【韓国】韓国最古、三国時代百済の文献を確認[10/16]
1 :
<ヽ´`ω´>φ ★:
統一新羅時代の元曉による『大乗起信論疏』より以前、百済末期に編さんされた文献の存在が確認された。
これにより韓国最古の文献の歴史が三国時代へとさかのぼることになる。現在この文献の原本は伝わって
いないが、筆写本が日本にある。
木浦大学歴史文化学部の崔鉛植(チェ・ヨンシク)教授は15日、「京都大学図書館に保管されている古代仏教
書『大乗四論玄義記(写真)』の著者である慧均が百済の僧侶であることを確認した」と語った。仏教の三論学概
論書(全12巻)であるこの書は、これまで韓国で最も古い文献とされてきた7世紀中盤から後半の統一新羅時代
の圓測と元曉の著述より古いものだが、著者の慧均はこれまで日本では中国の古代仏教学者として漠然と信じ
られてきた。
崔教授は「ドイツのボーフム大学韓国学科の仏教研究者であるフラセン教授との共同研究により、慧均が百済
の僧であることが明らかになった。様々な記録を総合すると、『大乗四論玄義記』は元曉の著書より60年ほど古
いものと推定できる」と述べた。
崔教授は慧均が百済の僧である決定的な証拠として、この文献に登場する寺の名称“寶憙寺”が2000年に忠
清南道扶餘郡陵山里の寺跡から発見された木簡に記録されている“寶憙寺”と一致する点を挙げた。
崔教授は自らの著書で「現在この地の寶憙淵師・・・」という文字に注目した。“現在この地”とは文献が編さんさ
れた地域を意味し、“寶憙淵師”は“寶憙寺の僧である淵師”を意味する。文章全体の意味は「現在この地で問わ
れる問題はすでに中国では解決している」となるため、“この地”は中国ではないということだ。木簡では“寶憙寺”
を判読できるので、“現在この地”とは百済ということになる。
崔教授とフラセン教授は、20日に韓国史研究会と木浦大が共同で主催する学会「百済の僧慧均と大乗四論玄
義記の再発見」においてこの研究成果を発表する予定だ。
東国大学仏教学部の金星普iキム・ソンチョル)教授は「崔教授の論文を検討した結果、韓国最古の文献である
ことは確実」と述べた。東国大学史学科の金相鉉(キム・サンヒョン)教授も「この文献の著者である慧均が百済の
僧であることが明らかとなり、資料がほとんど残っていない百済の仏教はもちろん、中国南部と東アジア仏教の流
れを把握するのに大きな助けとなるだろう。様々な面で非常に重要な研究成果だ」と述べた。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/16/20061016000033.html
2 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:08:56 ID:h8/64/58
田村伸一(男) 国語教師 年齢45歳
3 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:08:59 ID:OreN9pm3
2
どうせ、漢字で書いてあるから読めないってオチでしょ……w
いや、また「日本が奪った」「返還しろ」で愛国者が特攻、って流れだろ。
||
∧||∧
( / ⌒ヽ <そんなもんばっかり見つかるんだな
| | |
∪ / ノ 憲法の原本は未だに見つかってないのにw
| ||
∪∪
;
-━━-
> 教授は慧均が百済の僧である決定的な証拠として、この文献に登場する寺の名称“寶憙寺”が2000年に
> 忠清南道扶餘郡陵山里の寺跡から発見された木簡に記録されている“寶憙寺”と一致する点を挙げた。
ええと証拠ってこれだけ? 本当にこれだけ? これだけで信じろと?
仏教書なのに文献なの?
9 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:11:57 ID:fA2Fy9Sa
また捏造か
ああ、文献が出てきたんじゃなくて、「本の作者が、実は作者が朝鮮人だった」って話なのか…
本当なのかしら?
それよりも「日帝植民地時代に略奪されたものニダ、返すニダ!!」と言わないでくれよ。
13 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:13:04 ID:420+n7GP
多分、獨島は韓国固有の領土と書いてあるに違いない。
>>10 うわ、また文章消し忘れちゃった……よくやるのよねorz
変な日本語でごめんなさい
百済だけにくだらん話だ
「現在この地」や「中国では解決している」って視点が中国よりなんだけど
中国の坊主が朝鮮半島に来て書くとこんな感じになるのでは?
百済末期に編さんされた文献の存在が確認されたと、本日改竄しましたニダ
残念だが朝鮮学者はもう世界中で信用を失ってる、
毛唐を引き合いに出しても時既に遅し・・・。
20 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:16:13 ID:1vG00lsv
これはまた中共と争ってる最中に都合良く出てきたもんだなw
ページの末尾には2006/10/15改訂って入ってるんだろ?
21 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:17:05 ID:dy8Ge4w0
×:“現在この地”とは百済ということになる。
△:“現在この地”とは百済であると思い込みたい。
○:“現在この地”とは百済ということにしてしまいたい。
◎:“現在この地”とは百済ということに、勝手に決め付けた。
コリエイト(koreate)の予感。
23 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:18:12 ID:v/uyaf2e
(´・ω・`)<百済の歴史は日本史に組み込まれました。
m9(`・ω・´)<火病ってください!
>>16 なるほど、その通りだな。そして
> 現在この文献の原本は伝わっていないが、筆写本が日本にある。
毎度のことながら、朝鮮半島は所詮ストローだな。
25 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:19:07 ID:YTvq9EUM
百済に居た中国人僧侶では
26 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:19:37 ID:8l+Ek8VE
宗主国様公認じゃないよね?
27 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:20:18 ID:BBgSaOup
マジメな話、
百済というのは、当時の日本国の一地方なんだよ、マジで。
吉備国や河内国と同じで
百済国とは、日本人が創った、日本の国なのだ。
28 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:21:47 ID:5ozAesCE
百済と新羅の人間って、言葉や外見など民族的に決定的な違いがあった?
29 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:22:34 ID:CE11Wy7D
くだらない
スレタイだけ見て。
どうせ日本の図書館で発見したんだろ・・・
31 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:22:53 ID:+EFkH5e0
★ 百済は日本人が建国した ★
『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たちであったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。
百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。
314年以前に、半島南部に百済や伯済は存在しなかったよね。
志良岐と任那の2ヵ国だけしかなかった。
伯済(後の百済)は、高句麗が帯方郡を滅ぼした後、
314年に大和朝廷が任那の北部地方を分割し、帯方郡から任那に亡命してきた
漢人・狛人(倭人)に与えて住まわせたのが始まりだからね。
32 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:22:57 ID:oD5QWFOD
そんなものがやっとでてくるのか
っと考えると
やはり熱像
33 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:22:58 ID:IuMXKLGe
三国時代って・・・・。
今でも三国人じゃん。
34 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:23:07 ID:T5vjeiKt
>>1 捏造っていうか、赤の他人を無理やり「百済人認定」。
35 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:23:09 ID:y7RMZNLe
またひとつ捏造
で、学会で相手にされるの?
