【書籍】 「日本の皇后が‘良妻賢母’思想まき散らした」〜若桑みどり『皇后の肖像』[09/27]

このエントリーをはてなブックマークに追加
1蚯蚓φ ★

http://img.khan.co.kr/news/2007/09/27/7i2821c-1.jpg
http://img.khan.co.kr/news/2007/09/27/7i2821d.jpg

最近、男子学生を越える女学生が続々と登場しているが、一昔前は将来の希望をきけば、躊躇なく良
妻賢母という少女が少なくなかった。良妻賢母のイデオロギーは果してどこから始まったのだろうか。
大部分の人は良妻賢母の概念を三従之道・七去之悪など男女差別を前提にする儒教イデオロギーの産
物だと思う。しかし、千葉大学の若桑みどり名誉教授(72)によれば良妻賢母思想は近代国民国家の産物だ。

19世紀、資本主義が発達しながら近代家族が形成されて公私の領域が分離して形成された近代思想で
ある良妻賢母思想は、20世紀初めの日本の軍国主義願望にのり、まだ近代国民国家が形成されていな
い東アジア各国にも流布した。2001年に発表され、最近建国大大学院日本文化・言語学科の学生たち
が共訳した若桑教授の‘皇后の肖像’は、特に日本が近代国民国家として再生する過程で、女性を国
民に再編するため‘良妻賢母’という理想型を提示し、これを流布するところ皇后のイメージを積極
的に利用した、というおもしろい主張を含んでいる。

ジェンダー研究の視点から美術史を分析して来た著者は、特に日本近代史で明治天皇(在位1867〜191
2)の婦人、昭憲皇太后の肖像写真がどのように日本女性の性的役割を固定化することに機能したのか
を考察する。著者は近代国家の特徴の一つとして、男女の性差別が制度化されたことをあげる。それ
まで歴史では隠れていた女性たちは、近代国家が誕生して国民を生産する主体として認識され始めた
というのだ。しかし、その方向はひどくも男女差別的だった。

国家は次の世代の国民を生産する女性を家庭というわくに閉じこめるため、妻と母という役割を付与
して国民生活の基盤を担うようにした。若桑教授は、良妻賢母という概念が日本が近代国家として生
まれかわりながら、女性を国民の成員に組み込む過程で誕生した、と主張する。同書によれば明治時
代、女性に対する見えない国家の国民化作業は、多様なやり方を通じて行われたという。
(中略)
著者は皇后の洋装と和装の使い分けを近代化と民族主義の混用と読み解く。すなわち昭憲皇太后は、
国母として女性の国民化のために男女平等の幻想を洋装で現わしたように見えると同時に、西欧に対
しては日本が西欧化された、という日本の先進性を誇示した。また、伝統と民族性を強調する行事で
は伝統衣装を着て婦徳を表象し、女性としての従順と貞淑の美徳を国民に提示したのだ。皇后の肖像
に滲んでいる日本近代の二重的な態度を指摘したこの本は、20余年前に発表された多木浩二の‘天皇
の肖像’と比肩される。最近出版されたこの本も、芸術史と記号学を土台に天皇の肖像写真の中に内
在している権力と芸術の関係を分析している。

ソース:(韓国語)“日本皇后が‘良妻賢母’思想まき散らした”…‘皇后の肖像
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200709271743431&code=960205