【日韓】「任那の日本府」の実態…韓国の反発は「韓流自虐史観」というものか?[9/2]
1 :
諸君、帰ってきたで?φ ★:
日本書紀には、現代史に影響をおよぼしている重要な記録がいくつかあります。きょうは
そのひとつ、「任那(みまな)の日本府」の問題をとりあげてみたいと思います。
といっても、「任那の日本府」なるもののどこに問題があるのか、わからない世代の人が
ふえているようなので、かんたんに説明しておきましょう。
古代の朝鮮半島に日本の総督府にあたる統治機関がもうけられていた、という通説が
戦前から日本側にあり、それに対して韓国側が猛反発をはじめたのが、この問題の発端
でした。
韓国側からみれば、ありもしない古代の架空の機関を日本側がでっちあげて、明治以降
の朝鮮併合を合理化しようとした、というわけです。
つまり「任那の日本府」はなかった、というのが韓国側のつよい主張ですが、それが嵩
(こう)じて、ついには「任那」もなかったということになり、いまでは「任那」などという地名
を使うのはゆるせないというところまできています。
日韓友好をねがう者にとって、この問題はノドに刺さったトゲなんですね。
■任那もなかった?
というわけで、できるかぎり客観的にみていきたいと思うのですが、まず考えなければ
ならないのは「任那」の地名です。
まえにもふれましたが、西暦414年に建てられた高句麗の好太王碑に、
「官兵(かんぺい)(高句麗軍)急追し、任那・加羅(から)に至る」(高句麗軍は逃げる
倭国軍を追って、任那の加羅に至った)
と、どうにも否定しようがない明確さで「任那」の地名が記録されているのです。好太王碑
は412年に好太王が死去した2年後に建てられたもので、絶対的といえるほど確かな
第一級史料です。それをいまの韓国、北朝鮮の学界は「なかったことにしよう」というのです
から、これはもう論外ですね。
(中略)
■無力な出先機関
「任那の日本府」がその組織の実態をともなったかたちで、ぞくぞくと登場するのは第29代
欽明(きんめい)天皇の時代になってからです。西暦でいえば540年代ですね。
ところがこのあたり、いくら読んでも「日本府」が軍事力をもって三韓(百済、任那、新羅)
を支配しているといったようすが、まったくうかがえないんです。記録されているのは、
本国(日本)から任命されてきた長官ら高級官僚と、現地採用の地方吏員が新羅派、
百済派にわかれていろいろと画策し、それを百済王がみとがめて欽明天皇に報告する、
といったことばかりです。
軍を動かす将軍など、一人も出てきません。いまでいえば、大使、公使と現地採用の
書記官で構成された出先機関という感じですね。具体的にスタッフの名をあげて説明して
おきましょう。
まず「日本府」のトップ(長官)は、的臣(いくはのおみ)とよばれる蘇我(そが)系の人物です。
副官は吉備弟君(きびのおときみ)、そしてナンバー3が河内直(かわちのあたい)ですが、
この男は百済から日本にやってきた帰化系氏族で、大和の高級官僚に栄達したことから、
とかくそれを鼻にかけるところがあったらしく、現地人には毛嫌いされていたようです。
そして、この下に現地採用の吏員がいました。阿賢移那斯(あけえなし)と佐魯麻都
(さろまつ)です。
この2人と河内直は、日本府における新羅派として知られていて、3人そろって新羅の
衣冠をつけて、新羅から帰ってきたこともあります。
それを知った百済王(聖明(せいめい)王)が日本の天皇(欽明天皇)に直訴する騒ぎが
あったことを日本書紀は記録していますが、これが「任那の日本府」なるものの実態なんですね。
こんな機関が古代にあろうが、なかろうが、どうしていまの韓国が問題にしなければ
ならないのか理解できません。あるいはこれは「韓流自虐史観」というものなのかも
しれませんね。
ソース(イザ!・SANKEI EXPRESS、八木荘司氏)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/81435
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:05:18 ID:tmLE3+Py
゜ ○ ゜
o 。 ゜゜ ゜ . o ○o
r⌒ヽ (⌒⌒) r⌒ヽ/,
、、;(⌒ヾ ((⌒⌒)) /⌒) ), , 。
、 ヾ (⌒ ファビョ━ l|l l|l ━ン!⌒⌒);;)/. ,
、\(⌒ゝ;(⌒ヾ ∧_,,∧ ⌒)/)) .,/ ,,
((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;(⌒∩#`Д´>'') 日帝の捏造ニダ! 謝罪と賠償を要求汁!
(;;;;(⌒(⌒;;;(⌒ ヽ ノ / ))⌒));;;;)-⌒))
ゞ (⌒⌒=─ (,,フ .ノ ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─ 人从;;;; レ' ;;;从人─=≡⌒)丿;;丿ノ
3なら韓国人になる
======== 半島の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる
巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。 (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。 (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
国内には多くの蒙古軍人が駐留。 (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。 (モンゴル人化)
反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「金」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。国王江華島に逃亡(満洲人化)
降伏し、大清国属国となる。(満洲人化)
> つまり「任那の日本府」はなかった、というのが韓国側のつよい主張ですが、それが嵩
>(こう)じて、ついには「任那」もなかったということになり、いまでは「任那」などという地名
>を使うのはゆるせないというところまできています。
んーと、これ何て「1984年」の世界?
なかなか面白い論争になってるんだなぁ、これ。
6 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:08:56 ID:2ptfyhKY
無いことは無いが有るというほどでもない
×韓流自虐史観
○ >3 オメ
自尊心の問題では。
10 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:10:01 ID:u9VivjI2
日本に関係するものはすべて歴史上から消し去るのが基本。
最大の難関が日本海だけどね。
どうせならさ、日本人と韓国人はRNAからしてまったく違うとか言ってほしいな
12 :
<丶`∀´>ウェッハッハッハッハ!!:2007/09/02(日) 19:10:22 ID:reHX1wJQ
>>3 <;丶`Д´>今ならまだ間に合うニダ!撤回汁ニダ!!
14 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:10:57 ID:tmLE3+Py
>>3 人
(_ )
(_ _,, _)
< `∀´ >
(mO) ) ウェーハハハ
し―-J
>>3 もうなってるだろw
サッサと日本から消えろ
16 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:11:56 ID:9oZvkPh8
任那って教科書に載ってたよな?
18 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:12:55 ID:G7T2HYkT
韓国「自尊」史観の間違いだよ
ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
22 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:17:23 ID:7yeSB9hh
あれもこれも 都合の悪い物は全部無かった事ニダー!!!
ってやつですね。
23 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:17:25 ID:xHiPGlQ0
>>3 無茶しやがってのAAを張ろうと思ったが
どんな事をやっても日本人は一生日本人だし
朝鮮人は一生朝鮮人だからね。
国籍上ならどこの国の人でも
韓国籍になれる(世界中の人だけでなく在日さえ欲しがらないけど)w
25 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:18:00 ID:+CwxzpV0
つまり、
なんだ。下朝鮮人を前にして、「任那」と言えば、生火病が見れると言うわけか。
これは面白い。ぜひやってみようーーーーっと。
26 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:18:16 ID:JgbfikYF
朝鮮は気の毒だね。
日本海を東海と言い換えてみても、日本列島が太平洋に蓋しているんだもんね。
すみません先生方
結局
>>1は一言で何と言ってるんでしょうか?
28 :
あのな。:2007/09/02(日) 19:19:03 ID:bf2Am3Gg
あのな。
そんなに 日本が嫌いならな。
グチャグチャ言わずにな。
「もう日本とは 付き合わない!」って 言えば済む話。
29 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:19:59 ID:/plN1bC8
これが「正しい歴史認識です」。自国の学校の教科書でさえも本当のことをひた隠しにしているのは朝鮮人です。
『高麗伝』から
高宗十八年(1231)十二月二十三日、(蒙古の)使者が来た。曰く、「崔?から進上された貢物は、
欲しくないものばかりだ。別の財宝を持ってくるがいい。また戦いが長引き、兵士の衣服がすべて破れているので、
百万人分を調達せよ。馬一万匹を選んで持ってくるように。王子・王女などはもちろん、身分が高い家から子女を供出せよ。
また男女一千人を選び、蒙古皇帝に贈ること。これらは迅速に行え。」
高宗十九年(1232)四月、高麗は蒙古に使者を送って奏上した。高麗王は、「臣」と称した。
曰く、「要求された貢物が多すぎて調達が困難である。現在集め得たものを贈るので、事情を考慮願いたい」云々と。
これが属国の運命である。
30 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:20:04 ID:BDiYqIYY
>>27 チョンども任那と聞いただけで、一々反応すんなよカナ。
32 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:20:26 ID:ayW+iwlZ
>>27 ちょこっとした日本の出先機関があっただけなのに、
どうして韓国はそんなに否定したがるのかねえ?
って話。
>>27 どうも軽く古代史かじった程度の人が、
任那があろうがなかろうがいいじゃん……てなこといってるw
それを問題にする韓国がアホだとも書いてあるけどね。
ここら辺は詳しい人に任せるわ。
>>19 ありがd
その語はキモイからアボーンにしてるんだよなあ
だれか1を3行で頼む
36 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:25:02 ID:G9LaXMsC
なかったことにしよう
ニッテイの歴史歪曲と喧伝
妄言、捏造と喧伝
反省がどうのとsネチネチ責める
慰安婦認めさせた
>>30 どうもそうらしい。
けど朝鮮半島と日本との関係を歴史的にみる上では
少なくとも日本の出先機関が存在していたとみなさないことには
話がはじまらないらしい。
38 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:26:13 ID:kwjjW4d2
1980年代、朝日の主導で歴史教科書がおかしくなってから、記載されなくなったよ。
>>16 韓国からの工作資金の影響か、何かの利権か知らないが、一部の日本人学者が狂ったよう
に任那の存在を否定してたのが印象的だった。
教科書の記述が変になったため、なぜ白村江の戦が起きたのか、その因果関係も見えなく
なってしまった。
韓国の偽史に追随して、日本の子供たちを洗脳する日本政府というのは、何なのかね。
39 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:26:20 ID:afCytzZs
逆だろ、韓国人は否定するより、むしろ肯定した方がいいんじゃないか?
任那時代に日本人と混血してたとしたら
韓国人の遺伝子のルーツが、もしかしたら日本人にあったと
世界に思ってもらえるチャンスが到来したと考えるんだ。
「なんだ我々は日本人だったのか、それなら反日をやる必用はなくなった」
と思うんだ、韓国人、分かったな?
分かるわけねえか。
40 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:26:52 ID:aoR8FXM8
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:28:34 ID:J3BxCJmK
日本領を日本に返せ。任那侵略極悪民族チョン。
42 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:29:12 ID:vXniqKpO
任那日本府を 認めなければ
朝鮮半島は 中国の一部であることになる
>>31-34 先生方有難うございました。
相変わらずチョンは必死に捏造してるってことですね。
44 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:30:40 ID:kwjjW4d2
>>32 >ちょこっとした日本の出先機関があっただけなのに
半島南部、現在の韓国の領域は、文化的にも政治的にも古代日本の勢力下にあったわけで、
「ちょこっと」じゃないでしょ。
だからこそ、大変な労力、資金、人員を投入し、白村江で唐の水軍と戦ったわけで。
45 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:30:54 ID:Z0BS2O/l
倭が半島でどのような軍事行動をしたかが問題でしょ?
倭は半島で何も軍事行動をしなかったと言い張るのはファンタジーだ
韓国の極右はそのように主張しているようですけどね
花の慶次も韓国のせいか唐入り編やらなかったしな
本当、うざい
>>41 悪いがいらん
まとめて宗主国様に着払いで届けてやれ
48 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:31:18 ID:3LgNdBPC
魚羊人は一体何言ってるんだ!、1400年AD以前の文献も無いし
有っても読めないくせに!!。
49 :
<丶`∀´>ウェッハッハッハッハ!!:2007/09/02(日) 19:32:21 ID:reHX1wJQ
>>47 むしろ、宗主国に売り渡すニダ。
そして、宗主国から代金をがっぽり頂くニダ。
その内当時の様子を記録したビデオテープが発見されたって言い出しかねない感じですね。
朝鮮人とまともに意思疎通が出来ると思う方がアホ
52 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:34:15 ID:/plN1bC8
これが「正しい歴史認識です」。自国の学校の教科書でさえも本当のことをひた隠しにしているのは朝鮮人です。
本当の朝鮮人の歴史を知れば本来、自分たちの祖先の不甲斐なさや民族・歴史の不幸をまず嘆くはずなのだ。
ところが祖先は美化脚色され、その辻褄あわせで中国が朝鮮半島を常態的に属国にしてきたことは隠蔽された。
その結果、韓国人の病的な恨のエネルギーのすべてが日本と1910年の日韓併合に襲いかかる構造になってしまったのだ。
韓国のデタラメ教科書のせいである。
日韓併合は宗主国が元や清から大日本帝国に変わっただけというのが、実態に近い。だが韓国の歴史教科書では
有史以来初めて独立が奪われたかのように記述されている。
韓国には独立門という有名な門があるが、デタラメ歴史教育のせいで、ほとんどの韓国人はこの門を日本から独立して建造されたものと勘違いしている。
実際は清国からの独立を記念して建てられたものであるにもかかわらずである。韓国の歴史教科書に独立門の写真は掲載されている。しかし一切説明がない。
当然下関条約第1条の内容も韓国では国家機密?なので隠蔽され教えられない。
ちなみに40年足らずの日本統治時代、朝鮮民族は民族規模が700万人から2500万人にまで増えている。人類史上類例がないのではないか。
40年足らずで一民族が3.5倍にまで拡大するなど。日本統治は朝鮮民族に空前の繁栄をもたらした。しかしデタラメ教科書はそういった事実も都合が悪いので隠蔽する。
53 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:34:31 ID:mTOzJ2sx
「朝鮮半島の一部が日本に支配されていたが優秀なウリ等が追い払ったニダ」
で偉大な歴史になるじゃん
どこが嫌なんだろう
55 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:34:35 ID:ayW+iwlZ
>>44 いやいや、>1のひとはそういう認識で書いてるってこと。
>1を要約しろって言われたので。
56 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:36:05 ID:mTOzJ2sx
[編集] 三国史記(新羅本紀)
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を侵した。
123年 春三年に倭国と講和した。
158年 倭人が礼物をもって交際に訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使者をつかわして礼物をもって交際を求めてきた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
232年 夏四月に倭人が金城を攻める。
233年 五月 倭兵が東辺を侵した。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:36:16 ID:rYDq4n9c
自惚史観
58 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:36:45 ID:YOMvX4B9
>>44まあちょっとなら王を人質に送ったりしねーわな。
>>1も都合良く解釈しすぎだね。
で、実際のところ任那ってなんだったの?
半島総督府
61 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:41:17 ID:LncAxRew
こういう言論は徹底的に学会や外務省、政府が間違っていると声を高くして言うべき類のもの。
放置すれば国益に反することになるんだから。
まあ根底にあるのは白黒二分割の鮮人思考だわな。
彼らは物事を100%の形でしか捕捉できないのだ。
従って、あらゆる二者の関係は
「100%従属させる」か「100%従属する」かの二択になる。
「おおむね対等の関係だった」というような見方はできないわけです。
ゆえに、ほんのわずかでも任那日本府の影響を認めると
「ウリナラは日本に100%従属していた」という、少々飛躍した結論に達してしまう。
これが「古代ウリナラは東アジア全域を支配した」という妄想史観とバッティングしてしまうために
どうしても認められないんだよ。
認めた瞬間にガラガラと自分達のアイデンティティが崩壊するんだ。
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:42:52 ID:yHleWSCw
>明治以降の朝鮮併合を合理化しようとした
要するにココが絡んでるから火病ってるんじゃね?
・・・考えすぎだw
66 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:45:10 ID:afCytzZs
日本の美女と言うか、かわいい子は世界でも特別だな
萌えアニメからそのまま出てきたような女の子がいるのは日本だけ
67 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:45:51 ID:9WtiRlcZ
挑戦の歴史書の三国史記に、
新羅や百済が王子を人質として倭に送っていたと書いているんだから、
属国だったってことは否定のしようがないのに。
確か、最近まで石碑も日本軍によるねつ造って喚いてたよな。
中国の拓本が出てきて今はぐうのねも出ないみたいだがw
自分たちは懸命に主張するくせに
70 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:47:56 ID:tmLE3+Py
>>67 韓国内ではどういうわけか百済が日本を支配していたことになっています
71 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:50:39 ID:dL94/l3r
●秋七月、詔曰、今年、造作大宮及大寺。則以百濟川側爲宮處。是以、西民造宮、東民作寺。
便以書直縣爲大匠。秋九月、大唐學問僧惠隱・惠雲、從新羅送使入京。冬十一月庚子朔、
饗新羅客於朝。因給冠位一級。十二月己巳朔壬午、幸于伊豫温湯宮。是月、於百濟川側、建九重塔。
はい、韓国人の大好きな百済宮と百済大寺ですよ!