東アジア歴史学界での朝鮮人学者の扱い
・学会で発表後のフリーディスカッションの席では、朝鮮人学者は名指しでお断り。
・発表中に携帯で喋りだす。他人の迷惑は顧みない。
・以前は学会開始前に発表予定論文のコピーを配っていたが、朝鮮人学者に渡すと内容を盗作するので、
終了時に全部回収されることになった。
・それでもデジカメを持ち込んで論文を撮影する馬鹿がいるので、カメラ付き携帯すら持ち込めなくなった。
・学会という公の席であからさまに黒人研究者に差別的発言をするので、その教授の弟子に殴られる。
でも誰も止めない
・休憩時間に、他国の女子学生に言い寄る。
・他人の発表中に質問や茶々を入れる。質問は発表が全て終わった後が常識。
・日本の研究者の論文が他国の研究者に評価されると、途端に日帝三十六年がどうとか騒ぎ始める。
むろん誰も聞いてない。
・以上のような行為のため、しばしば他の研究者たちから突っ込みの集中砲火を浴びる。
火病を起こして意味不明なことを喚き、宗主国様の学者に助けを求めるが、即座に無視される。
37 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:24:11 ID:62oEr7EP
< ‘∀‘><ウーン、この漢字はなんて読むニダか?イルボン
> これにより韓国最古の文献の歴史が三国時代へとさかのぼることになる。現在この文献の原本は伝わって
>いないが、筆写本が日本にある。
ん…
⊂⌒~⊃。Д。)⊃ また、日本かよ。てか、確認とか言うな
>>28 日本の壁画にある新羅・百済の女官の服装には、百済風新羅風があるそうですね。
40 :
30:2006/10/16(月) 15:24:37 ID:CBE7Sdof
正解したwww
41 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:24:49 ID:+EFkH5e0
★古代カラ半島国家の歴史 3★
【久多良】
国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。
6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と
同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。
久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。
クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。
古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」
「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。
久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的
に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。
久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も
大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識
で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから
である。
久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が
担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。
3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家
に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの
久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。
なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
我々と同じ日本民族だったからである。
現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、
我々の体の中で生き続けているのだ。
42 :
ヴァンプ将軍:2006/10/16(月) 15:25:38 ID:nLTshX0i
で、写本の返還要請はいつ出すのですか?
43 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:25:44 ID:+EFkH5e0
【志良岐】
国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の
南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。
シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、
「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。
この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、
『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、
また、新羅と表記するのが一般的ある。
神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった
志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に
あった国である。
その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官
が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、
志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を
奪われることになった。
奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。
そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。
金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。
金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に
移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。
韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、
もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。
っていうか日本の文献保管数って凄いな。
米国による空襲による文化財焼失が悔やまれる・・・
45 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:26:31 ID:+EFkH5e0
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗も
フヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
つーか、「かの地」に「僧侶」がいた証拠にはなっても、「僧侶」が「百済人」の証拠にはならないのでは?
47 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:27:11 ID:I3k+05/7
百済と現在の韓国人は別の民族だと思う。
48 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:27:11 ID:yTA6xDzR
朝鮮人の解釈や調査なんて信じられない
49 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:27:12 ID:62oEr7EP
< ‘∀‘><とりあえずイルボンに翻訳頼んだニダ
50 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:27:19 ID:d204Zo/r
古い文献が日本で発見されるってのがパターンみたいだけど
本国では見つからないのか。
文献は日本にありすでに解析が済んでいたりする
チョン学者にはそんなの読み解けないんだから無理すんな
写本の写本を今作って渡せばいいだけじゃね?
コピー代いくらになるかわからんけど。
>>41 >なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が
>我々と同じ日本民族だったからである。
まあ、高麗からも亡命受け入れてるし、
それだけじゃあ、民族的に同じとは断言できないと思うわ。
>>28 高句麗、百済、日本語は同系統だけど、新羅は別系統だったらしい。
ただし、百済の被支配者の言葉は新羅と似ていたらしい。
55 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:29:40 ID:62oEr7EP
< ‘∀‘><
>>50 韓国では見つからないニダね〜 日帝に全部盗られたニダからね
57 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:30:27 ID:tJaJFQR3
百済の人間が、百済の寺で文章を書く時に「現在この地で問われる問題は
すでに中国では解決している」とは普通は書かないよな。
中国人が、百済で書いたんじゃねーの?
58 :
エ)・) ◆lWYtn5MZ2k :2006/10/16(月) 15:30:58 ID:ZB0TWvZB
>>56 現役さんのファウストパトローネ嬢からの情報です。
y=ー( ゚д゚ );・∵ターン
矢追純一だらけだな
63 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:33:00 ID:yTA6xDzR
朝鮮と日本の文法が似てるのは仏教の元祖、インドの地方も同じ文法だからとの一説聞いた事あるな
64 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:33:35 ID:tJaJFQR3
>>58 日本人の物持ちの良さは異常だな・・・
って、いつ写本したんだよコレ?!
65 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:33:36 ID:OWF9XwH/
中国って中華人民共和国の事ですよね
そんな昔にあったとは思えませんが何か読み違いしてないか
>>45 でたらめばっかコピペすんじゃねーよ。
ワイは扶余系。
字が現代的過ぎるような・・・
統一新羅って700-900年頃だよな・・・
またまた捏造
70 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:36:58 ID:5ozAesCE
>>39 風習の違いはあったわけね。民族的には同一なんだろうか・・・
>>54 中国の史書に新羅の支配者層も倭人との記述があったはず。
この本って中国でいう三国演技みたいなもの?
正史から1000年後に編集されて作られた・・・
72 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:40:17 ID:06rDat1z
まて中国ってそんなに昔からあるのか?
73 :
ヴァンプ将軍:2006/10/16(月) 15:40:33 ID:nLTshX0i
三国志演義は小説ですよ。
>>70 具体的に何?
三国史記の瓢公?新選姓氏禄の志良貴氏の項?
この本「中国では解決」と書かれてるんじゃないか?
時代よくわからんが「隋」でも「唐」でもなく「中国(中華人民共和国)」と
76 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:43:35 ID:06rDat1z
>>74 確かにどこかで聞いたな
百済の支配者が倭人だったって
毎回毎回朝鮮の文献が日本で見つかる件について
>現在この文献の原本は伝わっていないが、筆写本が日本にある。
この逆はあったことがない
朝鮮人は文化財の保管も出来ないのか?
