【催事】京都で朝鮮通信使を再現 赤青の王朝衣装で練り歩き…初来日から400年を記念[11/03]
1時間半の大特集だもんな
389 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 17:39:22 ID:Sitn4eVe
おまいら、教育テレビだぞ
390 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 17:42:42 ID:iKLOMLBx
391 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 18:39:42 ID:UTZ4TADJ
>>1 通行の邪魔だ、祖国に帰ってやれw >鶏泥棒
392 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 18:41:57 ID:EgzsLqHu
■古代史の解釈を変更すべし
現在、中国政府は『東北工程』と称する満州・朝鮮半島北部の歴史解釈見直し政策を進めているが、
われわれ日本人もこれを見習い、朝鮮半島南部の古代史の解釈変更を行うべきである。
具体的に言うと、志羅紀、任那、百済、耽羅、そして日本海の鬱陵島(ウルマ)を古代の日本領土と
理解した上で、白村江戦争を「百済VS唐」「百済VS新羅」の戦争ではなく、
「日本VS唐」「日本VS新羅」の戦争と考えるのである。
そして、「唐・高句麗戦争」を「白村江戦争」と同じ時代に起きた「別の戦争」と評価し、
この理論を基にして、白村江戦争の背景にあった日本と唐の関係、日本と新羅の関係の解釈の
再構築を進めるのである。
393 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 18:46:17 ID:Qob4Lmle
漏れは仕事なので観れない。
実況スレを後で見ることにする。
394 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 20:40:13 ID:EgzsLqHu
■古代史の解釈を変更すべし
現在、中国政府は『東北工程』と称する満州・朝鮮半島北部の歴史解釈見直し政策を進めているが、
われわれ日本人もこれを見習い、朝鮮半島南部の古代史の解釈変更を行うべきである。
具体的に言うと、志羅紀、任那、百済、耽羅、そして日本海の鬱陵島(ウルマ)を古代の日本領土と
理解した上で、白村江戦争を「百済VS唐」「百済VS新羅」の戦争ではなく、
「日本VS唐」「日本VS新羅」の戦争と考えるのである。
そして、「唐・高句麗戦争」を「白村江戦争」と同じ時代に起きた「別の戦争」と評価し、
この理論を基にして、白村江戦争の背景にあった日本と唐の関係、日本と新羅の関係の解釈の
再構築を進めるのである。
さらに重要なことは、必ずワイ族の歴史を研究し、ワイ族と朝鮮人の歴史的なつながりを
明確にすることである。志羅紀が倭人国だったこと、ワイ族が志羅紀を侵略して新羅を建てたこと、
これらの事実をきちんと理解した上で、白村江戦争の意味を解釈しなければならない。
395 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 20:45:23 ID:EgzsLqHu
三国志=魏書が、重要な資料。
ワイ族の南下について記録されている。
ワイ族が、半島南部で鉄を採っていたと書かれている。
>>394 もういいからそこまでにしておけw
つーか古代史関連だとどうしてこうも韓国面に落ちたとしか思えない香具師が湧くんだろ?
397 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 21:01:17 ID:UECOebyJ
11月11日 22:00
ETV特集 「朝鮮通信使・400年の真実」
▽国書偽造の謎
▽秀吉出兵から和平へ
▽朝鮮王朝の激論とは
▽対馬藩極秘の改ざん
▽科学が解明する真相
▽江戸に韓流ブーム?
▽アジアの医学先進国
▽使節との衝突・和解
▽知られざる民間交流
398 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 21:46:02 ID:a7TxN99i
トリ泥棒のカキコであふれるNHK板。くっくっく。
笑ってしまってすまんwww
399 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 21:51:12 ID:a7TxN99i
間違えた。東アジア板だった。くくく。ぷぷぷ
ぎゃはは
400 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 21:58:05 ID:+/mHmIBP
海の向こうから先進的な技術と文化を携えてきた韓国人は
江戸時代の日本人にしてみればまるで神様のように見えたという
+
* *
* +
+ _∩_ _∩_ _∩_
━「 」━ ⊂[ 韓 ]⊃ ━「 」━ *
. < ゚-゚> < ゚ー゚> < ゚-゚> +
( Y ) (''' 》》'') ( Y )
* |___| .|L||:|」| |___| *
〈_フ_フ .〈_フ_フ 〈_フ_フ
+ *
あれは神様?!
