【国内】日本会議議員懇:「尖閣、竹島も領土と明記を」〜学習指導要領改定で[03/06]

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234<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 21:00:01 ID:Ehc/U/HR
韓国は裁判すればいいのに
235<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 21:02:09 ID:tMXlJPYp
なにせ文部科学大臣が人権擁護法案推進派のKBSの手先だもの
236<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 21:06:38 ID:BPKvpAMN
平沼さん活躍してるねw

  、   ∩
( ゚∀゚)彡 平沼さん! 国士!
  ⊂彡
237<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 21:07:49 ID:7qRnAYey
半月城
イムジンリバー
ハングリータイガー
ハートマン☆ぬっぽろ二等陸士
ハートマン☆マジカル二等陸士
ぬこめーわく
八咫鳥

竹島の話になると湧いてくる在日。
238<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 21:10:50 ID:jHTSzEPC
樺太と全千島も追加しろ。
239<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 00:28:14 ID:DoZKFC8F
Re: 渡辺洪基の松島之議はどこに? 2008/ 4/11 22:59 [ No.16405 / 16405 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  半月城です。

  以前、田中邦貴さんに「石島」に関する資料の所在を尋ねたら、田中さんからは、自
民党が選挙に勝ったら教えるとか、人を食ったような回答があったことを思い出しました。
  ここ数年、退潮気味の自民党にそんな日が来るのは、百年河清を待つより早いことで
しょう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16405
240<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 00:56:26 ID:meUMAVMn
木村幽囚記: ( *H*)y-~~半月城
http://kimura-nobuo.cocolog-nifty.com/laboratory/2006/11/_y_8386.html
>( *H*)y-~~半月城(パノォルソン)というのは韓国にある新羅時代の遺跡であるが、
>ネットで「半月城」というと、たいていの場合は半月城通信の半月城のことを指す。
>kimuraお兄さんが初めて半月城を見かけたのは、たぶん1997〜98年頃。
>当時、パソコン通信のニフティサーブ内にあったネットワークデモクラシーフォーラム(FNETD)だったと思う。
>…その当時から彼は全然変わっていない。
>確か、在日ということも当時から公言していたと記憶している。
    (中略)
>再び彼を見かけたのは、2002年頃に韓国に興味を持ち始めた頃、yahoo掲示板の竹島トピだったと思う。
>…その頃のことはご存じの方も多いかとは思うが、要は熱心に反日発言を繰り返し、
>竹島については韓国領と主張しながら、ことごとく粉砕されてきたわけである。
    (中略)
>…半月城通信の内容は、基本的に半月城が様々な掲示板で発言した内容を集めた物である。
>半月城は絶対に都合の悪い反論には反応せず、壊れたレコードのように自分の主張を繰り返すだけだが、
>それらの主張にはことごとく反論がなされていて、
>数年前までは2ちゃんねるなどで迂闊に左側の人が半月城通信をソースだといって出すと、
>瞬時に粉砕されると言うことがあった。(今ではもはやギャグの一種)
241<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 07:09:45 ID:9z8lgke/
【土・日曜日に書く】東京特派員・湯浅博 中国の海だなんて奇怪な

 ◆ベトナムの奮闘
 チベット騒乱をよそに、1面コラム「くにのあとさき」で、中国がベトナム東部のトンキン湾では
「中間線を主張していた」と書いた。すると、そんなフトドキな話は、もっと詳しく報告せよと読者から注文をお受けした。

 それはもっともな話で、中越の重要協定が決められたものの、公表されたという話を聞かない。
一部の国際法学者はともかく、一般には意外感が強いのだ。

 そこで、まず掲載図を見ていただきたい。トンキン湾は東から中国の海南島が食い込んできて、「く」の字に
曲がっている。ベトナムの主張は、海南島近くに海溝があるから湾全体がベトナムの大陸棚にあたるというものだ。

 まるまる自国の海だというところなど、日中交渉でうそぶく中国とそっくりではないか。東シナ海の沖縄近くに
海溝(沖縄トラフ)があるから、全部が中国の海だという理屈である。

 ただ、ベトナムは初めに高値を設定し、値切り幅を少なく抑えるバザール商法をとっているとみた。
何しろ相手は、1979年の中越戦争で10万の侵略軍を送り込んできた怖い国である。

 その中国が、トンキン湾では「国際判例は中間線ではないか」とまともなことをいった。それは極めて妥当な認識で、
1980年代から今日に至るまで2国間で争う係争海域は、すべて中間線が落としどころになっている。

 ◆中間線は世界の常識
 国際司法裁判所や仲裁裁判の判例から導き出される解決法は、まず双方の海岸線から等距離の海域に
「暫定的な中間線」を引く。そこから、小さな島の位置を勘案して微調整することになる。

 トンキン湾でいえば、ベトナム側に地図上では点のような小島が散在している。海南島とこの島を結んだ線の
中間から25%ベトナム側にポイントをおく。最終的に21のポイントを決めてつないだ線を境界線とした。

 そこで過去の国際判例を振り返ってみる。近年では1985年のリビア・マルタ大陸棚境界画定事件の判決で、
「暫定的な中間線を引くことが思慮ある方法」とされた。しかも、海底の地形がどんなであろうと、
いっさい考慮されないことが判例になった。つまり大陸棚論は無視されたのだ。

 続く93年のデンマークとノルウェーの境界画定事件▽99年のエリトリア−イエメン仲裁判決
▽2002年のカメルーン−ナイジェリア境界事件▽06年のトリニダード・トバゴ−バルバドス仲裁判決など
一連の係争は、すべて「暫定的な中間線」からの一部修正で決着している。

 したがって、トンキン湾で中国が「暫定的な中間線」を交渉のベースにしようという主張は妥当なものだった。
中越はなんと30年近くの押し問答のすえに、2000年12月にめでたく11条からなる協定を結んだ。

 ◆祖国のためのウソ
 ここで重要なことは、中越協定の締結によって、当の中国自身が中間線で処理する国際判例の仲間入りをしたということである。

 だが、日本の尖閣諸島の近くから天然ガスが出ると聞いて、中国は大陸棚論を持ち出し自分のものだといいだした。
だから中越が協定を結んで、日本と同じ中間線を主張してきたなどおくびにも出さない。奇っ怪な話だ。

 中国が東京裁判に判事を出した中華民国を武力で倒し、日本に「判決を守れ」と説教するほどにおかしい。
理屈をねじ曲げること、かの国にとっては屁でもない。要は、トンキン湾でも東シナ海でも、自国に有利なモノサシを
引き出し、相手に呑ませればよいと考えている。

 そこで、おなじみビアスの『悪魔の辞典』を引く。外交とは「祖国のために嘘をつく愛国的な芸」という皮肉は、
やはり中国にこそふさわしい。

 ただ、中国の相手国に対する「傲慢」と「身勝手」とは、実際には中国の強さからではなく、弱さからくるのだと思う。
中国内に胡錦濤派と江沢民派の争いがあると、現政権への揺さぶりに外交や軍事が利用されるのが常だ。

 北京五輪の聖火リレーがチベット弾圧にからんで抗議を受けると、逆に中国の民族主義が燃え上がる。
政府はこれを抑えられず、さらに強硬になる。国内の圧力が強くなれば、外交の柔軟性など期待すべくもない。
で、当方は一歩も譲らぬ覚悟が欠かせなくなるのである。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080412/chn0804120351002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/080412/chn0804120351002-p1.jpg
242<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 07:24:06 ID:af6PdzP9
■困っています