78 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:44:31 ID:unfcKdPG
で、今度はどこらへんが日本が悪いの?
79 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:44:32 ID:hjR2C1/H
80 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:44:37 ID:y3ML8d9N
>>77 ヒデヨシと日帝がすべて焼いたことになっています。
>>59さん
>>36の情報ってハングル板からですか?
関連スレ見たいんでよろしければ情報をwww
あまり朝鮮人に文化財を見せると都合の良いように書き換えちゃうよw
84 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:46:03 ID:5ozAesCE
85 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:46:55 ID:/i0JPrkp
>>1 だからね。。。
統一新羅時代に、百済が自国だって認識はないんだから。
百済は単に滅ぼした他国。
百済も自国、となったのは高麗時代から。
それに、どこをどう解釈すれば、その僧が百済人と
断定できるのかがわからん。
>>83 ああ、ブラジルの博物館にある昔の地球儀が、日本海表記になってるって
イチャモン付けてたわね、あいつらw
>>76 百済の支配者が倭人であるという記述?具体的に、何?
百済の支配層は現在の満州吉林賞あたりから南下した半農半牧の騎馬民族、扶余だと言われているが。
命題:慧均(大乗四論玄義記の著者)は百済の僧である
・この文献に「寶憙寺」という寺が登場する
・2000年に「寶憙寺」と記された木簡発見
・「現在この地の寶憙淵師・・・」、この地=百済、寶憙淵師=寶憙寺の僧である淵師
このニュースではこの命題は満たせないような・・・
>>81 東亜+でしたよ。
スレの名前は忘れましたが。
90 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:50:08 ID:1mhWM8Xj
<丶`∀´>百済は日本を支配していたニダ!
91 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2006/10/16(月) 15:50:19 ID:uR5WUNdx
何や、文献が韓国で発見ではなくて、また日本で発見かw
ほんと、物を大事にする国やな、日本って。
それに比べて、韓国は人・物・金を粗末にする国やでw
>>86 靖国にあった朝鮮半島の石碑も返してもらったとたんに
修復とか言って削ってたよねwww
93 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:51:01 ID:P1egU+SR
こいつら歴史研究、反日いちゃもん、南北交流しかやってないんじゃないの。
>>79三国志東夷ワイ
其 耆 老 舊 自 謂 與 句 麗 同 種 .
又は
言 語 法 俗 大 抵 與 句 麗 同
95 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:51:44 ID:06rDat1z
>>87 テレビでやってたよ
百済の支配者が全員そうではないと思うが
長崎県あたりだっけかな
九州の方の出身だったらしい
興味ないからくわしく覚えてないが
>>92 さすがねw
朝鮮人に文化財は渡さない方がいいわ
97 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:53:27 ID:p0RVJuBs
百済を滅亡させた新羅の末裔どもが、何を言う
>>77 出来ない
何故なら王朝交代の度に前王朝の形式や文化が否定され打ち壊されるからw
中国同様だが、かの国の場合は史書編纂担当官が必死に歴史の記録を守ったので
結果として殷王朝からの歴史が記録として残る事になった
中国の代表事例では鄭和の航海記録が後の権力者によって廃棄されたため
人物伝とある程度の航海範囲は同行者が残した文書で辛うじて残ったが
記録そのものが不完全なのはそのせいw
>>95 恐らく、新羅と勘違いしている。
三国史記には新羅の建国神話として卵生神話形の倭人、瓢公が登場し、また初期の新羅には倭人が関わった形跡がある。
また新選姓氏禄にも新羅からの渡来人が「新羅王の出自を稲飯命である」としている。
日本人の記録マニアっぷりが異常 という話はスルーですか。
102 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:57:23 ID:06rDat1z
>>95 確か、日本書紀の雄略天皇の記述に、5世紀後半に高麗に一旦攻め滅ぼされた後、日本の手によって復興されたとあるそうですね。
後、住民には倭人と漢人が多かったと支那の歴史書にあるそうですが。
支配階級は、言葉も風俗も違ったんじゃあ?
104 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:58:51 ID:CEhJ9UZS
また日本で新発見か。
日本の保存はすごいな。
>>101 まあ、中共の学者も日本の図書館で大喜びだそうですから。
106 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:59:38 ID:l2Gq4ar2
107 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 15:59:48 ID:M3X77D/6
韓国の歴史をなぜ京都で探すのか
>105
それどころか世界中の人間が文献漁りに神保町にやってくるという話
109 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:00:44 ID:jpuCdmeI
いちいち百済ねぇ奴らだなぁ
110 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:01:06 ID:0myV0/Th
………
>>58でターンしたくてたまらない。
写本にしたって、三国時代、日本では卑弥呼時代の文献には見えない…
半島に、そんな後々まで原本が残っていたとは信じられないから。
>>104 まあ、神社仏閣で「あ、ここ四百年くらいしか経ってないから、新しいね」って、
普通の感覚で会話できる国だからねw
112 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:01:54 ID:06rDat1z
ほんとに百済ん
>>100 朝鮮日報の記事で修復と書いてあったが写真を見ると
確か電動工具のようなものを・・・・w
>>77 できない、
というか日本の保存能力がアジア諸国の中では極めて優れている。
江戸時代も清朝の学者が、中国国内ではすでに消失してしまった
書物があるかどうか調査を頼んだという記録があったように、
中国では度々戦渦に巻き込まれ、そのたびに主な文物が
略奪されたり、焼失してしまった。しかしそうした書物が日本では
残されていた場合が少なくなかった。
では朝鮮が文化を保存できない理由は、よく分からん。
>111
400年は確かに新しい方ですなァ・・・
江戸時代なんてごく最近だよねー
#いや世界的に見るとかなりおかしい話だとは思うw
116 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:04:16 ID:HeCnZzNj
>>105 政治の中心に資料は残らないからね。特に焚書の傾向が強いシナ文明では。
良くも悪くも、東アジアの辺境でずっと孤塁を守ってきたから資料が残った。
>>108 ああ、それは見たことあります。
なんか、英語圏白人のおっさんが19世紀の末から20世紀前半に活躍した英国の挿し絵画家の画集抱えて幸せそうでした。
>>116 文化大革命で武術の中心も台湾に移ってしまったと言いますからねえ。
大陸支那では。
119 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:06:17 ID:HeCnZzNj
>>117 俺、本を大事にしないんだよな、研究者の端くれなのに。反省しなきゃ。
死蔵本を痛まないうちに、売りにいこう。
120 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:07:09 ID:8UHk8Xo7
・百済と現代韓国、古代半島人と現代コリア人はそれぞれ、全く関係がない。
・たった一言から、誇大解釈で「断定」
・断定したところで「ストローであった」事実を裏付ける史料
あとなんだろ?
