【竹島問題】国土地理院が地形図に竹島の詳細を初表示[12/12]

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244<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
  それにもかかわらず、幕府は「潜商事件」の5年後、外務省が説明するよう
に、竹島への渡海免許を鳥取藩の大谷・村川両家に与えました。幕府に竹島奪取
の意図があったのかどうか疑われるところです。このように幕府や対馬藩が朝鮮
領と考えていた竹島へ大谷・村川両家が出漁したのですから、
朝鮮漁民との「遭遇」は必然でした。
 元禄期の1693年、二度目の遭遇を契機に、幕府は朝鮮との通商をまかせていた
対馬藩に対し、竹島へ朝鮮人が渡海しないように朝鮮へ要求する交渉を命じまし
た。外務省のホームページに述べられた「竹島一件」の始まりですが、これは無
理難題でした。朝鮮領である欝陵島へ朝鮮人の渡海を禁じるという途方もない要
求だっただけに、朝鮮が受けいれるはずがありません。交渉はたちまち暗礁に乗
りあげました。

  その時になって、幕府はやっと竹島問題を本格的に調査し始めました。まず、
鳥取藩へ7か条の問い合わせをおこないました。その第1条を意訳すると「因州、
伯州に付属する竹島はいつのころから両国の付属か?」となります。当時の幕府
は、竹島が因伯両国を支配する鳥取藩の所属と思いこんでいたようです。
  しかるに、鳥取藩の回答は「竹島は因幡、伯耆の付属ではありません」とし
て自藩領ではないことを明言しました。そもそも、竹島への渡海許可は鳥取藩主
によるものではなく、幕府の老中4人が連署した奉書によってなされたので、鳥
取藩の回答は当然でした。
  幕府は、他に竹島の大きさや渡海の実情などを尋ねましたが、注目されるの
は第7条の「竹島の他に両国へ付属の島はあるか?」との質問です。これに対す
る鳥取藩の回答は「竹島や松島、その他、両国に付属する島はありません」とし
て、松島(竹島=独島)も鳥取藩の付属でないことを明言しました。実はこの時、
幕府は松島の存在を知らなかったのでした。幕府は回答書に松島の名が登場した
ことに関心を示し、追加質問をおこなったくらいでした。

  外務省のホームページは、欝陵島への渡航禁止後も松島への「渡航は禁じま
せんでした」と記しましたが、これは明らかに我田引水です。竹島が鳥取藩所属
でない、ひいては日本領でないという理由で同島への渡海を禁止したのですから、
同じく鳥取藩所属でない松島もひいては日本領ではないの
で、渡海が当然禁止されたとみるべきです。
  さらに当時、松島は竹島と一対ないしは竹島の付属島と考えられており、史
料に「竹島近辺松島」「竹島の内松島」などと記されました。そもそも、松島は
その名前に反して松の木はおろか、木が1本も生えていない岩の島でした。それ
にもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島と対をなすという考えから自然に名づ
けられました。そのため、多くの「地図や文献」で両島は一対に扱われました。
しかし、公的な地図や文献で両島が日本領として記載されたことは一度たりとも
ありませんでした。
  地図でいえば、外務省は沈黙していますが、江戸時代に発行された唯一の官
撰地図「官版 実測日本地図」に竹島・松島は記述されませんでした。この地図
は伊能忠敬の地図を元に作られたのですが、伊能図にも竹島・松島はありません。
官撰地図や官撰絵図からも江戸幕府は竹島=独島を日本領
と認識していなかったことがわかります。