初めまして。
突然このような申し出を持ち込まれてはなはだ迷惑なのは重々承知しておりますが、是非ともお知恵をお借りしたく参りました。

http://www.kakiko.com/tora/rai/rainman/1586b.html

ここで中国のチベット弾圧に関して日本の朝鮮統治を批判しているboraという人物がいます。

かなり詳しく研究しているようでかなり手ごわいです。

彼は朝鮮に対しての様々な施策を全て「日本優先」「効果が無かった」として非難し、反論も資料を用いて再反論を行い一筋縄ではいきません。

もしよろしければ、上記の掲示板をご覧になって何か良いアドバイスがあればご教授いただきたいと思っております。
勝手だとは思っておりますがどうかよろしくお願いします。
243<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 15:48:36 ID:Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判1 2008/ 4/12 13:07 [ No.16407 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

  半月城です。
  外務省は、これまで北方領土問題に関するパンフレットは熱心に発行しても、
竹島=独島問題に関するパンフレットはまったく発行しませんでした。ところが
今年2月、北東アジア課が「竹島問題を理解するための10のポイント」と題して
パンフレットを初めて発行したので注目されます。
  そのパンフレットで一番の注目は、竹島=独島を版図外とした明治政府の太
政官指令をどう記述するのかという点でした。しかし、その記述はなく、肩すか
しに終りました。
  かつて、外務省は韓国の通信社「聯合ニュース」から <日本政府は「獨島
は日本と関係がない」と結論付けた『太政官指令文』の内容をどのように評価さ
れますか>との質問を受けていました。
  これに対して外務省は「太政官指令文の存在を知っている。この問題に対し
ては現在調査中であり、現時点で答えることはできない」とか、「まだ調査中」
との回答のまま現在に至りました(注1)。
  それから2年も経つのに、外務省が今回のパンフレットでも太政官指令にま
ったくふれなかったのは、外務省にとって都合の悪い資料は公にしない方針なの
か、それともその事実を内外にどう公表すべきかで結論がでなかったのか、とも
かく煮え切らない態度です。
  この太政官指令は同省の主張する「竹島は日本の固有領土」というキャッチ
フレーズに反するだけに、同省にとってはアキレス腱的な存在になっているよう
です。
  その点、島根県は潔く太政官指令を認める公式見解を出しました。それを
『フォトしまね』161号「竹島特集」に見ることができます。同書は、<太政官
は、同島(欝陵島)と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識を
示した。外一島とは、現在の竹島とみられる>と記しました。
  すなわち、島根県は太政官が竹島=独島を版図外にしたと解釈しました。い
ずれ外務省も島根県の見解に賛成するのでしょうか。
  外務省は、このように最も肝心なことを隠したままパンフレットを発行した
のですが、一事が万事、外務省にとって都合の悪い資料は公表しない姿勢で一貫
しているようです。その具体例はおいおい書くことにして、このシリーズではパ
ンフレットを項目順に見ることにします。
1.「日本は古くから竹島の存在を認識していました」
  パンフレットは日本が竹島=独島を熟知していた例として長久保赤水の「改
正日本輿地路程全図」(赤水図)の1846年版を載せました。赤水図は7回改訂さ
れたのですが、1846年版は6回目の改訂であり、弘化版とよばれます。
  パンフレットは、本文で赤水図の初版を1779年と紹介しながら、資料価値の
高い初版である安永版の地図を載せず、かわりに弘化版をカラーで載せたのです
が、これはどうもふに落ちません。
  よく知られているように、安永版は諸国の色分けに際し、竹島・松島の色を
隠岐国とは異なり、朝鮮と同様に無色にしました。もし、この安永版を載せたら、
見る人に竹島・松島は日本領外であるとの印象を与えかねないので、わざわざ竹
島・松島が隠岐国と同じ色に彩色された弘化版を選んだのでしょうか。
  さらに気になるのは、なぜ外務省は赤水図を持ちだしたのでしょうか。領有
権論争において重要なのは官撰書や官撰図であり、赤水図などの私撰図は単なる
参考でしかありません。
  そうした観点からすると、官撰書の『隠州視聴合紀』は、日本が竹島=独島
の存在を知っていた好例ですが、これにパンフレットは一言もふれていません。
これらの問題については第3回「領有権」のところで書く予定です。

(注1)保坂祐二「<竹島問題研究会>「最終報告書」の問題点」『独島=竹島
論争』(韓国語)ポゴサ刊、2008、P244
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
244<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 15:49:08 ID:Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(1) 2008/ 4/12 13:46 [ No.16409 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

2.「韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません」

  パンフレットは、この表題につづけて韓国の主張をこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗実録地理
誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『東国文献備考』(1770年)
、『萬機要覧』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という
二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島で
あると主張しています。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外務省のいう「韓国側」とは何を指すのか不明ですが、少なくとも韓国政府
が日本政府に宛てた公式の反論に『三国史記』は登場しません(注1)。外務省
は幻の主張に振りまわされる一方で、重要な『世宗実録』地理誌への反論はない
ようです。
  同書に「于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。お互いに遠くなく、風
日が清明であれば望見することができる」とありますが、この記事こそ「韓国が
古くから竹島を認識していたという根拠」として韓国政府が強く主張したのでし
た。
  かつて、外務省の川上健三氏はその主張に反論するため、欝陵島から竹島=
独島は見えないと主張したくらいでした。その主張は、欝陵島で少し高いところ
へ行けば充分見えると反論され、川上氏の努力は徒労に終りました。それほど重
要な文献である『世宗実録』地理誌にパンフレットは一言もないようです。
  つぎに、パンフレットはこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引
用された『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹
島)である」と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山
島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から
直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、
『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述(5.参照)を無批判に
取り入れた別の文献(『彊界考』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると
指摘しています。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この文に外務省の調査不足が露呈しているようです。というのも、『輿地志』
の本来の記述は、決して「于山島と欝陵島は同一の島」としているのではなく、
別々の島であると記述しているからです。ここにいう『輿地志』は柳馨遠『東国
輿地志』とされますが、同書の口語訳は下記の通りです(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
于山島、欝陵島
  一に武陵という。一に羽陵という。二島は県の真東の海中にある。三峰が高
くけわしく空にそびえている。南の峯はすこし低い。天候が清明なら峯のてっぺ
んの樹木やふもとの砂浜、渚を歴々と見ることができる。風にのれば、二日で到
着できる。一説によると于山、欝陵島は本来一島という。その地の大きさは百里
である。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この文は官撰書である『東国輿地勝覧』と完全に同じです。といっても剽窃
ではありません。元来『輿地志』は、その「凡例」に断り書きがあるように、目
的は『東国輿地勝覧』の「増修」にありました。
(つづく)
245<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 15:49:44 ID:Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(2) 2008/ 4/12 13:47 [ No.16410 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong

  当時、名著の『東国輿地勝覧』は出版後 200年近く経過し、その間に変動
が多々あったので、その増補を目的に『輿地志』が書かれたのでした。したがっ
て、于山島のように変動がない記述はそのままにされました。
  つまり『東国輿地勝覧』も『輿地志』も于山島と欝陵島を別々の島とし、一
島説を単なる一説として書いたのでした。したがって、外務省の解釈は明らかに
誤りです。
  外務省がそのような初歩的な誤りを犯したのは、パンフレットが述べる、あ
る「研究」をウノミにしたからでしょうか。その研究とは下條正男氏の研究を指
すようです。下條氏はこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  オリジナルの『輿地志』では、「一説に于山鬱陵本一島」と于山島と鬱陵島
は同じ島の別の呼び方(同島異名)としているが、松島(現在の竹島)にはまっ
たく言及していなかった、ということである(注3)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  下條正男氏のように、資料の一部分だけを意図的に取りあげれば、資料の著
者の見解とは正反対の解釈すら可能です。『輿地志』は本説で于山島と欝陵島を
別々の島にし、一説で両島は本来一島としたのですが、下條氏は一説の記述のみ
をとりあげ、『輿地志』の見解とは正反対の見解を、さも『輿地志』の見解であ
るかのように記しました。
  これは下條氏のいつもながらの我田引水的な手法なので驚くにはあたらない
のですが、外務省はその誤った恣意的な解釈をそのまま信じ、原典を確認すると
いう基本的な作業を怠ったたようです。
  その埋め合わせなのか、外務省は下條氏の見解を同省の公式見解とせず、そ
うした「研究もある」と周到に逃げ道を用意してパンフレットを製作したようで
す。姑息なやり方ではないでしょうか。
  パンフレットの説明では『輿地志』と『彊界考』などの関係がわかりにくい
のですが、『輿地志』は申景濬により『疆界考』および官撰書である『東国文献
備考』の分註に次のように引用されました。
『疆界考』(1756)
  按ずるに 輿地志がいうには 一説に于山 欝陵は 本一島 しかるに諸図志を
考えるに二島なり 一つはすなわちいわゆる松島にして けだし二島ともにこれ于
山国なり
『東国文献備考』「輿地考」(1770)
  輿地志がいうには 欝陵 于山は皆 于山国の地 于山はすなわち倭がいうとこ
ろの松島なり
  一般に、古文書は日本のみならず韓国や中国でも句読点が一切ありません。
したがって、この場合でも分註のどこまでが引用で、どこからが申景濬の見解な
のかはっきりしません。
  『輿地志』の原文を分析すると、『疆界考』の場合は下條氏がいうように
「一説に于山 欝陵は 本一島」が『輿地志』の引用文であり、それ以下は申景濬
の見解であることがわかります。申景濬は『輿地志』や『東国輿地勝覧』に参考
として書かれた一説(一島二名説)を完全に否定するため、ことさら『疆界考』
でその一説を特記したとみられます。その一方、当時は本説である二島二名説は
自明であったためか、分註で特にふれなかったと見られます。
  つぎに『東国文献備考』の場合は、「欝陵 于山は皆 于山国の地」が引用文
であり、それ以下の「于山はすなわち倭がいうところの松島なり」は申景濬の見
解であることが『輿地志』からわかります。
  一時、私は『東国文献備考』においての引用文献名を『疆界考』とすべきな
のに申景濬は誤って『輿地志』にしたのではないかと考えたこともありました。
しかし、やはり上記のように解釈するのが妥当ではないかと思います。もちろん、
くだんの下條正男氏がいうような史書の「改竄」などはなかったというべきです。
(つづく)
246<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 15:50:11 ID:Tldqr03B
外務省パンフレットへの批判2、(3) 2008/ 4/12 14:03 [ No.16412 / 16412 ]

投稿者 : ban_wol_seong



  おわりにパンフレットは『新増東国輿地勝覧』の付属絵図を批判しました
が、そもそも絵図は地図と違って、不正確なのが特徴です。しかも『東国輿地勝
覧』のように16世紀の絵図とあっては、離島などはその位置や大きさなど、ほ
とんどデタラメに近くて当然です。
  外務省は、于山島は「鬱陵島よりはるかに小さな島として描かれるはずです」
と記しましたが、そうした批判は絵図でなく地図に向けられるべきです。
  その点、外務省が竹島=独島を「的確に記載している地図」としている長久
保赤水の「地図」には外務省の批判がストレートに当てはまります。同図は竹島
と松島を同じくらいの大きさで描いているので、外務省の「大きさ」批判にまっ
たく耐えられません。さらに、同図における竹島・松島の位置は、もちろん実際
とは違っています。

  19世紀の赤水の地図ですらこのような有様です。ましてや16世紀の絵図
を取りあげて、何か議論すること自体、ほとんど無意味です。絵図は、単に当時
の人々の空間認識を絵で表現したにすぎません。
  さきの『新増東国輿地勝覧』の付属絵図でいえば、これは単に東海に于山・
欝陵の二島が存在するという空間認識を表現したと理解すべきであり、それ以上
の議論は本末転倒です。

(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」『レファレンス』2002.
6月号
(注2)『東国輿地志』「于山島 欝陵島」の原文
 www.kr-jp.net/rok/jiri/yojiji-usan.pdf
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004,P100

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
247<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/12(土) 22:02:49 ID:/8CbpOl2
●半月城先生、ついに韓国で出版!

独島竹島論争 − 歴史資料を通じる考察

著者朴炳渉、内藤正中 |訳者保坂祐二 |出版社 ポゴサ

定価 : 13,000ウォン

2008年 03月 15日出版 342ページ |A5 |1枚
ISBN-10 : 8984336319
ISBN-13 : 9788984336315

[はしがき]
本ではよく知られていない独島の歴史を明らかにすることで韓日間の無意味な摩
擦を少しでも減らすための目的に執筆された。最近の独島に対する歴史研究は相
次いで史料が発掘されて新しい事実が続いて明らかにされている。そういう史料
に即して今まで本書の著者である内藤正中と朴炳渉が雑誌やインターネットなど
に発表した論文を修正して本書を編纂した。

序文
訳者の言葉

第1章独島は日本の「固有領土」か?

第2章独島の歴史上の争点
1.朝鮮史書に現われる独島と于山島
2.隠岐の安龍福
3.明治政府の独島版図外指令
4.明治時代の水路誌と国境確定
5.大韓帝国勅令の「石島」
6.竹島(独島)問題の史的検証
7.国際司法裁判所や国際法による解決

第2章日本側主張を批判する
1.桜井良子氏に対する批判
2.朝日新聞社に対する質問書
3.島根県『フォト島根』の注目するに値する点
4.『フォト島根』の対日平和条約論議批判
5.竹島問題研究会 「最終報告書」の問題点−太政官指令文を中心に−

第4章鬱陵島−独島紀行

第5章資料
1.元禄9丙子年朝鮮舟着岸一巻の覚書
2.太政官による竹島外一島版図外指令
3.アメリカ大使館の秘密書簡
4.独島関連年表
5.サンフランシスコ講和条約関連年表
248<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/13(日) 08:55:28 ID:36wKYHEE
●半月城先生著書、韓国語版出版
独島=竹島論争  朴炳渉、ポゴサ

紹介文
日本政府の「独島(日本名竹島)固有領土論」を韓国と日本の新しい史料に即し
て批判的に検証した「独島=竹島論争」が2007年日本で出版された。この本は日
本の代表的な独島研究が内藤正中島根県立大学名誉教授と日本国内の市民団体で
ある「独島・竹島問題研究ネットワーク」 代表朴炳渉さんが日本人が独島問題
に対して正しい歴史的事実を共有したらと思って一緒に著したのだ......以下省略

著者紹介
独島研究者として <竹島=独島問題研究ネットワーク> 代表。半月城通信(
http://www.han.org/a/half-moon) サイトを日本で運営し、韓日間葛藤問題専門
研究者でもある。著書:『姜徳相先生古希・退職記念、日朝関係史論集』(共著)、
『安龍福事件に対する検証』(韓国海洋水産開発院、2008)など。論文:「日本
の竹島=独島放棄と領土編入」『飛礫』47号など。