>>99 悪いけど、俺も百済は日本の息のかかった国、て覚えてる…。
百済は国として不安定でいつでも他国から何らかの強力な援助を受けているし、
非支配層も多民族では、支配層とてフヨ単一とは考え難いと思う。
あと、瓢公のような「日本から流れ着いた石から生まれた王」
の話は半島沿岸沿いに一般的に見られる建国神話で、新羅だけのもんじゃないよ。
中国の僧が百済について書いた文章なのでは?
>現在この文献の原本は伝わっていないが、筆写本が日本にある。
日本ツヨスwwwwwwwww
124 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:12:41 ID:q5zLW623
百済はなぜ攻撃を受け日本がなぜ救援に立ち上がったか?
百済は日本固有の領土だからです。
物を大切にするのは神道のおかげかもね
>>103 其人雜有新羅、高麗、倭等,亦有中國人。「宋書」これかな?
恐らく被支配層を記述したものだろう。
百済の支配層と被支配層の言語の差異は、同書に
其都曰居拔城,亦曰固麻城。とあり、また
王姓餘氏,號「於羅瑕」,百姓呼為「鞬吉支」,夏言並王也。とある。
>>126 ありがとうございます。
書籍の名前を失念してました。
128 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:16:27 ID:7HJBrofQ
どうせ昔から捏造ばっかで、
都合の悪い文献が見つかるたびに焼いてたんだろ?
そりゃなんにも残らん罠。
>>1 どうせ返せとか何とかいってくるんだろうな
返す義理なんてこれっぽっちも無いんだが
>>116 正史作りをする儒教国家では、資料が残らない。正史を作った後、焼き捨てるから。
日本で様々な資料が残ったのは、易姓革命がなくそれに伴う正史作りもなかったからだな。
一言でいえば特亜ではなかったから。 それでも「日本書記」の後には資料を捨てたらしいが。
>>121 >支配層とてフヨ単一とは考え難いと思う。
何か根拠は?
>あと、瓢公のような「日本から流れ着いた石から生まれた王」
瓢公は石から生まれたのではなく瓢を腰に付けて渡来した。貴方の言うように
済州島の神話にも同じものがあり、同じく「海から渡って来た」とされ、これらの
神話は南方系に多い。新羅と百済が異なる民族的な性質を持っていたことが
このことからもわかる。
>>130 それは、僕は初見です。
どこでもやること変らんな。
以前の職場にいた南朝鮮人みたい。
134 :
130:2006/10/16(月) 16:22:27 ID:BRRNPSsP
>>36 >>130 あ、関連ではあるけどネタとしては違うのか。
早とちりすまぬ(;´Д`)
135 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:24:05 ID:pdxgVDzG
古代日本が朝鮮半島を支配していた証拠
1 『日本書紀』に神宮皇后が三韓征伐を行った記述がある。
2 『古事記』『日本書紀』ともに、神功皇后の時代に、日本軍が「新羅の王の門」にまで
至ったと記している。また、『風土記』『万葉集』『続日本紀』『古語拾遺』その他の
古代の史書は、こぞって新羅進出に関係する記述がある。
3 「広開土王碑の碑文」には「倭が辛卯年(西暦391年)をもって渡海し、百済を破りて従え、
新羅をも破り、もって臣民となす。」との文がある。
4 「新羅本紀」は、393年に、「倭人が、金城(新羅の王城)を包囲して、五日も解かなかった」
と記している。
5 「広開土王碑の碑文」は、400年に、「倭が、新羅城のうちに満ちてあふれていた」と記している。
6 『三国史記』は、402年に、「王子未斯欣が、倭の質になつた」と記している。
7 「広開土王碑の碑文」によれば、404年にも、倭は、「不軌(無軌道)にも帯方界に侵入」している。
8 「広開土王碑の碑文」によれば、407年にも、万を超える倭が進出している。
9 韓国南部から日本式の古墳が出土している。
136 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:24:43 ID:+1/xt98l
だから百済と現朝鮮は微塵も関係ないんだとなんどいえb
137 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:26:51 ID:NCF7J3ZS
たぶん最後のページに筆者のプロフィールが載ってるよ
韓国じゃありませんから
>>36 ま〜分野は違うけど済州島でやった日韓合同の学会でも一部当てはまるなぁ
突っ込みどころたくさんな発表も多々あったし
連れてってくれた教授の顔を立てて何もいわなかったが(カナダの研究者がしっかり突っ込んでたけど)
その教授の顔も微妙に引きつってたw
ただ歴史云々ってのは出てこなかった(まぁ分野的にかなりオタク要素の強い連中が集まってるからかも知れんが)
ちなみに
>・休憩時間に、他国の女子学生に言い寄る。
これはガチでした
141 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:35:50 ID:sVcBlJ4p
>>36 ・学会という公の席であからさまに黒人研究者に差別的発言をするので、その教授の弟子に殴られる。
でも誰も止めない
最高!さすがだ。
また今までの仏像みたく写本が盗まれて、しばらくしたら韓国で発見されて重要文化財に認定とかいうコース確定だな
>>131 それ聞いて三蔵法師もインドから持って帰った大事な経典を
漢文に翻訳したら廃棄したと言うのを思い出した。
一番古い仏教の経典もまた日本にあるらしいwww
韓国では代替わりで1年前のことすら書きなおされます。
ほとぼりがさめるとあたりさわりのないとこで日本に資料を探しにきます。
145 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 16:51:52 ID:4CBCpxaJ
朝鮮の国宝級の古文書が日本にあるとは素晴らしいことだ。
朝鮮は、散々、資料を焼いてしまい現存しないのでしょう。(歴史も資料も文化も大切にしない民族は違う!)
勿論、国外に持ち出す事は断る!
>145
書き写したの一冊あげるくらいならいいんじゃない?
