【中国/日経】自国文化に誇りを持つ“過ち”【2006/11/22】

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1(-@∀@)つφ ★
日本の友人や知人から「4大文明の1つである中国文明」や「孔子、老子などの歴史偉人」
について関心を示される時、僕はいつも複雑な気持ちになります。今の中国は世界に後れを
取っていますし、現在は世界の人々が納得するような偉人も生み出していないからです。

 「日本の文化の多くは、中国からやってきた」と言われる時も困惑します。恐らくは、僕への
心遣いも込めての表現だとは思います。にもかかわらず戸惑ってしまうのは、文化は国に
属するものではなく地域の風習や自然と歴史から育まれてきたものだ、と言うのが僕の持論
だからです。人類の長い歴史において国の興亡は果てしなく繰り広げられてきましたが、文化
は人間を媒体に人類のものとして伝わり発展したものなのです。

 朱子学を日本に伝えた人々は、日本に定住し日本人になりました。サツマイモの先祖は
アフリカにありましたが、サツマイモはサツマイモです。日本のラーメンは、中国の「面条」
ではありません。日本で生まれた「銀行」「工業」「人気」などの多くの言葉は、中国語に
なっています。文化は誰かが誰かに与えるものではなく、風や雲のように国境と関係なく
自然に伝わる人類の「心の気候」です。


端午の節句、端午節、端午祭
 ところが中国の一部の文化人の間では、中国の文化を無形文化遺産としてユネスコ
に申請すべきという議論が現在、行われています。きっかけは日本でも知られている
「端午の節句」です。中国でも東部の一部の地域に「端午節」を祝う習慣があります。
鯉のぼりを掛けませんが、粽は食べます。

 実は韓国にも端午の節句、端午節と同じように「端午祭」があります。その韓国が2005年
に、江陵の端午祭をユネスコに「世界無形文化遺産」として正式に申請し成功したのです。
これに対して中国のインターネットでは、一部の心の狭い人間が「韓国の端午祭りは中国
が本家で、本来は中国が申請すべきものだ」と熱を上げています。

 自国の文化や歴史に誇りを持つことは、ほどほどがいいと思います。自虐と同様に過剰
な誇りも冷静な思考を妨げ、自国にも他国にも良いものをもたらさないと思います。ある
地域に存在し、もしくは存在していた文化と歴史は、その土地にかつて生きていた人々が
つくり上げたもので、それがイコールとして今そこに生まれた人間に属することにはならないと
考えるべきです。

 「端午の節句」であろうが、「端午節」であろうが、「端午祭」であろうが、その土地の人々が
自分の感性と習慣に沿ってその祭りを祝う以上、もうその土地に溶け込んだ文化です。
その発祥がたとえ別の地域でも。

当時、その地域で成り立った文化を、現在の国の単位で「本家は」とか「本来は」と誇りの
種にするのは、先祖の行為を侮辱することにはならないでしょうか。米は最初どこで
生まれたのかは、重要ではありません。その地域の人たちの舌に合わせて変化してきた
過程にこそ、文化や伝統の意味があるのです。

>>2へ続く
ソース:http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061030/112702/

このスレは依頼によって立てられました。