【中韓】 中国歴史教科書問題「古朝鮮=野蛮、三国=新羅・百済・伽耶、任那日本府説」[03/20]
464 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/22(木) 21:25:15 ID:cFDXazI0
中国ははっきり、北を併合しますって言えばいいよ。
誰も反対しないし。
465 :
併合はつらい:2007/03/22(木) 21:29:44 ID:6yf4rDXs
>>464 >中国ははっきり、北を併合しますって言えばいいよ。
併合するわけないじゃん。
ずっと併合せずに、属国のまま絞っていたのに。
韓国には、北を併合してもらいたい。
ドイツでさえ、東ドイツの負の遺産で停滞した。
100年前の日本が、最貧国の朝鮮を併合するのに、
どれほど苦しんだか、韓国人は思い知らなければならない。
植民地経営だったら、どれだけ楽だったか、思い知れ。
466 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/22(木) 21:55:24 ID:QHaYd1+T
467 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/22(木) 22:07:55 ID:FWSfpvZp
>>295 弥生系日本人が中国人ならば、なんで弥生時代の日本には漢字がなかったの?
日本語と中国語は文法と語彙が全く違うので、弥生系が全て中国系というのは無理がある。
言語の系統樹を作ると、2000年前後には日本は周辺の民族と通訳が必要なくらい異なる言語を話していた。
中国人とも朝鮮人とも異なる日本民族が朝鮮半島にいて日本に渡ってきたのではないかと考える論拠である。
おまいは日本人は中国由来だと頭から決め付けている。それは結論を迎えに行く論法で反論にならない。
弥生系日本人が朝鮮半島由来でないという論拠はどこにも無いことからも説得力が無い。
まさに現代朝鮮人の思考回路。
確かに、春秋戦国時代から散発的に中国人が日本にやってきていたことは否定しない。
それが、圧倒的多数ならば、古代日本語には中国語の影響があってしかるべきだし、漢字も当然伝えられていたはずである。
したがって、遺跡も無いことから、彼らは、一部の集落に稲作を伝えた程度だったのではないか?
468 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/22(木) 22:38:22 ID:Ed2zjLw+
>>464 有史以来、大陸の国家にとっては、朝鮮半島には併合するほどの価値はなかったと考えられる。
中国の歴代王朝も北方民族国家も、朝鮮半島北部を自国領に組み入れたことは
あるが、半島南部を自国領にしたことはない(属国とした)。
朝鮮半島は、統治し難く、また貧しかったので、
行政コストに見合う税収が見込めなかったからであると考えられる。
日本の場合には、朝鮮半島併合は、「ロシアの南下阻止という安全保障上の目的」、
及び「大陸選出の足場確保という経済的・帝国主義的目的」を達成するために、必要と判断された。
今にして思えば、その判断は間違っていた。
469 :
暴支膺懲 ◆CeoD2zuluY :2007/03/22(木) 23:03:55 ID:6vJAhfsJ
>>468 足場云々は後付。後世の結果論。
併合そのものも本来ならしたくはなかったが、日清戦争期間中とその直後の変節や、度重なる
密使事件が示すようにあの民族は信用できず、また宮廷抗争など内部はガタガタで
信頼するに足りない。日本は「利己的な理由で」あの半島の安定をこそ望んだ
が、それが無理と分かったのでやむなく併合という方針に決した。
貧乏で悪路で負担だらけのお荷物を併合することによる不利益を
伊藤は理解していたが故に併合やむなしという方針には料亭での密談で
内諾を与えていたが、「早期」併合には反対だった。
まあ、それでも内諾を与えたが故にその直後の御前会議で併合の「方針」
が裁可されたわけだが・・・・。
で、キチガイが伊藤をぶっ殺したので一気に併合になってしまったと。
重荷に耐えるだけの国力の充実を待っている間に、<丶`∀´>どもが
さらにろくでもないことしでかしかねないから。
このあたりの件は伊藤の腹心であり、伊藤の死後も併合が整うまで
半島で鮮人との折衝を勤めた小松緑の著書「明治史實 外交秘話」に
詳しく出ている。
470 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/22(木) 23:41:51 ID:vnf0kT5X
>>467 > 弥生系日本人が中国人ならば、なんで弥生時代の日本には漢字がなかったの?
