【福岡】北九州に在日歴史館 「共生目指す拠点に」 コリアン人権闘争 歩み刻む 小倉北区の大韓基督教会★2[06/30]

このエントリーをはてなブックマークに追加
701<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
大阿仁村事件(1945年10月22日)
秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、
1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の集落へ行き、
共同管理の栗林に侵入し栗を拾っていた所を村人に発見され注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。
午後1時になると約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧した。

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
兵庫県生田警察署では、岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って神戸に出張した岡山県警察部の捜査員に協力した。
その後1945年12月24日午後9時、「岡山の刑事を出せ!」と叫ぶ50人以上の朝鮮人の集団が署内に乱入して、
拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を軟禁状態に置き、署内を探し始めた。岡山県の捜査員たちは署からの脱出に成功したが、
暴徒は電話線を切断し、外部の連絡を絶たせた。急を聞いた進駐軍憲兵がジープで駆けつけたため、ようやく事態を収拾させることができた。
また翌年1月9日、生田署が三宮ガード下で賭博団を検挙すると、30〜40名の朝鮮人たちが再度署内に乱入し、検挙者を奪還しようとしたが、
生田署はこの暴徒を制圧し、進駐軍憲兵と協力して首謀者とみられる3名を検挙した。

直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとしたところ、
ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。
彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、
仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、
日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、
「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、
その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
1945年末に起きた強盗事件の容疑者として朝鮮人3名が逮捕され、
そのうちの一人が警視庁富坂警察署に留置されていた。
1月3日になって朝鮮人の集団が署内に乱入して、容疑者の釈放を要求したが、
署長が拒否し続けたため、朝鮮人たちが椅子や棍棒で襲いかかるなど暴徒化して、
事実上警察署が占拠された。そして留置所に留置されていた容疑者を捜しあてて、
署外に連れ出して逃走させた。

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
1946年5月13日、長崎県警察部はヤミ市場の取締で
、朝鮮人26名・中国人6名・日本人150名を長崎県長崎警察署に連行した。
朝鮮人・中国人団体が即時釈放を要求したが、聞き入れられなかったため、
在日朝鮮人連盟の青年自治隊員100名とその他中国人など総勢約200名が
同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせた(うち1名は死亡)。
捜査の結果、60名の朝鮮人と7名の中国人を検挙した。