あれ?百済川の近くだから百済宮&百済大寺?百済を尊敬したのではないようです。(苦笑)
●冬十月乙丑朔乙亥、大唐學問僧清安・學生高向漢人玄理、傳新羅而至之。
仍百濟・新羅朝貢之使、共從來之。則各賜爵一級。是月、徙於百濟宮。
おや?唐の学問僧と学生、漢人が新羅経由で来日してますね。
百済・新羅から朝貢に来た使臣がそれにくっついてきていますね。
●十三年冬十月己丑朔丁酉、天皇崩于百濟宮。丙午、殯於宮北。是謂百濟大殯。
天皇が百済宮で崩御します。だから百済大殯。百済を尊敬していたからではないようです。
●丙子、翹岐兒死去。是時、翹岐與妻、畏忌兒死、果不臨喪。凡百濟・新羅風俗、有死亡者、
雖父母兄弟夫婦姉妹、永不自看。以此而觀、無慈之甚、豈別禽獸。
丙子の年、(百済国主)翹岐の子が死んだが、翹岐とその妻は死を忌み嫌って子供の死に
立ち会わなかった。凡そ百済・新羅の風俗は、死亡者があれば父母兄弟夫婦姉妹であろうと、
自ら看取ることはない。これを見ると、慈愛がないことといえば禽獣と何ら変わりはない。
畜生同然だそうです。
●三月庚申朔、百濟王義慈入王子豐章爲質。
さあ、百済王が王子を人質に差し出します。
●丙申、以小徳授百濟質達率長福。中客以下、授位一級。賜物各有差。
王子だけじゃない百済の人質( ´H`)y-~~
●九月、遣小徳高向博士黒麻呂於新羅、而使貢質。
日本、新羅に人質を差し出すことを求めます。
●是歳、新羅王遣沙■部沙■金多遂爲質。
新羅、人質を送ってきます。
●或本云、至庚申年七月、百濟遣使奏言、大唐・新羅、●力伐我。
百済の使臣が天皇に上奏し「唐と新羅に攻められている」と報告します。
●方今謹願、迎百濟國遣侍天朝王子豐璋、將爲國主、云々。
百済が天朝(皇室)に侍らせている王子の豐璋を国王に冊立してください、
頼みです〜と言ってます。
●或本云、天皇、立豐璋爲王、立塞上爲輔、而以禮發遣焉。
天皇が豐璋を百済王に冊立しております。おや、百済王が百済王族を倭王
として冊立したという主張と正反対ですね。不思議ですね。
日本書紀は百済人が書いたんだよな。韓国人の主張では・・・(苦笑
百済人が天皇に対して「臣」といい、「人質」を差し出し、「百済王」を冊立してもらう。なるほどね・・・。
歪曲、隠蔽されたというなら、明確な史料的根拠を提示してね、と。
72 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2007/09/02(日) 19:51:26 ID:VvhwbWyQ
>>1 現地の官吏が新羅派と百済派に別れていろいろやってる辺りが
今とそう変わらないよな。
最近だとエロ拓が制裁中に北鮮のハマグリ食べに行ったりしてるしな。
日本書紀を信じるなら任那との関係は第十一代垂仁天皇の頃からだし
新羅を征服したのは神功皇后の時だし
欽明天皇の頃には軍事色弱くて当然だよな。
73 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:52:02 ID:ayW+iwlZ
日本と韓国なんて、世界の国境線の変化から見ると、ほとんど変化してないに等しい。
東南アジアだってぐりんぐりん国境動いてるし。
あんなぐらいだったらいったいどんな騒ぎになっていたことか。
74 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:52:44 ID:SOc0WDNM
クダラネ
75 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:53:00 ID:BHaYAs2D
NHK教育 3ch 本日 22:00 ETV特集
?ヲ【 日本軍 裁かれなかった毒ガス戦 �〜アメリカはなぜ免責したのか〜 】 � �
近年、日本軍が中国で残虐な毒ガス使用をした証拠が続々発見されている
中国で日本軍が遺棄した毒ガス兵器による被毒事件が相次ぎ深刻な問題になっている。日中戦争開戦70年。
なぜ遺棄毒ガス兵器は今日まで放置されてきたのか、なぜ日本軍の毒ガス作戦は忘却されてきたのか。
その原因の一つは、東京裁判でアメリカが免責したことにある。当初、日本軍の毒ガス使用は、
国際法違反として裁かれるはずだった。戦争中から日本軍の毒ガス使用を非難してきたアメリカは、その証拠をつかんでいた。
しかし、アメリカ軍内部で化学戦の研究・作戦立案を担っていた化学戦統括部の強硬な反対によって訴追は断念された。
そして東京裁判での毒ガス作戦が免責されたことは戦後世界に大きな影響をもたらした。
番組では、アメリカによる調査報告や、旧日本軍兵士の証言から日本軍毒ガス作戦の全貌を明らかにする。
またアメリカ軍の毒ガスの実験映像など新資料を駆使して知られざる対日毒ガス作戦と免責の構造を描いてゆく。
76 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 19:56:11 ID:lI5vgSKu
>この男は百済から日本にやってきた帰化系氏族で、大和の高級官僚に栄達したことから、
>とかくそれを鼻にかけるところがあったらしく、現地人には毛嫌いされていたようです。
今も昔も、朝鮮人は朝鮮人ということを良く表わしてる記録だな
ホルホル史観よりずっといいだろ?
78 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:00:12 ID:BaB4+5C5
自爆史観じゃない?w
79 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:00:39 ID:M6jlr/KS
>>73中国は変化し過ぎでしょ、その中国の属国だったんだし。
>>66 そりゃ日本人が作った萌えアニメと日本人女性がかぶるのはある意味当たり前だろwww
が、俺も日本の女の子が世界で一番かわいいと思う。
81 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2007/09/02(日) 20:03:19 ID:VvhwbWyQ
>>59 鬼ヶ島
額に角がある人・都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)の出身地。
都怒我阿羅斯等が上陸した所が敦賀(ツヌガ)
都怒我阿羅斯等の来朝に際して崇神天皇の本名 ミマキイリヒコからとったミマナを国名として与えられた。
82 :
天の川市民(知性派):2007/09/02(日) 20:05:37 ID:4TnECRbI
前方後円墳は韓国の王家の一族が、日本の長官として来て、
そして日本で広まった。
>>82 3世紀以前の前方後円墳が韓国にあるんですか?
85 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2007/09/02(日) 20:07:38 ID:VvhwbWyQ
>>82 じゃあ何故韓国には日本より古いまたは大きい前方後円墳が無いのかね。
86 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:08:00 ID:tmLE3+Py
日帝が壊したニダ
ま、歴史に真実なんて必要ないんですけどねw
先祖がダメダメだと、末代まで恥ずかしいなぁ。
89 :
天の川市民(知性派):2007/09/02(日) 20:10:00 ID:4TnECRbI
_____ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/:\.___∧ ∧__\ /
|: ̄\(∩(*゚ー゚) < 『みんじょくの誇りが傷つくから、無かった事にしたい。』
|: |: ̄ ̄ ̄∪ ̄:| \ でいいのかな?
|: |: Nyoron® :| \______________
"゙"゙"゙"゙""゙"゙"゙"゙""゙"゙"゙"
91 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:10:07 ID:DclpVr2a
嘘つきは朝鮮人の始まり。朝鮮人は息を吐くように嘘をつく。人類史上極悪非道最低最悪基地外妄想エロテロ国家糞大韓民国。レイプと放火とゆすりたかりと大虐殺と責任転換と歴史の歪曲と捏造とパクリと不法占拠と謝罪と賠償は国技ニダ。
92 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:10:35 ID:OcUUT1W0
日韓併合はなかったニダ!韓国もなかったニダ!
93 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:11:40 ID:XR0rdHoV
鏡に向かってものを言ってる奴がいるなぁw
誰とは言わないが
94 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:12:15 ID:rvZ/NzCD
>絶対的といえるほど確かな 第一級史料です
よく言うよw
日本の学会でもチョーセン人一人の空言だけで旧日本軍による改竄資料として歴史的に葬り去ったじゃないか
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:12:43 ID:kbgk9FAp
日本史がすべて真実を語ってるとでも
思っているのですかw
98 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:14:02 ID:/NiLlr17
>>96 歴史は勝者が作る
韓国は誰に勝ったというのだろうか
任那がどうこうよりも
IMFの方がよっぽど恥ずかしい歴史だと思うんだが…
将来的には、IMFもなかったことにするから、別にいいのか。
ていうかMS-IME、「みなま」が変換できないのは政治的理由?
「のてう」とか「ちょんどふぁん」とかは別に変換できなくてもいいだろ…
昔から情けないのな、日本の外交現地担当官て(笑
まったく根拠の無い事だが
俺は白村江以降一時期日本は
唐に占領されたとさえ思っている
104 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:14:59 ID:Z5T/bRtY
要は古代でも朝鮮半島では
日本>朝鮮
というヒエラルキーが存在した事実が面白くないという話。
>>43 捏造ってより隠蔽だろ。
>>44 白村江までは大規模な軍事介入を行っていないのは事実なので、
日本が統治していたというよりは大使館に内政干渉権を付与した程度の存在だったとするほうが実態に近いかと思う。
冊封国と考えても実態に近いかもしれない。
106 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:15:32 ID:/NiLlr17
>>94 ?
ソースくれ。
歴史的に葬り去ったという話は知らん。
「みまな」じゃないの、MS-IMEで変換できるか知らんが。
109 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:16:51 ID:/NiLlr17
>>101 ATOK派の俺にはわからんが、
たぶん無理でね?(w
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:18:31 ID:ouSm8a6w
>>92 今更だが、『韓国』は大東亜戦争以後に、できた国、それ以前には、存在していない、
111 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:21:36 ID:Z5T/bRtY
つ大韓帝国1987〜1910
112 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:21:45 ID:OcUUT1W0
>110
つ【大韓帝国】
113 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:21:53 ID:2IoxKyli
>そしてナンバー3が河内直(かわちのあたい)ですが、
〉この男は百済から日本にやってきた帰化系氏族で、大和の高級官僚に栄達したことから、
〉とかくそれを鼻にかけるところがあったらしく、現地人には毛嫌いされていたようです。
すごくデジャブです・・・
114 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:25:32 ID:WMNLOmui
>>106 韓国人学者が「好太王碑の任那の記述は日本軍による改竄ニダ」と言い出して
議論になったものの、中国から日本軍が半島に来る前の拓本が見つかって
そこにはバッチリ「任那」の文字があったという話。
115 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:28:04 ID:/NiLlr17
>>114 だからそれは知ってるさ。
俺が聞きたいのはそこじゃない。
116 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:28:59 ID:2vdXwV+m
百済と新羅は日本のパシリ国家でした。
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述
>が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、
>新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を
>広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
>などの軍事権を認めた叙任がある。
>これらの文献資料は、全て調和的。
>考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代
>中期〜後期(5〜6世紀) になると、朝鮮半島南部にいくつも
>見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
>と言うわけで、全く問題ないのである。
117 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:29:07 ID:bXY5E5L3
前方後円墳も韓国は隠してるからね。
1972年7月17日、当時高麗大博物館主任で勤めていたユンセヨンの「韓国の中の古墳」
と称する寄稿文が新聞に記載された。当時慶煕大学のファングヨングフン教授とユンセヨンなど
が全羅南道の光州郊外と栄山江など平野地帯にある丘陵4ヶ所を共同調査した結果、前方後円墳
が発見されたのだ。
この墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」
として報道していたのである。前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形状であり、日本独自
の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
しかし、調査が進むと、この古墳に関する報道は一切外に出なくなった。
何が何でも日本のものは100%韓国起源との虚偽・捏造に熱心な韓国であるが、この古墳の年代
が5〜6世紀に作られていたことがわかり、日本の古墳が作られた年代である3〜5世紀よりも後
であり、常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやって
きて、当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。
任那の日本府とともに、古代の朝鮮半島の
歴史から日本を消したい韓国が歴史捏造をしている証拠のひとつとして紹介する。
118 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:29:27 ID:Z5T/bRtY
大韓帝国は下関条約に従って1897年に李氏朝鮮王朝が清から独立したのを機に改名した。
従来から国際的に帝国の格式を認められた国によって帝国扱いされなくては単なる自称帝国に過ぎないというのが国際儀礼の慣例だが、
大韓帝国は日本から帝国扱いを認められた事によって国際的にも帝国の格式を認められた。
119 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:30:02 ID:bXY5E5L3
朝日新聞ニュース
前方後円墳に寄せる韓国の関心は高く、八〇年代後半からこれまでに五基が発掘
された。現在、確実な前方後円墳は九基で、いずれも韓国南西部の全羅南道にある。
このうち光州市の月桂洞1号墳と2号墳は復元整備されている。柳沢一男・宮崎大学
教授は「八、九月にも一基発掘され、韓国国立中央博物館のホームページで成果が
公開されている。調査の継続と公開に敬意を表したい」と述べた。
西谷正・九州大学教授によると、韓国では伝統楽器の長鼓に似ているので「長鼓形
古墳」とか「前方後円形古墳」などとも呼ばれている。九基の規模は、最大で全長
七十七メートル、最小で三十五メートル。日本では中、小型だが、韓国の古墳の中では
比較的大きい。時期は五世紀後半から六世紀前半というのが大方の見方。三世紀後半に
出現する日本の前方後円墳の方が古いことは、韓国の学界でも共通した認識になって
いるという。
馬鹿だな、コリアンは。古代にも占領されたとして
新たな謝罪と賠償を要求すればいいのに。
しかしそれが出来ない。(´∀`)認メチャウコトニナルカラネ
121 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:31:42 ID:bXY5E5L3
ソニーの元副社長だった久多良木さんの、久多良木の性を調べても、
古代には、日本が朝鮮と深い関係をもってたことがよくわかるんだよね。
122 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:36:36 ID:fJOgNxRD
>>82 >韓国の王家
こういう表記を抵抗無く行うだけで歴史というもののの捉え方がよく分かるw
123 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:39:51 ID:Ob1tN48H
はいはいサンケイw
>>101 私の使っているMicrosoft IME 98 では
「みまな」で「任那」と一発変換します。
125 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:42:59 ID:bXY5E5L3
今も昔も変わらぬ旨さ、サンドイッチコリアニダー!!!
127 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:47:31 ID:nqVbCv02
半島の支配権は
中国→日本→中国→モンゴル→中国→日本→満州族→日本→米中分割統治
ってことでOK?
128 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:48:18 ID:BJQTDgrb
>>119 韓国の前方後円墳は、日本に関係する人物、例えば日本人の高位滞在者などの
可能性が高いよ。あるいは、朝鮮から日本に渡った関係者とか。
それから、二つの方墳がたまたまくっついて前方後円墳の形で今日伝わるものもあるらしい。
このタイプがいくつかあると聞いた。これらをあわせて、たしか全部で10個も発見されていない。
前方後円墳の朝鮮起源説は、ただの一点も妥当性がないと言って、過言ではない。
129 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:48:38 ID:XjISIvIN
みなまでいうな
131 :
天孫族:2007/09/02(日) 20:50:01 ID:3HdtsYiJ
何時も誰かを頼りに戦争する、終われば其の国の属国半万年其れの繰り返し。
一人では何もした事が無い優秀を自称する民族。
132 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:50:22 ID:Z5T/bRtY
高句麗と満州を中国で一くくりにするのは変だろ
133 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:51:13 ID:eYQLcS3s
>>68 今でも信じてるのが大半かと・・・
都合の悪いことは聞こえない耳をね装備してるから。
135 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:52:34 ID:/ZfhEwtm
百済も日本領やったけど、古代人はあほらしくなり
朝鮮半島から手を切った。
もう、日本にとっては朝鮮の歴史なんかどうでもエエから
かってにお花畑の夢を書いたら!(^^)!