目次
序文
訳者の言葉
第1章独島は日本の「固有領土」か?
第2章独島の歴史上の争点
第3章日本側主張を批判する
第4章鬱陵島-独島紀行
第5章資料
http://www.booksetong.com/book_info/bookinfo_final.asp?b_no=339909
249<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/13(日) 08:57:53 ID:MYoXhq3J
これは事実上の宣戦布告だな。日本人は覚悟せよ
250<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/13(日) 08:58:51 ID:vPb4sKGN
>>10
宮沢内閣の時に、載せるように検定意見を付け加えられたことがあるんだが、マスゴミの非難の大合唱で
撤回する羽目になった。
その年の衆議院の解散で自民党は、衆議院の過半数を失った。
251<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/13(日) 21:28:56 ID:s92NK0b1
●保坂祐二教授、島根県竹島問題研究会最終報告書を批判!
http://www.dbpia.co.kr/view/ar_view.asp?arid=938081
島根県 「竹島問題研究会」の「竹島問題に関する調査研究-最終報告書」の問題點 - 太政
官指令文に対する下條正男の見解を中心に-
The Problem in the Last Report of Shimane prefecture's Study Circle for Takeshima - Centering
the Point of View for the Document of Dajokan Directive by Masao Shimojo -
(保坂祐二, Hosaka Yuji)
pp. 421~444 (24 pages)

2007年5月、下条正男教授が座長を務める島根県「竹島問題研究会」は、2年間継続し
た「竹島問題に関する調査研究」を終え、「最終報告書」を提出した。この最終報告書の
中で、下条正男は1年前の中間報告で認めた内容(=太政官が松島「独島」を日本領では
ないという指令を出したこと)を翻し、再び太政官指令の中に登場する「竹島外一島」の
うち、竹島は実際には存在しない島であり、外一島は松島ではあるが欝陵島であって、独
島ではないと主張した。彼は、2005年の著書と2006年の中間報告では、外一島を独島と
認め、1877年に太政官が欝陵島と独島を朝鮮領と認めたことを告白した。しかし2007年
の時点で、彼は再びそれを翻した。彼は、太政官はシーボルトが誤って記した日本地図を
見て、そこに記載されたアルゴ形ート(Takashimaとも記載、存在しない島)とダジュレー
(Matushimaとも記載、経緯度から欝陵島である)を「竹島外一島」として版図外宣言をし
たと主張する。しかし、太政官がシーボルトの地図を見て判断したという資料的根拠はど
こにも存在しない。
太政官指令文の中に記載された松島に関して精密な分析をすれば、紛れもなく今日の独
島を指していることが判明する。指令文に添付された「磯竹島略図」を見ても「竹島外一
島」が現在の欝陵島と独島であることは一目瞭然で誰にでも分かる。下条が良心を捨てた
歪曲行為を繰り返すのは、韓国側は騙せなくとも、専門知識の無い日本の国民と日本政府
を騙せると考えているからであろう。

最終報告書, 太政官, 竹島外一島, 島名混乱, The last report, Dajokan, Takeshima and the
other island, Confusion of the name of the island

252<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/13(日) 22:37:00 ID:SPINi8PF
●日本の竹島(独島) 論争の最前線 :朴炳渉氏
日本では,在日·韓国人も住んでいることから,活発に討論をしている.
難しい討論をしている場所が, Yahoo!掲示板だ.
今度は,韓国側の主張を代弁している朴炳渉を紹介しよう.
彼は,半月城通信と言う SITEを運営しているし,
活発に竹島(独島) 問題の論告を発表している.
http://www.han.org/a/half-moon/
彼は,在日韓国人の組職·民団に所属しているようだ.
そして,竹島(独島) 問題の責任者みたいだ.
組職に加盟している人脈を活用することができるため,すごく資料と情報を持っている.
討論でも活発に投稿して,
討論を続いて来たが,最近には,事情が良くないことには答えない.
それに彼は長文の投稿をしかし,
長い文章を投稿してもレトリックがあまりにも多くて,結論の途方もない場合が多い.
すなわち,論文は討論に不正をしていっそうもっと人間性までも問題になってしまっている.
彼は韓国の政府 機関 =
韓国海洋水産開発院独島研究センターの海外諮問委員であることが判明した.
<<韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員柳美林博士の国外出張復命書>>
この文書が NETに流出したから分かった.
こんな立派な地位にいる人なのに,討論の姿勢や人間性が問題になってしまっている.
彼によって,韓国のイメージが毀損するようになっていることは残念だ.
また,彼によって,
日本の情報はすっかり韓国の政府機関は分かっている.
それなのに,韓国は有効な反論をしていないことが現状だ.
2008/02/19 午前 8:45 |dokdo essay
http://kr.blog.yahoo.com/onigiri7/135
253<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/14(月) 09:23:37 ID:dpuBiBOZ
●日本の竹島(独島) 論争の最前線 :朴炳渉氏

日本では,在日·韓国人も住んでいることから,活発に討論をしている.
難しい討論をしている場所が, Yahoo!掲示板だ.
今度は,韓国側の主張を代弁している朴炳渉を紹介しよう.
彼は,半月城通信と言う SITEを運営しているし,
活発に竹島(独島) 問題の論告を発表している.
http://www.han.org/a/half-moon/
彼は,在日韓国人の組職·民団に所属しているようだ.
そして,竹島(独島) 問題の責任者みたいだ.
組職に加盟している人脈を活用することができるため,すごく資料と情報を持っている.
討論でも活発に投稿して,
討論を続いて来たが,最近には,事情が良くないことには答えない.
それに彼は長文の投稿をするが,
長い文章を投稿してもレトリックがあまりにも多くて,結論の途方もない場合が多い.
すなわち,論文は討論に不正をしていっそうもっと人間性までも問題になってしまっている.
彼は韓国の政府 機関 =
韓国海洋水産開発院独島研究センターの海外諮問委員であることが判明した.
<<韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員柳美林博士の国外出張復命書>>
この文書が NETに流出したから分かった.
こんな立派な地位にいる人なのに,討論の姿勢や人間性が問題になってしまっている.
彼によって,韓国のイメージが毀損するようになっていることは残念だ.
また,彼によって,
日本の情報はすっかり韓国の政府機関は分かっている.
それなのに,韓国は有効な反論をしていないことが現状だ.
2008/02/19 午前 8:45 |dokdo essay
http://kr.blog.yahoo.com/onigiri7/135
254<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/16(水) 23:31:22 ID:N1lZ3ldj
●半月城先生の最新見解
外務省パンフレットへの批判3、(1) 2008/ 4/16 21:08 [ No.16446 / 16449 ]