∧∧ ∧_∧
(* ) (* )いや、仏様だモナー
│ \
( )
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/liveetv/1194766221/l50 【22時より】朝鮮通信使400年の真実1スレ目
401 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 22:00:03 ID:a7TxN99i
用意はいいかね諸君。
キタ━―━―━―(゚∀゚)―━―━―━!!!!!
国書出るぞー
>>400 江戸時代の主要な文化に朝鮮の影響なんて確認できないのにねえ…
404 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/11(日) 23:23:41 ID:WV+UIFyG
皆、今NHK見てみよう
405 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 00:39:33 ID:qzsCVTep
てかさ。
日本が朝鮮より文化や技術が先に来るわけないんだよ
何でも日本海対馬航路を通って伝わってきてるんだから
1500年くらいまでは何でも朝鮮のほうが先に他国の先進技術や文化や物を享受出来た。
だから朝鮮のほうが色んな分野で文化や技術が早く浸透できた
それは先に朝鮮のほうに新しい文化や技術がやってきただけであって
日本が古くても国力で負けてるわけじゃないんだよ。
ただ文化や技術が先に来ただけ。そのあたりを韓国人たちは指摘して日本人を馬鹿にしてるんだよ。
だから日本人は朝鮮人に少し馬鹿にされるのは仕方ないんだよ。
物は航路を伝わらないと入ってこない環境だったから。
朝鮮の場合は他国の優れた物は陸路で大量に大陸から朝鮮内に入れることが可能だったけど
日本はその頃、小さな船しかなかったから他国の物を大量に輸入する事は出来なかった
だから日本はコピーして作らなければならなかった。
朝鮮の文化的優位は1500年くらいまで。あとは日本のほうが先に欧米文化を積極的に取り入れた。
そこから日本と朝鮮には決定的な違いが出てきたんだよ。
>>405 大陸文化の伝播のみが評価基準なのかよ…
例えば日本の古代における文学作品に匹敵するようなものが朝鮮にあったのか?
商取引・流通の機構、食品の加工技術、工芸技術の工夫、
こうした点で見たときに朝鮮にどれほどの優位性があるのだろうかね?
407 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 01:16:59 ID:UQNLJy3c
日本は降水量に恵まれて慢性的に農林水産資源が豊富だった事に加えて、
平安時代あたりから金銀などの貴金属が大量に採掘されて算出量が全世界の4分の1〜3分の1を占めるようになった鎌倉時代にはユーラシア全域に黄金の国として知れ渡るに到った。
それほどの圧倒的な経済力が社会全体の生活水準を高めた結果文化振興を促進し、
10世紀あたりに発展のピークに達して衰退を始めていた支那や朝鮮を尻目に日本の文化水準は発展し続けた。
日本が朝鮮半島を文化水準で凌駕していたのは1000年以上昔の現象だよ。
408 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 01:25:05 ID:RuT666JM
+
* *
* +
+ _∩_ _∩_ _∩_
━「 」━ ⊂[ 狂 ]⊃ ━「 」━ *
. < ゚-゚> < ゚ー゚> < ゚-゚> +
( Y ) (''' 》》'') ( Y )
* |___| .|L||:|」| |___| *
〈_フ_フ .〈_フ_フ 〈_フ_フ
+ *
あれは基地外?!
∧∧ ∧_∧
(* ) (* )いや、奇形児だモナー
│ \
( )
409 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 01:41:43 ID:hjg0cRA9
>>406 朝鮮は今でも「何か凄いもの、素晴らしいものは、常に誰か他人(主に白人)が
作るもの」であり、決して自分たちで全く何もない所から作る、という発想は
ないからねー。
410 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 01:43:56 ID:/NYP/o1Z
HNKで踊っていたのは罪チョソだよな?