136 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 20:54:08 ID:3evLqmcU
■まとめ
・日本は、任那日本府という機構を置いて朝鮮半島南部を支配していた。つまり半島は属国だった。
・出展は『日本書紀』。日本と海を隔てた外国との文化交流なども記されている。
・驚くべき事に韓国には歴史書がなく、古代の文献もほとんどなく、日本の「日本書紀」が
土台になっている。だが、同じものを参考にしているはずなのに、韓国と日本では内容が違う。
・日本書紀には任那日本府が登場するのだが、何故か韓国では任那は登場せず、
百済・高句麗・新羅三国が「文化を伝えた」という記述になっている。
よく韓国人が恥ずかしげもなく言う「韓国が日本に文化を教えてやった」である。
・韓国の態度は明らかな矛盾。だが、その矛盾は『日本の教科書の韓国化』で解消されつつある。
15年前くらいまでは日本の教科書にずっと載っていた任那日本府の記述は、最近消されてしまった。
日本書紀の記述が半島史観で汚染されている実例である。
・韓国は同じ「日本書紀」という史料から立証される「任那日本府」と「百済・高句麗・新羅三国」のうち
「任那日本府」だけを隠匿・否定して、「百済・高句麗・新羅三国」を肯定している。
つまり我が国の日本書紀という同じ史料から『都合のいい部分だけ』を摘み食いしているのだ。
・韓国が日本を罵倒し、自らの正当性を謳う『正しい歴史』とはこの程度のレベルなのである。
「日本書紀」「宋書」「広開土王碑」からみる任那日本府
まずもって日韓の歴史の相違点の始まりはここにあると言って良いだろう。
日本側の任那日本府存在説(以後、存在説)に対し、韓国側の任那日本府非存在説
(以後、非存在説)が常に議論となってきた。
ここで問題なのは、韓国側の非存在説が論拠を持っての説ではなく、どちらかというと
極めて感情的な説であるという点である。
例えば、日本書紀の記述に関して「任那日本府を通じて、日本へ朝鮮半島からの文化が
伝わった(要約)」ことが書かれているが、この中の「日本へ朝鮮半島から文化が伝わっ
た」と言う部分だけを引用し、その前提となる「任那日本府」については虚偽であるとして
いるのである。
また、広開土王碑についてもこれを改竄説を唱えて、存在説の論拠を否定しているのである。
広開土王碑は現在の中国と北朝鮮の国境近くにあり、中国側に存在する高さ6メートルの巨
大な石碑のことである。
この石碑には古代朝鮮(高句麗)の広開土王の業績が書かれている。
そしてその一部に倭国との戦いの記述があるのだ。
曰く「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。ところが、倭が辛酉の年
(391年)以来、しばしば海を渡って百済を破り、新羅を(風化によって判読不能)し、両国を
倭の臣民としてしまった。そこで広開土王は396年に自ら水軍を率いて、倭の臣民となった
百済を討伐した。」以下、404年まで倭との戦いを記録している。
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi09.htm
138 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:00:21 ID:BJQTDgrb
少なくとも、任那という地名については、朝鮮側の三国史記や、
中国側の広開土王碑、宋書倭国伝などで確認できる。
進軍についても、同様に資料的な裏づけがある。
一方、任那というものの具体的な性質については諸説ある。
例えば、次のような複数の説があるという。
「日本史大辞典」
1.任那における在地倭人の連合体
2.倭と任那の協議体
3.在地日系官人を配下に組織した出先機関
「朝鮮を知る辞典」
1.正式な名称を任那日本府とし、伝承記事の朝鮮出兵・遺使などをふくめ、
大和朝廷の朝鮮経営がすべてここを基地としたとする説。
2.任那日本府は仮称で、原名は任那倭府であるとし、その実態は大和朝廷が
百済王を仲介にして、加羅諸国を間接的に支配したとする説。
3.原名は倭府で、倭を加羅諸国の別名と見、実態は百済の支配下に入った
加羅諸国内の反百済自立派の亡命者集団であるとする説。
定説はない。まぁ、資料に準じた、まともな対応だろう。
一方、以下のような見方がある。
・韓国説
任那の存在を認めない。
伽耶連合(任那に該当)は、豊富な鉄を日本に輸出した。(「国史」教科書)
あと1000年位経つと、日帝による植民地支配というのも無かった事にされるよ、きっとw
140 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:11:26 ID:XjISIvIN
141 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:12:32 ID:XjISIvIN
>>140 私がやってみたら見事に「可能性あり」になった
30点以上
人前で強い不安や恐怖感を抱き、そうした場を避けがちなあなたはSADにかかって
いる可能性があります。
SADは多くの人が発症する病気で、国内には約300万人以上の患者さん*がいると
言われています。セロトニンやドーパミンといった脳内の神経伝達物質のバランス
が崩れて起こるこの病気は、薬による治療も行われています。機会を見つけて、
専門医にあなたの悩みや不安を相談してみてはいかがでしょうか?
SADに関して、こちらのページで詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。
30点以上の場合、SADの可能性があります
142 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:14:59 ID:GSKQzByJ
どうしていまの韓国が問題にしなければならないのか理解できません。
まったくだ。
他に考えなきゃいけないことがあるだろうに。
ばっかじゃないの?
143 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:20:27 ID:lakul7FN
>>1 このオッさん読み書きは出来ても韓国生物の生態と言うモノに理解が至らない様だなwww
144 :
.:2007/09/02(日) 21:25:40 ID:vzZTh9qU
というか日本書紀が書かれたのは646年ですよね?
で、韓国がいちゃもんつけてきた最初はいつのことなんですか?
145 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:25:40 ID:BJQTDgrb
>>142 自尊心の問題。植民地時代の傷跡とも言えるが、一方で、日本に対する侮蔑は歴史的なもので、
その根は深い。優越感とコンプレックスが入り混じった感情だろう。
だから、古代において朝鮮半島から日本に文化を「伝えてあげた」という立場が、
学問の成果以前にアプリオリに存在しているように見える。
これがないと、自尊心の安定が保てない、という感じだろうか。
その上に、朝鮮の「歴史」教育が存在するということだと思われる。「民族主義>歴史」ね。
これが前提にならないと、政権すらも危ない場合すら想定できることだろう。竹島問題など、そう。
146 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:27:15 ID:TVm1TcJj
問題は日本書記がどれほどの説得力を持ち得るかだな
まぁ、ヒのないところには煙はたたないのだろうけど
ちなみにヒは日の丸の日
なんちゃって
147 :
.:2007/09/02(日) 21:32:04 ID:vzZTh9qU
朝鮮に7世紀の資料なんて無いでしょ。
所詮、朝鮮とか関係ないんです。
中国側の資料があるだけです。
148 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:33:12 ID:dkese9Eb
> ■無力な出先機関
> 「任那の日本府」がその組織の実態をともなったかたちで、ぞくぞくと登場するのは第29代
> 欽明(きんめい)天皇の時代になってからです。西暦でいえば540年代ですね。
> ところがこのあたり、いくら読んでも「日本府」が軍事力をもって三韓(百済、任那、新羅)
> を支配しているといったようすが、まったくうかがえないんです
根本的誤謬を犯しているな。完全に制圧しきったから軍隊を置く必要すらなかったが正しい。
WW2のときですら朝鮮半島全域には2万人程度しか兵を置いていない。
つか任那日本府を歴史から消し去ったのは韓国人じゃなく、マルキシズムに毒された
戦後の日本の歴史学会。この連中が死に出して、やっとまた、まともにいえるように
なって来たのが今の状況さ。それでもまだ遠慮がある。
朝鮮人は相変わらず日本のサヨク学者の受け売り騒いでいるだけ。
149 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:35:51 ID:oAu0mBRS
白村江の戦い→はくそんこう by大卒世界史選択の俺
→はくすきのえ by 高卒の先輩w
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:36:37 ID:FWgLCfo0
朝鮮人は近代に起こったことは大袈裟にして、いかに日本が朝鮮を虐げたか
喧伝するのに、古代に起こったことはなかったことにしようとするのは、
何故だぜ?
(゚∀゚≡゚∀゚)
三韓征伐は?
152 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:42:57 ID:dkese9Eb
日本書紀には半島の勢力がそむくたびに軍を派兵していたことが繰り返し出ているし。
ちなみに、白村江の戦いに日本が動員した兵力は約4万人。兵站を担う従卒加えると
10万人くらいの大軍になるだろう。
153 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:46:59 ID:FWgLCfo0
もし白村江の戦いで日本が勝っていたら、いまでも南韓に日本の領土があったかも。
当時の資料は日本側にしかないのだから百済記とか新羅記とかって何よ
>>153 モンゴル来たからなあ。ちょっと無理かも。
156 :
.:2007/09/02(日) 21:49:18 ID:vzZTh9qU
古代史については日本と中国の学者の間でわかる範囲で共通の認識があるんだろ?
それで終わってる。
資料の無い朝鮮は関係ないでしょ。
>>152 7世紀にその数を動員できて、かつ渡海作戦を行ったってなかなかすげーよな
まあ負けちゃったけどさw
158 :
平和主義者 ◆YU6H4s6e1w :2007/09/02(日) 21:51:02 ID:sjibjqRB
正直信じたくはないですね
日本が侵略民族だと肯定しているようなものですから
>>153 どの道、元に負けて取られてるよ。
まあ、属国根性の無い半島民が出来上がるから
色々近代史は変わりそうだが。
神の字がついた天皇が3人いる。神武、応神、崇神天皇だ。
これらの名前は漢風のおくりなで、奈良時代につけられたと言われる。
適当につけたのではなく、その文字には当然、意味があるだろう。
神武天皇は言わずと知れた初代天皇。日向から東征してきて大和朝廷を開いた。
応神天皇も九州生まれ。香坂王・忍熊王という二皇子を討って大和を平定した。
この二人の天皇は東征したという点で共通している。
神という字を使ってるのは、外部からの征服者を意味してるのかもしれない。
崇神天皇にはそのような記録はないのだが、奇妙なエピソードがいくつか残されている。
天照大神を宮中で祀るのはよくないと言って追い出したという話。
最終的に伊勢神宮が天照大神を祀ることになるきっかけとなったエピソードだ。
また神の祟りがあったため、大物主の子孫であるオオタタネコを探した話。
崇神天皇が本当に直系の子孫なら、先祖の神の天照大神を追い出したり、
母方の神である大物主の祟りを受けるだろうか。
崇神天皇はまた「ミマキイリヒコ(崇神天皇の和名)は命を狙われてるのも知らないで」と
童女が歌っていたと聞いても意味がわからず、叔母に意味を聞いたと日本書紀にある。
これはやまと言葉がわからなかったということではないのか。
ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたというエピソードもその後に書いてあるが、
つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。
161 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 21:52:23 ID:llXDvTcu
何かktkr
162 :
.:2007/09/02(日) 21:52:44 ID:vzZTh9qU
だいたいさ、663年とかだよ。
全く想像できないよ。どんなんだよw
>>157 百済の王子が何を思ったのか裏切ったのもあるけどね、
負けた原因の一つに
164 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:54:15 ID:kwjjW4d2
>>75 NHKの偏向、捏造ぶりは凄まじいね。
明らかに特亜3国からの工作が入っている。
公共放送で嘘を流すはずはないという先入観から、視聴者は信じざるを得ないし、
新聞のテレビ欄に載せた文面だけでも、工作の影響度は強いだろう。
もう、表現の自由がどうの、こうのというレベルじゃない。
庶民にできることは、せいぜい放送料金の未払いや、メールによる抗議くらいで、
さしたる影響力はない。かなしいね。
良識を持った政治家、官僚が勇気を持って、対処してほしいよ。
165 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 21:54:45 ID:llXDvTcu
>>160 小説家としては一つの推理として結構だけど、
歴史を実証するのには証拠がない。
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:54:51 ID:9WtiRlcZ
>>157 自分は任那府は信じているが、その大軍派遣に関しては疑問を感じるんだなあ。
玄界灘って、ものすごく荒れる。チョンが渡れなかったぐらいだ。
当時の、丸木船+アルファの準構造船で、どうやってそんな大軍を渡したのか。
誰かちゃんと調べて欲しい。
>>154 三国史記がある。後世のだが。
167 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 21:56:06 ID:M9/MHMUy
というか、韓国は1950年からでしょ。
それ以前の歴史は断絶の繰り返しで、三韓と韓国の関わりって皆無でしょ。
168 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 21:56:22 ID:llXDvTcu
>>166 リアルタイムじゃないからねえ>三国史記
>>166 遣唐使船くらすで乗員100名、
で当時の派遣船が400船というからどうなんだろうね
>>166 日本人は海洋民族の子孫だから
きっと何らかのロステクが有ったんだよ。
171 :
.:2007/09/02(日) 22:01:36 ID:vzZTh9qU
というか中国側も資料から任那日本府の存在を認めているよ。
172 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:03:04 ID:kwjjW4d2
>>166 >玄界灘って、ものすごく荒れる。チョンが渡れなかったぐらいだ
日本の文化の基層は、縄文+江南(海洋文化)で、北方大陸系の半島民とは
赤の他人の海洋民だからね。
半島民よりも、造船や航海術は秀でていたろう。
173 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:03:59 ID:WclMbAYq
河内直っておっさんの様子が全てを物語ってるわなw
まぁ、俺はど素人だから詳しいことは分からないがw
174 :
( ̄▽ ̄):2007/09/02(日) 22:05:35 ID:2++xRyiy
175 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:06:01 ID:WZBPO+Gr
好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致 読売新聞2006-04-14
「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」
--------------------------------------------------------------------------------
古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され
、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、
中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、
旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。
好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、
それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。
その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。補足:
好太王碑
広開土王碑ともいう。現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後〜668年)
の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6.2bで東アジア
最大の墓碑。
王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。近くにある古墳群
とともに世界遺産に登録されている。
ソース:読売新聞2006/04/14 朝刊19面
176 :
( ̄▽ ̄):2007/09/02(日) 22:06:20 ID:2++xRyiy
177 :
.:2007/09/02(日) 22:07:43 ID:vzZTh9qU
そうそう、江南とのつながりってよく言われているよね。
178 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:08:36 ID:9WtiRlcZ
>>169 100名も乗れたのか。
なら可能かなあ。もっと小さいのか思ってたが。
武器、食料、その他人員で1000艘ぐらいかねえ。
179 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:08:49 ID:l23OIgnw
そんなことが問題になるのは
自分らが上の立場での「友好」を考えてるからだろw
181 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:14:41 ID:kwjjW4d2
>>179 だよね。
まず上下関係に目が言ってしまう、中華幻想・腐儒思考の特亜圏は、世界
から孤立するほかないよ。
べつに友だち付き合いする必要もないし。
182 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:16:15 ID:dFNlAdDz
任邦なんてあるわけない。学術的な否定されてるから議論する必要さえないのにバカか?
白を黒と言い張ってるのは朝鮮人だけ
185 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:18:45 ID:dFNlAdDz
むしろ古韓が倭を統治していた機関が九州にあったはずだという説があるくらいだ
>>185 根拠となる史料を提示してもらおうか。
できるならw
188 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:20:42 ID:dFNlAdDz
任邦がなかったから証拠にこの携帯でも任邦は変換されない
>>188 お前の携帯の変換機能のことは聞いてない。
史料を出せ。
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:22:51 ID:dFNlAdDz
>>187 博多と言う地名にヒントがあると思っている
博多は福岡の道真がいた場所だと日本で有名で学問の神様だから韓国人だろうからだ
191 :
.:2007/09/02(日) 22:23:38 ID:vzZTh9qU
>>182 否定されてないよ。サヨク学者が否定されているだけ。
朝鮮半島の4世紀〜6世紀は高句麗・百済・新羅・任那だよ。
日本の古墳も朝鮮半島で確認されている。
>>190 その学問の神様の出身地は九州とは関係ないってご存知?w
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:24:41 ID:dFNlAdDz
>>189 任邦は日帝が韓国侵略するためのねつ造だからだ
だから日帝敗北後は説そのものがなくしただから
>>193 で、妄想はそれくらいにして、学説の説明をしてくださいません?
196 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:25:56 ID:mTOzJ2sx
>むしろ古韓が倭を統治していた機関が九州にあったはずだという説があるくらいだ
韓国のトンデモ説だな
こういう根拠の無い説をソウル大学教授とかが主張するんだよなぁ
197 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:26:01 ID:/TfKto6v
はあ?またふざけた事を。歴史捏造民族が。もう我慢の限界だ。
もうチョンを民族浄化したい。チョン男と30以上のチョン女は殺し
残りは日本人の肉便器として生きる権利を与える。
断ったらマワシて処刑。あと民族浄化だから妊娠したら処刑ね。
毎月の妊娠検査なんか楽しみだよな。チョン女は震えまくりだろう。
しかし、大嫌いな日本人の子を孕むんだからこれ以上の屈辱はないな
妊娠したチョン女は8ヶ月は日本人の子に寄生されたという悪夢を味わせて
楽にしてやる。生きてるだけで気が狂うだろうな。腹が膨らむたびにな。
お前の腹の内部でレイプした日本人の子が育つんだからな。
チョンには地獄。日本人には理想郷だ。
198 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:27:25 ID:dFNlAdDz
そもそも海があったのにそんな組織があったはずがない
なんか釣り臭いな。
>>198 ごめんねー。
日本って、元々海洋民族ですのー。
朝鮮人には不可能ですよね。
で、学説のソースはまだ?
201 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:28:39 ID:dFNlAdDz
我々は日本のプロパンガンダには騙されない
任法はなかったから事実騙されない
>>193 説そのものが無くなったりはしないよ。
任邦日本府の存在を否定する学説が新しく出ていただけ。
ちなみに日本でもそうだが、中国の歴史学者も存在を認めているんだが?
日帝が口実にしたことと、史実の存在とは切り離して考えるべきだろ。
204 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:30:31 ID:kxqXgPJ/
夏休みが終わって火病起こしてるに200ペリカ
205 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:30:41 ID:dFNlAdDz
>>200 大韓正史学会が否定の結論だ
エリートの一流の学歴の知識人が否定したんだ
>>198 白村江の戦いでは朝鮮半島に日本軍(もちろん当時のだが)がいたりもしたが?
207 :
.:2007/09/02(日) 22:31:00 ID:vzZTh9qU
>>201 騙すも何も朝鮮から日本の古墳も出てきたじゃないか。
保存されているよ。
>>205 で、まだその結論が書かれた資料は出せないの?
論文の名称でも構いませんよ?w
209 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:32:08 ID:kxqXgPJ/
>>207 埋めた奴ですかw
都合の悪い事は隠す民族性が見れていい出来事だったよね
210 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:33:02 ID:llXDvTcu
教育を見ているうちに何か湧いた?
211 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:33:08 ID:qasKBKVb
そもそも当時日本には原人しかいなかった
組織だとかができるのは1000年以上後のことだ
212 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:33:35 ID:dFNlAdDz
任邦は韓国の対倭の統治機関だというなら信憑性はある
韓国は倭より優れていたから統治していたが倭のはずだ
証拠は秀吉は韓国から拉致をしたから優れていた文明の証拠
214 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:34:12 ID:kxqXgPJ/
>>211,212
妄言は聞き飽きましたので再提出w
217 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:36:52 ID:dFNlAdDz
任邦はなかった証拠に百済は使えないのクダラナイからではなく
クンナラ(韓語で偉大な国の意味)からだとわかったから大和朝廷は韓国の傀儡だったから
任邦はなかった
>>210 見てないけど、どんな感じ?
録画失敗したっぽいorz
>>212 つ『宋書』倭国伝
宗主国様の言うことなら信じる?
220 :
.:2007/09/02(日) 22:37:08 ID:vzZTh9qU
>>211 あのさ、朝鮮の最古の資料が13世紀なんだよ。
日本は7世紀。
221 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:37:30 ID:kxqXgPJ/
壁打ちモードに入るの早くない?
