【韓国】「統一新羅」は日本人による創作物?[04/29]

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72<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
「任那日本府」を最近の教科書は記述していないと言う。不思議なことだ。
歴史は歴史的文献を土台にして事実を書くものであり、高句麗・百済・新羅という古代朝鮮半島諸国
の存在も日本書紀の記述に基づき記載されているのであるが、反日捏造を是とする韓国では任那日本
府は隠蔽されており、日本の教科書でも以前は記述があったのに、最近は記述がなくなっている。
任那日本府に関しては、高句麗の広開土王の業績が書かれている「広開土王碑」にもその記述がある。
現在の中国と北朝鮮の国境近くに存在する高さ6メートルの巨大な石碑が「広開土王碑」である。
要約すると「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。ところが、倭が辛酉の年
(391年)以来、しばしば海を渡って百済を破り、新羅を(判読不能)し両国を倭の臣民としてし
まった。そこで広開土王は(396年)に自ら水軍を率いて、倭の臣民となった百済を討伐した。」
「大軍をもって新羅城を奪還すると、撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」などと
任那の存在がそこには書かれている。
また中国南北朝時代の「宋書」には倭の五王についての記録がある。讃・珍・斉・興・武の五王であ
る。武は神武天皇ではないかと言われている倭の五王であるが、宋書にはこれら五王の官位・爵位の
記録があり、五王のうち、斉と武には「倭国王」の他に「都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6
国諸軍事」の肩書きがあり、宋書での年代(421〜478年)から見て4世紀から5世紀頃、朝鮮
半島には任那日本府があったことは確実なのだが、ウリナラマンセーの半島史観により隠蔽されてい
るようだ。あったことを隠し、なかったことを宣伝する半島史観など百害あって一利なしなのだ。