【大阪】在日ミュージシャン・趙博さん、大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある。必要なのは発想の転換 [02/26]

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1依頼518@ちゅら猫φ ★
必要なのは発想の転換=在日ミュージシャン・趙博さん

 僕は在日朝鮮人として大阪の被差別部落に生まれ、劣悪な住環境の中で生後2週間で
右目を失いました。西山と名乗って朝鮮人という事実をひた隠し、隻眼(せきがん)を
バカにされまいと、勉強、けんか、スポーツ、何でも一番やないと終わりなんやと必死
でした。学校は一瞬も気が抜けない戦場だったのです。

 最難関の高校を目指した中学3年の冬。「出世したる。この家にいたら未来はない、
飛翔(ひしょう)せよ」を生活訓にし、1日4時間の睡眠。これがたたって結核になり、
生死をさまよい受験はパー。境遇への憎悪から卒業証書を燃やしました。

 でも、妥協して入った高校が良かった。保健室の美人な先生に勧められ、萩原朔太郎
や井上靖らの詩や小説に触れ、吉田拓郎、ボブ・ディランらのフォークソングにはまった。
文学と音楽を愛する格好いい自由人を目指しました。

 大学では、学生運動に没頭。予備校講師を18年務め、「ロックで学ぶ入試英語」
など好き放題やりました。でも、「未来形の『Will』に何で過去形があるのか」
などとこっけいでも、講師をうならせた生徒たちが、「この参考書をやれば〇○大学に
入れますか」と年々おかしくなった。ギラギラさがない。予備校では、国が仕掛けた
偏差値競争と闘う反権力闘争だと信じてやってきたのに、今やすり寄るばかり。
塾の最終講義では、闘争の敗北を認めつつ、「おまえら終わっとるんじゃ」とぼろくそに
言ってやった。

 学校でも、子どものいじめが陰湿化し、被害者と加害者が入れ替わる。1回どついたら
友情は修復不可能。おかしいやろ。娘が、小中学校で不登校になったが、その豊かな
感受性から不登校になったことを心底誇りに思います。

 大阪の学校には「非行は宝」という言葉がある。必要なのは、こうした発想の転換。
学校に期待するよりも、僕らおやじが人生を楽しんでいる姿を子どもに見せましょう。
<聞き手・大場弘行>

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 ■人物略歴
 ◇ちょう・ぱぎ
 1956年、大阪市西成区生まれ。65年、韓国籍を取得。同市の鶴橋や京橋など下町へ
の慕情を歌う「橋」が有名。02年から映画のストーリーをギターで弾き語る「歌うキネマ」
を始め、注目を集める。

毎日新聞 2007年2月26日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gakkou/news/20070226ddm004070032000c.html