後付に 2006年10月 第一版 ●●出版 っ手書いてあっても「当時の史料」にしちゃいそうだし
朝鮮人って奴らは誇らしければ小説でも歴史的事実だと思い込んでしまうからな
本当に可哀想なミンジュクだよ
日本は一秒でも時間を重ねるとより重厚になるが
朝鮮では一秒でも時間を重ねるとより軽薄になるってこったな
>>145 残念ながら、今回この本は漢人の書いたものらしいですけどね。
しかし、この坊さん有名なのは著書ばっかりで、他は検索してもあまり出てこないな。
朝鮮人はテラダの文書保管サービスに預けとけよ。
150 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:04:32 ID:evXG/r+q
日本も古い物を否定するという廃仏毀釈の運動なら明治にあり
いろいろな物が失われた。それでも相当数が伝わってるけどね。
>>77 文化財の保管ができるくらいなら、憲法の原文保管できます
>>98 司馬遷みたいに、皇帝から嫌がられつつ歴史をまとめて
しまった人もいるしね。
>>101 日本人は、日記を書く習慣があったので、何人もの日記を
照らしあわして、京都でいつ何があったのか完璧に整理できてる。
>>114 代々の王朝は、全代の王の治世を否定するために、
すべて破棄。たとえ父親であろうとも、まず否定するところから入る。
その伝統は、今の大統領を見れば明らか。
代々の大統領は、いかに元大統領を獄に入れるか必死になっている。
151 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:06:53 ID:9LvFtFoB
古事記や日本書紀より古い文献を何としても捏造したいだけ・・・
>>150 スミソニアン博物館に国宝級の日本の仏像がホコリかぶっているそうですね。
>>1 スレを読まずにレス
百済の文献よりもまず、韓国の憲法原本を見つけたらいかが?wwwwww
>1
寶憙寺という、物的証拠を提示しろっての。
何処の場所に建っていて、何時まであったか、
そして遺構も掘り出せっての。
それをして、初めて認定されるってなもんだ。
ただ名前が一緒なだけで、それが同じだなんて言えねぇってw
155 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:14:45 ID:0myV0/Th
………つかさ、これで半島人の何がスゴいと言いたいのか
理解不能なんだが、俺だけ?
156 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:17:22 ID:6GV4SzWy
つまり百済さえ中国の支配下にあったと言うことでつなwwww
157 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:17:45 ID:QohnW425
ウリナラ最古の書物をイルボンに出向いて探さねばならぬとはクチュジョクニダ!
この書物も秀吉或いは日帝が略奪したにちがいないニダ!
とかになりそう。
で、左翼が多い京大の連中が朝鮮人のいいなりになると・・・
>>155 古代の仏教学者として有名だった慧均って人が実は百済の人だった
だから半島人は凄い、という幸福回路全開の飛躍論理
今の半島人は百済人とは無関係なことを棚に上げてホルホルしております
毎日毎日いろんな事を作れて(捏造)オマイラ羨ましいヨ よっ!三国(上・下・中)一の幸せ者
>154
日本においての仏教が、百済仏教が主だとホルホルしたいんだろうね。
奴等の思考回路は、常に、日本より上位の位置にありたいだけだから、
そのためならどんな努力も惜しまないんだけど、普段努力しないから、
結局、つめが甘く、内容も穴だらけの笊でしかないんだよねー。
長くなっちゃったけど、一言で言うなら、別に半島人は凄くも無いって事。
161 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:21:23 ID:eu7g7wfj
>>1これにより韓国最古の文献の歴史が三国時代へとさかのぼることになる。
現在この文献の原本は伝わっていないが、筆写本が日本にある。
韓国最古の文献?百済のなんたらって坊さんが書いた書物が
何故当時存在しなかった韓国って国の文献扱いになるの?百済の文献でしょ?あほ?
162 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:21:34 ID:h33I6V2r
>>1 いいか、それはお前らの歴史じゃないって何度言えば判るんだ?
仏教が朝鮮半島経由したかどうかなんて大した問題なのかなあ・・・
>160
ごめw
>154は>155さんに
165 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:26:39 ID:rprDqxri
またチョンの妄想か?
いっぺん滅べばwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
166 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:26:59 ID:0myV0/Th
>>158 そっかーなるほど、百済と現在の半島人が無関係なのを
棚上げで喜んでるのか、それなら分かるな。いや理解はできんが。
ホント幸せでいいよなー、パッと見の都合の良い部分だけ拾ってどこまでもホルホルホルホル
困ったときは魔法の呪文・日帝秀吉。
167 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:30:39 ID:aWAbgGqf
これは面白い仮説だと思うけどね。
百済から仏教が伝わったというのは事実だろうし。
168 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:31:57 ID:0myV0/Th
>>160 そしてなおかつストロー半島な現実の認識史料でもあるとw
徳川家康影武者説とか天海=明智光秀説と同じような決定的証拠を出してきたね
上杉謙信女性説よりは信憑性があるかもしれない
170 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:36:56 ID:8CqFvs2g
> 教授は慧均が百済の僧である決定的な証拠として、この文献に登場する寺の名称“寶憙寺”が2000年に
> 忠清南道扶餘郡陵山里の寺跡から発見された木簡に記録されている“寶憙寺”と一致する点を挙げた。
寺の名前が一緒なだけで、百済人かよ。
つーか、コレの何処が証拠だ。
171 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:41:14 ID:QSXylRUg
>>167 仏教伝来は色々ルートがあるんだよねぇ。
新羅を通らない海上ルートで伝わった文化もあるし。
173 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:46:08 ID:nONXwyOo
半島はストローというか、、
稲作などの伝播は、日本と、朝鮮半島南端では同時期に中国南部からもたらされている。
多分に同質な民族が両地域に居住し、以降、航海技術の面からも、半島伝いで文物を輸入していた。
新羅統一以降、半島と切り離された日本は直接大陸と交易を行う。
しかも、自国産出の大量の金を以って直接購入し、また、高官、高僧として遇され、伝授されることで、
独自文化を形成するに足るだけの蓄積を行うことに成功する。。
現生の半島人が、日本に対し、恩着せがましいことを言う理由が見当たりません。。
>166
百済期の半島は、和人やツングース系の扶余、鮮卑や支那人も居たからねぇ。
その後、半島は、新羅後の高麗になって、ツングース色が強い渤海の旧民を吸収、
さらに、女真族(ツングース)の金に朝貢、そして、金の後に出てきた蒙古に、
完全に滅ぼされ、国と民を蒙古軍に蹂躙されてるからねぇ。
その際、民、特に女性はどう扱われたかは分からんけど・・・普通はw
既に、この状態で、旧百済民とは別個の民族になってるんだけど、
さらに、李朝期には、王が蒙古族と何度も婚姻を結んでるからねぇ。
王が結ぶってのなら、臣下も結んでるだろうから、ここでさらに蒙古色が強まってる。
まぁ、民衆レベルじゃ、そこまで純然たる蒙古ではないだろうけどねぇ。
それにしても、百済期の様な民族構成ではないのは明白だよね。
それを、現段階の賤族と百済民を一緒にしちゃってるんだから笑えるw
まぁ、別の話として、体毛が薄く、9cm砲を備えているという体質は、
どう考えても、北方の民族、過酷な寒冷地の民族と酷似してるのはどうなんだろw?