忠実に再現しているわりには、ニワトリ泥棒とか、町民と喧嘩しているヒトモドキが居ないってのは解せない。
だれか、ニワトリを放り込んでやれよとNHK映像を見て怒鳴ってしまったゾ
>>405 朝鮮半島を経由せずにシナと交易していた実例が有る以上、
ヲマイの話は全部無意味だなw
稲作も朝鮮半島より伝播は先のようだし、日本の方が先に先端技術を享受していた可能性も高い。
ついでに言えば、遣唐使を廃止した時点でシナとは文化的にほぼ同等。
それ以降は貿易程度に留まっている点からも、先端的なものは既に大陸にはなかったんだろう。
物珍しいものはあってもな。
412 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 02:41:55 ID:O7EMnLiF
413 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 02:47:00 ID:/NYP/o1Z
>>411 正確には半島経由でシナに行けなくなったから、南シナ海を渡って直接トンポーに行ったのですよ。
航路の安全が確保された後はストローなんぞ使わなくても直接シナにいけました。
思うに、半島の獣道を歩いて満州についても、当時満州はシナではなかったのだから、また険しい旅が続いたのでしょうね。
それに比べれば、船旅は楽でしょう。
ニワトリドロボー
ニワトリ返せ
415 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 03:19:15 ID:RX+43d52
平安期の文化水準すごいと思うけどねえ。
学生時代は古文なんて面倒だったが、最近改めて読むとすごい。
清少納言はホントに感性の鋭い人だ。
あと、この時期は色に対する感性がすばらしい。
朝鮮にこれほどのものがあったのか?
416 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 03:32:50 ID:0RtPiSgs
>>1 しかし、最近チョン達の日本での活動がすごいね。
そろそろ自分たちがやばいのを本能的に感知しだしたか?w
そんなに恩を売りつけようとしても無駄だから地道に働きなさい。
417 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 03:34:42 ID:tOPKaf6z
在日朝鮮人たちの押し売りは、やめてもらいたい。
418 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 03:41:04 ID:xkejM37J
確かにチンドン屋文化は日本になかったよな。
今もあんな下品で騒々しい行進は日本人なら嫌悪するよな。
419 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 09:47:11 ID:/jjLM4HT
NHK教育の放送はそんなにひどかったのか?
プロデューサーの名前が李だったそうだがw
>>418 チンドン屋さんは鶏盗まない。
鶏盗んで怒った町人に逆ギレしない。
>>419 マジか( ゚д゚)
NHKといえば、朴元とかいうPもいたな。
ハングル講座のw
朝鮮人に汚染されとるわけやね、NHK。
422 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 10:11:12 ID:ZrKxQofq
>>413 倭国は基本的に中国南部の文化を評価していて、
北部の蛮族の文化は評価していなかったと思う。
唐なんかのように南部も併合したから、使を送ったけど。
423 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/12(月) 18:20:02 ID:bwhOmN31
263 :NHK名無し講座:2007/11/12(月) 12:46:37.72 ID:NDQV96H1
今更だが感想。
・90分の番組中60分近くを通信使そのものじゃなく
通信使が派遣されるまでの経緯に費やす
・当時の朝鮮には、東アジアで最先端の「韓医学」が存在し
一冊もの大量の文献が残り日本にも人参とか人参とか人参とかが伝わった
・また経済交流も盛んで、中国産の生糸などが日本に入ってきた
・上記のような交流を、現代にも生かすべきだ
……ふざけんな犬HKorz
>>416 しかし、やればやるほど化けの皮が剥がれて、鮮人の正体が見破られいきますけどwww
425 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/13(火) 00:22:05 ID:sTU+gT/2
>>423 昨日見たけど1時間半とは思えない密度の薄さ
・自慢の「韓医学」は本一冊と高麗人参のみ
・そして朝鮮との貿易のおかげで京都の西陣織が生まれた
・江戸開闢から終わりまで通信士が来たのはたった12回、
しかし朝鮮に出島の規模を遥かに凌ぐ日本館があり、そこでの交流は常に行われたので十分だった
最後のやつの理屈がよく分からん。少ないことは少ないけどそれで十分だったてことか?
それじゃあやっぱ交流的には駄目じゃんw
426 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/13(火) 23:22:32 ID:/gze/NkH
(⌒\ ノノノノ
\ヽ( ゚∋゚)
(m ⌒\
ノ / /
( ∧ ∧
ミヘ丿 ∩∀´;>
(ヽ_ノゝ _ノ
丿 ,;⌒⌒i.
