【竹島問題】国土地理院が地形図に竹島の詳細を初表示[12/12]
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また、島根県からの伺い書に「磯竹島略図」が添付されましたが、そこに描
かれた松島を見ても同島が竹島=独島を指すのは明らかです。内務省は「領土の
取捨は国家の重大事」との認識から念のために太政官の裁可を仰ぐべく「日本海
内 竹島外一島 地籍編纂方伺」を太政官へ提出しました。これは難なく承認され、
竹島・松島を日本の領土外とする太政官の指令が出されました。
この決定にしたがい、国土担当機関である内務省を始め、政府機関は地図に
おいて竹島=独島を日本の領土外として扱いました。それらの一覧は下記の通り
です。
1.内務省(1879)、「大日本府縣管轄圖」、竹島・松島なし
2.内務省(1880)、「大日本國全圖」、 竹島・松島なし
3.内務省(1881)、『大日本府縣分轄圖』、各府県図に竹島・松島なし
(極東図の「大日本全国略図」改訂版で竹島・松島は無彩色)
4.陸軍参謀局(1877)、「大日本全圖」、竹島・松島なし。
5.陸軍陸地測量部(1885)、「輯製二十万分一圖一覧表」、松島はなし。竹島は
島名がなく、点線表示。
6.文部省(1877)、「日本帝國全圖」、竹島・松島は無彩色
これらの地図で竹島=独島はまったく記載されないか、あるいは描かれても
日本領外として無彩色にされました。この認識は海軍でも同様でした。水路部は
竹島=独島を『日本水路誌』には載せず、『朝鮮水路誌』にリアンコールト列岩
の名で記載しました。また、外務省の認識も同様で、明治初年の『朝鮮国 交際
始末 内探書』において「竹島松島 朝鮮付属に相成候 始末」とする報告書を作
成しました。
このように明治政府のすべての機関が、竹島=独島を朝鮮領と考えていたと
いっても過言ではありません。このような事実に対して、外務省は一切沈黙した
ままです。これは一種の情報隠しといえます。