中国人と言っても、長江流域から北上してきた倭族だから。
中国人と言うより、大陸人と言った方が良いかも。
472 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/23(金) 00:32:11 ID:QNj3Vmt/
朝鮮民族はシベリア方面から、満州地方に放浪して、漢民族に追われ朝鮮半島
に来たと、大阪大の遺伝子調査が出ていた。
顔は、姜尚中、李(関大)先生が特徴を持っていると言った。日本人と
違うと思った。
473 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/23(金) 00:34:07 ID:s2tRUNnG
関係ない話だが、歴史話で一つ思い出した事がある。
昔、米海軍横須賀基地を見学したときに同伴して案内してくれた人が
アメリカが欲しくて仕方ないモノが『歴史』なんだって教えてくれた。
その点、日本には二千年以上の歴史があり、敗戦時にアメリカが押収した日本の歴史的価値の高いモノは敬意を評する意味で大切に保管しているのだそうな。
まぁ何処まで本当かは知らんが…
>漢武帝は衛氏朝鮮を滅ぼした後、その後に郡県制をしいた。秦国(訳注:漢
国の誤りか)が衰えて分裂した後、これを継いで新羅、百済、金官(伽耶)三国が形成された(人民出版
社出刊'世界通史'437ページ)
武帝は匈奴と戦争の真っ最中で、半島など本当はどうでもよかったのではないかと。
ちなみに国内経済は活発で、穀物が死蔵してたなんて話もある。
475 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/23(金) 09:17:15 ID:gvNDUnCL
学問的に素直に古代の史料を読めば任那日本府の実態はともかく日本勢力下に
あったことは明白だろうにw
476 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/23(金) 12:46:03 ID:exYPEN8L
広開土王碑
在日学者は、こういう読みを主張↓
百済・新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、
やがて辛卯年以降には朝貢しなくなったので、
王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。
>王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。
ホントは、こうのようだ。↓
百済・新羅の民はもともと高句麗に帰属していたものである。
ところが倭が辛卯年(391年)よりこのかた□(海?)を渡り
百済や新羅の民を倭に帰属させた。
>倭が辛卯年(391年)よりこのかた□(海?)を渡り
>百済や新羅の民を倭に帰属させた。
478 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/24(土) 15:15:08 ID:8zQxgU7W
ファックス、レタックス、電話とかそういうのをジャンジャンジャンジャン鳴らすわけです。各市町村の教育委員会、教育委員長、教育長の自宅に、同じような文面でドンドン流して、仕事にならないのです。
例えば、岩舟町という町では700〜800通のファックスや手紙が来たんです。「何で扶桑社を採択したんだ」という怒りの電話がバンバンバンバンかかってきた。
野木町というところでは800通の採択への抗議で業務に支障がでて仕事にならなかった。小山市では1400通の手紙やファックスが来た。壬生町では1000通を超した。
うちの記者がこれはどういうところから来たか調べました。
日教組は、北は北海道教職員組合から南は鹿児島県教職員組合まで全国規模で妨害活動を展開しました。
それから中核派主導の「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」とか
共産党系の「子どもと教科書全国ネット21」・・・いろんな団体ですね。
直接来たのは、部落解放同盟栃木県連合会、在日本大韓民国民団栃木県本部・・・今回の教科書採択妨害活動というのは、朝鮮総連系がほとんど動いていないですね。
ほとんど、民団系、在日韓国人の団体ですね。
部落解放同盟というのはかなり組織的に、栃木県に限らずあちこちで動いています。
こういう凄まじい電話・ファックス攻勢があり、その中には許し難い妨害活動もありました。扶桑社を推している栃木市の教育委員長の宮司さんの自宅に、
こういう脅迫電話がかかってきた。
深夜1時に「あんたのお婆さんは90歳だよね、石段から落ちなければいいね」
「あ、寝ていたの。神社が火に包まれちゃうよ」
「教科書採択 妨害の実相」その2
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8618/020413/ishikawa02.html プロ市民怖すぎだろwwっw
暴力団よりも過激すぎ。さすが日本最大のテロ組織だな。
479 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/24(土) 15:35:28 ID:tX6Ejuy7
>>478 FAX攻撃は「ヨーコ物語」の件でアメリカの教育委員にやったのと
同じ手法だね。他もしたのかな。
480 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/24(土) 21:42:57 ID:Paxb8adx
そんなどを越した抗議行動は罪に問えないのか
481 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/24(土) 21:58:50 ID:zHgA9m8Q
また、日帝植民史観に即した記述も確認される。'世界通史'は4〜5世紀、伽耶地域が日本の支配下に
あったという任那日本府説を入れて「伽耶は4世紀に日本の侵略を受けた」と書いている。任那日本府
説は私たちの学界はもちろん、日本学界でさえ廃棄された学説だ
今でも通説です
482 :
ご意見無用:2007/03/25(日) 16:05:49 ID:9DF+sUcR
日本の教科書に日本府任那と出ている。
古事記にも日本支配下に任那と出ている。
韓国が勝手に決めるな。
483 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:13:24 ID:+ryBOsLO
好太王が碑文にかいてないか
484 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:17:10 ID:noTdt6ig
>>482 >日本の教科書に日本府任那と出ている。
君は30代とかですか?