投稿者 : ban_wol_seong

3.(江戸時代の領有権)
 外務省曰「日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、
  遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」
  外務省の「竹島」パンフレットは日本が17世紀半ばに「竹島の領有権」を確立した
根拠として、大谷・村川両家が竹島=独島を下記のように利用したと記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、
また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  驚いたことに、パンフレットで外務省のいう根拠はこれがすべてです。一体、以前の
公式見解はどうなったのでしょうか? かつての外務省は下記のように主張していまし
た。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  欝陵島への往復の途次、船がかりの地として、またアワビ等の魚採地として利用され
ていたのが当時松島の名でよばれていた今日の竹島であり、この島に対して大谷、村川両
家が、さきの鬱陵島と同じく幕府から渡海免許を受けるようになったのは、明暦2年(1656
年)またはそれ以降のことであった。
 ・・・
 『隠州視聴合紀』(1667年)も、松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって日本の
西北の限界と見ている(注1)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  もし、かつての外務省がいうように、大谷・村川両家が幕府から「松島渡海免許」を
受けていたのなら、幕府は竹島=独島に領土意識をもっていたことになり、領有の有力な
根拠になります。
  また 1667年当時、隠岐国を管轄する雲州松江藩の命により編纂された『隠州視聴合
紀』に竹島・松島が日本の西北の限界であると書かれていたのなら、これも竹島=独島に
対する領有の強力な根拠になります。
  しかし、なぜかパンフレットはそうした有力な「根拠」を満載した過去の主張には一
切ふれませんでした。特に『隠州視聴合紀』の解釈に関していえば、その解釈をめぐって
韓国政府から日本の西北の限界は隠岐であるとの指摘を受けたにもかかわらず、それに対
する反論がないばかりか、その後も『隠州視聴合紀』に関して沈黙したままでした。
  これは韓国政府がいうように、やはり日本の西北の限界を竹島・松島とするのは無理
だと判明したからではないでしょうか。『隠州視聴合紀』で竹島(欝陵島)は御朱印を受
けた船が行く場所と認識されていたのでした。
  外務省に追いうちをかけるように、池内敏氏は日本の西北の限界は竹島・松島でなく、
隠岐島であることを論証しました(注2)。また、『隠州視聴合紀』を徹底分析した大西俊
輝氏も同様の論証をしました(注3)。
  他方、外務省が「松島渡海免許」についても沈黙しているのは、やはりその主張も無
理だと判断したからではないでしょうか。国会図書館の塚本孝氏も渡海免許は「恐らく出
されなかった」と記しました(注4)。下條正男氏ですら「松島渡海免許」を主張してい
ないようです。
  日本におけるこのような研究の結果、外務省のかつての主張は音もなく崩れさったよ
うです。それは砂上の楼閣のような存在でした。その結果、外務省はパンフレットに書か
れていることくらいしか領有権の根拠を見出せないようですが、それが不十分であること
は明らかです。
255<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/16(水) 23:31:54 ID:N1lZ3ldj
外務省パンフレットへの批判3、(2) 2008/ 4/16 21:11 [ No.16447 / 16449 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  かつて、外務省は江戸時代における領有権の根拠として必要な要件を次のように主
張していました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土と
して取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認めら
れる(注5)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  ここに書かれた「実際に日本の領土として取り扱い」という要件を満たすためには、
竹島=独島が官撰書や官撰図などの公文書にしかるべく記載されていることが必要です。
しかし、そのような公文書は存在しません。
  公文書では、次節にみるように、史料『竹島之書附』などで竹島=独島は日本領でな
いとされます。さらに、官撰図でいえば、幕府の絵図や伊能忠敬などの地図に竹島=独島
が記載されていないことは周知のとおりです。一方、鳥取藩の一部の地図に竹島=独島が
記載されていますが、これは次節にみるように、当の鳥取藩が竹島=独島は自藩領でない
と明言しているので問題外です。
  なお、長久保赤水の「日本輿地路程全図」を堀和生氏は官撰地図としていますが、赤
水図はたとえ幕府の許可を得たとしても、幕府が発行したものではないので官撰地図とは
呼べません。
  結局、日本は17世紀に竹島=独島を「日本の領土」ではないと考えていたことが明
らかです。それでは、日本は同島をどこの領土と考えていたのでしょうか?
  江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋
近所之小嶋」などと書かれました。松島は竹島(欝陵島)の属島として扱われたことが明
らかです(注6)。
  松島は、松の木が一本もないにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島とペアで考え
られ、縁起物の松竹という発想から命名されたようです。外務省が強調する赤水図でも両
島はペアないしは一体に表記され、両島間に「見高麗猶雲州望隠州」などの書き込みがな
されました。同図で松島・竹島は密接不可分の関係です。
  つぎに、ペアの一方である竹島(欝陵島)が朝鮮領と考えられていたことは幕府の外
交文書を収めた『通航一覧』から明らかです。同書の巻129に「元和六庚申年、宗對島守
義成、命によりて、竹島[朝鮮國屬島]に於て潜商のもの二人を捕へて、京師に送る」と書
かれ、竹島は朝鮮国の属島とされました。。
  同書にいう潜商とは鷺坂弥左衛門・仁右衛門親子ですが、かれらが磯竹島(欝陵島)
で材木を伐っていることが朝鮮に知られ、それを朝鮮通信使から指摘されたので、幕府と
してはかれらを捕えざるを得なかったのでした。
  また、かれらを捕えた対馬藩は、かつて欝陵島へ移住したいと朝鮮へ申入れ、それを
朝鮮から拒否されたことがありました。このように当時の幕府および対馬藩は欝陵島を朝
鮮領と認識していたのでした。
  そのような欝陵島の属島である松島(竹島=独島)で大谷・村川両家が漁獲を行うこ
とは、朝鮮国での密漁ないし略奪行為になることはいうまでもありません。そうした密漁
や略奪を重ね、それを根拠に「領有権を確立した」と主張するのは、空き巣犯の居直りで
はないでしょうか。
(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」
  『レファレンス』2002.6月号,P52
(注2)池内敏<「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって>
  『大君外交と「武威」』2006,P323
(注3)大西俊輝『続日本海と竹島』東洋出版,2007
(注4)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、1996,P2
(注5)外務省情報文化局「竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託につき韓国政府
に申入れについて」『海外調査月報』1954年11月,P70
(注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、1996、P74,78,80

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
256<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/18(金) 01:42:26 ID:m+GU5eEi
憂国の士:S先生

ご近所に以前韓国の大学で、今はT大学で教鞭を取られている「竹島は日韓どちらのも
の」という本を書かれたS先生がお住まいだ。
普段は挨拶をする程度のお付き合いだが、その先生が昼過ぎに町内会の御用で来訪された。
29軒あるわがブロックの理事当番が今年回って来たのだそうだ。

署名捺印している間に、父が京城師範学校にいたので朝鮮半島に関心があることや先生の
著書を拝見した話から始まり、国政問題や教育問答まで、一時間ほど話に花が咲いた。
日頃抱いている政治や教育などへの様々なフラストレーションを一気に吐露でき、共感し、
久々に濃い話を伺うことが出来た。いわば個人授業を受けたようなものだ。

夏にはT大学内でS先生指導の下、学生や留学生が中心となって、かつて二宮尊徳や農
業協同組合の祖である大原幽学が行ったようなプロジェクトを立ち上げ、地元の技術力を
生かした活性化や弱者へのケア、牽いては国の在りようにも影響を与えたいとのことだ。
日本が今抱えている諸問題解決の大いなる糸口になるのではないかと思える、素晴らしい
企画だと感じた。
T大学は100年ほど前に朝鮮半島で同じような運動を行っていて、今、そのルネッサン
スの一環として大学も賛同しての事業なのだそうだ。
夏には是非ともその企画に参加してみようと思う。

http://porcamadonna.at.webry.info/200804/article_5.html
竹島を不法占拠し、対馬の領有権を主張する朝鮮人を対馬から追い出そう!
対朝鮮の重要な軍事拠点である対馬に朝鮮人が上陸するのを禁止しよう!
朝鮮祭りや日韓交流など友好の名の下に日々朝鮮化する日本を敵の侵略から守ろう!
対馬を対朝鮮の不沈空母&要塞として大規模公共投資により開発整備しよう!
対馬を含む国家国民を守る為、国会議員は憲法を改正して予算を計上しる!
258<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 09:48:39 ID:VE7f4kEB
尖閣諸島は日本が実効支配してるんだから、わざわざ教科書に載せる必要ない。
むしろ領土問題が存在するということを強調することになって支那に有利となる。
占有している側は騒がないのが一番。チョンの態度を見てればわかるだろ。
韓国が勝手に騒いでくれたおかげで、竹島が領土問題として広く認知されたし。
259<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 09:49:45 ID:eP2VL62t
文句ある奴は、日本の領海で採った魚を買う際に割増料金を払えばいい。
タバコカードみたいに「尖閣竹島は日本の領土ですカード」提示で値引き。
260<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 09:58:59 ID:hiJOlAkh
>>258
同意。あとはEEZを強い態度で守ってくれればねえ
261<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 10:43:11 ID:JH1diOEc
eezは死守すべき
尖閣や竹島は支那人や朝鮮人に渡してしまったら
水産資源の枯渇 海洋投棄による環境破壊が
進み取返しのつかない事態となる
262<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 16:58:15 ID:fH2nJkgR
●半月城先生の最新見解
外務省パンフレットへの批判4、(1) 2008/ 4/19 15:50 [ No.16464 / 16466 ]