そりゃ筆者本くらいあるだろ。
勉強熱心で本を大切にする国だったんだから。
いまの若い馬鹿どもは本も読まないで
へんな国になっちゃったけどな。
日本が朝鮮なみに落ちぶれそうな気がしてしょうがないよ。
176 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 17:57:21 ID:RLNIzz1O
北朝鮮は高句麗として中国に面倒を見てもらおう。百済はもともと日本のものなのだから、住民ごとアメリカにでも売ってしまおう。
>176
幾ら、米でも買わないと思うよw?
世界各地で面倒起こしてる民族だし、ロス暴動でも一役買ったそうじゃないw?
まぁ、動物実験としての材料としてなら、使えるかも知れんけどねぇ。
178 :
極東不敗Ω@在日52世 ◆CAZai52np2 :2006/10/16(月) 18:00:37 ID:vNsbPpyC
ところで、なんでヒデヨシに燃やされたはずなのに京大にあんのw?
179 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:00:57 ID:CLujvQnt
日本にある文献しか残ってないわけか・・・
>>176 昔から、こんなだったそうだけど?
それでも、欲しいですか?
☆『日本書紀』推古天皇三十一年七月条
百済は是多反覆しき国なり。道路の間すらも尚詐く。
意訳):韓国は裏切りの多い国だ。普段から嘘ばかり吐く。
☆東国通鑑巻六、唐貞観十六年条
「百済反覆之国、不可信也」
意訳):韓国は、裏切りの国だ。信じる事は出来ない。
>>180日本書紀の時代からとは恐れ入ったニャ……。
183 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:10:04 ID:wi1J3VpH
吉備津彦命(桃太郎)に討たれた温羅は、百済の王子と名乗っていたそうな。
185 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:12:37 ID:N0cS/wyJ
百済は滅亡したんだから韓国関係ないだろ
186 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:14:06 ID:q7OsNdvD
ニダ━━━━━<丶`∀´> ━━━━━!!!!
188 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:15:59 ID:RLNIzz1O
新羅(韓国)が百済を植民地にしたのだから、責任を取ってもらおう。
189 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:20:01 ID:UfWsHa/A
190 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:22:22 ID:jc4NzS/i
>>185 大日本帝国は負けたんだから
今の日本は関係ないだろ
>>190 大日本帝國は帝國議会で、正式に日本国に引き継がれてるので関係あります。
192 :
自称右翼 ◆Uyoku.4uL6 :2006/10/16(月) 18:24:26 ID:8CqFvs2g
>>180 日本書紀の方は、「新羅が百済に攻め込みました。百済に、援軍出しましょうか?」
って言うときの新羅派の言い分だから、差し引いて考えんと。
東国通鑑は、朝鮮の史書だろ。
そこに出てくる「百済」をチョウセン全部にあてはめちゃいかん。
全羅道差別の一環だべ。
193 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:25:10 ID:vLQ/Mdrh
結局残ってるのは日本かよ。
194 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:28:28 ID:wi1J3VpH
日本はリアルな「千年帝国」だから、他国と比べちゃなんねえ。
今度は中国人のウリナラ認定か。
>>45 君、毎度、このような史料を貼ってくれて有り難いと思ってます。
原典はなんなんですか、よろしければ教えてほしいです。
また捏造か
198 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:34:56 ID:gQw2tn5a
日本書紀に「百済記」「百済本記」からの引用があるから
何かの書物はあったんだろうけどね
さて、現存しないのはなぜ?
(1)秀吉が焼いたニダ
(2)日帝が焼いたニダ
(3)日帝が隠しているニダ
(4)日本書紀は百済人が編纂したものニダ
>>189 申し訳ありませんが、ファウストパトローネ ◆gC4GBu5CvE 嬢のレスのコピペで、URL等の情報はないんです。
どうせ返せとかぬかしてくるんだろ
三国人って差別用語使っちゃダメだろ。
202 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:49:12 ID:6Ds0wXJx
日本の資料か
よかったね
203 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:52:53 ID:UmO4I4K/
いや中国人の僧侶でしょ
ウリナラ論理の認定は(・Α・)イクナイ
204 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:53:38 ID:N0cS/wyJ
>198
百済を滅ぼした国が焼いたとしか考えられません(´;ω;`)
205 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 18:54:05 ID:su54kPsY
ええい、秀吉と日帝は何をしているのだw
>201
差別用語じゃないよ?
国籍が判断しかねる者達として、第三国人としているから。
まっ、そんな認定されるのが嫌なら、さっさと半島にカエレ(・∀・)!!って事だな。
207 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 19:10:35 ID:0myV0/Th
そいや半島は、放置しっぱなだった
前方後円墳の研究の方は手を付けたんかな。
208 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 19:11:41 ID:ps8m1lD5
>韓国サイコ
確かにサイコだな。
210 :
竹埼委長:2006/10/16(月) 19:50:52 ID:V6uTG8Xv
つか写本が残ってる日本が唐の僧っていってるのに、
なんで百済なんだか(w。
また日本がとっておいてあげたおかげか。
返せとかいうなよ?
おまいらに渡したらなくすか燃やすかするからな
212 :
竹埼委長:2006/10/16(月) 20:19:06 ID:V6uTG8Xv
実は韓国はTVの企画だったのだ!
我々日本人が見ている韓国は某TV局の企画で、日本全国民に対するドッキリだったのだ。
韓国から窃盗団が盗みに押し寄せてくる予感
215 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 20:50:46 ID:V5PL9xmA
写本を遺した日本が偉いってだけだろ
ちょーせん人がなんで誇らしげに騒いでんの?
>>196 マジレスすると、トンデモ説。
根拠は無く、唯の思い込み。
217 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 21:38:14 ID:mYd+xE3J
朝鮮でのこってるのかとおもたら日本かよ ほんとにあほだな
218 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 21:48:06 ID:9PXUxq5B
偏狭の地の方が文献は残りやすいが
中国だって残ってる
これは国民性だろ。
嘘をつくのに真実は邪魔だから
219 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 21:51:46 ID:6DkzvfS5
京都大学にあったのならすでに研究され尽くして、韓国人やドイツ人の出る幕
はないんじゃないか?
大正以前の哲学ヲタはほとんど世界最高というか別世界。
歴史や文字はもちろん思想的にも本邦、唐天竺まで体系的研究がされているので
疑問があれば中国人の翻訳に因縁をつけて原文参照、すべて注釈されているはず。
どんなに頑張っても、「韓国」最古の文献は1948年のもの。
もう いやっ …
222 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 21:58:19 ID:6EY5nx/9
百済って明らかに韓国と関係無いだろ。
まさかこの資料も日帝が略奪したとか言うんじゃないだろうな
>>222 大韓帝国時代に王宮で収集した書籍が総督府に移管され、
総督府が本土の各研究機関に移した史料というものがあるんですが、
連中はこれらも略奪品にカウントしています。
ただ今回の史料がどういう経路で京大に入ったかは確認していません。
224 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:05:13 ID:Dhf1DVkc
おっ、また捏造に精が出るねぇw
225 :
竹埼委長:2006/10/16(月) 22:12:54 ID:V6uTG8Xv
せっかくの史料も読む事出来ないんじゃねーの?