>>217 韓国ってそもそも60年前に出来た国です。
はい、減点。
223 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:38:40 ID:qasKBKVb
>>214 アメリカがやってきて日本政府を作った
日本は西郷とか坂本が戦争してた
ヤッパリ痛い人を演じてる様に見えるんだが。
225 :
.:2007/09/02(日) 22:39:03 ID:vzZTh9qU
>>212 あのさ、朝鮮から出土した日本の古墳は小さい小さい。
日本の古墳はでかいでかい。
意味わかる?
226 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:39:05 ID:kxqXgPJ/
227 :
Hinomaru GT ◆leChOphDOY :2007/09/02(日) 22:39:36 ID:+osHRvFS
<丶`∀´>伽耶諸国は韓民族の独立小国家群地域であり
倭人の支配地域に成っていたなんて笑止千万ニダ
>>224 そうですね……ここまで痛いと演技っぽいですね。
>>201 >任法はなかったから事実騙されない
「任法」ってナニ?w
230 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:40:00 ID:sO6kYGvU
>>223 幕府って知ってる?
ついでに、江戸時代って、世界史的にも稀に見る
平和な時代だって知ってた?
231 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:40:19 ID:dFNlAdDz
当時に金氏という優れた韓人武士が韓国で倭人を破った記録もあるし
別資料では李武士と朴武士が倭人の田中を撃退した記録もある
232 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:40:35 ID:kxqXgPJ/
>>223 どう考えても釣りだね、あんま練れてないし
233 :
.:2007/09/02(日) 22:41:03 ID:vzZTh9qU
234 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:41:19 ID:llXDvTcu
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/gas_warfare.html 日中戦争で旧日本軍が毒ガス使用 2091回で8万人以上死傷
1992年8月13日(中日新聞) ← ここ重要!(天安門事件はいつだっただろうか)
日中戦争 旧日本軍が毒ガス使用
2091回で8万人以上死傷 民間人へ人体実験も 中国側資料で明らかに ← ここ重要!
【北京12日共同】日中戦争の旧日本軍による毒ガス戦について、中国軍部が
まとめた詳細な内部研究がこのほど明らかになった。研究では、盧溝橋事件の
起きた1937年から日本敗戦の45年までの8年間に、共産党ゲリラ掃討作戦を
含め少なくとも2091回毒ガスが使用され、民間人を含む死傷者は8万人以上に
上ったことを突き止めている。毒ガス戦の全体像に迫る中国の研究成果が
明るみに出たのは初めてである。
>>218 あいかわらず〜 ジュネーブ条約に批准してないのに国際法違反<ノ丶`Д´>ノ マンセー
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html 番組では、アメリカに残る調査報告や尋問調書、旧日本軍兵士の証言から
毒ガス作戦の全貌を明らかにする。
またアメリカ軍の毒ガスの実験映像など新資料を駆使して知られざる対日毒ガス作戦と
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
免責の構造を描いてゆく。 ↑
ここ注目!
>>232 では、お触り禁止で行きますか?
見物モードでw
237 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:42:13 ID:1CAznQPf
昔の朝鮮半島に住んでた人は今の朝鮮人とはまったく無関係なのにな。
韓国は1000年前からジャガイモがあった国だ
日帝の捏造だった可能性は高い
と、アサヒ珍文的援護
239 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:42:49 ID:2vdXwV+m
>>231 大和朝廷が朝鮮半島を支配していたことは
日本の史書、中国の史書、朝鮮の史書、全部に出てくる史実だ。
もういい加減あきらめろ。
240 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:43:00 ID:tpbXdJeo
っていうか、任那の存在を否定したら、大伴金村の失脚をどう説明するんだよw
完全に逝っちゃってる歴史妄想だな
>>234 >またアメリカ軍の毒ガスの実験映像など新資料を駆使して知られざる対日毒ガス作戦と
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
>>225 チンコのサイズに合わせたからに、500ヲン
243 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:43:29 ID:lIUkGwLL
井沢元彦の本がわかりやすかった。
244 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:43:47 ID:kxqXgPJ/
>>235 もう壁打ちになってるし、ほっといたら勝手に落ちるんじゃない?
そういえば菅原氏は土師連の出で天孫系なのに、なぜ渡来系とする説があるんだろ・・・
246 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:44:29 ID:UpWaRqrM
半島との友好を深めるためには日本が正しい教科書を作ってあげないといけないな。
天皇陛下に半島の土民どもは三跪九叩頭して、下賜して下さるようお願いしたらどうか?
>>244 もうちょっと突くと、人格崩壊が見られそうなのにw
最近のホロン部は、安全装置がついてますね。
248 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:46:10 ID:12SvwjyE
NHKの中国列車の旅見てたら、石碑から拓本とる
石版印刷?っての、今でもやってるのねん。
広開土王碑文思い出した。
249 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:47:22 ID:llXDvTcu
>>241 あー、あとねえ 日本の残イペリット弾の事故で“怪我”をしたと主張するシナチクが、
日本の裁判に負けて、「俺の体見ろ!」と言ってたけど、皮膚びらんでなく、
何かの傷の痕と、胸には心臓外科?と思われる傷が。
250 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:48:31 ID:0WOO5Vhf
>>185 その前に「古韓」とやらの実在を証明しろよ。
251 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:49:41 ID:EEDCMwE9
>>250 <丶`∀´><ウリの古韓は9cmニダ
おまえら遊んでないで「任邦」につっこんでやれよ。
>>249 カオスだな・・・だれか突っ込んだマスコミはいないのか?
255 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:51:37 ID:kxqXgPJ/
「任邦」が一発変換されない件
256 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:52:41 ID:bPbqEqVm
任那
258 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:52:57 ID:yuvqrBp+
日本人たちは「任那」が無かったという証拠を出さないといけないにょ。
>>252 握れないモノを握り潰す事はできないと考えます。
金床の上に置いて、6ポンドハンマーを思いっきり振り下ろしましょう。
どんな硬い鉄も一撃で・・・・
260 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:53:37 ID:12SvwjyE
オレの変換機能、最近めちゃおかしい
コシを変換すると腰じゃなくて個死とかになる、助けてくれ
261 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:53:47 ID:llXDvTcu
262 :
.:2007/09/02(日) 22:53:59 ID:vzZTh9qU
みまな→一発変換だよ。任那
>>255 IME?
egbridgeでは嫌韓流も一発変換されますが?
いわんや、任那なんざあw
264 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:54:23 ID:sO6kYGvU
>>258 あったという証拠がぽこぽこあるのに、
あえてなんでなかったという証拠を捏造しなきゃなんないにょ?
>>259 えーと……
……睾丸を板で挟みこんで、適当にカチカチ叩くとかはダメですか。
266 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:54:57 ID:12SvwjyE
コシは変換できなくても、任那は一発変換できた件
267 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:55:15 ID:jJzREnkS
任那って、確か一度教科書から消えて、また復活したんだっけ。
もちろん消えたままの教科書もあるだろうけど。
269 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:56:03 ID:llXDvTcu
腰
任那
ニンポウ?
271 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:56:20 ID:kxqXgPJ/
273 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 22:58:01 ID:12SvwjyE
忍法?
274 :
N.N.LC33100 ◆6t3fK8.Vt. :2007/09/02(日) 22:58:04 ID:KrQvAN6e
>>269 + +
+ ( `Д´)桃葡萄梨旦那 ハァハァ +
( つ _, ,_ +
),ィ⌒(;‘д‘) ああっ… +
(_(__人__,つ 、つ
275 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 22:58:45 ID:llXDvTcu
>>274 ( #゚∀゚);y=ー<ヽ`∀;.・:∵.ターン
276 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:00:52 ID:oM6pY8pJ
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。
こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
>>270 それなら、畳針を刺していきますか。
何本目で気絶するか、楽しいでしょう。
>>277 指先にホチキス針はダメですかそうですか。
279 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:05:52 ID:NcxImHc6
素人的に中国の史書調べてみた
倭が半島の実権を握ってたのは事実として、その倭を将軍に任命したのは
古代中国
古代中国>>>>倭>>>>半島諸国
よって日本府はイカサマ
280 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:06:42 ID:fWiCzaJB
>>1 こういう記事を見ると韓国人を理解してないよな、と思うよ。
韓国人としては根拠なんてどうでも良く「主張力」だけが問題だという価値観だから、
論理なんて最初からどうでも良いんだよ。
>>279 >倭を将軍に任命したのは古代中国
誰が誰を任命したの?
282 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:09:02 ID:NcxImHc6
410年頃からの中国史書の倭の記述
間違ってたら直してねん。
●『宋書』倭国伝
自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」
と称し、正式の任命を求める
●『宋書』順帝紀、倭国伝
武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」
とする
●『南斉書』倭国伝
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
六国諸軍事安東大将軍倭王武に除し、号して鎮東大将軍と為す
●『梁書』武帝紀、
鎮東大将軍倭王武、進めて征東将軍と号せしむ
284 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:13:07 ID:+CyivH7U
みまな=任那
M$IMEで一発変換で出るなwww
チョンm9(^Д^)
285 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:15:21 ID:AxiE3p8Z
>>1は倭の五王の上奏文を故意に無視しているのか?
286 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:15:54 ID:kwjjW4d2
>>245 菅原→土師氏→出雲系 なわけで、渡来系とする説は存在していないだろ。
菅原道真→学問の神様→倭人に文化を教えてやった「古代韓国人」に違いないニダ→在日認定
という流れで、いつもながらの根拠のない嘘を、朝鮮人が吹聴したのだと思われ。
287 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:17:16 ID:8oKFOWUd
日本は歴史を歪曲するのはやめたほうが良い
こんな事は教科書にも載っていないでっち上げだ
乗せているのは一部の右翼的教科書
288 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 23:19:36 ID:llXDvTcu
IDチェンジャーおつ
天神様の祟りがあるよ。
290 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:20:15 ID:NcxImHc6
半島の六国諸軍事安東太将軍やら鎮東大将軍やら征東将軍
を就任した 倭国王の武
それを承認したのは、古代中国
日本書紀の、朝鮮に都合の良いところだけを切り貼りして
主張の根拠にしたって笑われるだけだぞ。明らめろ半万年属国。
292 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:21:46 ID:AFYsn8lK
293 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:21:50 ID:x9M8apSc
>>287 >>教科書にも載っていないでっち上げだ
20年前の教科書にはしっかり載ってたぞw
まあ半島の歴史なんて、朝鮮戦争だけで十分だけどねw
294 :
.:2007/09/02(日) 23:22:33 ID:vzZTh9qU
>>287 中国の資料にも日本の資料にももろに出ていますが何か。
おまけに朝鮮から日本の古墳は出土するわ、好太王の碑は確定されるわで
もうそこらじゅう任那だらけでたいへんですぅ。
295 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 23:22:45 ID:llXDvTcu
>>291 諦めろ←こっちこっち しかし明らめろなんて変換を何でさせるのかね?
>>290 その頃には帝を名乗ってたから任命されてた訳じゃ無くないか?
超時空史観か。
297 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:24:51 ID:ndAU7y+W
>>287 ウリナラファンタジーが教科書となるのは半島だけ。
お前、半島から外に出ないほうがいい。万が一外に出たら、キチガイ認定されるだけ。
299 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:26:15 ID:X9BxUgeA
家康の朝鮮人認定には笑ってしまったな。
連中は広忠、清康の存在はどう説明しているのかな・・・
300 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:26:39 ID:NcxImHc6
倭・倭人関連の朝鮮文献ってwikiにあるけど、おもしろかたw
倭人が攻めてきたって記述だらけwww
三国史記(朝鮮最古の史書。
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵そうとしたが、
始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を侵した。
232年 夏四月に倭人が金城を攻める。
233年 五月 倭兵が東辺を侵した。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
393年 倭人が来て金城を包囲する。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を侵す。
431年 倭兵が、東の辺境に攻めて来て、明活城を包囲したが、功なくして退いた。
440年 倭人が、南の辺境に侵入。夏六月にまた東の辺境を侵した。
444年 夏四月に、倭兵が金城を十日包囲して、食料が尽きて帰った。
459年 夏四月に、倭人が兵船百余隻を以って東辺を襲い、月城を囲んで進撃したが、追撃してこれを破る。
〜〜キリが無い
倭人、古代から半島で暴れ放題w
301 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:28:08 ID:x9M8apSc
>>300 半島がこれを撃退した
という記述がほとんどないんだが....w
302 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:28:27 ID:kxqXgPJ/
>>290 その古代中国様(宋)も北魏に圧迫されて青息吐息だけどね。
304 :
桃葡萄梨 ◆nullpob9Es :2007/09/02(日) 23:30:02 ID:llXDvTcu
うひょうひょwww
教育のテロップに
吉見義明
ってのってたwwwwwwwwwwwwwやっぱりwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>300の中にある于老の話、ちゃんと時間軸を追っていくとかなり
面白いよ。オススメ。
とハン板から出張してみる。
>>296 承認というか、友邦国として差し上げようだったような
308 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:34:18 ID:tQSqmV9n
>>287 朝鮮人よ、根拠を教科書にしてるのか?
教科書ってのは絶対ではないんだよ。
日本人は色々経験して学んだのさ。
>>300 > 倭・倭人関連の朝鮮文献ってwikiにあるけど、おもしろかたw
> 倭人が攻めてきたって記述だらけwww
> 三国史記(朝鮮最古の史書。
> 紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵そうとしたが、
> 始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。
> 14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
> 73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
> 121年 夏四月に倭人が東の辺境を侵した。
> 232年 夏四月に倭人が金城を攻める。
> 233年 五月 倭兵が東辺を侵した。
> 249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
> 287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
> 292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
> 294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
> 345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
> 393年 倭人が来て金城を包囲する。
> 405年 倭兵が明活城を攻める。
> 407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を侵す。
> 431年 倭兵が、東の辺境に攻めて来て、明活城を包囲したが、功なくして退いた。
> 440年 倭人が、南の辺境に侵入。夏六月にまた東の辺境を侵した。
> 444年 夏四月に、倭兵が金城を十日包囲して、食料が尽きて帰った。
> 459年 夏四月に、倭人が兵船百余隻を以って東辺を襲い、月城を囲んで進撃したが、追撃してこれを破る。
> 〜〜キリが無い
> 倭人、古代から半島で暴れ放題w
はいはい、何故か内陸部から海岸部に攻め込む倭兵ね。
>>300 Civで言うと文化的にえらい差がある国同士の戦争みたいだなw
311 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:35:31 ID:X9BxUgeA
>>302 連中は秀吉を倒して天下を取ったから朝鮮人だと言っているらしいですね。
312 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:35:57 ID:wrSWmCNt
正直、半島の歴史なんてどうでもいい。
日本に迷惑かけないでくれ。
313 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:37:41 ID:Hx1XNgPI
>>56 何百年も後にかかれたものを資料のように持ってくんな
314 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:38:47 ID:5iagzYGm
自虐史観は日帝残滓
315 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:41:45 ID:kwjjW4d2
>>305 土師氏は埴輪製作ばかりではなく、墳墓造成の土木工事を担当していた、古代ゼネコン
の一族で、たんなる土器屋じゃなかったようだね。
また、土をいじる→須恵器→半島伝来→渡来人 という論法は、あまりに短絡的で学問
から逸脱している。
そもそも、須恵器は、このスレの任那と縁が深く、古代日本の勢力範囲……領土?……だった
伽耶の土器とされるので、それを本土へ運んだ者を渡来人認定するのは無理があるね。
菅原道真という高名な学者官僚を在日認定したい韓国人か、韓国に媚びたエセ学者が、
とんでもなく稚拙な嘘をついていると思われ。
>>311 家康は秀吉が倒したわけじゃないのに。
…まー順当にやってたら家康軍が圧勝してたが。
信雄が裏切らなければねぇw
317 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/02(日) 23:43:44 ID:bEvB8BRY
歴史を直視できない民族の悲しさが伝わるね。「○○はなかった(ことにしたい)」
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化
が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である
「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶
(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、
韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。これは
明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く
見るのではありませんか、
という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、
横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、
三国文化を運んでいったようになっている。しかし、韓国の中・高等学校
では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを
助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」
に接して戸惑うのも無理はない。
高麗大学教授 金鉉球
鄭大均 「日本のイメージ」より
319 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:00:37 ID:+J9WC8ap
>>313 なんで何百年も後になって作られた朝鮮の歴史書に
倭に攻め込まれたことが何度も書かれているの?
320 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:04:00 ID:NcxImHc6
>>1 「任那の日本府」はなかった
↓
任那もなかった
↓
任那という言葉さえも使うの許せネェ
って半島おもしろいねw
321 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:04:06 ID:Pe3fepEt
任那は「みまな」と読むのか。初めて知った。
40年間「みなま」だと思ったいた。
2ちゃんはためになるなー。
322 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:04:32 ID:AxiE3p8Z
>>279 中国>倭は正しいが、倭の五王の上奏文を読んだこと有るの?
太祖元嘉二年讃又遣司馬曹達奉表獻方物
讃死弟珍立遣使貢獻自稱使持節都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭國王
これ以後延々と朝鮮の宗主権を倭王は主張しているんだよ。
323 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:10:32 ID:BFZoUN7l
おまいら、正式国名『鮮朝』に余りかまうな。
自分の国名も間違える確かな歴史事実のある国ですから。
かまうな、かまうな。
324 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:11:16 ID:H//eNuY4
325 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:13:42 ID:6OdHdypa
>>316 それが戦国だろ。
関ヶ原で裏切ったのは誰だ?
