【韓国】 日帝が作り出した国民婦人服「モンペ」〜強制拒否すれば「非国民」[08/06]

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1蚯蚓φ ★

http://www.segye.com/photo/2007/8/6/mb0807-1-2604.jpg

半世紀以上韓国で流行って来た婦人服モンペは国内最初の「ミリタリールック」だった。

日帝は太平洋戦争の戦況が悪くなると‘国家総動員法’(1938)と‘非常時国民生活改善基準’(1939)
などを通じて「婦人標準服」モンペの着用を強要して、派手な化粧及びパーマを規制した。1944年モ
ンペを着ない女性はバス・電車乗車や官公署・劇場の出入りまで禁止した。アン・テユン、キョンミ
ン大教授(女性史専攻)はモンペ導入過程に植民権力の支配論理だけではなく、家父長的イデオロギー
も隠れていると分析した。

同教授は季刊誌‘社会と歴史’(韓国社会史学会)夏号に載せられた論文「日帝末戦時体制期女性に対
する服装統制-モンペ強制と女性性維持の戦略」で日帝末期には国家が女性の外貌と服装を社会統制と
統合手段に積極活用したと指摘した。日帝は布の節約と規律感鼓吹を目的に「婦人標準服」を指定し、
その中の一つがモンペだった。

モンペは見ためは醜かったが、都市女性の戦時防空演習や農村女性の食糧生産などで活動性と機能性
を高めることができる、という理由で奨励された。モンペを着ることを拒否したり、パーマや化粧を
する女性には「非国民」とか‘贅沢’‘虚栄’‘娼婦’のようなイメージがさらにかぶせられた。

官報‘国民総力’1942年2、3月号はパーマをしたり化粧をする女性に対して「娼婦のような雰囲気を
見せて、同じ空間で働く男性を誘惑するので社会安定に脅威になる」「退廃的な西欧の女性を真似る
堕落した意識を持った人」と批判した。モンペが腰と足の線を現わすだけでなく、韓服の中に着る下
着のように思われて着るのを拒否した人々には「朝鮮婦人が着る衣服と似ている点がたくさんある」
(毎日新報1942.6.13)、「国家が要求する女性性と言うものは、不足な資源を活用して勤倹と節約を実
践して国家と全体社会のために自分の欲求を喜んで犠牲にする資質を取り揃えた人」(‘新女性’194
4.11)と懐柔・脅迫をした。

日帝末期、専業主婦や学生、教師として活動した女性17人と面接した教授は「大部分がモンペ着用を
強圧的な植民統治の手段だと言うよりは、田舍臭くて醜い服装を強要された恥かしい経験として憶え
ていた」「光復以後にも‘戦時生活改善法’‘国民生活質素化運動’‘セマウル運動’などで規制す
る韓国社会の姿勢は、女性の外貌と服装を相変らず国家的統制の対象として把握し、家父長性の道具
として活用したことを見せてくれる」と主張した。

ソース:世界日報(韓国語)'モンペ''、日帝が作り出した国民婦人服
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1052&PCode=0007&DataID=200708061515000068