おわりに
日本は江戸、明治時代をとおして竹島=独島の領有を確認したことは一度た
りともありませんでした。それどころか、元禄期および明治10年の二回にわたり、
竹島=独島を朝鮮と関連づけて幕府や太政官は日本の領土ではないと判断したの
でした。
その後、帝国主義国家として発展した日本は、日露戦争のさなか「時局なれ
ばこそ、その領土編入を急要とするなり」との判断から竹島=独島の領土編入を
閣議決定しました。その際の口実は、竹島=独島は「無主地」であるというもの
でした。これは現在の外務省が主張する「固有領土」説と相いれないことはいう
までもありません。
参考書;内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2007
http://www.han.org/a/half-moon/hm129.html