"中国・日本の古代天文図にはない星座"
(ソウル=連合ニュース) 金胎息記者 = 近代西欧天文学概念が導入する前の東アジアの古代天文図には
なかなか見られない”カシオペア座”が高麗時代の星座絵でぞくぞくと見つかっている・・・
【写真】高麗時代のカシオペア座
高麗時代の石棺に描かれたカシオペア座。国立中央博物館の所蔵品で、石棺の蓋に描かれた天文図の
左側と右側にそれぞれカシオペアと北斗七星星座が描かれている。その中央には太極柄で処理した
北極3星星座が見える。これを再びお互いに噛み合って帰る二匹の鳳凰が太極形態を作っている。
/金胎息/文化/2006.8.1 (ソウル=連合ニュース)
ttp://www.yonhapnews.co.kr/images/20060801/052006080100400_1.jpg 北極星を中心として、北斗七星と向い合った所にあるカシオペアは5つの星で構成される。東アジアの古代天文学で、
これら5つの星は一つの星座として認識されなかった事が知られているが、高麗時代の天文図ではこれら5つの星が
線で繋がれた組になって示されている。
高麗時代のカシオペア星座絵は、国立民族博物館が2004年開催した”天文、空の理・地の以上”特別展に出品された
国立中央博物館所蔵の石棺の蓋(横 63.5、縦 45.9、高さ 25.3cm) 1点が知られているだけだったが、最近3点ほどの
実物資料が追加公開された。
そのうちの2点は国立中央博物館が最近開幕した”高麗時代墓誌銘”特別展に出品された。一つは ”神髓5880”
(神髓は最近得た資料という意味)(翻訳記者注記:原文の読みは”sin-su”、神髓は機械翻訳のまま)という遺物番号
が付いた”イシニョ墓誌銘”で、石棺のふたの内側にカシオペア座と北斗七星、さらに太陽と月の絵も刻まれている。
他の一つは、”李初元妻金氏石棺”で、蓋の内側に刻まれた天文図としてここでもカシオペアの5つの星が線で繋がれており、
”神髓5880”遺物と同じように北極星の横に描かれた北斗七星の反対側に配置されている。
この外にも高麗史専攻のホフングシック韓国学中央研究員教授が、中国から入手した高麗時代石棺資料1点を公開したが、
これにもカシオペア座が発見された。
韓・中の古代天文思想史専攻である高句麗研究財団 金一圏博士は「5つの星を一列で表現しているということは、これらを
一つの星座として認識していたという証拠になる。そしてその位置関係や模様を見るとカシオペア座であるのは疑う余地が無い。」と言った。
そして、このカシオペア座は中国は勿論、日本の古代天文にも発見されない点でこの高麗時代の星座絵は注目を集めている。
金博士は 「カシオペア座は西洋から由来した知識である。東アジアの天文ではカシオペアは ▲王良▲閣道▲策の3つの星座に
分けられて認識されていた」と語った。
この中”王良”は天子の車をひく馬子の名前で、”策”はその馬子が使った鞭を表し、”閣道”はたぶん王良が鞭を持って追いたてる
天子の馬車が通る道を意味すると考えられている。
金博士は「カシオペア座の絵だと推測することができる東アジアの天文関連資料では、高句麗ドックフングリ壁画古墳で発見された
「W字形」星座絵がある。」と言い、「この星座を北朝鮮学界ではカシオペアである認識していたが、私もその見解を支持するものの、
それを裏付けるに値する傍証する資料がなかった。高麗時代資料が引き続いて発見されることで、高麗の天文伝統が高句麗を
受け継いだということを推定できるようになった」と付け加えた。
韓国天文研究員案上県先任研究員は「カシオペア座が、古代東アジアの天文図にはないという点は確かだ。」、「その中で、
高麗時代の石棺資料1点だけにカシオペア星が発見されたが、さらに追加資料が発見されれば非常に意味がある事になる。」と言った。
一方これら高麗時代の石棺星座絵でカシオペア座に対向して描かれた北斗七星の星中で、柄の部分の中星(6番星)のすぐ側に
”ポソン(輔星)”と称える第8の星も描かれていて、実際は”北斗八星”の姿を見せている。
同時にこれら星座絵では、2等星であまり珍しくない星である北極星がきちんと描かれていて、高麗時代にも北極星信仰が発達していた
事がうかがわれる。北極星は空の星座の中で移動しない中心ということで天上の帝王に例えられ、それが神格化する時の名称は”天皇”、
あるいは”天皇大帝”と称えられた。
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ソース:連合ニュース
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20060801/070400000020060801110826K6.html