これが本当の 宝の持ち腐れw
227 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:21:49 ID:ryxhTPvm
表紙の画像を見てみると、あまり古くは見えないな。
表題も「大乗四論玄義記」と、”現代の漢字”がはっきり読める。
なにより、右上隅に京大図書館のシールが貼ってあるんだが・・・
これってカバー?
それとも、近代に作られた写本なのか?
228 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:23:19 ID:0myV0/Th
>>227 俺はもう写本の写本と勝手に結論付けた。
だって有り得んもの…
229 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:25:55 ID:PlG1JDt+
>>1 >文章全体の意味は「現在この地で問われる問題はすでに中国では解決している」となるため、
>“この地”は中国ではないということだ。木簡では“寶憙寺”
>を判読できるので、“現在この地”とは百済ということになる。
たしか、この文の正規の解釈は、
「現在この地(中国)で問われる問題はすでに西域(ガンダーラ)では解決している」
だったと思う。
だから、慧均は中国人だったはずだ。
230 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:26:49 ID:jHnxUdMK
つまり、今までそれ以前の歴史を騙ってたのは全部嘘だったとw
語るに落ちたなw
こういう専門家が、突如としてわいてくるところが
2chのいいところダナー
233 :
狂気の倭:2006/10/16(月) 22:28:16 ID:GqZaan8M
倭人の大体の反応は、自分たちだけが、すごい文字の漢字が読めるって論理だな。
まぁ、ほっとけばよいさ…。
シナの文字を自分の文字といわざるを得ない倭人も根本的制約を認めないといけないので。
234 :
竹埼委長:2006/10/16(月) 22:30:18 ID:V6uTG8Xv
>>229 えーーーー、そんな初歩的なことなの(w。
さすがウリナラだなあ。朱に交わればなんとやらで
欧米人のコリア研究者もみんなコリアマインドに毒されて
全員ウリナラマンセーになるんだよねえ。
235 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:31:54 ID:PlG1JDt+
>>233 いえ、大乗仏教発祥の地であるガンダーラ地方を無視する崔鉛植の傲慢さにあきれているだけです。
236 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:36:43 ID:ryxhTPvm
>>228 >>231 なるほど。
という事は、本自体の歴史的価値は余り無いから、盗難に遭う可能性は低いな。
なにせ他人様のところの文化財を盗んでいって、自分の国の国宝にするような盗人民族だからなぁ。
まぁ、当分閲覧に制限付けて、見た奴は返す際、点検が終わるまで返さないようにすべきだな。
237 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:39:27 ID:A/i8NX6/
最近は新発見が多くて何よりですね(笑)
238 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 22:43:44 ID:IePfjrIf
三国人を名乗っていた時代の間違いだろw
>>235 ちょい待って。
その文意の「大乗仏教」って般若経以降の大乗経典のこと?
ガンダーラ発祥って確定事項なんですか?
玄奘三蔵(げんじょう さんぞう), 602年 - 664年
百済 - 660年
>百済末期に編さんされた文献
確かに百済の田舎寺について論じる必要はない罠。「現在この地の・・・」
241 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 23:13:33 ID:o0kA1R4z
>>229 なるほどね。
中国の直輸入でしかなかったであろう朝鮮半島で、このような議論が起こること自体不自然だからな。
中国とインドとでは、解釈や研究の相違はあるだろうから。
ところで、「この地」はいいとして、比較の対象となった「西域」または「中国」はどのように表されてるのだろうか?
返せとか言ってきそうw
確認ていうのはロックオンしたっていうことだろ
244 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/16(月) 23:31:08 ID:QXtyJ9H5
韓国人の歴史捏造は、
例えば、アメリカ人が、インディアンの歴史を盗むようなものだな。
日本にはたしか最古級の梵語経典があったはず
とはいえ中国に勝るものはあるまいあんだけ焚書してなおかつ膨大な量があるしな
この文献は悉曇学のもののようだ。
日本の文献にも引用されてるから、それなりに読まれてるのは確かだね。
京大本そのものは、そんなに古い写本じゃないだろう。
最古の文献とは書写年代を言ってるのではないと思われる。
ややこしい言い方すんなよ。
247 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/17(火) 01:04:52 ID:WR3b3NHn
仮にその寺が現在の韓国を指すものだとして
「現在この地で問われる問題はすでに中国では解決している」
という記述からは「筆者」は中国の当時の状況に通じている人→恐らく中国人
中国人が「この地」の状況を語っていると考えるのが普通だと思うんだけどな
この断片的な証拠から韓国人、韓国の文献と結論付ける強引さが面白いね
>>244 いや、メキシコ人がマヤ文明の歴史を盗むようなもんじゃないのか?
249 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2006/10/17(火) 01:49:34 ID:N5XGLk2I
>>233 というか、東洋史を研究するのに漢字はさけようがないだろw
従軍慰安婦の一般公募広告を処女狩り命令書と勘違いして
恥を書く韓国人が出るわけだ。
漢字が読めなくても翻訳する努力を放棄する馬鹿がいる。
馬韓・辰韓・弁韓を、三韓という。
http://www.yu-ji.com/map1a.gif 『魏志韓伝』には、弁辰十二か国の名がのっている。
その中には、不斯(ふし)国とか、弥烏邪馬(みあやま)国、狗耶(くや)国、
安耶(あや)国、斯盧(しろ)国などがあり、その斯盧国が強大になり、やがて新羅国になる。
弁辰十二か国の中に、涜盧(とくろ)国というのがあって、
その国は「倭と界を接す」とある。
これは海の向こうは倭というようにもとれるが、
界を接すとは陸上で国境を接してることで、倭人の国(あるいは九州の飛び地領土)が
南朝鮮にあったのではないかと考えられる。
弁韓には鉄を産し、「韓・わい・倭、みな、ほしいままにこれを取る」と書かれているから
倭人が南朝鮮で活躍していたことは確かだろう。
>>245 >中国に勝るものはあるまいあんだけ焚書してなおかつ膨大な量があるしな
日本の場合、応仁の乱で京都が燃えたのが痛い。
>>245 原典が膨大な量あるの??