ノノノノ⌒ヽ ( ;;;;;) _______
(゚∈゚ ) ミ) ,,:;;;) | WARNING |
/⌒\/< > ヽ| |/ |;,ノ | エリア51 |
( ミ ∨∨ | / .,i. |___________|
ノ / | | ,,i; ,, ,;⌒‖
( \/ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, .‖ヽ
\ ) ) .. ,, ´ヽ (,, ‖丿.,,,
/// ,, ,, .. ´ヽ ‖,,, ..,
`ヾ ヽミ ,, .、 ヽ .. ヽ丶,.ヽ ‖、,,
427 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/14(水) 13:29:44 ID:xnQE61/F
>>425 > しかし朝鮮に出島の規模を遥かに凌ぐ日本館があり、そこでの交流は常に行われたので十分だった
「交流」といっても、対馬藩の藩士だけですけどね。他の藩や一般人とは
何の関係も交流も存在しない「交流」ですね。だから江戸時代の歴史では、
朝鮮なんてほとんど出てこないわけです。捏造しない限りは。
>>425 酷いな、西陣って生糸の輸入の話だけだろ?
ご自慢の韓医学って、やはり『東医宝鑑』だけかよw
429 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/14(水) 19:01:35 ID:i72Fz/tE
『東医宝鑑』と『ターヘル・アナトミア』が与えた影響の違いは?
430 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/11/14(水) 19:07:41 ID:wt1xzoxd
>>428 当たり
内容には触れてないけどすごい書物らしいな>東医宝鑑
「韓医学」というマジカル単語もテロップ付きで出たよ
>>429 「『解体新書』以前にも日本には医学があり、それは朝鮮からもたらされた!」
みたいな文脈だった。番組では
>>429-430 実は、儒教医学(漢方)はかなり江戸の半ばになると
マイナス要素が多かったのよね。
「漢方こそ唯一の医学だ、洋学なんかいらん!」って
権威主義者が出てきて、医術の内部で対立起こすし、
それが幕府の儒学者と結びつくとろくでもない結果に……
>>430 ○日本の医書
6世紀:丹波康頼『医心方』
10世紀:深根輔仁『本草和名』『養性(ようしょう)秘要抄』
14世紀:梶原性全『頓医抄』
16世紀:曲直瀬道三『薬性能毒』『百腹図説』『正心集』『弁証配剤医灯』
で、当の『東医宝鑑』(17世紀)って中国の医書の切貼りだって聞いたけど。
>>431 そして、その役に立たない儒学(朱子学)に対抗して出てきたのが、古学。
実証主義的儒学という、日本だけの独自の学問ですね。
こんなページがありました。
日本と中国・朝鮮間の医学と文献の交流−13世紀以降−
ttp://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper02/IgakuBunkenKoryu.html 4. 江戸中・後期(1710〜1867)
朝鮮は1607年から1811年まで12回、新将軍の即位を祝して大使節団を日本に派遣した。
これに随行の医官と日本の医師が交流した記鉢は多い。
1724年には日本初の政府刊行医書として、吉宗将軍が朝鮮の『東医宝鑑』を復刻させた。
彼は人参の国産化も奨励し、朝鮮から導入した種子で1733年に栽培に成功、1780年代には輸出するまでに至っている。
この頃より中国医学の日本化が進んだ。18世紀の古方派はその一つである。
彼らは実証主義から伝統理論を批判し簡略化、一方では西洋医学との折衷を生んだ。
1790年以降は、政府の直属となった多紀一門が伝統医学の主流を占める。
彼らは儒学の新しい研究方法を導入し、伝統医学の全分野にわたり厳密な研究を進めた。
また日本に伝存する中国・朝鮮の古医書やその善本を発見、あるいは復元し、復刻した。その業続は後世に誇りうる。
1653年、オランダ東インド会社のデ・スペール号が台湾から長崎へ航行している時
台風に合ったらしく航路を外れて運悪く済州島へ漂着した。
乗組員64名のうち、生き残ったのは36名でした。
しかし原住民に襲撃されて略奪されたり殺されたり捕まって監禁されて・・・
13年後の1666年、8名がようやく朝鮮から脱出し、長崎にたどり着きます。
朝鮮・オランダ双方と国交があった「江戸幕府の圧力により」まだ生きていた
残りのオランダ人乗組員7名も解放され、生存者全員は、ようやく1670年に
本国オランダに生還することができたそうです。
・生き残りの船員、ヘンドリック・ハメル(Hendrick Hamel)手記「朝鮮幽囚記」より
自称日本より優れた国が「江戸幕府の圧力により」清だけでなく日本にも事大w
朝鮮通信士・・・何のために日本に来たのか分かるなw
437 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
にわとり泥棒wwwwwwwwwwwwwwwwwww