【朝日新聞】 船橋洋一「日本外交、肩に力の入った価値観外交より韓中両国との信頼構築を」★2[05/29]

このエントリーをはてなブックマークに追加
38<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん

■ 戦後史の真相 ◆-朝鮮人の政党間移動の歴史-■
http://www.kase-hideaki.co.jp/k005/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1248&e=res&lp=1223&st=0

 戦後、在日朝鮮人は、日本の諸政党の間を移動しながら、反日活動を展開してきた。
最初は日本共産党に所属し、日本国家の転覆、共産党政権(朝鮮人政権)の実現を目指した。
 戦後史に詳しい方なら、戦後、日本共産党を再建したのは、在日本朝鮮人連盟であることをご存知のはず。
1945年から1953年までの8年間、日本共産党は在日朝鮮人が支配していました。
自称沖縄人の朝鮮人=徳田球一をリーダーとする日本共産党内の朝鮮人グループ、いわゆる『行動派』が、
1950年から展開した軍事方針と称する武装闘争戦略は、朝鮮人勢力による「日本国家乗っ取り運動」でした。
この戦略はけっきょく失敗し、日本共産党のイメージダウンを招いただけで終わりました。
 宮本顕治をリーダーとする日本共産党内の日本人グループは大反撃に転じて、朝鮮人グループに握られていた
共産党の指導権を取り返し、権力闘争に勝利しました。すると、朝鮮人グループはあっさりと日本共産党と
袂を分かち、全学連を結成して反国家活動=日本国家乗っ取り運動を続行しました。
 同時に、日本共産党から日本社会党への「民族大移動」を敢行しました。こうして、日本社会党内に誕生したのが
「社会党・左派」です。つまり、日本共産党・行動派と日本社会党・左派は、実は同じグループなのです。
単に看板を変えただけであり、その正体は暴力革命を目指す朝鮮人グループなのです。
 日本社会党および現在の社民党が、むかしから朝鮮総連と深い関係にあるのは、そういう裏事情があるためです。
 これは重要な事実ですので、しっかりと頭に入れておかなければなりません。