326 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:20:32 ID:6OdHdypa
>>287 俺の習った教科書にはきちんと載っていたぞ。
昭和40年頃だけどね(笑笑笑)
327 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:23:08 ID:H//eNuY4
>>306 よくわからんですけど「于老」で調べたら
>昔于老(せき うろう、生年不詳 - 253年?)は、新羅の軍人・高級官僚。
〜
>国の使者葛那古を接待したときに、戯れに「倭の王を塩奴(潮汲み人夫)にして、王妃を炊事婦にしよう」と言ってしまったために、
>倭王は大いに怒り、将軍の于道朱君を派遣して新羅に攻めてきた
>于老は倭軍の陣に赴いて失言をわびたが、倭人は許さず、于老は捕らえられて焼き殺されてしまった
これはプギャーですね
329 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:28:03 ID:kgPNgWXf
>>321 オイラも中学2年までそう読んでた。
小学校の頃に興味の向くままロクにルビ振ってない古代史本とか読むと、
"にんな"と覚えちゃう人もいる。
古代もやっぱり半島は周辺国を巻き込んでパワーバランスの場になってたってことやんね。
任那という南端の国は大和朝廷の力を背景にして北の国に対抗してた、と。
ざっくり言えば、大戦の頃やそれこそ今の半島情勢と同じなわけで。
332 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:30:56 ID:BFZoUN7l
独立宣言書の中の国名が『鮮朝』だったと書いてある教科書だったら、よりましな教科書として認めてやっても良い。
教科書って言っても歴史事実であるとは言えないょ。
鮮朝の教科書はね。
333 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:32:11 ID:KMzW8pM9
>>327 そんな昔っから根拠のないホルホル体質だったんかww
しかも強気で押せばチキンなのもそのまま。
ところで、この時代の半島人って今の鮮朝人と系統同じだったんかねぇ?
もし違うのなら、代々あの半島にはロクなのが居らんということになる。
まさに呪われた土地だな。
334 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:38:08 ID:9EYOscto
>>330 なぜ任那をみまな、百済をくだら、新羅をしらぎを読むかは
わかってないんじゃなかったっけ
>>325 ここで
「三成乙!w」
とか書くと江戸時代初期の2ちゃんネタになりそうね。
ちなみに倭王に派遣された于道朱君は○○宿禰の誰かだろうとされている。
んでこの派遣もものすごくて、新羅王いきなり居城から脱出するほど(笑)。
当時からの関係がよく理解できるエピソードですわ。
ぜんぜん自虐じゃねーじゃん
339 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:48:15 ID:ybnxcecc
単に朝賎半島は古くは日本の隷属地域。そして次は中国の隷属地域。そして蒙古の隷属地域。そんでまた中国の隷属地域。そしてまた日本の隷属地域。そんでアメリカにより仮独立。。。
という世にも稀な奴隷の歴史を刻んできた訳だ!www
340 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:54:05 ID:mN9fBkU5
過去・現在・未来 何やっても ちょうせんじん は駄目な生き物だなあ。
341 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 00:54:26 ID:A82l7jrs
片田舎だが近所の本屋に嫌韓流3があった。
で、そこの店主も考えたんだろうが、嫌韓流、嫌韓流2も並んでいた。
しかし、ここの店主は嫌韓ではない...って、嫌日流も置いてやんの。
まぁ、嫌韓流シリーズで15冊ぐらいかな...嫌日流は1冊。売れ残りぽい。
で、もって、それ以外の嫌韓に関する本も多数...
まぁ、一応、地方の様子ということで。
で、任那なんだが、MSIMEで変換できない。
金正日は変換できるのに...
342 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 01:00:49 ID:Xd6nJv+B
そもそもの問題がさ、朝鮮に古代文献が存在しないっつうことなんだよ。
で、朝鮮人は日本書紀やらの日本の古代文献を研究して、自国の歴史を分析すんのよ。
そのため自分らに不利な記述があると完全スルーして「独自解釈」を挿入する。
つまり、つぎはぎして縫い目だらけのボロボロの服を、新たに単色で染め直すような作業。
で、できた名前が、誰が名付けたか
「つまみぐい史観」
朝鮮通信使の歴史捏造もこれと同じ図式。
343 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 01:05:02 ID:W/wqlSAJ
おいおい、自虐史感じゃなく、ヒトモドキの歴史そのものが自虐に繋がるってだけだろうがw
当時、今の日本と朝鮮半島南部に「海峡国家」があったってことで
別段不思議ではないんだけどzなぜに朝鮮人は
「ずっとそこに俺様たちは居続けたんだ」ってことに拘る必要があるんだろうか。
>それを知った百済王(聖明(せいめい)王)が日本の天皇(欽明天皇)に直訴する騒ぎが
こういう表現が韓国人には許せないらしい。
アメリカの教科書にも、半島の王が日本の皇帝に直訴したというような
表現が出てきて、韓国系の学生がファビョることがよくある。
346 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 01:44:11 ID:OGJfxXiT
>>166 激しく既出かも知れないが、
時代によって海の荒れる時期と荒れない時期がある。歴史時代にも、小氷期や温暖期があるのでね。
有名な例としては、バイキングは温暖期のグリーンランドに農耕や放牧を伴う植民地を作ったが、
結構繁栄したにもかかわらず、小氷期に入り海が荒れると、気候の寒冷化と相まって本国との交通が途絶し、
植民地も環境が悪化して全滅した。
近年は、当時北米にもバイキングが進出していたとされているが、同じ理由でコロニーが跡形もなくなったもののようだ。
一番近い氷河期が終了して縄文温暖期に向かい始めたころは、海面の急上昇のため、大海を渡っての移住を迫られた
ケースが多発したはずだが、結構安全に航海できて、日本にもその時代に南方系が多く移住してきたのじゃないかな。
なんせ、日本の神社の建築様式はその全てが、南洋か東南アジアの民家の建築様式に重なるから。
嘘だと思ったら、調べてみな。ネット上に資料があるかどうかまでは保証しないが。
347 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 02:03:13 ID:Cszk78ci
昔の朝鮮人は金とか陳とかの名前じゃないのかぁ
にしても変な名前だ。
348 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 02:23:44 ID:VIzVhBQv
自虐は自分で自分をけなすんだが。おまえらは、ホルホルする以外はなんにもしてないぞ。
>>346 そういや、中国人が殷代の風習や建築との類似を指摘してたな。
>>350 中国人のその種の発言は政治目的が多いから要注意。
もっとも言語的みると殷はタイなんかの現在の南方系民族に近いみたいだから、
わからんでもないけどな。
>>346 任那日本府の存在や白村江の戦いがあったということを考えると、
倭国と朝鮮半島の間には圧倒的な渡海術の差があったとしか思えないんだよな。
この時代の歴史を語るスレを見るたびに、そのことが気になる。
渡海術という観点から歴史を見ていくと、弥生人は朝鮮半島からやってきましたという説は
あやしい感じがする。
もし、弥生人が朝鮮半島から渡ってきたならば、その後の朝鮮半島にも倭国と同程度の
渡海術が残されていたはずなのに、任那日本府や白村江の戦いはなぜあったのだろうかと。
縄文人にはたいした渡海術がなかったと仮定すると、弥生人は朝鮮半島の人間とは違った
渡海術を持った集団と考えるしかないのでは?
任那がMSIMEで変換できない人は
一度、ひらがなで書いてみてくれ。
俺は変換可能だ。w
354 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:09:55 ID:wDXoMXKL
>>352 古代日本はミクロネシア〜インドネシア〜フィリピン〜中国南部地域を経て日本に至る南洋系黒潮文化圏の直接的な影響を強く受けていた。
近年、縄文人の航海術で太平洋の諸島へ遠征することも可能だったという研究もある。
航海術で半島を凌いでいたと考えるのは当然の帰結と思われ。
355 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:14:16 ID:gDYRxcZc
>>352 弥生人は渡海術がしょぼかったから、半島で何千年も足踏みしてたんだよ。
356 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:16:20 ID:y6r1PsTz
弥生人は中国南部からでFAだろう。似た人骨も出てるし。
あと、日本人とミクロネシア人だけが、鳥や虫の声を楽しむという脳の使い方をするらしい。
左脳で聞くんだっけか。
>>355 半島で足踏みしていたのは弥生人ではありません。
日本の稲作・青銅器・土器の文化は大陸南部から直接渡来しました。
半島人は全く関係ありません。
>>352 交流があったのは事実だから文化や技術は伝播する
それでもなお国力の差があったのは別の原因だと思うよ
つまり日本は稲作に適して生産力があったが、半島は雑穀が主で富の蓄えが乏しかったと
日帝が半島経営で原住民に圧倒的な差をつけたのは稲作
粟稗高粱は言うに及ばず、現地の陸稲より日本の水稲の方が3倍の生産力がある
もちろん品種改良や水利など諸々の技術を導入して半島でも水稲栽培できるようになったからだが
古代の半島南部が倭人の国だったと言われるのは、
古代技術で水稲栽培が可能だったから倭人が住み着いたと考えるのが自然だ
359 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:29:51 ID:tUvprT6+
俺は水田は日本から半島に伝わったのではないかと思ってるんだが、あながち間違い
でもなさそうだな。
360 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:32:16 ID:LOXs2v1i
学校の教科書が捏造だらけで、北朝鮮にいたってはファンタジーみたいな教科書だからな今更自分らに都合が悪い歴史をなかったことにしようとかじゃ驚かないね
361 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:36:02 ID:Y+e9rrXH
>>360 世界で一番人気のファンタジー小説は聖書
世界で一番不人気のファンタジー小説は韓国北朝鮮の歴史教科書
こうですか?わかりません><
>>354 でも、言語学的調査からは、ミクロネシアなどのオーストロネシア系の民族は
実はもっと北方が故地と考えられてるんだけどね。
現時点で確認しうるとこでは台湾あたり。
要するに彼らは逆ルートで広がって行ったんだよ。
日本も隼人がそうだという説もあるが、大勢において日本は南洋系黒潮文化圏とはあまり関係ないよ。
いわゆる弥生人が中国南部地域から来たってのは異論ないけどね。
文化としては一応別個でしょ。交流はあったかもしれないけど。
歴史を直視できないミンジョクは哀れですね。
捏造を繰り返しても子孫に何も残せないのに。
日本アレルギーなのに日本に擦寄らないと生きていけないってのも可哀想だな。
同情するわけじゃないが。
365 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:42:02 ID:3IrlIBP8
結局今の朝鮮人は任那とは全く関係ない人種でむしろ仇敵なわけだろ?
>それをいまの韓国、北朝鮮の学界は「なかったことにしよう」というのです
>から、これはもう論外ですね。
日本のサヨクもだよ
367 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:51:38 ID:eO2wC6f9
『日本』府だから当時は日本なんて無いから捏造とか向こうの学者が行ってたなw
日本書紀がまとめられたときに昔の記録も倭の事を日本と書いてるだけなのに。
それに日本と書いていてもヤマトと読んでいたことを知らないらしい。
368 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:54:46 ID:QhAGXz7r
そんな昔のことはどうでもいいが、竹島は日本の領土だ。
わかったか。
つーか韓国(大韓民国)なんて国はほんの60余年前には存在しなかったんだけどなw
関係ないんだからグダグダいうなと
370 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 04:56:16 ID:QubWU5mt
そういや永谷園は相撲に多大な懸賞金出してるワケだが
いいのか和田?スポンサーに逆らって。
>>334 正直不敬罪作り直した方がよくないか
さすがに気持ち悪い
372 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 05:37:33 ID:gDYRxcZc
>>357 文化は知らんけど、人の流入は北九州からだよ
373 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 05:49:10 ID:FlSSeEAT
公開土大王碑に三韓が日本に支配されたってちゃんと書かれているわけですが
朝鮮人が日本軍が改竄したんだ!っていっていた件は
中国で日本が採るより前に採られた拓本が見つかって
改竄されてない事が証明されたし
結局任那ってイギリスにとってのカレーみたいな飛び地だったってことか?
375 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 05:58:08 ID:HBxlAAWb
大陸への足掛かりという意味ではそうかな。
376 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 06:02:55 ID:PhHXySvE
任那というより百済もあれなんだがなあ。
ずっと前から、日本と中国はGDP換算すれば大国だったわけで、
それに挟まれ続けた小国の悲哀は理解できるんだがなあ。
中国と日本が弱った時期が重なったから、
韓国は独立国になれたと思うんだがな。
二つに分かれたが
377 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 06:05:12 ID:+Yk4lb4v
韓国の特徴
@ 自国に都合の悪い事は全て歪曲であり捏造
A 自国に都合の悪い事を言う奴等は全て右翼
378 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 06:07:08 ID:T0UdNYkq
379 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 06:14:47 ID:agSEMMmk
>>378 そりゃ、朝鮮戦争〜その後数年に渡って行われた、
赤狩りから逃げてきた連中が相当いるんだし、似ている
部分が多いのは当たり前じゃない?
380 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 06:33:33 ID:DOrs+hSW
あのな韓国よ、もうはっきり断交宣言してくれよ。
兎も角、根本にはチョンには1400年AD以前の文献はほぼ皆無、例え僅少が有っても
解読不能。だから、日中の文献しかないが、其れを如何にチョンに都合よく読むかが
チョン歴史学者擬(もどき)の腕の見せ所!!!www
>>372 「流入」じゃなく「流出」だろうがw
攻め込んでいったんだから。
つよい主張、日韓友好をねがう者、まえにもふれましたが、等々・・・
小学生レベルの漢字の部分を敢えて平仮名にしていて、読んでて文体が気持ち悪い。
奇をてらった文体をして読者に印象を残す技法なのかもしれないが、
フィクション小説とか童話とかで使う技法をノンフィクションで使うのは悪意すら感じてしまう。
385 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 07:01:17 ID:8GRxdMQB
>>372 当時はありえない、硬鉄と軟鉄を組み合わせた日本だから、
インド&中東と中国からの影響もあったのかもなあ。
386 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 07:39:08 ID:FlSSeEAT
>383
朝鮮人にも読めるように配慮してあるんだよ
387 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 07:59:59 ID:FJUHf8Rj
今、朝鮮半島に棲みついてるのは流刑の民、任那を知らないのは無理もない
韓国の歴史を見ると日本人なら滅んでたって自慢できるのもうなずける
389 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2007/09/03(月) 08:16:08 ID:N2+GEuAr
390 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2007/09/03(月) 08:22:06 ID:FJUHf8Rj
朝鮮人はどこに棲みついでも文化も歴史も残せないバカなんだし黙ってろよ
任那日本府がまったくの捏造だってのはまぁ無理があり過ぎるわなw
朝鮮人も適当なところで手を打てばいいのに。
392 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 09:34:11 ID:ZgeJ2NIi
いずれにしろ半島は日本の属国だったわけだし、悪あがき
393 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 10:03:23 ID:RDU1Sis7
史料も遺跡も裏づけてるのに任那が日本の直轄地であることを否定する方が難しい。
日本が韓国併合の正当性の手段に使ったことと考古学的事実は次元の違う話。
394 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 10:11:57 ID:BM9UwXqU
5世紀にすでに日本は朝鮮半島を植民地にしていました。
三国史記にも倭にボコられている記事が山ほどあるのに
不逞鮮人は何を言いたいのだ?
396 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 10:55:13 ID:3q9+WwuF
韓国人というのは日本が絡むとどうしても感情が先走る上に
まず韓国人にとって理想的な「古代韓半島は東アジアの大国」という結論ありきで
倭国は小国で何も無いくせに、と語りはじめるわけだからw
397 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 10:56:34 ID:64WAzq7f
>>395 ウリナラは歴史上他国を一度も侵略したことの無い素晴らしい国ニダ
そして侵略してきた倭奴はすべて撃退したニダ
って脊髄反射で言われちゃうよ、
>>300のリストを出すと
398 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 11:00:55 ID:L9oEDBwh
何故?広開土王の碑文の『卯の年、倭が海を越えて百済、新羅を臣従させて、支配した・・・』とか、
漢書に記された朝鮮半島南部は、倭の支配するところである。倭は、身体に入れ墨をなし、海の潜り
生魚を食す。』また朝鮮半島には縄文石器、弥生式土器、前方後円墳(日本で成立以後作られたもの)
も発見されている。
本当の半島の歴史を見つめる時期に差し掛かっている。
嫌なら海外からの全ての情報を遮断して鎖国するしかない。
何時までもウリナラファンタジーに浸っていろ。
400 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 11:07:12 ID:4P/IF5nv
朝鮮半島全域に縄文人が居住していた。
紀元前7000年から紀元前2700年くらいまで。
土器や貝塚や人骨が出ている。
その後朝鮮半島は人種が入れ替わった。
縄文時代晩期が寒冷期だったので、
寒さに耐えかねて北方から南下したヤシラいたからだ。
401 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 11:10:30 ID:E1t5W0x8
>>398 だが入墨は女性がしていたともある
と云う事は入墨をしていたのは海女さんじゃないか?
男性はしてないと思う・・・多分
してるとしたら戦士として戦う時に迷彩の為かもよ
>>68 ぐうの音も出ないわけじゃないよ。
建立されたときに既に捏造が為されたとか言い出すアグレッシブな研究者が出てきたw
403 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 12:14:00 ID:3zeVhZVg
チョンの存在自体を無かったことにすればOK
何も悩まなくて済むよw
>>1 数少ないマトモな韓国人の意見かと思いきや日本人の論説と来たもんだ
ヤツら、日本側から何言っても聞く耳もたんからどーにもならんな
405 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 12:29:51 ID:biBY1Gdh
やつらの頭がおかしいのは、
自分達の都合のいい記述は信じて、
今回のような不都合な記述は否定するところだな。
両方とも同じ記紀から出ているのに(笑)。
406 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 12:44:15 ID:gDYRxcZc
>>395 三韓征伐は史実性が怪しい(他の戦争をまとめて美化しただけだけど)→
時空の歪み→任那日本府は捏造
407 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 12:47:44 ID:3q9+WwuF
自国最古の歴史書が12世紀製なくせに
408 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 12:48:09 ID:qgAyhb8C
>>402 好太王を顕彰する為に言葉を選んでいるとか、三韓を間に挟んでいた為の
誤認とか、立場の違いによる主張の誤差(偽装を含む)とかではなく、彼
らがよく言う「捏造」ですか?
