>>1 ※続き
ヘルシンキでは北朝鮮の核実験の可能性についても質問され、これには「今のところ
いかなる情報も持ち合わせていない」とかわしていたが、核実験をやっても「あれは
武力攻撃のためではなく政治目的のためのものだから騒ぐ必要ない」ということだろう。
そういえば核兵器は「国際政治上の最大の外交手段(つまり政治手段)」といわれて
きた。いや戦争だって古来、「最後の政治手段」といわれてきた。だから「政治目的だか
ら騒ぐな」というのは実はナンセンスなのだ。盧武鉉発言が金正日擁護論といわれる
ゆえんである。
もうひとつ記憶に残しておくべき発言がある。今年の「八・一五光復節記念演説」だ。
日本に対しては相変わらず「謝罪と反省」を要求する一方で、北朝鮮に対しては「広い心
と長い目で過去を許し、和解と協力の道に進まなければならない」と述べているのだ。
韓国は日本との、1965年の国交正常化とその後の「和解と協力」によって発展してきた
のは国際的常識だ。なのにまだ「謝罪と反省」をしろという。ところが韓国に対し朝鮮戦争
や、大統領暗殺計画など、多くの国家テロの被害を与えてきた北朝鮮は、「謝罪と反省」
は求めず、ひたすら許し和解・協力すべきというのだ。これもすごい発想だ。
こうみてくると韓国における「謝罪と反省」というのは、実はきわめて政治的で軽い(?)
ものということになる。だから日本としては、そんなに悩む必要はないかもしれない。
それに盧政権は日本に対してはよく「人類普遍の価値にのっとって……」とか何とか
教訓を垂れるが、北朝鮮の金正日政権に同じく「人類普遍の価値」をあてはめて批判、
非難するということは決してない。こうしたご都合主義を確認できたという意味で
「八・一五演説」は貴重だし、日本にとってはありがたい(?)ものだった。
ソース:SAPIO 10月11日号(9月27日発売) 79ページ
Web上では見ることが出来ないため、記者が確認してテキスト化しました。