投稿者 : ban_wol_seong

4.幕府の渡海禁止令
  1693(元禄6)年、大谷家の渡海船が竹島(欝陵島)で安龍福と朴於屯のふたりを拉致
したことをきっかけに、日本と朝鮮の間で同島をめぐる領有権交渉「竹島一件」が始まり
ました。この交渉について外務省のパンフレットはこう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  状況を承知した幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であっ
た。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への
渡航禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって
意見が対立し合意を得るに至りませんでした。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  意見の対立は当然でした。そもそも幕府の命令は当初から無理なものでした。その命
令に対し、対馬藩ではすぐに疑問の声があがったくらいでした。前藩主である天龍院(宗
義真)は幕府の真意をいぶかって、次のような疑義を提起しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  竹島の儀は磯竹島ともいう。先年、大献大君(徳川家光)の時代、その島へ磯竹弥左
衛門、仁左衛門(ママ)と申す者が居住していたのを召し捕えて差し出されるようにと(公
儀から)光雲院公(宗義成)へ仰せつけられ、すなわち此方より召し捕られて差し出した
ことがあった。
  しからば、竹島の儀は日本の伯耆にある島と公儀でお考えならば、伯耆藩主のほうで
弥左衛門・仁左衛門を召し捕えて差し出されるようにと仰せつけられるはずであるのに、
当国へ仰せつけられたのは、朝鮮の竹島とお考えであると見られる。
  この次第を一応、公儀へ伺うことを考慮するよう留意して、朝鮮へ申し入れるべきで
ある(『竹島紀事』9月4日)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  天龍院の疑問はもっともなことでした。かれは、朝鮮とのいきさつから竹島(欝陵島)
が朝鮮領であることを熟知していたので、幕府が潜商事件の弥左衛門親子を捕える仕事を
鳥取藩でなく対馬藩へ命じたのは、幕府も同島を朝鮮領と考えているからではないかと疑
っていたのでした。
  しかし、この時の藩論は、幕府の公命には背けないので、幕府へ事情を正すようなま
ねはできないという結論でした。その結果、対馬藩は幕府の真意がわからないまま、朝鮮
領である竹島(欝陵島)へ朝鮮人が来ないように要求するという無理難題を朝鮮へふっか
けることになりました。
  一方、幕府内では潜商事件が忘れ去られていたのか、あるいは組織の問題で受け継が
れなかったのか、幕府は竹島(欝陵島)について改めて調査を始めました。1693年5月
21日、勘定奉行の松平美濃守は江戸の鳥取藩邸へ竹島渡海に関する質問をおこないまし
た。
  これに対して鳥取藩は、竹島は鳥取藩の支配地でないと明言し、「竹島は離れ島にて
人の居住はありません。もっとも、伯耆守が支配する所でもありません」と回答しました
(注1) 。
  この回答書により、幕府は竹島(欝陵島)が鳥取藩領でない、ひいては日本領でない
ことを悟ったのですが、そうかといって、対馬藩へ出した命令を取り下げたりはしません
でした。察するに、朝令暮改で幕府の威信に傷がつくことを懸念したのでしょうか。
  他方、対馬藩の要求を突きつけられた朝鮮政府は、欝陵島が官撰書『東国輿地勝覧』
などに記載されていることから、同島の領有を確信していました。しかし、日本との摩擦
を避けるため、一時的に宥和政策をとって交渉に臨みました。
  朝鮮政府は、欝陵島が日本でいう竹島であることを知りながら、欝陵島と竹島をあた
かも別の島であるかのように扱い、形式上で朝鮮人の竹島への渡航禁止という日本の要求
を受けいれました。その一方で「弊境の欝陵島」という原則的な立場は堅持し続けて対馬
藩へ書簡をしたためました。
(つづく)
263<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 16:58:49 ID:fH2nJkgR
外務省パンフレットへの批判4、(2) 2008/ 4/19 15:51 [ No.16465 / 16466 ]

投稿者 : ban_wol_seong

  対馬藩はその書簡に満足せず、あくまで竹島(欝陵島)の完全領有を狙い、朝鮮の
書簡から「弊境の欝陵島」を削除するよう強く求めました。
  無理難題を突きつけられた朝鮮政府は、あらためて安龍福を取調べ、その供述から対
馬藩の計略を感じとり、一転して強硬姿勢に転じました。結局、竹島と欝陵島は同一の島
で朝鮮領であるとする強硬な書簡を対馬藩へ渡し、同藩の要求をつっぱねました。当然の
ごとく、対馬藩との交渉は暗礁に乗りあげました。
  外務省のパンフレットは、日本の要求が途方もない無理難題であったことを伏せ、日
本は「友好関係を尊重」したので朝鮮に全面譲歩したかのように装い、こう記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重
して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬
藩に命じました。この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称され
ています。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  外務省は、幕府が渡航を禁止した真の理由を無視しているようです。実は、幕府は竹
島(欝陵島)の調査をおこなった結果、日本の要求が無理であったことを悟ったので日本
人の竹島渡海禁止を決定したのでした。その概略はこうでした。
  1696年1月(元禄8年12月!)、老中・阿部豊後守は、竹島に関する調査のために、
鳥取藩へ7か条の質問をおこないました。この時に3年前の勘定奉行による調査を知らな
かったのか、似たような質問をしました。
  その第1条を口語訳にすると「因州、伯州に付属する竹島はいつのころから両国の付
属か?・・・」となります。老中は、竹島が因幡・伯耆の両国を支配する鳥取藩の所属と
思いこんでいたようです。
  しかるに、鳥取藩の回答は「竹島は因幡、伯耆の付属ではありません」として自藩領
ではないことを明言しました。そもそも、竹島への渡海許可は鳥取藩主によるものではな
く、幕府の老中4人が連署した奉書によってなされたので、鳥取藩の回答は当然でした。
  幕府は、他に竹島の大きさや渡海の実情などを尋ねましたが、注目されるのは第7条
の「竹島の他に両国へ付属する島はあるか?」との質問です。これに対する鳥取藩の回答
は「竹島や松島、その他、両国に付属する島はありません」として、松島(竹島=独島)
も鳥取藩の付属でないことを明言しました。
  この時、幕府は実は松島の存在を知らなかったのでした。幕府は回答書に松島の名が
新たに登場したことに関心を示し、追加質問をおこなったくらいでした。その質問書は発
見されていませんが、その質問に対する鳥取藩の回答書が『竹嶋之書付』に残されました。
  それによれば、鳥取藩は「松島はいずれの国へ付属する島ではないと承知しています」
「竹島へ渡海の節、通り道なので立ち寄って猟をおこないました」などと回答しました。
  このように、幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったので、同島に対する領
有意識がなかったことはいうまでもありません。しかるに、外務省のパンフレットはこう
記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我
が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  日本が竹島=独島を「自国の領土」と考えていなかったのは『竹嶋之書付』から明白
なのに、その史実を無視した外務省のパンフレットは白々しさを通り越しているようです。
  また、竹島がいずれの国にも属さないので渡海が禁止されたのであるから、同じくい
ずれの国に属さない松島も暗黙裏に渡海が禁止されたと解釈すべきです。この点、外務省
のパンフレットは我田引水が過ぎるようです。
(つづく)

264<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 16:59:38 ID:fH2nJkgR
外務省パンフレットへの批判4、(3) 2008/ 4/19 16:12 [ No.16466 / 16466 ]