而倭以辛卯年来渡海破百残□□□(←新?)羅以為臣民
の解釈が〜っていうのはあるよね。
『来』の主語は『倭』だけど、『渡海破』の主語は別。
そして碑文が高句麗サイドの視点なんだから、主語は「高句麗」か「好太王」じゃないか?
・・・って感じで。
410 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 13:03:19 ID:RDU1Sis7
捏造説が使えなくなったんで、今は碑文に出てくる倭は日本のことじゃない
とか、大王の業績を誇張するために倭という仮想敵をこしらえたという説が
有力になっているらしい。勿論なんの史料の裏づけもない。
中国にとってメディアが共産党の宣伝機関であると考えてるように、韓国は
歴史を民族団結のための道具としか考えてない。
411 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 13:33:48 ID:pEMDaNXi
チョンには無関係だろ
412 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 13:45:54 ID:KMzW8pM9
>>410 >碑文に出てくる倭は日本のことじゃない
>業績を誇張するために倭という仮想敵をこしらえた
歴史のコリエイトに関してだけはあれこれ思いついてくるなぁw
そのエネルギーをもっとまともな創造力として使えばいいのに。
でもチョン民族に「まとも」を期待するのもエネルギーの無駄遣いなんだよなぁ('A` )
任那の日本府っていう言い方は外国である任那に日本人が駐屯していたかのような印象を与えてしまうが,
任那自体が当時の倭国の領土の一部なので自国だ。
加羅人が百済人を毛嫌いしたのは当然だろ。加羅人にしてみたら百済も新羅も自分達と対等のはず。
それが倭に帰化しただけで自分達の上役として派遣されてくる。
そりゃねーだろ。
任那とか天智とか白孫江とかの帰化人の話は正直どうでもいい
歴史をときの政権の都合のいいように作り出すことを伝統とする
シナ民族やチョン族とは歴史について協議する必要すらない
Wikiみたかぎり任那の終わりがよくわからんかったなぁ・・。
明確な滅亡みたいなものがわからないのかな?
416 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 14:11:59 ID:3zeVhZVg
漢字オンチで漢文読めないチョン
たとえ自称「歴史学研究者」でもねw
朝鮮人、汝のまたの名は「鮮朝人」なりw
417 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 14:13:21 ID:/2ogDZGT
なるほど。昔、戦乱を逃れた朝鮮人が大挙渡来してきたせいで関西には異質な風習が根付いてるんですね
関西人は風貌も一重瞼の人間が多いし、嘘が身を助けると考えてる民族性もそっくり受け継いでるから、
本来、忌むべき虚言癖の人間が跳梁跋扈してるわけだ
>この男は百済から日本にやってきた帰化系氏族で、大和の高級官僚に栄達したことから、
>とかくそれを鼻にかけるところがあったらしく、現地人には毛嫌いされていたようです。
ものすごく信憑性があるのだが。
>>217 百済って朝鮮語だとペクチェ(ペクチョ)みたいな発音だけど、これって何かに似てるよね
古代では負けた国の民は奴隷か流民になるのが普通だから
白丁の元は百済の民だと思うんだよ
で、白丁と君はどんな関係があるんだい白丁?
420 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 21:53:43 ID:3q9+WwuF
>>419 だから全裸道人は今でも馬鹿にされるんだよ
421 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 21:59:17 ID:5QkUaStA
くだらない
422 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 22:04:50 ID:P2z9Ht7R
423 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 22:16:16 ID:uvDLAyQ3
都合の悪い歴史は抹消せよ か w
424 :
.:2007/09/03(月) 22:28:19 ID:+fQv8AiL
要は、日本が正しい歴史認識を持って村山・河野といったような
人間を生み出さなければそれでいいんだよ。
425 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/03(月) 22:34:32 ID:p94PKmKG
>>415 一応、百済に譲ったと言う事になっている
>>166 >>346 >>352 >>355 読売で毎金曜日に連載されてる「遣隋使1400年」の6回目(8月24日)に渡航は安全だったと出てたな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
遣隋使は、九州北部を出発し、壱岐や対馬を経由し、朝鮮半島の沿岸を通り、中国の山東半島へ抜ける道を選んだ。
(中略)
遣隋使船はまだ発見されていないが、使節の人数や当時の造船技術などから、
板で囲んだ丸木舟を連結して全長約20メートルにまで伸ばし、オールと帆で進むタイプの船だったと推測されている。
「造船技術は弥生時代と大差ありませんが、季節を選んで沿岸部を進めば、まず難破することはなかったでしょう」。
実際、日本側、中国側の資料にも遣隋使の航海が大変だったという記載はない。
航海が命懸けになるのは、702年、7回目の遣唐使から。
長崎、五島列島から一気に東シナ海を横断する外洋ルートを、突然選択したのだ。
(中略)
あえて危険な外洋にこぎ出たのは、新羅との関係が悪化したから。
663年の白村江の戦いで、唐・新羅に完敗した日本は、半島沿岸ルートが使えなくなったのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
弥生時代の半島や大陸との交流は、かなり盛んだったらしいね。
三国史記にも倭国軍の半島侵攻が何度も出てくるし。
大軍の遠征も十分可能だったのでは?
427 :
穢麻呂:2007/09/04(火) 00:13:08 ID:foF7NbwH
>>300 だって半島の歴史っていっつも当時の日本に対して
向けられてる様なもんだし。
それも連中が勝手に「侵略ニダ!」と火病を起こしてるから
性質が悪いわけで。
第二次大戦までの流れ(日本にとっての朝鮮)
帝国主義でヨーロッパが中国大陸の侵略が着々と進み、ロシアも南下政策を採っていて、
日本もいつ白人の領土に飲み込まれるか分からなかった。
そこで、緩衝地域として、台湾と朝鮮半島が重要視されるようになった。
そうしたら、中国の兵隊を自国内に入れて平気の平左の朝鮮が、日本の懸念材料となり、
日清戦争が始まり、講和条約で朝鮮の独立と台湾の日本譲渡を手に入れた。
そのまま独立してくれていればいい物を、口先ばかりで鉄道敷設権や採掘権などを中ロに売り、
今度はロシアの兵を半島に入れたので、日本は日露戦争に突入した。
ここまでされても、征韓論よりも半島の自立を待つ意見が強かったのだが、
半島の自立派の伊藤博文を暗殺したバカがいたこと、
半島最大の政治結社一進会が併合を嘆願したことから、
日本と朝鮮が一気に半島併合へと動いた。
その結果、日本は中国、ロシアの大国と直接領土を接することになった。
台湾と朝鮮を市場として疲弊させ、攻め込まれやすくする訳にも行かず、
資本をつぎ込んで、公共設備や教育制度を整えた。
また、満州国建国をサポートし、今度は満州国に緩衝地域の役目を担ってもらうつもりだったが、
欧米の反対によって満州国は認められず、日本の安全はなおも脅かされたままで、
軍部が暴走、第二次世界大戦へと突き進まざるを得なくなった。
>>420 だけど金大中は全裸人だろう?、地域対立解消されつつあるのかナ〜。
430 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 01:19:07 ID:2p8lRyPO
431 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 01:25:23 ID:Y/0eBK3f
>>425 ふぅん、当時の人は結構ふとっぱらだったんだね。
432 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 11:44:45 ID:270xt6Qk
434 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 11:59:50 ID:zCiOAciX
昔の朝鮮半島に住んでいた人たちと現代朝鮮人は歴史の連続性はない。
>>358 >古代の半島南部が倭人の国だったと言われるのは、
>古代技術で水稲栽培が可能だったから倭人が住み着いたと考えるのが自然だ
これは説得力のある説ですね。
水稲栽培技術を持った弥生人が大陸南部から来て、日本列島と半島南部に進出した。
これが一番自然な理解ですね。 DNA的にも裏付けられるらしい。
弥生人が航海術に秀でていたこととも符合する。
白村江の海戦では唐の海軍に敗れたのかな。
これに比べ半島北部は大陸の力圏で、広開土王も含め渡海する技量がなかったのかもね。
一時話題になった、大和政権は大陸起源の騎馬民族の征服によって成立したという説は、
考古学的な根拠が弱いらしい。
半島南部が倭の支配圏だったことは、現在の半島人が必死になって否定するほどの史実でもなかろうに。
日本人にとって騎馬民族征服説は、ロマンもあって魅力的ですらあるのに、不思議だね。
436 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 12:56:17 ID:vzfol7Iv
半島南部に倭人がいたのは魏志倭人伝に普通に載ってる。
倭人の生活圏から国家的特長を帯びるようになったのは広開土王碑にもあるように
4世紀後半から。ちょうとその数十年前に大和朝廷が西日本の大部分を掌握
して領土を東日本や大陸にさらに拡張していたころだな。
>>435 古代だけでなく、(世界が)中世・近世になっても朝鮮社会の航海能力は
低いんですよね。欝陵島を維持できずに空島政策してましたから。
438 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 13:22:20 ID:2p8lRyPO
>>437 そういえば、慶長の役のときにも、シナ様からフィリピンや琉球と一緒に先制攻撃しようぜと
誘われたけど、自分ところの水軍の戦力を考えて断ってたなあ。
439 :
166:2007/09/04(火) 15:21:43 ID:RmA3fUqd
>>166 >>346 >>352 >>355 >>426 古墳時代は、奈良時代辺りや現代とと地質史的には変わらないと思う。
玄界灘があれるのは、対馬海流が狭い場所を通ること、
日本海の海水が潮汐作用で東シナ海方面に逆流すること、
冬に北風が強いこと、などで今とは変わらないはず。
奈良時代、遣新羅使船が対馬で潮待ちをしていたとか、
万葉集には、志賀の荒男が玄界灘に出て遭難した時の歌などがあって、
荒れる海だったことは今と変わらないようだけどね。
使節なら待つことも出来るだろうけど、軍隊の移動はそうも行かないだろうから、
相当な船団、強固な船が必要だったろうけど、どうだったんだろか。
440 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 15:37:26 ID:znUxCwoL
よく考えてみれば、はくすきのえ(なぜか変換できない)に
合計3万以上の大軍を派遣できた訳だから
まあ、航海はそれなりに安全だったのだろう。
441 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 15:44:51 ID:gJjPrkjh
>>440 あんなでかい戦争起こすくらいだから
半島で大きな力を持ってた(利権があった)と考えるのが妥当。
ただ書紀には、日本人と半島人の間に生まれた奴は言う事聞かないから
困るとか書いてあったから、昔から困らされてきたんだなぁと・・・
442 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 16:08:05 ID:wez02YRz
縄文の昔から長弓使ってたんだから
443 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 16:15:53 ID:z9idTsP4
>>435 遣唐使船なんかは日本側が大型船に拘りすぎて
座礁とか良くしてた・・・・
高麗船は「小型」だけど、喫水船が浅くて
なかなかの快速船だったって記載も残ってる
因みに2隻の遣唐使船が座礁した時に、
8隻の高麗船をチャーターした事もあったそうだ
倭船は小回りが聞かず白村江では
格好の標的になったのでは無いだろうか
444 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 16:28:08 ID:rSMwRBSF
>>443 大和王権時代と遣唐使時代では船が全く違う。
日本の大和王権時代は原生林が多く、切り倒した大木をくり抜いて作った大型カヌーみたいな船だ。
遣隋使船と遣唐使船は中国のジャンクと同じものを作っていた。
中国においての、浪郡・帯方郡というものと同様のものが、
日本における、任那日本府の位置づけなのかな。
柵封体制ってやつか。まあチョン供ファビョル罠。
丸木舟というと一見航洋製が低そうだが、実は逆。
上代日本の丸木舟=沖縄のサバニ
とみなせば、相当の航洋性能を持っていたと見るべき。
中世の沖縄の海人(うみんちゅ)は、丸木を刳り抜いたサバニを使って、平然と台湾や福建省まで航海していた。特に事故も無く。
上代日本の海人(あま)族も、それに近い能力は持っていたはず。時期を選べば問題無く日本海を渡洋できた。
遣唐使船≦ジャンク
なわけだが、四隻という隻数制限と国威発揚のための大型船の建造が、遣唐使の事故率の異常な高さにつながったと思われる。
発展途上国の高速鉄道や独自開発機に大事故が頻発するのと似たような感じだったんだろうな。
大和版サバニみたいな枯れた技術を使えば安全だったんだろうけど、そうはいかなかったのが当時の大和朝廷だよな。
必死で平城京や平安京を造営したり、東大寺大仏を作ったり、技術的にはかなり無理をしていたと思われる。
447 :
166:2007/09/04(火) 17:44:28 ID:RmA3fUqd
>>444,446
古墳時代は丸木船に毛の生えたもんだったろうと思うんだが、
それで大軍を運んだってのが、昔から自分にとっての謎。
現地軍もいただろうけど、そうはおけないはず。食料なんかで。
448 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/04(火) 18:49:48 ID:9YSdQ1qL
何でそこまで任那を必死に否定するかと言えば、韓国人の考えでは
古代に領土であった場所は現在でも領有権を主張できるからだよ。
つかあいつらは後からやってきたんだから
先住民がいてもおかしくないだろうに…
>>447 「敵前上陸」と「兵員輸送」は全然違う話だからね。
ノルマンディー上陸作戦を思い出せばわかるように、「敵前上陸」には敵を圧倒する陸上兵力と莫大な船舶と制海権の確保が必要となる。
朝鮮半島から日本列島の間で行われた大規模な「敵前上陸」作戦には(方向が違うが)
*白村江の戦い(大和朝廷)
*元寇(モンゴル帝国)
*仁川上陸作戦(アメリカ合衆国)
のみっつがあるが、どれもこの形。
安定した日本側根拠地から安定した半島側根拠地に向けて(あるいはその逆でも)単に兵力を運べばいいなら、格段に少ない船舶数でピストン式に輸送できる。
兵機の束縛も無いから天候の安定した時期を選べるし、少数精鋭の熟練した船乗りも使えるので、格段に安全。兵力の損失無く渡洋させられる。
ノルマンディー上陸作戦で十個師団ばかりを上陸させるには数百隻から成る人類史上最大の大艦隊が必要だったが、平和な時に同じ人数の兵隊をドーバー海峡を渡すならフェリーと貨物船を何隻か使ってピストン輸送させれば済むのと同じ。
秀吉の朝鮮征伐と戦前の満州から華北を舞台にした戦争では、日本は北九州から半島南部経由で大兵力を送り込んだわけだけど、敵前上陸ではないので基本的にピストン輸送方式で、さほどの船舶量は必要としなかった。
李氏朝鮮の百姓も、併合朝鮮の臣民も、基本的に日本軍には無抵抗で協力的だったからね。
任那日本府の原住民もおそらくそんな感じだったと思われる。
逆を言えば、だからこそ元寇では鎌倉武士団は果敢に攻撃をしかけて、元軍に陸上根拠地を作らせなかったわけ。
途中で送ってしまった
orz
内海とはいえ1000q以上の出征だぞ
その程度には航海術はあったし、戦闘員が全て船で移動している
日本書紀や古事記の記述はごまかしている部分はあるにしろ、
当時の技術で出来ない部分まで誇張して書いてないと考えられるので
対馬で潮待ちを出来れば朝鮮半島は十分軍隊が派遣可能な場所なんだよ
博多の大宰府ももともとは交易を行う港の後詰めとしての軍事拠点なんだから
そうでなければ防人みたいな徴兵制度は存在しない
>>451 神武天皇は、アマテラスやら天孫降臨やらという要素を脇に置いて、純粋に虚心に神話を読めば
「こいつ海人(あま)族じゃないの?」
というくらい海人族の血が濃いよね。
そのへん単なるでっちあげ神話の架空の人物とは思えないような、妙に生々しいリアリティがある。
ひょっとしたら神武天皇(あるいはそのモデル)って、最初は海人族の傀儡だったのかも知れないと思えるほど。平家一門にとっての安徳天皇的存在というか。
454 :
166:2007/09/04(火) 22:30:36 ID:RmA3fUqd
>>450 確かにそれは分かるんだが、4万もの軍隊を渡海攻撃させるって、
たとえ敵前上陸じゃなくても、そうは例がないのでは。
古代では、ポエニ戦争とか、ノルマンディー公(もっと少なかったと思うが)とか。
船団だけならペルシャ戦争。
それらとは、海の荒れ方がちがうし。
そうそう簡単な、よくある事じゃない。
船団の絶対数、航海術がものを言うし。
任那の倭国領は否定できないわけだから、軍隊が渡海移動したのは確実。
世界史に特筆すべkじゃないか?