先日読んだ般若心経関係の本では三蔵法師ですらインドから持ち帰った経典を
翻訳が終わったら廃棄したくらいで、ほとんど残ってない、日本の方が多いと書いてあったのだが。
>>254 中国人はほら、中華思想の人だから。
漢訳が終われば原典はポイ捨てしちゃってるでしょ。
「オレんとこの方がすげーんだYO!!!!」
って感じで。んなわけで梵語の原本は中国出土はあんましないでしょ。
中央アジア出土が多いんじゃね?>梵本
ギルギット写本・ハッダ写本辺りに注目せにゃ。
最近有名になってるガンダーリー写本なんてのもあるね。
スッタニパータの犀角経が出てきたのは驚いたね>ガンダーリ
ガンダーラ大蔵経の存在、確認できるのかなぁ?
256 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/21(土) 03:27:24 ID:FanedEkG
>>229 >たしか、この文の正規の解釈は、
>「現在この地(中国)で問われる問題はすでに西域(ガンダーラ)では
>解決している」
>だったと思う。
>だから、慧均は中国人だったはずだ。
本当かい? その解釈の出所が知りたい。
コリアは歴史を裏切らない
歴史もコリアを裏切ってはならない。
258 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 04:07:41 ID:KgHWzKuD
まじめな話、「大乗四論玄義記」については、前から日本の学者の間で、「新羅で作られたのでないか」という話があったんだよ。今回の崔鉛植教授も、おそらくその話を知っていたから京都に来て写本を調査したんだと思う。
専門家から見れば崔教授の説は可能性が高いと思うよ。
259 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 04:33:53 ID:X+Yj040f
また日本か
本当に物持ちがいいな
260 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 04:39:22 ID:YOqamEpX
半島で書かれたのに中身は漢文ですか
261 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 04:46:21 ID:XurNZZwh
昔の仏教本はなにげにチベットにあったりする……
あそこに行った人は分かると思うけど、町みたいな巨大寺院の中はビッシリ教典で埋まっている
それはそれは恐ろしい数でチベット人自身その全体を把握していない。
日本からもかなり研究者が入っているハズだけど、チベットは実に微妙なエリアでねぇ……
立入禁止区域ばかりで、それはそれは困りものなのさ……
262 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 05:11:06 ID:X7ZCOSSU
百済は支配階級が日本人の完全な日本の植民地だったことが日本書紀に書かれているのだが
朝鮮人には受け入れられない歴史なんだろうな
263 :
亀の湯:2006/10/23(月) 05:14:22 ID:KaQ/TZ1d
中国や韓国の古代文献は軒並み
日本は蛮国だと書き記してるね
残念だけどたぶんそれが事実
264 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 05:22:30 ID:8e9fU5xO
265 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ ):2006/10/23(月) 05:23:38 ID:IWMkH2Kp
捏造に日本の大学まで利用しだしたか・・・・
266 :
亀の湯:2006/10/23(月) 05:27:06 ID:KaQ/TZ1d
>>264 中国の後漢の書物も
倭国とやらは鬼信仰のあげく
分裂症の巫女の妄言に国の方針を委ねてる蛮国と散々だがw
268 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 05:30:32 ID:8e9fU5xO
>>266 該当個所を出せ という日本語が読めないのか?
269 :
亀の湯:2006/10/23(月) 05:32:44 ID:KaQ/TZ1d
しらじらしい
痛いトコ突かれたからかなw
273 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ ):2006/10/23(月) 05:35:41 ID:IWMkH2Kp
>266
後漢の時代と卑弥呼に時代はえらくずれてるのだが・・・・
それに分裂病って病名は近年に出来たのだが・・・・
274 :
亀の湯:2006/10/23(月) 05:36:38 ID:KaQ/TZ1d
>>270 うそだろ?
魏志輪島伝だぞ
いっとくが正史だからな
>>274 本当だよ
正史って書かれてても、後年になってかなりいい加減に付け足されたりしてる
278 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 05:47:13 ID:8e9fU5xO
日本の傀儡と言われる満州国が、そのまま発展していけば、
きっと百済の様に、北朝鮮部分の割譲を要求していたと思うな。
そして、日本の満州移民の子供達が、満州に残るロシア文化を
内地にもっと持ち込んだのではないだろうか?郷愁として。
280 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ ):2006/10/23(月) 05:49:54 ID:IWMkH2Kp
>279
でも満蒙開拓団は変な思想化2人の妄想の合作だったからね〜
ちゃんと戦略があればいいけど
あれじゃあね。
281 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 06:00:40 ID:KaQ/TZ1d
今では正史の魏志というけど
正統はあくまで蜀漢だから
そっちで言えば
陳寿の蜀史に武候が蓬莱国から来たなどという土人を
洛陽にでも行けと追い払った記述があるな
282 :
お前も悪よのう、いえいえお代官さまほどでは:2006/10/23(月) 10:33:13 ID:EDXjQxL0
>262
その百済と現在の天皇家は血縁でつながっていると見ているんだがどうだ?
なぜ朝鮮に出兵したかといえば、姻戚関係にあったのだろう。
283 :
大喰らい(*ω*):2006/10/23(月) 10:39:35 ID:P0pmsUs5
>>282 それは大いにある、けど血縁関係になったのは亡命後と思ってる。それまで倭は百済の(植民地と言うより)
後見人的存在でそのために出兵したのでは?
>>282 こういう考えはどうだ。
ある百済王の后が三韓の支配者と主張する応神王朝出身者で、その応神朝が日本で滅びる。
そして、また(名目的に)復活した。となると、
その子や子孫は百済王であっても、自分が直系な後続であるという強い対抗意識を持つ。
日本側としては強く出られず優遇処置を取り、観念として継続固定化される。
当然、それで良しとする豪族達の利害が共通するネットワークがある。
血脈は、かなりあやしいが、系統としての関係性はあっただろうね。
285 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2006/10/23(月) 11:35:18 ID:X7ZCOSSU
>>282 百済を支配していたのは天皇家だよ
その証拠に古墳が韓国にあったけど、韓国の証拠隠滅作業により古墳はブルトーザーで殆どが破壊された
高句麗が勢力を拡大すると、百済王家は日本の大阪に戻っている
いまも日本で「なりすまし」やってるんだぜ?
ワイ族か中国人かわからんやつらが、朝鮮に住み着いてるだけだろ。
たとえば「李」なんて名乗らんだろ。独立民族を自称する人間が。
エベンキ族が半島を不法占拠中ですな。
倭人の遺跡をコンクリートで埋めてるしw
288 :
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
百済との血縁関係といっても相当薄いよ・・・
亡命後何世代も後って事になってるし。
あくまで百済の権益の正当性の為に王家を
存在させてた感じだし。