投稿者 : ban_wol_seong
  以下は余談です。
 『竹嶋之書付』などの鳥取藩関係資料は、日韓で竹島=独島論争が盛んだった 1954年
ころは鳥取県立中央図書館に「秘蔵」されていました。それを当時、島根県広報文書課の
田村清三郎が特別に借用したり、外務省条約局第1課の川上健三や東洋文庫の田川孝三ら
が特別に閲覧したので、かれら三人はその内容を十分に把握していました。
  その三人は日韓竹島=独島論争で大いに活躍した「竹島三羽ガラス」ですが、かれら
は日本に不利と思われる史料の内容は決して公表しようとしませんでした。特に田村や川
上は、公務員の悲しいサガとでも言うのでしょうか、目先の「利益」にとらわれ、真実を
国民の前に明らかにしようという姿勢は皆無だったようでした。
  その後、島根県や鳥取県はそうした情報を公開しましたが、外務省は未だに情報隠し
の伝統を大事にしているようです。それを今回のパンフレットにありありと見ることがで
きます。
  外務省は限定的に公開した情報から「竹島は日本の固有領土」というキャッチフレー
ズを作りだしましたが、因果応報なことに、今ではそれが自縄自縛になり、竹島=独島を
版図外とした太政官指令のような重要事件に関してまったく見解を示せないという苦境に
陥っているようです。
  かつての外務省は情報隠しにより、韓国政府とのディベートで一時的に優位に立ちま
したが、歳月を経るうちに研究も進み、昔のキャッチフレーズが今や外務省のアキレス腱
になってしまったようです。
  ちなみに、竹島三羽ガラスの主な役割分担は次のようなものでした。
田村清三郎: 鳥取藩の古文書や、竹島=独島渡海関係など島根県関係資料調査
川上健三:  江戸幕府や明治政府関係などの資料調査、大谷家古文書の調査
田川孝三:  朝鮮史書を始めとした文献調査
  田村や川上は公務員なので近視眼的な資料隠しは予想できるのですが、学者肌の田川
までもが田川や田村と同様の資料隠しをおこなったようです。その一端はすでに書いたよ
うに、彼の于山島認識に見ることができます(注2)。
  現在、彼の著書『李朝貢納制の研究』は古本屋で3万円以上の値がついていますが、
そのような業績も、なまじっか日韓両政府の竹島=独島論争に首を突っこんだばっかりに
かすんで見えます。
  竹島三羽ガラスにより秘蔵されてきた情報は、80年代になって徐々に明るみに出さ
れました。1985年、国会図書館の塚本孝氏により『竹嶋之書付』が翻刻されたのに続い
て(注3)、1987年には京都大学の堀和生教授により太政官の版図外指令などの重要史料
が発掘され、竹島=独島問題に画期をもたらしました(注4)。
  その後、鳥取藩や島根県の郷土史料が島根大学の内藤正中教授により全般的に解読さ
れたのに続き(注5)、対馬藩の『竹島紀事』は2004年になって名古屋大学の池内敏教授
により後半を中心に翻刻されました(注6)。
  以上、メルクマール的な史料の学術研究をざっと見ましたが、研究が進むにつれ、外
務省の立場はますます不利になるばかりのようです。
(注1)『御用人日記』5月21日条、および『竹嶋之書付』
(注2)半月城通信<安龍福が見た于山島はチクトウ(竹島)? 下條氏への批判>
 http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.947
(注3)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」『レファレンス』411号,1985,P75
(注4)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987
(注5)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』2000、多賀書店
(注6)池内敏『竹島一件の歴史学的研究』科学研究費成果報告書、2004
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/


265<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/19(土) 20:30:43 ID:2vicocAU
昔はどうだったなんてやっても韓国は存在していなかったし
戦後領有権は終戦時に明かな線引きがされた
韓国の勝つ見込みは0
266<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/20(日) 17:57:51 ID:mJBalgY2
●韓国・海洋水産開発院独島研究センター研究課題
【付録 2】2007年度研究課題現況
企画研究課題
 歴史学
  研究課題名 安龍福事件に対する検証
  研究責任者 ●朴炳渉先生●
  研究内容
   @安龍福事件に対する韓日間の意見対立分析
   A2005年発見された追加史料分析を通じた、その間解明されなかった安龍福の言
    動を分析評価
   B下條正男の主張批判
http://209.85.175.104/search?q=cache:V1JmQux3UmwJ:www.kmi.re.kr/data/gongi/%EA%B8%B0
%ED%9A%8D%EC%97%B0%EA%B5%AC%EA%B3%BC%EC%A0%9C%2520%EC%8B%A0
%EC%B2%AD%EC%9A%94%EA%B0%95(2008)
.hwp+%ED%9B%84%EB%82%98%EC%8A%A4%EA%B8%B0&hl=ko&ct=clnk&cd=2&gl=jp
267<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/21(月) 19:50:08 ID:yBx27XxQ
1101 「ふるさと島根寄附条例」に基づく寄附金について
--------------------------------------------------------------------------------

平成20年4月21日
政策企画監室
落合


 県では、島根県の発展や自然環境・歴史的な資産の継承を願う方からの寄附金を基金
として管理し、当該寄附金を財源として寄附者から指定された事業を行うため、「ふる
さと島根寄附条例」を4月1日から施行し、同日からホームページにより寄附金の受付
けを開始したところです。
 条例施行後の初めての寄附として、4月1日に県内の方から10万円の申込みがあり、
4月15日に納付がありました。ご寄附いただいた方は、「竹島の領土権の確立に関す
る事業」への活用を希望しておられます。
 なお、今後も、ご寄附いただいた方の都道府県名、寄附金の額、寄附金の事業指定内
訳については、ホームページ(ふるさと島根応援サイト)等により、定期的に公表して
いくこととしますが、お名前(または団体名)及び住所(市町村まで)については、寄
附申込みの際に公表を希望された方についてのみ公表することといたします。
 今回、ご寄附いただいた方につきましては、本人のご意向により、お名前等について
は非公表とさせていただきます。

http://www3.pref.shimane.jp/houdou/press.asp?pub_year=2008&pub_month=4&pub_day=21&press_cd=6C5FE4E0-4513-400C-B555-0447FE9319CF
268<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 16:21:02 ID:0lR2Qqd4
独島研究センター、日本外務省の独島領有権主張に反論

【ソウル22日聯合】韓国海洋水産開発院の独島研究センターは22日、日本の外務省が2月にホームページを通じ
独島の領有権を主張したことに対し反論する資料を明らかにした。

 日本外務省はホームページでパンフレット「竹島(独島)問題を理解するための10のポイント」を掲載しているが、
これに対し研究センターは条目ごとに反論を示している。

 日本が独島の存在を古くから承知していたとする記述について、研究センターは、1779年初版の日本地図
「改正日本輿地路程全図」が日本本土と日本付属の土地を色分けしており、ここでは朝鮮の鬱陵島と独島は
色づけされておらず、この2島を日本領土外と認識していたことを示すものと指摘した。また、鬱陵島で漁をしていた日
本の漁船を発見した安竜福(アン・ヨンボク)が日本で行った陳述に信頼性がないと日本は主張しているが、
2005年5月に日本の隠岐島で発見された安の聴取記録のうち、日本で「竹島(鬱陵島)」「松島(独島)」と呼ぶ島が
江原道に属する点を明確にしたという事実が明らかにされたと反論している。