>>453 イザナギ・イザナミはもともと淡路島の海人系の神様だし
スサノヲを見ても韓土に渡ったり(すぐ帰ってきたけど)海の神の側面がある
出雲のヤマタノオロチや半島と日本で共通する巫覡(ふげき)を考えると、
半島にも言葉が通じる集団がいたとしか考えられないのだよね
樹の使い道を教え、樹を植えたって伝説を考えると日本から半島へ行って帰ってきたのは確実だけど
半島の歴史と物証の整合では、勾玉の数といつの時代のものかだけで終わる
ヒスイはタイやビルマの方でも採掘されたけど、それは中国にしか無くて半島のものは全て糸魚川産
456 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 01:12:51 ID:jyHmr4C8
>>455 ヒント
・黄泉への入り口は出雲
・言葉の通じないヨモツシコメ
457 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 01:35:42 ID:I2owz81s
458 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 01:48:45 ID:Cvi4HMLd
>>445 攻め取った、というよりは半島に残っていた倭人勢力と連合したって感じじゃなかろうか。
459 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 02:08:54 ID:yxST80rN
>448
儒教の根幹「縦方向の連続体としての尊厳」が出てるな。
悪い根っこからは悪い幹が伸び、悪い花が咲き、悪いタネを残すと考える。
だから彼らは、根っこつまり起源だの祖先だのを貶められることを
強く嫌うし、逆に相手にダメージを与えるために、祖先を侮辱する。
そして、祖先が善としたことは今でも善なので、自分たちの
領土がかつて日本の一部と認めることは、誇りを捨て支配を受け入れる
ことだと信じている。
一言で言えば、扱いにくい人たち。
>>415 新羅によって任那が攻め滅ぼされた562年では?
現存最古の企業、金剛組の創業(578年)と同時代。
将軍がいないと言うけど、的臣って蘇我臣系の軍事氏族じゃなかったっけ
旧宮城の的門を守った氏族で、その名前は後の郁芳門に引き継がれていた記憶がある
>>447 >>450 >>451 >>452 >>454 451さんの紹介したサイトは面白いね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北部九州に残る神功皇后新羅侵攻の伝承から、侵攻の経路を想像するとしても、はたして四世紀代に、朝鮮半島で軍事行動を起こせるような、兵力を渡海させる能力があったか疑問が残る。
これに関し興味深い出土品がある。
兵庫県出石(いずし)町の袴狭遺跡(はかざ)遺跡から出土した板に、4世紀代のものと思われる船団が線刻されている。
巨大船を中心として、十五隻の船が、線刻画でリアルに描かれている。
舟はいずれも、舳(とも)先が高くせり上がった、外洋船である。船団を組んで航行する様子を描いたと思われる。
四世紀代であれば、漁船団や、商船団であるはずはない。軍船以外考えられない。
これだけリアルな描写は、想像で描いたものではない。実際に船団を見た者が描いている。おそらくこの船団に加わった者であろう。
(中略)
ひょっとすると、袴狭(はかざ)遺跡出土の外洋船団図は、建振熊達が活躍した新羅侵攻の船団を描いた図かもしれない。
ここまで想像するのは、いささか出来すぎの気もするが、新羅出兵の船団が、この図に描かれたような船団であつたとしても、間違いではなかろう。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/2-3hakazaiseki.htm 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
確かに防人は、対大陸の防衛を目的とした軍だった。
巨大古墳も、大陸からの使者に見せるための建造物だったという説もあったな。
古代の倭国や初期大和政権の大陸や半島との関係は、後の時代より濃密だったらしいな。
だとすると、三国史記に何度も交戦の記録が出てくるのも自然だね。
それを可能とする造船や航海の技術があったってことだろう。
古代だから、海外との交流が希薄だったろうと推測するのは我々の錯覚かもね。
463 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 03:44:31 ID:8xF5l8jg
いまだに三韓が当時の日本より
格が上だって教えてる南朝鮮は
そろそろ過去の歴史認識を見直したらどうだろう
464 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 03:46:25 ID:3NvEYDYB
465 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 03:52:34 ID:8xF5l8jg
そもそも朝鮮は
資料が乏しいんだから
反論する筋はないだろ
妄想で反論する気か?
あっいつもやってる事かぁ
466 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 04:37:43 ID:Yh7vSo+s
韓国人が洗脳に用いるウリナラ古代史は、日本と中国に残っている史料から導き出される実態を黙殺してる。
頭の悪い人間しか真に受ける筈が無いよな。
そもそも韓国とは別の国だろ
468 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 05:37:42 ID:ITucOI9T
>>1 日本に文化を与えた百済や新羅が倭の臣民だとほとんど唯一と言っていい
民族的優越感が根底から揺らぐからだろ。のむひょんが大統領になってからというもの
こんなバカな歴史問題ばっかじゃねえか。日本や中国に喧嘩売ってよ。
469 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 06:11:15 ID:TIxDvT9I
某ブログからの、興味深い記事の引用要約です。
アメリカ3大出版社の2社である
'McDougal littell'と 'Glencoe:McGraw-Hill'の2008年版中学生用世界地理教科書で、'McDougal littell'が中学生用 '世界地理(World Cultures and Geography)' の教科書に韓国関連単元を新設、
'Glencoe:McGraw-Hill'は '世界地理' 教科書に収録されたすべての'日本海' 単独表記を指導して '東海-日本海' 併記に改正した事を3日明らかにした。
'McDougal littell'が発行した2008年版中学生用世界地理教科書は'東アジアと東南アジア' の単元に '第26章韓半島'を新設した。2003年版教科書では韓国が別途の章で扱われない一方日本と中国はそれぞれ独立した章に記述されていた。
今度の改訂版では韓国関連の記述が 6ページから 28ページ増えて日本は28ページ割愛された。中国は40ページにわたって記述された。
新設された '韓半島' には '地理:山が多い半島','歴史と文化:強い伝統、近代の革新','政府と経済:' など3項目に構成された。
第1節 '地理'では韓国人が地理的に独自的な文化を発達させたことを説明して国際的に 'Yalu'川が韓国では '鴨緑江'と呼ばれるという事実も紹介している。
第2節 '歴史と文化'では韓民族が立てた最初の国家である朝鮮がB.C. 2000年頃設立されたと記述し三国時代韓半島の文化を説明する資料では高句麗壁画を収録した。
また日本が自国の利益のために韓国を植民地とし韓国文化抹殺を目的に韓国語使用を禁止させて第2次世界大戦の中で韓国人を強制徴兵した事実などに対して '苛酷だ(harsh)'と批判ししている。
第3節 '政府と経済'では南韓と北朝鮮の政府、経済、産業と農業の特徴を比べて記述し統一のための努力で離散家族再会とオリンピック単一チームの構成努力などを紹介した。
聯合ニュース9月3日の記事ですから、真偽のほどは分かりません。
470 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 07:10:40 ID:exiwiba4
471 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 07:17:01 ID:CYOp+YaN
アメリカは現状ですらまともな東アジアの認識できてないのに、ますますひどくなるなw またチョンチャンに騙されてちょうだいなw
472 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 07:17:51 ID:5SjKU/rv
韓国の歴史学者に良心の呵責とかはないの?
>>435 気になった所をつまみ食い指摘。
長文の上に重箱の隅を突つきまくっている駄文なので、不快だったら無視してくれ。
>水稲栽培技術を持った弥生人が大陸南部から来て、日本列島と半島南部に進出した。
>これが一番自然な理解ですね。 DNA的にも裏付けられるらしい。
調査の結果、稲のDNAは日本の物と一致する。そして、遺骨は縄文人のものだった。
稲作は縄文時代、既に行われていた形跡が見付かっているので、今や稲作=弥生人と限る必要が無い。
また、縄文から弥生への変化は連続性があり、弥生人=中国南部からの帰化人ではなく、
やはり縄文人→弥生人であり、この頃既に強い勢力を持っていた。帰化人は無力な帰化人に過ぎない。
彼等は次第に同化して、人波に埋もれていったと見なすのが適当と思われる。
>半島南部が倭の支配圏だったことは、現在の半島人が必死になって否定するほどの史実でもなかろうに。
信じ難い事に、彼等は「日本は軍備を整えて、再び朝鮮半島を侵略しようとしている!」と考えている。
日本人の様に「昔の事だろ」とはならず、半島の統治権を巡る切実な問題。
余談ながら、彼等の間では「ソウルを制するものが半島の正統後継者」という固定観念がある。
現在、ソウルに砲撃の的としか思えない高層ビルを建て、今だに遷都を行わないのはそういう理由があるかららしい。
さらに余談ながら、今更ソウルに高層ビルディングを主体とする都市を立てるのも理解し難い。
というのも、これは明らかに『情報のある所へ人を運ぶ』という、前世紀型の都市を目指す計画だからだ。
今世紀型の都市のテーマは『人の居る所へ情報を運ぶ』であり、高層ビルの立ちすぎた密集街は逆に利便性・効率性が低い。
つまり、韓国はそれなりにインフラは整ってIT先進国や大国を自称しつつ、その実、間逆を突っ走っている中途半端な状況。
>日本人にとって騎馬民族征服説は、ロマンもあって魅力的ですらあるのに、不思議だね。
いや、民族の尊厳に関わる大問題だと思う。あんな捏造が生じてまかり通る事自体がおかしい。
とかくマスゴミばかり注目されるが、学会の腐敗蔓延は認知と糾弾が広まらないのが残念。
474 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 07:32:38 ID:CYOp+YaN
騎馬民族征服説なんてもはや死んでる学説だろ、日本じゃ。
騎馬民族征服説はサヨクや北朝鮮にも利用されたもんな。
進歩的文化人www
476 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 08:05:58 ID:wca0gEEQ
奈良は韓国語の「ナラ(国)」という意味で韓国人が作りました。
、、とか妄想こいてたチョン公出て来い。www
477 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 08:12:31 ID:+quJYLMK
俺らが営々と日本列島に古来から住んでるのと違って
今、朝鮮半島に住んでる奴らと日本に居る在日は古代史の頃の住人とは
関係が極めて薄いんだよな
ただし、朝鮮半島の諸島部に住んでる住民は一概には言えないが。
>>474 騎馬民族説
王朝交替説
邪馬台国九州説
これらは学会では批判されまくりの相手にされてないような説だけど
一般レベルではいまだに通用してる三大説だな
>>458 柵封といっても攻め取る必要は無い。
もともと倭人の勢力圏であるとことに、役所を置いて本国とやり取りするだけ。
中国の楽浪帯方もこんなもんじゃね?しょっちゅう反乱起こしては押さえつけてたみたいだけど。
>>479 その役所を置いたってのは否定されてるっぽいな
>>1にもあるように倭臣集団のことだってのが通説で
その集団も日本人が多かった説、ほとんど任那人だった説(これは韓国人学者がいってる)
騎馬民族説って未だに世間で生きてるもんな。
海外の掲示板でも朝鮮人がその説で日本人は韓国人の子孫ニダ。とかやってたわ。
>>480 軍事拠点説だけじゃなくて役所程度の規模でも否定的なんだ・・・。
集落規模の遺跡さえも出てないのかな?それとも遺跡調査さえしてないのかな?
皇国史観や朝鮮併合の反動から任那関連の研究はタブー視された時期がある云々
と目にしたことがあるけど、今は自由な調査が出来てるんだろうか。
>>482 遺跡が出ても都合が悪ければ破壊しかねないってのが・・・杞憂に終わればいいけど。
>>473 >稲作は縄文時代、既に行われていた形跡が見付かっているので、今や稲作=弥生人と限る必要が無い。
>また、縄文から弥生への変化は連続性があり、弥生人=中国南部からの帰化人ではなく、
>やはり縄文人→弥生人であり、この頃既に強い勢力を持っていた。帰化人は無力な帰化人に過ぎない。
>彼等は次第に同化して、人波に埋もれていったと見なすのが適当と思われる。
数年前にNHKが日本人のルーツを検討したシリーズをやってたね。
うろ覚えだが、遺骨のDNAでは縄文人はシベリア系、弥生人は中国南部みたいなこと言ってたと思う。
また、縄文期の稲作は陸稲だったとか。
やはり水稲栽培は弥生人が持ち込んだのでは?
358さんが言ってるのは、水稲栽培による国力増加(=人口増?)が倭国が半島へ進出する背景だったということでは。
半島の稲のDNA調査でも、北方は陸稲だったらしいし。
>>482 日本独自のものといわれていた前方後円墳が発掘されてるが、日本のものより後期らしい。
広開土王碑の改竄も否定された。
考古学的な資料や文献を付き合わせれば、半島南部が倭国の支配圏であったことは動かしがたいのにね。
任那日本府を否定するなら、研究をタブーにするしかないだろうな。
485 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 15:28:38 ID:O1TYckfa
チョン国ではレイプが国技ニダ。歴史の真実もレイプするニダ。
486 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 15:34:00 ID:I2owz81s
>>478 考古学会では邪馬台国九州説勢力が弱いことはその通りだが、
畿内説論者の書籍を読めば、根拠のないことは直ぐ判るよ(^o^)
例えば、福永伸哉、岡村秀典(伝世鏡だって笑)白石は愛知説か
487 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 16:08:11 ID:XXTAGxSq
伝世鏡論はまだ生きてるわけ?
常考で(ry
三角縁神獣鏡の中国産説は否定されてるんでしょ?
それなのに、伝世するかね。
488 :
166:2007/09/05(水) 16:15:36 ID:XXTAGxSq
>>451 神武の東征はあったと思うけど、人数はどうせ千名いかないだろう。なんとなくだが。
しかも基本的に内海あるいは沿岸。
玄界灘って無茶苦茶あれるんだよ。
500トンクラスの旅客船でも、左右に大きく傾く。大人が泣くくらいだw
勿論時期を選べば良いけど、戦争だとねえ。
>>462のような船で出るのは大変よ。それでも出たんだろうけど。
そうとうな根性が必要。
489 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 16:32:59 ID:bkxneWMJ
今の韓国人は下賤の民の末裔でしょ?
大昔にどんな歴史があっても関係ないと思うけど
>>1 自虐史観の使い方が逆なんじゃないの?
韓国自身が任那日本を主張しないと自虐史と言わんだろう
この場合は、
×「韓流自虐史観」
○「韓国のナショナリズムに基く歴史観」というべきだね
492 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 17:18:12 ID:O1TYckfa
歴史とは都合良く創作するものニダ。昔からウリらは正しいニダ。
493 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 17:36:53 ID:HwIx2Kbr
>>486 普通に史書の比較検討では、邪馬台国が大和の勢力である可能性は九州説より高いと思います。
当時の日本列島内の状況は日本書紀と中国史書と重なりますし。
日本書紀が大和朝廷の正史である事を踏まえれば、難しく考える事もないと思います。
日本書紀もそれなりに素直に記述しています。あくまで朝廷の公式記録が主体なのですから、天皇
に直接関わる事とそうでない事では差がでるでしょう。
>あくまで朝廷の公式記録
記紀には矛盾も多いと聞くが、
>天皇に直接関わる事とそうでない事では差がでる
もしこれが事実だとするなら、関わらないことはそのままに、関わる事は都合の良いように書いてるかもね。
>>494 言ってることはいちいちもっともだが
493を批判してんのか感想なのかわからん
>>495 ただの感想。
研究者の基本スタイルって記紀を信用するところから始まるんだろうか、疑うところから始まるんだろうか・・・。
>>488 対馬海峡の航海の困難さは季節によるらしい。 同じサイトに研究があったのでコピペ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『三国史記』新羅本紀の、倭との戦い、倭の侵攻記事を月別に拾い出したものである。
月 数字は、新羅本紀に見る、倭の侵攻や倭との戦いの西暦年
1月
2月 463
3月 407
4月 121/122/208/232/249/287/364/405/431/444/459/489/497/500
5月 233/289/393/462/477/482
6月 292/407/440/476
7月 233/671
8月 415
9月
10月
11月
12月
(数字は西暦年、ここでは年表の干支をそのまま西暦に換算した。)
倭の侵攻は4月から6月に集中する。四世紀以前では4月から7月までである。
当然の事であるが、対馬海峡は冬場北西の風が強く、波高も高い。また秋は台風に見舞われる。
それに比べ旧暦の4月頃は南西の風が吹き、海は比較的穏やかになる。
渡海して軍事行動を起こすには、4月〜6月が最も適した時期なのである。
上の表はこのことを良くあらわしている。このことから三国史記の倭関連記事は、史実にもとづくと推測できる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
古代の船でも季節を選べば、海峡横断の危険は小さかったということだね。
>>426で紹介した読売の 「遣隋使1400年」 の記事とも符合する。
古代人が特に根性強いってわけでもなさそうだ。
近頃は、高速船が鯨と衝突して危険らしいが。 www
498 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 19:24:02 ID:HwIx2Kbr
>>496 史書が存在している、という所から始まります。それから、記述内容の確認です。先行する文献 があれば比較します。
それよりもまず、自分が過去から積み上げられた人文の蓄積の上にいる事を知らなければなりません。
最初に信じるのは蓄積された人文であり、史書の内容の真偽はその投影の結果です。
蓄積は個人、集団、時代による差があります。故に、解釈に違いがでるのです。
499 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 19:36:59 ID:Yh7vSo+s
他に現存する資料や論理との整合性を確かめる事が優先だろ。
額面通りに受け取れない記述に関しても、どのような経緯で脚色されたかを合理的に推察していけば実情は浮き彫りに出来る。
例えば2ちゃんでも神武天皇は実在しない式の寝言をしばしば見掛けるが、
そんな事を言う者は謚号という慣例に無知な歴史音痴か、
あるいはあらゆる人間に先祖が居た事を知らない生物学音痴のどちらかだと分かる。
500 :
166:2007/09/05(水) 19:42:17 ID:XXTAGxSq
>>497 それはあくまで「冬季に比べれば」ということであって、イコール楽だったとはならないけどね。
秋季〜冬季ゼロってのが、厳しさを物語ってる。
襲撃だけなら時期を選べるけど。
戦争状態の場合常時軍隊を貼り付けなければならないからね。よく長期に渡って維持できたものだ。
万葉集の志賀の荒雄の場合、食料を届けるために、荒天時にあえて乗り出して遭難している。
501 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 19:44:34 ID:vfnqUTrC
諸星大二郎臭が充満するスレはここですか?
