかと思うと、それを運転席の下に隠した。
「オルム(氷の意)だよ」。「オルム」とは、ヒロポンを使った北朝鮮産の覚せい剤を指す隠語だ。
「それはいくらなのか」と記者が尋ねると、「米ドルで1万1000ドル(約110万円)ちょっとだ。すごい安値だよ」
07年7月14日午前11時。キム氏が国境で警備艇と接触し、麻薬の代金を支払おうとしていた。
彼は米ドルとオートバイ1台を用意した。警備艇はすでに到着し待機している。
古びた警備艇には短髪の男性6‐8人が乗っていた。軍人たちは白いランニングシャツに、カーキ色の
ズボンといういでたちだ。二人が船から降り、桟橋に船のロープをくくりつけた。
その後、彼らは一言も発さず金を受け取ると、オートバイを船に載せた。
そして荷物室を開け、オートバイを押し込んだ。それから10分後、警備艇は桟橋を離れた。
キム氏はハンドルを握ってこう言った。「国境警備隊はもう崩壊してるよ」と。
07年9月20日午前2時、中国・開山屯。
小雨が降る中、国境警備隊の詰め所を過ぎ、豆満江へ向かって下りていった。
堤防はきれいなコンクリート製のものだった。
10メートル前すら見渡せないほどの暗闇が、身を隠すための唯一の手段だった。
北朝鮮の人身売買ブローカー、カン・チョル氏(27)=仮名=が素っ裸で現れた。
着ていた服はビニール袋に入れ、テープで縛った。
服が濡れれば、北朝鮮に戻った後、疑いの目を向けられかねないからだ。
それから彼は、口の中からビニールで包んで折りたたんだ小さな物体を吐き出した。
「これはクスリです。“ペンクッ”というものです」。
「ペンクッ」とは、「オルム」とはまた別の、薬物を指す隠語だ。どこで入手したのだろうか。
「あっちの方、平城(平安南道の道庁所在地)の南に南浦という所があります。
南浦にはわが国で計画的に(薬物を)作っている所があります。そこは個人が出資して建てたものです」。
彼の話によれば、「国家が計画的に」麻薬を製造しているという。
彼は麻薬の見本500グラムを見せ、「500元(約7000円)だ」と言った。
取材班に同行した朝鮮族のブローカーが金を渡した。
「清津にいる兄の家に1キロ(の麻薬が)あります。価格は1万5000ドル(約149万5000円)です。
警備隊に500元を渡せばOKです。川向こうに小隊長が待っています」。カン氏は1年前に除隊していた。
兵役中にもブローカーの越境を黙認し、金を稼いでいた。
小隊長と共謀し、直接麻薬や女性を売ったこともある。
「当時も麻薬などを売って金を稼ぎました。1週間以内に連絡をください。渡す物を用意しておきます」。
カン氏はそう言うと、暗闇の中へ消えていった。相変わらず裸のままで…。