【靖国参拝問題】昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀 [07/20]
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<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:
【まとめ】
1975年 8月 三木首相「私人として」参拝(以後「私人か公人か?」が論点になる。)
1975年 11月 昭和天皇の靖国参拝(6年ぶり。結果としてこれが最後)
1975年 11月 社会党が天皇陛下の参拝の「公私」について難癖(天皇陛下の参拝が途切れる)
1978年 いわゆるA級戦犯合祀(←合祀の3年も前に、社会党のせいで天皇陛下は参拝していなかった)
1985年 中国の靖国非難開始(←中国の非難はここから。合祀から7年も後)
1986年 中曽根参拝中止(首相の参拝が途切れる)
1988年4月28日 「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され〜私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」
という天皇の発言メモが当時の宮内庁長官、富田氏の『手帳に張り付けられる』(←今回の)
【重大な疑問】
1 「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
2 「だから私はあれ以来参拝していない。」
天皇陛下は75年(三木首相私人参拝)から参拝していないのに、
「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。
3 あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の四月。崩御の前年。
4 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。
それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6 一部記事中の白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
7 論理構成、概念が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。
「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党や社民党がいかにも使いそうな言葉。
8 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」
「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
78年ならまだしも、合祀から10年経った88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。