502 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 19:54:15 ID:RbTnq3aq
海はつながっとるけん・・・
503 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 20:01:57 ID:HwIx2Kbr
>>494 歴史書はなんらかのルールに沿って編纂されています。それを都合よく云々と言うのならその通りです。
504 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/05(水) 20:25:18 ID:f3GBUCgp
日本人の誰かが…
世界中の誰かの唯一人が目醒めた時に…
その唯一人が気付く…
部屋の中の地図に半島が無い事に…
タコのような火星人
クラゲのような木星人
覚めてしまえば何もない…
熊の合いの子は居ない…
熊の合いの子の国モドキは無い…
熊の合いの子の半島は無い
小さな万引きで打たれる女の子はいない
一桁の年齢で孕む南洋の小女はいない
自由だ、自由だ、と叫ぶ黒人は今やその声をさらに高め全ての人種にあわせる。
『悪夢』が覚めた
『悪夢』が覚めた
嗚呼、神よ感謝します
悪夢は覚めた
もう世界にはあの半島は存在しない
世界の各地が朝を迎え人々は感謝する
『半島』は存在しない
神は許さなかった…と。
>>500 戦いに必要なときに渡海できず、季節を待っているうちに、敵に準備されて惨敗したような。
>>505 「白村江の戦い」について言ってるなら、それは当たらないらしい。 Wikiよりコピペ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
660年(斉明天皇6年)に唐・新羅連合軍の攻撃によって百済が攻め滅ぼされたのち、百済の遺臣は、
鬼室福信を中心として百済復興の兵をあげ、倭国に滞在していた太子豊璋王を擁立しようと、倭国に救援を要請した。
(中略)
倭国の実質的な首班となっていた中大兄皇子(後の天智天皇)はこれを承諾、(中略)倭国軍は、三派に分かれて朝鮮半島南部に上陸した。
・第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は阿倍比羅夫。扶余豊璋を護送する先遣隊。661年5月出発。
・第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は毛野稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍引田比羅夫。662年3月出発。
・第三派:1万余人。指揮官は廬原君。
倭国軍の戦闘構想は、先ず扶余豊璋を帰国させて百済復興軍の強化を図り、新羅軍を撃破した後、後続部隊の到着を待って唐軍と決戦することにあった。
663年、豊璋王は福信と対立しこれを斬る事件を起こしたものの、倭国の援軍を得た百済復興軍は、百済南部に侵入した新羅軍を駆逐することに成功した。
百済の再起に対して唐は増援の劉仁軌率いる水軍7000名を派遣した。
唐・新羅連合軍は、水陸併進して、倭国・百済連合軍を一挙に撃滅することに決めた。
陸上部隊は、唐の将、孫仁師、劉仁原及び新羅王の金法敏(文武王)が指揮した。
劉仁軌、杜爽及び元百済太子の扶余隆が率いる170余隻の水軍は、熊津江に沿って下り、陸上部隊と会合して倭国軍を挟撃した。
倭国・百済連合軍は福信事件の影響により白村江への到着が10日遅れ、唐・新羅連合軍のいる白村江河口に対し突撃し海戦を行った。
倭国軍は三軍編成をとり4度攻撃したと伝えられるが、火計、干潮の時間差などにより大敗北した。
同時に陸で唐・新羅の軍は倭国・百済の軍を破り、百済復興勢力は崩壊した。
白村江に集結した1000隻余りの倭船の中で400隻余りが炎上した。
白村江の戦いで敗北した倭国軍は、各地で転戦中の倭国軍及び倭国への亡命を希望する百済の遺民を結集して帰国を果たした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
季節風で渡海できなかったことは敗因ではないようです。
507 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/06(木) 01:54:12 ID:F62KRwVI
第一派と第二派の間が10ヶ月もあるのはやはり問題では。
>>472 良いかい、新聞記者が新幹線関連記事書くのに、現在化道中のものとチョンで計画中のものを
同列で扱う国民だゼ!、それで文句が出て来ないんだゼ!。其処の学者なんて先進国からは
学者じゃなくて学者擬(もどき)と思われてるんだヨ。だから、世界の学会からは
相手にされない連中ばかりなのサ!!!
>>496 とある学者が言ってたが
昔は確かに記紀の記述はなんでも疑ってかかっていたらしい
しかし最近の若い研究者なんかはむしろ信用してかかってるところがあるそうだ
日本書紀ってのはそれらしく作られてるから信じようと思えば全部信用できるようになってる
つまり日本書紀に書いてるから任那日本符があった、日本書紀に書いてるから三韓征伐があった
なんて容易に解釈もできるわけだがそれじゃあ皇国史観だ
比較史料が中韓の歴史書しかないからむずかしい
>>509 >それじゃあ皇国史観だ
朝鮮人に都合の悪い歴史は、こんな言葉を使いながらどんどんタブー化されていくんでしょうね。
史料よりもまず流行の研究を信用するというレスもあったがさもあらん。
ほかの史料との整合性をとるべきであって、皇国史観だからダメなんてのは凄い理由だよね。
日本ってのはそんなに昔から他所の国にちょっかいだしてたんか?
ほんと、欲望の塊DNAが脈々と受け継がれてんだな。
こんな国に生まれて、本当に哀しい。
というか、死にたい。
>>511 止めないから死んでくれ
それと、元々倭の支配地に北からちょっかいを出してきたって解釈だから
自衛のための戦争なんだな、これが
>>511 釣りにマジレスすると。
古来、部族であれ、民族であれ、国家であれ、
その発展の為に侵略するのが行動原理だ。
それが出来ないヘタレは衰亡したのが史実。
今ある世界は、成功した侵略の結果だ。
おっと、属国として生きる道もあったね。
>>514 こういう馬鹿ばかりなんだよな、ここって。
本当に哀しいよ。
死んで欲しい。
516 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/06(木) 18:23:43 ID:N5Qdfxzv
>>515 古代の弱小国家もそう言いながら滅びていったのさ。
>>515 釣りじゃないのか?
バカかどうかはともかく、侵略が歴史と現在の世界を作ったという史実は直視しろよ。
属国として生きることも楽じゃなかったらしいがね。
おなじみのコピペ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これが「正しい歴史認識です」。自国の学校の教科書でさえも本当のことをひた隠しにしているのは朝鮮人です。
貢女 (高麗)
貢女(コンニイ、コンニョ)とは、一般に女性を朝貢品の1つとして献上することである。貢女の韓国語での表現は(コンニョ)である。
ここでは、高麗からの場合だけを説明し、李氏朝鮮時代について言及しない。高麗時代の献上先は蒙古(元)、契丹、明であり、
貢女だけでなく多くの朝貢を強いられていた。以下に高麗史からの資料を示す。1番目の資料は結昏都監を置き、140名の貢女を行い、
2番目は貢女確保のために国中の婚姻が禁止されて、3番目に資料では寡婦處女推考別監という役所を設け組織的に対応していることがわかる。
高麗史 元宗3、世家第27 高麗史27 元宗15年(1273)3月
(『高麗史』)。
他国に攻め込みまくった国の民が死ぬべきなら、モンゴル人やマケドニア人やイタリア人あたりは真っ先に死なねばならんなw
あぁ、それで言ったら中国人は13億人総自決は決まりか。
520 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/06(木) 18:59:42 ID:sFq8hBbc
こんなに史跡や記録をないがしろにする韓国の歴史書ってどんな?
世界的に見て栄枯盛衰は世の習いなんだから、韓国はこれから栄える民族だ
と達観して過去は過去として受け入れればいいのに。そうでないとずっと
こういう論争をし続けなければいけない。
まあ日本では実は聖徳太子が実はいなかったっていう衝撃的な事実?もあるけど。
でもあの法隆寺や東大寺がある限り、そして修理しながら現代に持ちこたえてきた
歴史も含めて、歴史にはロマンと誇りを感じる。
521 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/06(木) 19:00:59 ID:mvv55u3p
522 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2007/09/06(木) 19:05:49 ID:CObWczl7
>>520 いやいや聖徳太子の実在はそれほどあやふやなもんじゃないですよ。
523 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/06(木) 19:15:26 ID:FBFtRHBX
室町ぐらいまでの昔の日本人はともかく銅が好きだったようだが、
血が輝くような赤味を帯びた色が好みだったんだろうな。(黄金、白銀色もだが w)
その銅まぁ青銅だが、古代はほとんど大陸産のものを鋳潰して再生産している。
これは漢委奴国(1世紀前後)あたりの銅矛、銅鐸などもそういう事になる。
日本で作られ広く分布し集中大量に発見されている点において、その応分の
青銅器の輸入ルートが弁韓を通じているのは間違いないだろう。
そして卑弥呼の時代の帯方郡との交流や鉄の採取においても、この弁韓は
倭にとって重要な位置づけになっている。
高句麗、百済、新羅の三国時代、この弁韓地方は主要な国家として描かれず、
倭と新羅との争いの部分では、この地方が倭とみなしてよい記述が見える。
基本的には国の体裁がないにも関わらず小国の集団として独立を保っている。
パワーの時代、この独立には何らかの力の保護があったと考えるのが自然。
まぁ日本に生活根拠があり保護され、かつ特殊な民族性を訴えるパンチョッパリ
みたいなもんだな。
>>1はその法務省と在日の細部の事を言ってるが、全体的に
見れば保護されているわけだ。
引き剥がされまいとする気持ちもわかるが、結局還るのが自然だな。
占領され生活拠点を強制的に移され差別にあっても国の英雄となった金庾信も
いる事だし、実際、北では今それに近い事が行われてはいる。
在日は早く帰った方が英雄になれるチャンスはあるよ。猟銃立てこもり、拉致の
犯罪者としての英雄じゃなくてね w
聖徳太子は存命中に聖徳太子と呼ばれてたかは疑問だが実在はしたよ。
>>524 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
百済(くだら)のもとめに応じて、いまの韓国の南西部にあった日本の直轄地をゆずりわたしたのですが、
かりにその判断が正しかったとしても、領土問題というのはそれで済むものではありません。
この4県割譲が引き金となって、任那地方は隣国による争奪戦、いわば草刈り場になってしまったのです。
とくに半島東部の新羅(しらぎ)の動きは露骨で、任那の首長国をつぎつぎと併呑(へいどん)しようとします。
これらの国々は日本の直轄地ではなく、小さいながらも首長をいただく立派な独立国です。
それを新羅が併呑しようというのですから、宗主国の日本としては絶対に容認できない事態です。
■6万人の大出兵
(中略)
さて、新羅の攻撃にさらされた任那ですが、宗主国、日本としては任那の独立を保障しなければなりません。
そのため朝鮮半島に6万人にのぼる空前の大部隊を派遣し、新羅の野望をたたこうとします。
この6万人ですが、日本書紀に具体的に兵力が記録されているなかでは、最大規模の軍事行動でした。
たとえば聖徳太子が西暦602年に、じつの弟(同母弟)の来目皇子(くめのみこ)を将軍として新羅征討軍を派遣しようとしますが、
そのときの動員兵力は2万5000人でした。
それよりまえ、591年に崇峻(すしゅん)天皇が「新羅を討つ」として、北九州の基地に動員したのが2万余人。
日本が唐・新羅の連合軍と戦ったあの白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)でさえ、半島に出撃したのは本隊が2万7000人、
先遣の別働隊が5000人にすぎません。
527年、継体天皇の時代での6万人が、いかに巨大な数字であるか、わかろうというものです。
これだけの兵を送りこむには、物資、食糧、船舶その他、莫大(ばくだい)な費用を必要としたことは容易に想像できます。
その経費は後世の豊臣秀吉による朝鮮出兵のときのように、各豪族(大名)が分担するわけですが、
それに耐えられず大和の中央政権にたいして反乱を起こしたのが、北九州の「磐井(いわい)の乱」でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
半島経営に苦労したのは、日帝だけじゃなかったんだな。 www
半島史家は、明確な記述が史書にあってもそれを無視してしまうんだな。
ここまで徹底すると、それはそれで大したもんだよ。
528 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/08(土) 15:19:10 ID:A4emJXfb
日本書紀読んでも三国史記呼んでも
倭国、攻め込みまくりww
>>529 これは、半島への天皇のリップサービスってもんでしょう。
もちろん言わせてるのは、外務省か宮内庁だろうけど。
それで、半島人が満足するなら結構なことだ。
だけど、任那日本府を消すなよ。
史書(日本書紀、三国史記)、広開土王碑、前方後円墳、、、。
韓国にこれらを総合的に考慮した学説ってあるの?
それで尚、任那日本府は無かったって言ってるのかな?
歴史研究は、政治と分離しろよ。
歴史学も学問なんだからな。
531 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/09(日) 04:21:47 ID:rvW/Xyzw
天皇が韓国にゆかりがあるのは桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だからだが、
武寧王は九州生まれの倭人だよ。
でもって、百済は新羅に滅ぼされたので今の朝鮮人とは民族的に関係ない
533 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/09(日) 10:27:49 ID:bXG4bxUa
>>529 これって日本側にとってはなんてことも無い史実なのに。
サヨクと朝鮮に大々的にプロパガンダに利用されたよな。
宮内庁とか、もうちょっと考えろよ。
神功皇后の母方の祖先、天日槍
応神朝、百済から遣わされた新斉都媛
雄略朝、焼き殺された池津媛
あとは奈良〜平安に亡命百済系貴族の子孫と。
まぁ繋がりといえるのはこれくらいか。
海外の王族と比べても少ないな。
>>534 >海外の王族と比べても少ないな。
美人や金持ちの王家からなら、もっとたくさん来てもらったに違いない。
あれ? ちょっと先入観強すぎかなあ?
イギリスだと、王位継承権所持者が1000人以上いたり、帝政ドイツの帝室だったホーエンツォレルン家の現当主がイギリスの王位継承権を持ってたり、エラいことになってるな
>>533 それで半島人が喜ぶなら、結構なことじゃないか。
宮内庁もそれを狙っての振り付けだろう。
皇室外交の一環だよ。
ほんとうに腹の底から喜んでんのは、半島人じゃないよw
上を行く基地外国は他にあるw
>>536 継承権だけならまだいいよ。
実際にドイツのハノヴァー選帝侯がイギリス王に即位してるし。
で、今のエリザベス2世もその流れを汲んでるから。
540 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/10(月) 04:59:49 ID:NdfSMwKB
>359
なんかインギーは気にしてるみたいだね。千年以上、王室間で政略結婚やりまくりだからしゃあないわな。
541 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/10(月) 05:12:02 ID:cFi40dv5
日本に悲惨な身分差別から解放してもらった後、
自分の意思で日本へやってきた在日朝鮮人たちが終戦後にやったこと。
「不当な差別」「陰険な差別」の真相。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、 無銭飲食をし、
白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。
こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、
半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、
暴行には目にあまるものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、
サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
(略)
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」。 私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった。
「山口組三代目 田岡一雄自伝」 より
542 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/10(月) 05:17:07 ID:EE7N3q7V
>>529 しかし桓武天皇の母親が百済だのどうだのって
日本人の大半が清和天皇か桓武天皇を祖に持つ源平の血筋であるとわかっているのだろうか。
日本人のほとんどが朝鮮人だったわけか・・・。
さすがウリナラファンタジー。
543 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/10(月) 08:41:40 ID:h0Y21Ev4
日本史に例えてみれば、オランダ出島程度の存在なのにな。>任那日本府
オランダ出島が存在していた事を日本の教科書は正しく教えているが、
それによってオランダが日本を支配していたなんて思ってる奴ぁいねーよw
実際どのような規模だったのかは気になるな。
桓武天皇の母親が百済系といっても何代前の話なんだよと・・・
4万くらいの兵力を渡海させるって相当な国力だよな。
あとそれ以前の中央集権制の低かった古墳時代には
各豪族の持ち合わせの兵で指揮系統もバラバラで〜とか
倭軍の半島での実態について推考した本とかでも書いてあるけど
でも、じゃあ元寇の武士団や秀吉の時の結果は何なんだよって思うw
同じ天皇直属の軍事系伴造氏族でも、大伴氏-来目氏・犬養氏系と物部氏-八十物部系だと系統が違うし、臣姓氏族だとなおさらだもんなぁ
549 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 02:13:56 ID:zGgGq/Qn
550 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 09:02:39 ID:8HtiWOXh
任那の辺りの南朝鮮はおそらく、日本語と同系の言葉だったのだろう。
しかし北から満州語系の民族が降りてきた、それで言葉が現在の朝鮮語に続く言葉になった。
そう考えなければ日本語と朝鮮語がこんなに離れている事を納得する事は出来ない。
551 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 11:26:25 ID:rCPCuyPk
数詞について言うと、
高句麗語は日本語と共通した部分があるが、朝鮮語とは似ていない。
むしろ朝鮮語の方が孤立してる印象。
そして朝鮮語が妙にアイヌ語と似た部分があるという不思議。
552 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 12:01:23 ID:ZT3+MRpU
ひー
ふー
みー
よー
いつ
むー
なー
ここのつ
とう
553 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 13:34:36 ID:uDY78J3e
半島にたびたび出兵してたってことは、当時の政治の中心地が
九州とは断定しないまでも、かなり西よりにあったってことだろな
たぶん出兵するときは、大和から瀬戸内海通って北九州や対馬なんかに軍営を設置してたんじゃないか。
555 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/09/13(木) 17:39:52 ID:9CUb/mwc
555ゲットぉぉぉ
吉備のあたりってどうだったんだろ