 研究センターは、1900年に大韓帝国勅令の「石島」は独島を指しており、すでに韓国の領有権が確立されていた点も
示した。米国がサンフランシスコ平和条約で独島を日本領と認めたとする主張に対しては、米国は最終段階で
この事案そのものを削除しただけだとした。最後に、日本は独島問題を国際司法裁判所に付託することを提案したが
韓国がこれに応じないと記述していることについて、韓国の領有権が確立された領土を国際裁判に持ち込む必要はない
とはねつけた。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/04/22/0200000000AJP20080422001500882.HTML
269<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 17:02:18 ID:kvN/O7mu
ていうか北方領土は日本側に無理があるのよ。
SF条約で千島列島は放棄した領土なわけだけど
その後「北方4島は千島列島ではなく、北海道の付属島嶼だから
放棄してない」って日本側が言い出したから揉めてる。
ソ連が上陸したのは終戦後なわけで、その時点ではソ連の不法行為だけど
肝心の日本側が一度放棄宣言署名しちゃったから。ソ連のやったことを追認したことになってる。
竹島については明らかに韓国の不法占拠。
270<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 17:04:24 ID:QPocErwI
>>1
それはイイとしてとっとと竹島を奪還しろよ。
271<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 17:06:04 ID:kSgbblhX
>>1

普通だろ?
272<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 18:03:14 ID:3S2uWc4P
>>269
露はSFに調印してないからそれは通らない
273<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 19:36:49 ID:0lR2Qqd4
●日本、地図も「独島朝鮮領」認定
[今日の記事]独島研究センター、日本外務省資料反駁
日本外務省は2月〈竹島(独島を日本で呼ぶ言葉) 問題を理解するための 10のポイント〉
という 14ページ分量のパンフレットを作ってホームページに載せた。日本語・英語はも
ちろん韓国語版でも製作されたこのパンフレットは独島領有権問題を誤導する可能性が大
きい。韓国海洋水産開発院独島研究センターは最近〈独島は果たして日本領土だったの
か?〉という題目の懸案分析資料を作って日本外務省のパンフレットに対して条目別に反
駁した。
◆韓国は昔には独島があるとは思わなかった?
日本外務省資料は「日本は昔から独島を認識していたが、韓国はそうではなかった」と主
張した。その根拠として長久保赤水の〈改訂日本輿地路程全図〉を出しているが、独島研
究センターは「この地図の 1779年初刷は日本の他の地域とは違い鬱陵島・独島を彩色し
なかったのでむしろ2つの島を日本領土ではない所として認識した証拠になる」と指摘し
た。
日本はまた韓国文献に登場する「于山島」は独島ではないと主張したが、鬱陵島外に于山
島が別にあったという「2島意識」は《世宗実録》〈地理誌〉と 《東国輿地勝覧》《増補
文献備考》 など多い文献で見られ、1757年〈東国大全図〉からは独島の位置を鬱陵島東方
へ正確に表示した。
http://newsandnews.com/article/data/save/news_080422_1.jpg
1882年日本で発行された〈銅版朝鮮国全図〉(独島博物館所蔵)。日本領土を赤い色で塗った
この地図は鬱陵島(竹島)と独島(松島・点線中)を他の色で塗って朝鮮領土であるのを確か
にした。日本は後に独島を竹島と呼んだ.朝鮮日報 DB
◆鬱陵島・独島が朝鮮領であるのは日本側が認定
日本側資料は1618年日本米子住民が鳥取藩主から鬱陵島渡海免許を受けた後で日本人が独
島を停泊場にして17世紀中葉まで「独島領有権」を確立したと言ったが、渡海免許という
のは外国に出て漁業をする時、発給するものなのでそのものが鬱陵島・独島を自国領土で
認識しなかったという証拠だ。
1696年日本で鬱陵島渡航を禁止した後にも独島渡航は禁止されなかったと主張したが、独
島が鬱陵島に附属した島だったのは当時日本人もよく分かっていた。1870年の日本側報告
書 《朝鮮国交際始末内探書》も「松島(独島)は竹島(鬱陵島)の付属島嶼(属島)」と書い
て朝鮮領と認識していた。朝鮮の独島領有権を再確認した肅宗の時の民間外交官安龍福の
陳述を信じられないと言ったが、これはもう 2005年日本隠岐島で発見された安龍福取調
記録で信憑性が確認された。
◆1900年大韓帝国勅令の「石島」は独島
日本側資料は日本が 1905年島根県告示を通じて独島領有権を再確認したと言ったが、
「独島の日本領土編入」を内容にするこの告示は「無主地先行獲得」の論理として
「日本の固有領土だった」との主張とは論理が当たらない。1900年大韓帝国勅令
41号で管轄区域を「鬱陵全島と竹島・石島」と言ったが「石島」は独島を「ドクソム」
「ドルソム」と呼んだのを漢字で表記したのだ。
もう私たちの独島領有権が確立されていたので管区と名称だけ使った。資料はまた
「1951年サンフランシスコ平和条約でアメリカが独島を日本領と認めた」と言ったが、
これは冷戦構図で日本を抱きこもうとしていたアメリカが最終段階でこの事案自体を
削除したものであるだけだ。1950年連合軍最高司令部訓令(SCAPIN) 2160号を通じて
独島を米軍の爆撃演習地区に設定したことをさして「日本領土と認めた」と言ったが、
1953年独島を練習場から除いたのは韓国政府の抗議を認めたからだった。
http://newsandnews.com/article/data/save/news_080422_2.jpg
◆わが領土に警備隊駐屯は当たり前の事
日本側資料は 1952年李承晩大統領が「海洋主権宣言」発表しながら独島を不法占拠し
たのに対して日本が厳重抗議したと言ったが、この大統領の「平和線」宣言と独島警
備隊駐屯などは領土に対する主権行使として国際法的に正当なことだった。
最後に日本側資料は「韓国側が独島問題の国際司法裁判所回附を拒否する」と言った
が、大韓民国の領有権が確立された領土を国際裁判する理由はない。独島研究セン
ターは 「それは日本側が「大韓民国の完全な解放と独立」を否定して過去の帝国主
義侵奪を正当化しようとすることに過ぎない」と指摘した。
(4月22日朝鮮日報ユ・ソクぜ記者)
記事入力: 2008/4.22 15:25
http://newsandnews.com/article/view.php?id=headline_6&no=4882
274<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 19:42:10 ID:6pQWo+Or
平沼さん、GJです。

275<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/22(火) 20:32:40 ID:igZvKCHc
郵政造反以来目立たないけど平沼GJだな
276<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 01:21:52 ID:/B28o6wk
このスレでは竹島=韓国領派が圧倒的に多いんだね。びっくりした。
今まで島根県の応援しようと思っていたけど、俺って少数派だったと分かった。
今までの自分がチョー恥ずかしいw これからは韓国を応援しようと思うよ。
277<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 01:23:45 ID:N4g+KrgM
>>276
コピペ乙
そしてサービス残業乙!
278<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 02:23:01 ID:GyMBlEk2
 このスレでいまだに竹島=日本領なんて思っているヤツがいたとはw
 ここではそんなヤツは少数派だぞw
 日本領なんて主張してるのは、ぬこめーわくたんぐらいごくわずかだぞw
279<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 02:29:05 ID:S1qAXehA
国民を代表して議員に当選したヒトが言ってんだから、『国民の声』なんだろ? コピペ野郎(笑) 適当言ってると貰える筈の物も貰えなくなるよ〜?
280<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 02:34:35 ID:Md3ULrgx
尖閣はあえてする必要なし。竹島は取り返す行動をとらないとな。
281<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 02:37:07 ID:ekrhtGSB
済州島も日本領
黄海は西日本海
北朝鮮は新満州
 残りは中国領
282<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/04/23(水) 02:39:50 ID:mIRLTv+W
当然!
「天気予報」@TV、も地図に載せろ!おかしいじゃないか<竹島
283<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>276 相当、悔しいのだろうねw