今は載ってないはず。
例の「進出・侵略問題」がらみで削除されてる。
それを根拠に「日本でも学会で廃棄された」と思い込んでいるという、滑稽な記事なのですw
485 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:41:28 ID:5aUEBEad
つうか古朝鮮ってなに?
初めて聞いたわ
こんな捏造史
486 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:47:11 ID:5aUEBEad
日那日本府・百済・新羅は日本の知行の国だろ。
487 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:51:18 ID:vnt4ogKR
中国の歴史教科書というから期待したのに、なんだまともじゃん
488 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:53:18 ID:+ryBOsLO
しかし、これは
北は中国が面倒みるから
南は日本にまかすというメッセージならやだな
489 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 16:55:19 ID:k6DS2Azi
>>471 倭族なんてもの歴史的に存在したことなどない。
ある歴史学者の妄想。
サウラビとかと同じレベルのもんだから、持ち出すな。
任那
↑
(属領)
↑
日本→(友好)←百済
↓
(敵)
↑
高句麗
(日本と高句麗に事大)
↑
新羅
ってことなのか?
491 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 17:09:51 ID:5aUEBEad
日蓮大聖人の御書には、ちゃんと日那日本府もあって。
百済を日本の知行の国(属国)って書いてあるけどな。
ってか朝鮮史に関わるなW
アホになるぞWWW
492 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 17:10:48 ID:8P7lkQzN
俺韓国人だけど
中国の言ってる事の方が正しいと思うよ
493 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 17:11:08 ID:5aUEBEad
まちがった任那日本府な
日本文化の中に中国文化の影響が見られることを理由に、現代日本人の祖先は中国人だなんて主張するのを時々見掛けるけど、うんなこと言ったら明治以降西欧文明、文化の多大な影響を受けた日本は西欧人だらけだろ
弥生時代の初期の縄文人が、大陸からの文化、文明を容易に理解、吸収できるほどに、社会、技術、文明が発達していたってことでは
495 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 18:20:12 ID:5aUEBEad
>>490 新羅・百済・高麗は日本の属国で、任那は日本国。
496 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 23:39:09 ID:VqRmbsvg
∧__∧ ウリ達の先祖が野蛮とは捏造ニダ!
< #`Д´> 宗主国様に謝罪と賠償を要求するニダ!
__ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
_∧
中\
八´)∧_∧
< #`Д´>
_ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
_∧
中\
八´)∧_∧
<Д´ ; >
_ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
_____./ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
497 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 23:48:23 ID:Yj8m130b
まとめ
日本と中国は、中国共産党が関わる部分以外の歴史は共有してる
朝鮮と中国は、中国共産党が関わる部分のみ歴史を共有してる
498 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 23:53:13 ID:efC2HxnE
チャングム見たけど(ごめん)
挑戦王朝の王様は明国の外交官の服(黄色)よりも格下の色(赤)しか着れなくて、
後継者(世継)も明国の許可がないと決められなかったくらい完璧な属国
っていうか自治領だったわけだw
499 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/25(日) 23:55:02 ID:efC2HxnE
ミス
挑戦じゃなくて超賎ね^^
500 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/26(月) 00:44:16 ID:MgFe+KeJ
まぁチョンの歴史なんてこんなもん
現実はあまりにもチョンに対して冷たすぎる けどね事実は事実なんだよ
惨めな歴史しか無いチョン そりゃ捏造したくもなるよ
当時の歴史を今の国家、民族観で語っても意味ないだろうに
502 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/26(月) 00:55:19 ID:cUBv4hHS
>>494 それは違うよ、渡来人の流入よって弥生時代が始まったんだよ。
渡来人とは漢民族なんだよ。
第一波は華南から第二波華北から流入している。
日本人の体の中には漢民族の血が入ってるんだよ。
503 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/26(月) 01:03:11 ID:DPaBHChJ
なんで「日帝36年」「謝罪せよ」「賠償せよ」と言う人たちが、
任那日本府を否定するの?
どんなことでも外交に利用しそうな人たちばかりだと思っていたが、
少しは見直していいの?
「今」が無いから「過去」に縋りたいが、
それすらないってな感じっすか
>>502 またショウモナイ文が最後についてるけど
んなこと言ったらアジアなんざモンゴル人の血が混じりまくりだろうが
>>502 漢民族というものは、いくつかの民族が合わさってできたもので、
最初から純粋な漢民族なんて存在しないし、
基本的に人種的なくくりでは捉えられない。
自分が漢民族だという意識があるかどうかの問題。
だから、漢民族の血がどうのこうのと言うのは全く意味がない。
そうそうまず古代における漢民族の定義さえ難しいのに。
日本人は混血民族 かなり混じってるよ だから遺伝学的に優秀
>>16 やばい、これはすごいな!!!!
今3つ目まで見たが、2chでは今まで言われてたことだけど、
公安の人間がハッキリ語ってるのが凄いな!!!
まあ、満洲族も今や中華民族の一員だからな、日本が中華民族の末席を占めているような発言があっても不思議はない
しかし、この手の思想の危険なところは中国の版図拡大を合理化することに使われていることだよね
歴史的に漢民族が支配してきた領土は中原とその限られた周辺に過ぎないだろ
チベットも東トルキスタンも台湾も内モンゴルも漢民族の王朝の版図に含まれたことはない
510 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/26(月) 10:32:53 ID:wdg6hfn8
倭国の任那日本府を韓国から取り戻そう。
511 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2007/03/26(月) 10:37:20 ID:DYrq1q4z
チョンは歴史をコリエイトしてりゃイインダヨ
512 :
こにょ〜 ◆IzXu3gqo6w :2007/03/26(月) 11:22:02 ID:L+AVldRk
朝鮮の歴史:中国大陸の盲腸!
以上
513 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
東北工程:変貌を遂げる「中国」と「辺境」の概念
「高句麗や渤海の歴史をはじめ、韓国古代史を自国の歴史の一部に組み入れようという中国の“東北工程”
(中国東北部の歴史研究プロジェクト)は、数千年前から始まった“中国拡大プロジェクト”の延長線上にある」
東北工程の「根」を深く分析した貴重な研究書がこのほど出版された。韓神大学の安秉佑(アン・ビョンウ)
教授を筆頭に、イ・ユソン(中国古代史)、イ・ソンジェ(高句麗史)、ノ・ギシク(北方民族史)、ユン・フィタク
(中国現代史)氏ら研究者13人が執筆した「中国辺境の認識と葛藤」(韓神大学出版部)だ。この中では歴史を
古代から21世紀までのマクロ的な視野で見ると、現在の東北工程問題は「中国」と「辺境」という概念をめぐり、
変貌しながら拡大を続けた中華主義の断面、と位置付けている。
「中国」とは本来、漢民族が自身の文化地域を指した、極めて自己中心的な概念だった。これに対し、
近代に作り上げられた概念である「辺境」は中国に政治的には属しているが、文化的には後れている
周辺部を指す。漢民族において「中国」以外の地域はすべて「夷(未開の異民族)」で、これらのうち
漢民族に征服された「辺境」は中国化すべき対象だった。
「中国」と「辺境」の概念は時代ごとに変わっていった。春秋時代には中原地域だけが「中国」だった。
一方、呉・越・蜀などが「辺境」に該当したが、秦・漢統一帝国が登場してからは徐々に範囲が広がっていった。
漢民族を征服した満州族の清は、強力な内地化政策を掲げ、「辺境」を拡大し次々と中国化していった。
これは現在の中国政府の「統一的多民族国家論」に通じている。1954年に採択された中華人民共和国
憲法は「各民族が自治を行う地方は、いずれも分離不可能な中華人民共和国の一部分」と明言している。
「中華民族大家庭」という旗印のもと、55の少数民族を統合しようとするこの「統一的多民族国家論」は、
「現在の中国領土にかつて存在していた、あるいは今存在するすべての民族は中国の民族であり、
彼らの歴史はすべて中国の歴史」という強引な論理だ。明らかに独立国だった韓国古代史の国々を、
こうした論理により「中国少数民族の地方政権」と位置付け、今になって過去の「辺境」概念に組み込もうと
する東北工程の試みは、まさに伝統的な中華主義を受け継ぐ「新中華主義」と言えよう。
中国が経験したソ連・インド・ベトナムとの国境紛争や海洋での領有権争い、大々的な西部大開発などは、
「辺境」を拡大し、中国化しようという作業が終わっていないことを示している。安教授は本紙との電話
インタビューで「“中国”という概念はまだ構築の過程にあり、動き続けている。異民族を“征服・教化”の
対象とする概念は今もある」と語った。
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/27/20070327000053.html ttp://japanese.chosun.com/site/data/img_dir/2007/03/27/200703270000532insert_2.jpg